275 「蒙古武装蜂起」

「満州軍が越境?」


 六月上旬のある日、鳳総研から突然そんな情報が飛び込んできた。

 お兄様にも確認を取ろうとしたけど、しばらく家には戻らず、陸軍も情勢の把握など混乱しているのが分かっただけだった。

 

(ノモンハンの大幅前倒しとかは、絶対にやめて欲しいなあ)


 殆ど有り得ない可能性を弄びつつ、取り敢えずは情報を待つしかなかった。

 鳳は、大陸に独自の情報網があるし、満州臨時政府の中枢近くにいる川島芳子さんと私はペンフレンドだ。だから他より早く情報が入る可能性が高い。


(けど、五月にもらった川島さんの手紙だと、満州情勢は安定してた筈なんだけどなあ。でないと、日ソの北満鉄道の売却交渉も出来てないわけだし……満州よりモンゴルがらみかな)


 そこまで考えて、モンゴル情勢の情報を求めたら、既に総研はモンゴル、ソ連の情報収集に力を入れていた。スタッフが優秀だと、ストレスが無くて良い。


 モンゴルは、清朝が崩壊して独立を宣言し、ロシア革命以後はロシア人の干渉が強まって、諸々あった後に1924年に世界で二番目の赤い国家が誕生した。

 それでもすぐに真っ赤っかにはならず、1930年くらいから革命の「民主的」段階から「社会主義的」段階への移行が急速に進む。そして財産の没収、宗教の排除、集団農場など強硬な左派政策をすれば、ソ連がそうだったように酷い事になる。当然、民衆の不満はたまる。


 そうして今年の4月11日、モンゴル北西部で武装蜂起が起きた。後で分かった事だけど、この地域でのより苛烈な粛清に対する反発だった。

 ただしバイカル湖に隣接したブリヤート人が住むと言う地域の事だし、満州への波及はないと考えられていた。ソ連も、だからこそ北満鉄道の売却交渉を持ちかけてきた。



「それが何で?」


 最初の報告の2日後、追加情報が入ったとの事なので鳳総研の地下室に聞きに行った。お父様な祖父はいないけど、情報が欲しいお兄様な龍也叔父様が一緒だ。他にはお芳ちゃんとメイド達。

 そして相手は貪狼司令だ。いつものように、黒板にカッカッと小気味よく要点を書きながら、ボソボソと話す。


「直接的な原因は、北満鉄道売却交渉で露助が弱腰だったと見られたからです」


「うん。全然話が見えてこない」


「つまりこうです」


 そう前置きして話した内容は、こうだ。

 満州事変で満州臨時政府が成立し、内蒙古の東部を含めた満州全域に日本軍も展開。これでソ連が満州から追い出された、という形式が完成する。しかも日本の傀儡とは言え、現地政府が成立した。しかも成立した政府は、満州族という騎馬民族の一派のものだ。

 そして内蒙古の一部部族も参加しているから、満州情勢はモンゴルに住む騎馬民族達に広まっていた。何しろ、どこかに親族がいたりする間柄だ。この辺りは、ブリヤート人でもあんまり関係無かった。


 そしてさらに、彼らが遊牧のふりをしての越境などで調べてみると、バイカル湖辺りのザバイカル方面のソ連軍の一部が、明らかに満州方面に移動していた。何しろブリヤート人の主な居住地域はバイカル湖周辺だから、調べるのも容易い。

 そしてソ連軍の移動は、ソ連が満州の日本軍、関東軍を警戒したのは間違いない。

 そこにきての北満鉄道交渉で、日本は強気の姿勢を崩さず、ソ連側が弱腰と見られた。この事は世界にも流布して、スターリンが外相のリトヴィノフを強く怒ったという話までがオマケで付いている。


 そうした前後にモンゴルでの武装蜂起。ただしソ連も半ば無視したように、本来なら満州に影響はない筈だった。

 しかし、ソ連が弱気だという噂が蒼き狼達の平原に広まった。そこでモンゴルで武装蜂起している者の一部が、内蒙古東部の者を頼ろうとする。

 ただ当初はブリヤート人に対する粛清だったから、本来なら無視される筈だった。けれども、この3年程の急速な左派政策は、全てのモンゴル人の恨みを買いすぎていた。

 そこで、頼れる者がいるなら頼って、今の赤い連中とロシア人を倒そうと言う話になった。

 そして部族のつながり、血の繋がりを駅伝のように伝いながら、満州臨時政府に参加している騎馬民族の元へと助けて欲しいという話が舞い込んでくる。


 そして近代的な政治的繋がり、封建的な主従関係より、血の繋がり、民族の繋がり、お隣さんとの関係を重視した。と言うより、彼らのルールとしては重視せざるを得なかった。

 しかも、話が満州臨時政府や関東軍、さらには満州の日本人に伝わる前に、彼らは勝手に動き出してしまう。


 満州臨時政府に属する騎兵としての頭数は約5000。これらの半数以上が、最低でも小銃で武装。鳳と関東軍が支援した精鋭と言える部隊は、軽機関銃や手榴弾、軽砲など近代的な武装も装備している。

 そのうち約半数が、すでに動いていた。ここで特に満州臨時政府的にとって問題なのは、指揮しているのがどうやらカンジュルジャブ、川島芳子さんの旦那さんと言う事だ。何しろ彼は、満州臨時政府軍の将軍の一人だった。

