307 「秘書の帰国」

「お嬢様は、ついに私の素性を聞かれませんでしたね」


「私も、節度ってものくらい弁えているつもりよ。だから調べさせてもいないし、こっそり誰かさんが調べたものも覗いてないわ。知られたくない事の一つや二つ、誰にでもあるでしょ」


 フフッと笑い「そうかもしれません」とトリアが返す。そして「そんなに大層な理由でもないのです」と続ける。


「じゃあ、最後に聞いて良い?」


「はい。むしろ、最後に話すつもりでした。私にとって、お嬢様は嫉妬と羨望、そして小さな希望なのです」


「前二つは分からなくもないけど、希望って?」


「恐らく前二つも、お嬢様がお思いになっている理由とは、違うと思います」


「フーン。じゃあ、そのあたりだけでも、最後に聞いておきましょうか」


「はい」


 静かにそう答えたけど、その声が静かな部屋に沁みる。

 場所は、トリアの送別会をした翌朝の鳳グループの横浜迎賓館の一室。以前、鳳一族の横浜屋敷があった場所で、私が転生してきた場所でもある。

 別れの場所としては、なかなかに相応しいだろう。


 今は名前の通り、横浜での取引の場として使われていて、普段なら満員御礼だ。何しろ鳳グループが主にアメリカからじゃんじゃんお買い物をして、その荷物の届く先の一つが横浜港だから。


 そして今日、トリアは日本最大の豪華客船の浅間丸に乗ってアメリカへと帰っていく。

 けど朝だし、私が1室空けさせていたから、部屋とその周りは静かだ。屋敷自体も相応の敷地に立派な庭があるから、周囲の街の声も遠い。

 部屋にいるのも、私達二人以外はシズとリズだけ。その二人も、私に付くと言うよりは最後の別れの為だ。



「以前少し話しましたが、私は自分の才能・能力には自信はありますけど、アメリカでも女性が誰かの夫人として以上で、つまり単独で活躍するのは非常に難しいのが実状です」


「日本から見れば、女性の社会進出、男女同権は随分進んでいると思うけどね」


「お嬢様が、それを仰いますか」


 そう言った目は少し挑戦的だ。

 対する私は、軽く肩を竦ませる。


「鳳一族が変なだけよ。男女問わず長子が一番とか、日本の常識から離れているし」


「かもしれませんが、私のお嬢様、いいえ鳳玲子への嫉妬と羨望、そして希望の全てがお嬢様のお生まれとお立場、さらには為されている行動と結果なんです」


「女が社会で活躍しているって? けど、日本じゃあ私は永遠にフィクサー状態よ。誰の後ろ盾もなく前に出ても、女ってだけで小馬鹿にされるだけでしょうね。それどころか、相手にすらしない男が、ごまんと居るわよ」


「はい。日本は私から見たら、野蛮とすら言えるほど男尊女卑の考えの強い社会です。ですが、例外もあった。一方のアメリカには、鳳のような例外はありません。少なくとも、私は見た事がありません。

 それに日本に来て少し意外だったのですが、大抵の人は私を蔑みません。性的な視線で見る者はいますが、能力は評価してくれました」


「それは、日本人が舶来もの、海の向こうのものを有り難がる心理が強いからじゃないかなあ」


「それはセバスチャンからも言われました。そして、精々利用すれば良いと。勿論、セバスチャンですので、お嬢様の為に、という言葉が付きますが」


 そう言って小さくジョークの苦笑。

 対する私は、マジの苦笑いだ。あとでセバスチャンを虐めないといけなくなってしまった。


「ですが、それでも能力は評価してくれましたし、女だからと無下にもしません。何より、私個人を評価してくれます」


「そりゃまあトリアは優秀だもんね。私も頼りにさせて頂きました」


 半ば冗談で、半ば本気でお辞儀も添える。


「活躍の場を与えて下さったからです。もっとも、最初に派手なメイドドレスを支給された時は、噂は噂に過ぎなかったのかと気が遠くなりそうになりましたが」


「噂? そういえば、全然聞いた事なかったけど、何を聞いたの?」


「前も少しお話ししましたが、お嬢様にお仕えすれば、事実上の第一線で働けると言う話です。日本に渡り、日本人に仕えて、日本で仕事をする優秀な女性を募集する。しかも仕える日本人の実質的なボスは、10歳に届かない少女である、と。正直、最初は何かのジョークだと思いました」


「うん。私でもそう思う」


 そう言って今度は互いに緩めの苦笑。


「ですが気になって、セバスチャンと接触しました。さらに、影からですが、許しを得てお嬢様の姿もニューヨークで拝見致しました。滞在中のゲストハウスで、臨時雇いのメイドとして入った事もあります」


「エッ! それはマジで初耳。気づかなかった。どこにいたの?」


「直接お嬢様の目に触れない配置です。これで気づかれていたら、私は初対面でもっと驚いた事でしょう」


「モウッ! セバスチャンの仕業ね。あとで問い詰めてやるって、そういえばあいつもすぐに欧州だった」


 少し身を乗り出したので、椅子に深く座りなおす。


「時田様かもしれません。時田様とは、ゲストハウスの時点で最初の面談をしておりますので」


「まあ、そりゃあそうよね。怪しい輩が、私の側に近寄れる筈ないもんね」


「はい。鳳の本邸に入って、この一族と財閥が他の日本の財閥などより、余程ステイツの財閥中枢などに近い事を実感しました。相当強い警戒心ですね」


「うちは敵だらけだからね。で、そう思うトリアも、そういうのが肌で分かるところに居る人なのね」


 ようやく少し本題に踏み込んだ訳だけど、トリアの表情と雰囲気は柔らかいままだ。

 素性を話すと言ったのは、本当らしい。


「はい。私もアメリカでは上流階級とされる階層の出身です。アメリカでも、女がハーバード大学に入るのは、あまり好ましい事とは思われていませんし、入る事自体が非常に難しいのが現状です」


