306 「独裁体制確立」

 今年の3月は、イベント目白押しだ。

 歴史を捻じ曲げたおかげで、満州や大陸を巡る情勢が静かだというのに、私が3日に起きた昭和三陸地震にかかりきりな間に、世界は目まぐるしく動いていた。


 4日にルーズベルトが何とか大統領就任式をしたと思ったら、6日にはぶっ倒れて再入院。大魔王のルーズベルトにも、ちょっとだけ同情してしまう。

 そしてその間の5日にドイツ国会選挙があり、ナチスが大躍進した。この大躍進は、私が歴史で学んだ通りだ。


 それ以外も、ドイツは歴史通り動いていた。

 2月頭にまた選挙するぞーってなって、3月5日の選挙だったわけだけど、私の前世の歴史通り2月27日に「ドイツ国会議事堂放火事件」が起きる。

 歴史のターニングポイント。どでかいフラグの一つだ。


 これを私は、ナチスのマッチポンプだと知っているけど、それを口にする事は出来ない。現状の日本にとって、ファッショより共産主義の方が都合が悪いという理由もあるけど、言ったところで証拠は何一つないし、いろんな意味で危険だから現地に調べる事もさせていないからだ。


 それはともかく、翌28日にヒトラー内閣は、その国会議事堂放火事件を口実に「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」を公布。憲法が事実上停止された。

 もう、独裁に向けてのジェットコースター状態だ。

 だから5日の選挙でナチ党は大躍進するも、共産党も社会民主党も議席を伸ばしてもいるのに、ヒトラー政権はどんどん弾圧を進めた。

 かくして3月24日、ドイツの国会で「全権委任法」が可決され、ナチス独裁政治が確立。これによりナチ党の権力掌握がだいたい完成して、ナチス・ドイツ、『第三帝国』の事実上の成立となる。


 そして実質的に最初に行ったのが、お約束とばかりのユダヤ人弾圧。

 3月28日に、『反ユダヤ主義的措置実行に関する指令』を発する。これは、ユダヤ人企業、商店、医師、弁護士へのボイコットを実現するための党声明だった。

 当然これは弾圧の始まりの、さわりの部分に過ぎない。


 そんな世界情勢、というかドイツ情勢の頃、私は一つの別れの日を迎えていた。



「トリア、いいえ、ヴィクトリア・ランカスター女史、今まで本当に有難う御座いました。この3年間尽くしてくれた事は、生涯忘れません」


「勿体ないお言葉、有難うございます」


 そして花束贈呈と出席者の拍手。

 場所は鳳ホテルの中宴会場。参加者は、一族の者達、使用人達、加えてトリアが主に仕事していた鳳商事と鳳総合研究所の関係者など。思った以上に沢山の人が別れを惜しんだので、お屋敷でのささやかな催しとはいかず、かなりの規模になった。


 そうして立食パーティー形式なので、みんな気軽に話に花を咲かせる。そして私にはトリアと最後に個別に別れを惜しむ時間もあるから、この場はこれで最後となる人達に譲る。

 そして鳳の子供達が英語の先生でもあったトリアとの話をしている中、その輪からも少し距離を置く。私が話すのは、今じゃない。

 そうして適当に料理を摘もうと、テーブルの方へと進む。そこには、小太りな金髪が皿いっぱいに食事を載せる作業に勤しんでいる。


「セバスチャン、楽しんでる?」


「これはお嬢様。はい、勿論です」


「あっそ。……ねえ、セバスチャンはアメリカに帰らなくて良いの? あっ、勿論他意はないわよ」


「はい。一族や血縁者はアメリカだけではありませんし、私はどこに住んでも同じです」


(流石ユダヤ系。考え方が違うのね)


「そうなんだ。他は、やっぱり連合王国?」


「はい。父方は主にスコットランドとアメリカ東部。母方はアメリカとヨーロッパの方々に」


「……ドイツは?」


 そう聞くと、「やっぱり聞いてくるか」という反応になる。


「そりゃあ気になるわよ。母方って、皆さんユダヤ人なんでしょう」


「はい。お嬢様のご助言を頂きましたので、数年前からドイツとその周りに住んでいる者には、移住するように勧めております」


「じゃあ、身内は大丈夫なの?」


「ドイツの方は粗方。残りも他の者が援助して、遅くとも数年以内には」


「そっか。けど、ユダヤって一族より民族全体でも助け合うんでしょ。手助けが必要になったら言ってね。もう、アインシュタイン博士も実質亡命したって聞くし、本当にヤバイから」


