261 「日本ダービー」

 4月24日、目黒競馬場で「東京優駿大競走」が開催された。

 私の脳内変換だと「日本ダービー」の開催だ。

 けど昔にできた競馬場で狭いから、目黒競馬場での開催は最初の一回きり。次の年からは、府中の東京競馬場で開催されるようになった。

 目黒競馬場が狭くなったということは、日本の競馬が発展したと言えるのだろう。

 その証拠とばかりに、目黒競馬場は黒山の人だかり状態だ。


 鳳と馬といえば、お父様な祖父と龍也お兄様が、陸軍の騎兵出身だ。お父様な祖父など、日露戦争に騎兵として出征し、後方かく乱で大活躍した。シベリア出兵でもお父様な祖父は大陸で色々したけど、その時も騎兵として活躍したそうだ。

 また、その辺りのつながりから、満州北部、内蒙古東部の馬賊の皆さんと鳳は関係が深い。満州臨時政府の有力者となった馬占山などがそれに当たる。私の護衛をしてくれ、今は満州臨時政府にいるワンさんも、騎馬民族出身だ。


 もっとも私自身は、乗馬を習った程度。けれども、アメリカ旅行でテキサスでの大油田発見を欺瞞する為、牧場経営を始めた。

 そして欧米での上流階級の嗜みとして、競馬がある。もちろん賭けたり乗るのではなく、所有する方だ。


 一方日本では、明治時代から西洋競馬は行われていた。そして、大正時代にようやく制度と体制が整えられ、この日本ダービーでようやく近代競馬の基礎が作られたのだそうだ。

 だから上流階級が馬を持って社交の一環にする、という考えがまだ薄い。

 東京競馬倶楽部には、鳳一族の大人達も何名か属しているけど、陸軍が軍馬の改良の場所の一つとして考えていたという時点で、日本での競馬の立ち位置が分かろうというものだ。


 一方、アメリカで牧場経営している事になっている私など、馬主のペンフレンドに手紙をせっせと書いていたりする。しかも交流相手が無駄に多いから、馬に詳しい筈のお父様な祖父やお兄様にも馬を分けて、交流させている。

 アメリカで牧場作った事自体を喜んでいた二人なので、ペンフレンドや馬の名目上の所有も喜んで引き受けてくれた。


 ていうか、一族の大人の男子全員に馬をばら撒いた。紅家も関係なくだ。まだ経営初めて2年半だというのに、知らない間に馬がどんどん増えて、アメリカを中心にして走っているからだ。

 現地での運営を任せた人が、道楽半分だからちょっと余分にお金を渡したせいか、それとも馬が大好きだったのか、頑張りすぎたせいだ。牧場も、こぢんまりとしていた筈が、えらく広くなっていた。

 そのせいで、アメリカの競馬界では、フェニックス・ファミリーは日本最大の馬主という噂が出始めているらしい。

 どうせ噂をばら撒いているのは、私からのお金を切られたくないハーストさんに決まっている。


 ただし、競走馬を日本に持ち込む事は控えさせているから、日本ダービーで鳳の関わるお馬さんはいない。

 それでも、アメリカでの余波で北海道でも牧場経営を開始して、アメリカの牧場から陸軍用と労働用の馬を輸入したりはしている。そして馬に関わっているから、競馬にも運営資金の援助をしている。

 そのせいで日本ダービーにも招待され、目黒競馬場でも一等館の上に設置されている貴賓席で、日本初の本格的な近代競馬を堪能できる事になった。



「どの馬が勝つと思う?」


「私賭けてないから、勝ち負けに興味ないわ」


「テキサスか北海道の馬を1頭くらい持ってくりゃ良かったのに」


「これ以上、悪目立ちはしたくないわ。社交で必要になったら、日本のお馬さんを適当に見繕えばいいでしょう」


 ボックス状態の席で、馬場を見下ろしながらお父様な祖父と雑談に興じる。私は、お父様にまとわりついて来た我儘お嬢様という設定だ。


「そうだね。日本のサラブレッドもなかなかだよ」


 そして日曜日という事もあり、お兄様もいらしていた。それにお兄様だけじゃなく、龍一くんと瑤子ちゃんも一緒だ。


「テキサスって?」


「アメリカだろ。そこに鳳の馬がいるのか?」


「ええ、そうよ。私がアメリカ旅行行った頃に、鳳が向こうで牧場事業を始めているのよ」


「時田も馬が好きだからな」


「なるほどなあ。金持ちの道楽って言うしな」


 お父様な祖父のナイスフォローに龍一くんもご納得だ。そんな龍一くん、今日はご機嫌だ。何しろ龍一くんも馬好きだからだ。ゲームでもイベントがあったし、陸軍でも騎兵をすると言っている。まあ、龍一くんが将校になる頃に、騎兵が残っているか怪しいけど。

