297 「新たな陸軍糧食」

「お味は如何ですが、皆様」


 さり気ない振りをして、いつもはカーキ色な軍団へと突撃する。しかし声をかけるのは、お兄様にした。他は、メンツが濃すぎる。


「ああ、とても美味しいよ。何度も話には聞いていたけど、凄く斬新だ」


 そこからは、周りの青年将校ズ、と言うかお兄様ファンクラブな感じの人達が似たような賞賛を浴びせてくれる。

 上の人達は、別の集団で助かった。


(まあ、掴みはオッケーっと)


「ところで玲子、さっきは開発していた人と話していたけど、もう次の商品開発の相談かい?」


 一通り賞賛が順繰りしたら、お兄様のお言葉。開発主任な元料理人との話を聞いていたらしい。

 見れば、他の青年将校ズも興味深げ。全員、機嫌良さげなのが、せめてもの救いなメンツだ。


「あ、はい。けど今は、どうやって一定期間保存が出来るようにしようかって、ちょっと話していただけです」


 そしてそこから、同じ話をかいつまんで聞かせた。



「なるほどね。大きめの背嚢か長持くらいの大きさの密閉性の高いブリキ容器に個々の即席麺を油紙で包むのが、今のところ理想かな。どう思う?」


「ハイ。鳳先輩の案で宜しいかと。それにしても、素晴らしい保存食です。調理が非常に簡単で、軽く持ち運びにも便利だ」


「冬の寒い満州の荒野でも、お湯さえあれば良いというのは、本当に素晴らしい」


「しかも栄養価も高い。それで、一つお伺いしたいのですが?」


 西田、服部、辻が、さらなる賞賛を順に喋る。そして辻は、こんな時にもご質問。やっぱり辻だ。


(まあ、今日は許そう。むしろ聞いて欲しい)


「調理せずとも食す事が可能なようにお見受けしましたが、如何でしょうか」


「はい、それも可能です。もう少し改良する必要がありますけれど、バラバラに砕けばお菓子にもなります」


「おおっ、やはり!」


(そのうち伝えようと思っていたけど、先に気づくとは目ざとい)


 そう思ったけど、やっぱりお湯を入れて3分待って欲しい派なので、追加の案件も添える事にした。


「ですけれど、それは非常時、緊急時ですね。やはり熱いお湯を注いで食べるのが一番です。鳳では、陸軍向けに簡易給湯車を試作したので、近いうちに献納させて頂きます」


「そういえば、言っていたね」


「伯爵令嬢、鳳先輩、簡易給湯車とは? 油ではなくお湯ですよね」


「ああ西田。うちは油を余るほど納入するだろ。油に関わる製品も手馴れている。それにトラックも。簡易給湯車は仮の名で、トラックに灯油コンロに大量の蛇口が付いた大きな湯釜を乗せたものだ。もう少し手を加えて野戦炊事車と呼ぶかもしれないが、簡易浄水装置も合わせて積んでおけば、防疫にも転用可能だ」


「なるほど、浄水車の発展形のようなものですね。ですが、部隊ごとにその車両を持たせるのは、配備に時間がかかりそうですね」


「ああ。だから輜重連隊の中か別に野戦糧食の隊を専門に作り、そこで一元管理させて全兵士に食事を供給させる。専門の野戦糧食班は欧米では既に導入されているが、帝国陸軍も個々の兵士が食事の用意をする非合理性から一段先に進むべきだと考えている」


「おおっ!」


 3人のエリートが、感嘆符でハモる。

 それくらい当然と思いたい私がいるけど、この時代の日本の普通の生活を知ると、仕方ないとも思えてしまう。


「戦地では、薪が確保出来るか分かりません。それに薪を燃やすと、煙で敵に位置や食事時を知られてしまうかもしれません。龍也叔父様と話していて、それではと考え作らせてみました」


「流石は伯爵令嬢。いつもながら、素晴らしい冴えでいらっしゃる」


「けれど、今の陸軍や日本の現状では、沢山装備出来ず高嶺の花になる、とお考えなのですね」


「い、いえ、そんな事は決して!」


 西田は弄ると意外に面白い事を発見した。辻だと唯我独尊すぎて私は手も出せないけど、これはいけそうだ。

 そう思ったところでの横槍は、辻ーんムーブな服部だった。


「しかし伯爵令嬢にはお考えがある、と?」


「考えなんてものではありません。鳳は財閥です。だからどんどん作って、日本中をトラックで埋め尽くせば、自ずと陸軍も大量のトラックを運用するようになります」


「それが可能と。ちなみに、そうなる時期は?」


「日本が平時のままと仮定したら、15年から20年後には」


「戦時は違うと」


 分かっているだろうに、今度は辻が辻ーんムーブだ。

 しかも御誂え向きに、近くの別の集団がこっちを注目している。永田さん達だ。


「10年以内に、鳳グループが全力操業すれば、年産10万台以上のトラックが生産出来るようになります。戦時になり民需を犠牲にすれば、陸軍が大動員をかけても、前線の全ての兵士がトラックで移動出来るようになるでしょう」