 料理を摘みつつ、飲み物を口にしつつ、そして笑顔で話すけど、お互い周りに聞こえない声は真剣だ。


「お心遣い感謝致します。いずれお力をお借りする時が来るかもしれません」


「セバスチャンには世話になっているから、幾らでも手を貸すわよ。まあ、出来れば日本に移住して、私の仕事を手伝ってくれると助かるんだけど」


 少し軽めの口調にしたけど、返ってきたのは重いままの言葉。普段のセバスチャンらしくないので、こっちまで少し緊張する。


「……では、一つお願いしても宜しいでしょうか」


「何? 優秀な人材なら大歓迎なんだけど?」


「今のお言葉、文書にして頂けませんか。また、折を見て数ヶ月の長期休暇をお願い致します」


「説得行脚に行くわけね。いつでも良いわよ。文書も、明日にでも用意する」


「有難うございます。知人、縁者を説得しやすくなります」


 知人、縁者というところで、思いつくことがあった。


「ねえセバスチャン、ユダヤ人以外に欧州に知人、縁者っている?」


「直接は数名程度ですが、遠い血縁の関係者ならかなり」


「うん。それじゃあ、範囲は移住する人全員。ただし、共産主義者は却下。社会主義者は条件付きでオーケー。各種技術者、学者、医師、弁護士、商人なら厚遇」


「……他に条件があるわけですね」


「うん。ナチスはユダヤ人と共産主義者以外にも、ロマも迫害するの」


「ロマですか」


「うん、ジプシーさん達ね。それとユダヤ系の人は、16分の1でも血が入っていたらヤバいから。他は……今は大丈夫だけど、ドイツの近隣諸国ね。特にポーランド」


「ポーランド? 今はポーランドの方が軍事的に優位ですが、やはり逆転するのですか?」


 すぐにドイツが侵略すると判断する辺りが、セバスチャンだ。こっちの先回りをしてくれるのは、いつもながら話しやすくて助かる。


「うん。『夢』だと6年後ね。ドイツ民族が住んでるところは、もっと早く。まあ、まだ私の妄想の段階だけど」


「僅か6年ですか。しかし、ドイツ国内は確か近日中でしたね」


「うん。『夢』の通りなら独裁を完成してすぐの筈だから、1日でも早い方がいいわね。ユダヤ人だけじゃなくて非アーリア人もみんな、公職追放されるから」


「話しておられましたね。分かりました」


 何が分かったのか私には分からないけど、分かると言ったところで、もうこの際だと決める。

 だから声を少し大きく、周りにも聞こえるように伝える。


「それじゃあ、ドイツとかに行って、工作機械や精密機器とか買い付けてきて。出来れば、人材確保も宜しくね」


「エッ、アッ、はい。畏まりました、お嬢様」


 一瞬セバスチャンらしくない驚きがあったけど、途中から立ち直っていつもの様に恭しく一礼。

 私も大きめの声を出した事もあって、周囲の視線が私達に向く。近寄ってくる人達もいる。鳳の子供達だ。

 けど口火を切ったのは、いつもの龍一くんではなく、距離的にも少し近かった玄太郎くんだった。


「玲子、こんな時も仕事の話か?」


「ちょっと話していただけよ。だって、トリアがいなくなったら、仕事内容によってはセバスチャンとばっかり話す事になるのよ。トリアの後任が仕事出来る様になるまで、この暑苦しい男を遠ざけるだけよ」


「当人を前に、よくそれだけ言えるね。玲子ちゃんらしいけど」


「俺には無理だ」


「でも、セバスチャンと玲子ちゃんって、いつもそんな感じだよね」


 子供達の論評を前に、セバスチャンは涼しい顔で軽く一礼。気にしてませんのアピールだけど、まあこの辺りまでのやり取りがセットメニューだ。

 ただ、その後ろから近づいてくるトリアは、何となく事情を察している。ドイツと聞き、セバスチャンの素性を知っていれば察せるだろう。


 私としては、本当に惜しい人材を手放す事になると感じるけど、笑顔でトリアを迎え入れる。

 何しろ今日は彼女が主役だ。

 

__________________


満州や大陸を巡る情勢が静か:

史実だと、1933年2月24日の国連決議後に、日本は松岡代表が退場。3月27日に、国際連盟脱退を通告する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る