「大学は男のものだもんねー」


「はい。その点、鳳の大学は開放的で、アメリカ、ヨーロッパの先を行っている所があります」


「お褒めに預かり恐悦至極に存じます。まあ、そのせいで、三流以下の大学、日本最低の大学と、散々に言われて来たけどねー」


「先を進むものが叩かれるのは、世の常です。お嬢様もそうです」


「私が? 巫女とか言われるけど、大人の陰に隠れてコソコソと暗躍する得体の知れないモンスターよ」


「ですが、鳳財閥を巨大化させ、今や日本経済の一翼を担うどころか、日本自体を大きく浮揚させようとすらさせておいでです」


「あぶく銭を掴んだんだから、使わない手はないでしょ。それに、色々と骨を折ってくれているのは、私を盛り立ててくれる大人達よ。私は、思いつくまま、あーしろ、こーしろ、って無茶振りしているだけ」


「かもしれません。ですが、トップに立つ者の務めは、進む道を決める事、決断する事です」


「あとは責任を取る事ね。けど私、まだ子供だから、その責任を取れない中途半端な身の上よ。しかも大人になったところで、この日本じゃあ責任を取ると言ったところで、どこまでまともに相手してくれるやら」


「それでもお嬢様は、歩む事、進む事をおやめになりません」


「そりゃあ、一旦走り出した以上、走り続けるしかないでしょう。止まったら、そこで終わりよ」


「かもしれません。ですが、世の中のほぼ全ての女性は、決断する事も、先頭を走る事もできません。歴史上それが出来たのは、様々な時代の王国や帝国で至尊の座に就いた選ばれた者だけです」


「じゃあ、女王様の名前のトリアじゃなくて、私が女王様ってわけね」


「はい。護衛の方が女帝とおっしゃられているのを聞いた事がありますが、まさに正鵠を得ていると、私も同感いたしました」


「女帝ねえ。女帝だと、エカチェリーナ2世に憧れるわね。それに、皇后だけどマリア・テレジアも結構好きかな」


「日本の皇室では?」


「皇室? 皇室の女帝は、自身が活躍したって言える人いるのかな? けど女帝以外なら、神功皇后か北条政子ね。そういえば、ヴィクトリア女王もインドの女帝ね。それで目の前の女帝さんの身の上話は、これでおしまい?」


「そういえば、そのお話でしたね」


 そこから、簡潔にだけど彼女の素性を聞いた。

 けど、淡々と話して淡々と聞く。それだけ。

 彼女は、メイフラワーのように有名じゃあないけど、古い時代の移民がご先祖様。そしてアメリカの王様達の系譜に含まれる人。だから、女王様でも女帝ではないけど、お妃様か皇后様だ。

 けど、彼女が生んだ王子様達は、別れた王様の子供。しかも彼女は戻ったら、どこかの王様の系譜との再婚が待っている。そして、まだ十分に子供を産める年齢。だから帰らないわけにはいかない。

 それだけの話だ。


「話してくれてありがとう。願わくば、帰ってからも手紙のやり取りくらいはしたいわね」


「それは勿論です。むしろ今から、お話ししようと思っていました。それに再婚後の私は、アメリカ上流階級のかなりの場所に位置します。夫人同士の繋がりと夫の操縦が主な仕事になってしまいますが、かなりの影響力は手に入れられる筈です」


「その力を、私にも貸してくれる、と? その代わり、私は何をすれば良いの?」


「まずはペンフレンドに。ゆくゆくは、本当の友人になって頂けたら、それに勝るものはありません」


「それだけで良いの? 私、トリアに何もあげてないわよね」


「この3年、とても楽しませて頂きました。それで十分以上に、私の心は報われたのです。アメリカでは叶わない事が、十分に出来たのですから。流石に、スパイまがいの事は苦手なままでしたけれども」


「でしょうねえ。セバスチャンが、張り合いがないってぼやいてたわよ」


「だと思います」


「うん。でも、同僚や秘書としては有能だって褒めてた。私も同感」


「はい。そちらは当人からもお言葉を頂きました」


 二度の苦笑が続く。けど、後の方の苦笑は、嬉しい笑いでもあった。

 そしてトリアは、少し真面目顔になる。


「最後に一つ、お願いしても宜しいでしょうか」


「出来ることなら、聞きましょう」


「お幸せにおなり下さい。出来れば、穏やかに暮らして欲しいとも思いますが、それが非常に難しいと言う事はこの3年で嫌というほど見て参りました」


「出来れば、穏やかに暮らしたいけどね」


「では、そちらも私の希望として心の隅にお留め下さい」


「ありがとう。直接そう言ってくれる人も少ないから、素直に嬉しいわ。じゃあ、トリアも幸せになってね」


「はい。お互い、努力致しましょう」


 それで言葉が締められたから別れのハグかと思ったら、シェイクハンドの右手だった。

 私とのハグは、丸腰が他者に確認されない限り禁止されているからだ。何しろトリアは、アメリカの王様達から派遣された、私との連絡役にして公認スパイだ。


 だからシェイクハンドでの別れが相応しい。

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