「おおっ!」


 またハモった。今度は、他の将校達も同調している。

 川崎の工場が本格稼働する来年の生産予定が3万台で、もはや日本の競合他社3社全部合わせた総生産数の約10倍になるから、こんなホラ話でも聞いてくれる。

 けど、今のホラ話の半分程度は実現しないと、大魔王に踏み潰されてしまうかもしれない。

 この手の話は、お兄様とお父様な祖父には既に色々と話してあるから、お兄様は涼しい顔だ。永田さん達がこっちに切り込んでこないのも、お兄様経由で話が伝わっているからだ。


 なお永田鉄山は、自身の権力より国と軍の体制作りに興味があるらしいので、こういう話は優先的に伝えるようにしてもらっている。

 その永田さん達だけど、今日は一緒に小畑敏四郎がいる。お兄様の話だと、今は参謀本部第3部長。代わりにと言うか、前に見かけた同期の岡村寧次は満州にいる。

 永田さんは参謀本部第2部長。お兄様が今は近衛歩兵第1連隊で中隊長をしているから、珍しく離れ離れになっている。


 それはともかく、私としては永田さんと小畑がまだ一緒にいるのがちょっと意外だった。

 永田さんの舎弟状態の東条英機とも、さっき見たときは仲良さげに会話していた。今その東条英機は、マレーの虎と牟田口廉也の3人でラーメンを箸で指しつつ歓談中。前世の歴史を多少でも知っていると、凄い絵面に見えてしまう。


 そして、宇垣外相の活躍などで一夕会の中に亀裂が入ったと言うけど、こうして見ている限りそうは見えない。

 お兄様の話でも、外相になった宇垣一成の政治的影響力が強いうちは内部での争いを避け、陸軍内での権力強化の方向で一致していると言う。

 大陸情勢が不安定なまま固定していて、対ソ戦備、満州開発に全員が顔を向けていられるからだろう。

 爆弾を抱えていると思っているのは私だけだ。そして爆弾と言えば、目の前の連中の方だろう。

 けど今日は全員笑顔だ。



「『平時のゆとりは、戦時の備え』ですね。流石です!」


 なんか、西田が妙な呪文を唱えた。多分私は、変な顔をしていると思う。言葉も出ない。とりあえず、お兄様に救いを求めると、肩を竦められた。


「総力戦の教えを、分かりやすく浸透させる為に話した例え話の言葉だよ。世界大戦時のアメリカが、まさにそうだっただろう」


「そ、そうでした。龍也叔父様の論文にも、その趣旨の事は書かれておられましたね。ただ、『平時の備え』なら聞いた事があったと思ったのですが、馴染みのない言葉でしたので、つい」


「そうだね。それに玲子の考え方とは、少し違うからね」


「いえ、そんな。軍人としてなら正しい考え方だと思います」


「でも玲子は、孫子の兵法が一番なんだろ」


「兵法三十六計も好きです。逃げるが勝ちなんて、人を喰っていて面白いですし」


「アハハっ。確かに」


 お兄様はそう結んでくれたけど、目の前の服部がかなり興味深げだ。めっちゃ見てくる。辻が沈黙するほどに。


「えーっと、服部様?」


「おっと、これは失礼を。孫子のどこに着眼されているのかと、興味が湧きまして」


「そうですね、イニシアティブを重視し合理的で、しかも安易に戦闘を起こす事を戒めている点です。軍事の中でもストラテジックで、経済にも応用できると考えています」


 「確かに」そう言って黙る。うん、スーパーインテリは、それらしい事を言うと自分で考えてくれるから助かる。

 私が助からないのは、辻の方だ。もう一声欲しげに見ている。だから内心仕方なく、それっぽい言葉を探しながら続ける。


「中でも、『百戦百勝は善の善なる者に非ず』と言う言葉は好きです。これも経済に通じています。戦わずして勝つ。一番楽ですものね」


「それが一番大変だけどね。それにしても、話が大きく逸れているんじゃないかな」


「いえ、即席麺は、戦略性すら持ちうる糧食だと自分は感じ入りました」


 せっかくお兄様が話を逸らそうとしたのに、辻はしつこい。

 これは、それこそ『三十六計逃げるに如かず』だ。


「ですけれど、今回の即席麺も今はまだ絵に描いた餅に等しいんです。何しろ、どれだけ安くしても1つ20銭もしますの。軍へ本格的に納入する前に、市中に普及させる事を考えないといけません。ですので、皆さんの意見を踏まえて、担当の者と話したく思います。

 この度は貴重なご意見ありがとう御座いました」

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