 しかも、場合によっては満州臨時政府に属する騎兵の全てが動く可能性がある。さらに満州とモンゴルの間にある察哈爾(チャハル)省の一部部族も動いている。

 そして鳳として問題なのが、その部隊の中の一つが鳳一族と付き合いの古い部族。ワンさんもこの中に含まれている。



「それで今回の越境ね。状況は分かったわ。総研は、今後どうなると予測しているの?」


「満州臨時政府の内蒙古勢が全て動いた場合、そしてソ連軍が介入しなければ、短期間で首都ウランバートル以外を制圧出来てしまうでしょう」


 カッカッと、簡単な図式のような地図を描いていく。

 貪狼司令は、こう言うことが妙に上手だ。


「エッ? モンゴルの正規軍ってそんなに弱いの?」


「はい。首都こそソ連からの武器供与で火砲など重装備を有しておりますが、他は未だ中世の中ですからな。小銃装備の騎兵だけでも楽勝でしょう」


「民衆の大半が武装蜂起に参加するからじゃないのね」


「それも勿論あるでしょう。アカどものせいで、蒙古の家畜は3分の1が無為に死んだという情報すらあります」


「まあ、強引な集団農場化とか無宗教化が今回の騒乱の原因だものね。それで、首都は落とせないのね」


「重砲など、ある程度の重装備がないと無理でしょう。それに首都の連中はアカの側ですから、死に物狂いで戦います」


「負けたら皆殺しだもんね。それで、満州から行った人達を引き返させる方法と手段ってある?」


「そもそも、どこに居るのか今現在不明です。また無線機など持っておりませんから、飛行機でも使わないと連絡のしようがありません。仮に連絡が付いたとしても、血縁で動いているので一筋縄ではいかないでしょうな。チベットから活仏でも連れて来れば、蒙古人は全員従ってくれるんでしょうがね」


 そう肩を竦められた。大負けするまで帰ってこない可能性が高そうだ。


「満州臨時政府も溥儀も関東軍も止められないわけね。勿論、うちも」


「左様です。このままでは紛争、最悪戦争ですな」


「しかも、モンゴルと形式上は中華民国とのね」


 取り敢えず問題点が可視化されたので、全員が考え込む。お兄様もお芳ちゃんも黙ったままだったけど、それだけ問題が面倒だという事だ。

 そうして小さく手が上がる。勿論、お芳ちゃんだ。足りない情報があるんだろう。


「司令、ソ連の動きは分かりますか?」


「連中も情報を収集中といった様子だ」


「そうですか。普通なら、モンゴル内の事はともかく、中華民国政府にソ連が文句を言ってモンゴルから引き上げさせて、謝罪と賠償を払わせて終わる事だけど、これって話は日本政府にきますよね」


「だろうね。満州臨時政府には外交権がない。高度な自治だから権利はあると言っているが、それを認めてしまうとソ連が満州臨時政府を認める事になってしまう」


 貪狼司令じゃなくてお兄様が反応した。まあ、全員の思考レベルが近いから、誰が何を話しても良いブレイン・ストーミング状態だ。こっちは聞いていれば良いから、本当に楽で良い。


「かと言って、張作霖政府は暖簾に腕押しなのは、今までの動きから予測できます。まともな交渉相手は、後ろにいる日本だけ。それにロシア人も、日本しか止められないと見ているだろうし」


「ああ。それなのに日本政府が、満州臨時政府とその軍隊を統制出来ていないとなると」


「問題ですね」


「ああ、問題だ」


 一気に話し始めたと思ったら、すぐに二人は沈黙してしまった。打つ手なしだからだ。貪狼司令も同様だ。

 だから私は、二人の言葉を聞きつつ感じた疑問を口にする。


「ソ連はどの段階で介入するかな?」


「そうですなあ。露助としては、モンゴルの今の政権が崩れては困る。故に首都と政府が守られると分かれば、軍事介入はしないかもしれません」


「そうなの、お兄様?」


「そうだね。それにモンゴルの騎兵は一族ごと、つまり村ごと移動する。しかも彼らの生活習慣から固定した場所にいないから、仮に軍事介入したところで、イタチごっこになって時間を浪費するだけだ。

 航空機を投入すれば別だろうが、広いモンゴルを偵察なり攻撃できるだけの機体は極東に持っていない筈だ。欧州正面を疎かにして、まだ数も十分じゃない航空機を投入してくるとも考えられない。

 武装蜂起側が首都攻略に失敗した時点で、政治的に動くんじゃないかな」


「あと、少し前に総研の人とも話していたんだけど、ソ連にとってモンゴルは満州からソ連を守る防波堤。それなのに、現在のモンゴル政府は極端な左派政策をしているから、民衆の強い反発を考慮して、ソ連がモンゴルの親ソ政権維持のために穏健な政策を指導するんじゃないかって」


「つまりそこが今回の落としどころか」


「うん。ソ連は元々用意していたカードを切るだけで、モンゴルが固められるからね」


「あとは、粗相をした日本次第、か。貪狼司令。この話は、日本政府やその辺りにどれくらい伝わっている?」


「全く」


「陸軍でも、軍事的な事はともかく、そこまで掴んではいないな。関東軍が伏せていれば、話は別だろうけどね」


「関東軍が、お兄様に伝わらないレベルで情報を伏せているとしたら、それって」


「うん。満州組は一夕会からの離脱を考えている。もしくは、すでに行動しているという事だ」


「ですよねー。という事で、お兄様」


「ああ。しばらく黙っていよう。永田さん達に伝えたところで、どの道陸軍に打てる手はない。宇垣外相に期待するしかないとは皮肉だけどね」



 その後、モンゴル情勢は一ヶ月ほどは、各地で武装蜂起側が連戦連勝という報告が入ったが、案の定赤いモンゴル政府もソ連も、相手の動きが掴めず右往左往。

 ウランバートル攻防戦まで、大きな動きが出る事は無かった。



__________________


モンゴルでの武装蜂起:

1932年に実際に起きている。



活仏:

生き仏。チベット仏教、ラマ教では、転生によって出現するものと信じられている。

ダライ=ラマが有名だが、様々な活仏が存在する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る