 それはともかく、あの馬が強そうとか、あの馬が綺麗とか言い合いながら、その日は気軽に過ごす。

 そうしていると、お父様な祖父にお客様。



「どうですか、鳳伯爵」


「おおっ、これは安田さん。ご無沙汰しております」


 ガッチリ握手するのは、安田伊左衛門。

 眼前で繰り広げられる、東京優駿大競走を創設した人。と言うか、日本の近代競馬を引っ張って来た第一人者だ。

 そして陸軍出身の人で、お父様な祖父とは騎兵科同士。と言っても、安田様は士官学校出身じゃないし、陸軍にはあまり属しておらず、もっぱら政治家として過ごしているので、お父様な祖父との付き合いも、曾お爺様との議員同士の間柄からなのと、こうした競馬での付き合いが殆どだったりする。

 そしてうちがお金に余裕が出来てからは、寄付やら出資やらしているから、こうしてご挨拶にも来てくれると言うわけだ。

 だから様々な貴賓の間を回る安田様だけど、お父様な祖父とはかなり長めに話している。


「アメリカに大きな牧場を持ち、欧米諸国の競馬場に馬を送り出しているとお聞きしますが、日本には?」


「日本の競馬は、まだまだこれから。そこに余計な血が入っては事でしょう。見定めてから徐々に、と考えております」


「流石は鳳伯爵。相変わらずのご見識だ。いずれ、良い馬を日本に連れて来て下さい」


「もちろん。ですがそうなると、私の馬が勝ってしまうかもしれませんよ」


「ハハハッ、日本の馬も負けてはいませんよ。お互い良い刺激になるでしょう」


「ええ、全くそう思います」


 そんな感じで締めくくって、安田様は次の話し相手へと向かって行った。お父様な祖父以外には、お兄様に軽く会釈したくらいだ。




「ねえ、勝てる馬が欲しい?」


「いや、馬は乗るもんだ。俺が乗る分なら、近くの牧場に引退したやつを持ってきてもいいぞ」


「それなら俺もだ」


「お、俺も!」


「私もじゃあ一頭」


 お兄様、龍一くんどころか、瑤子ちゃんまでも。瑤子ちゃんもお兄様の子供だから乗馬には慣れているし、私とも習いに行っている。幸子叔母様も乗るというし、お兄様達は乗馬一家だ。

 そして鳳で乗馬といえば、紅家の鳳大学&学園に隣接する川崎の生田に、かなり立派な馬場と厩舎がある。そして中学以上には、乗馬倶楽部もあった。


 この時代なら、習志野に陸軍の騎兵が駐屯しているから、中央勤務のお兄様などはたまに行っている。他にも、乗馬できる場所、馬が見られる場所を探せばそれなりにある。今いる目黒の競馬場にも、鳳の本邸からも近いので何度か遊びに来た事はあった。

 ただ私達は、自分達の警備の事を考えないといけない。だから、それなりの広さで走らせたい時は、広い馬場のある鳳の学校で走らせる。


 そして女学校に入った私も、ようやく出来る倶楽部活動として乗馬をしようかと思ったけど、世話とセットなので諦めた。寄宿舎じゃないと、馬の世話の為に早朝4時とか絶対に無理。そして倶楽部に入る以上、特別扱いも嫌だから早々に諦めた。

 だから私がたまに乗馬する馬は、鳳の人間が世話をしている馬だけになる。お父様達も、基本的には同じだ。

 そして鳳一族は、一応武家の出身となっているので、このメンツ以外にも乗馬出来る人は多い。何しろ、大抵は子供の頃に習い事として乗馬を仕込まれている。


「アメリカから呼び寄せるのは良いけど、種馬にするの?」


「あー、名目上はそうしとけ。元気だが処分するやつ優先だ。良い馬も乗ってはみたいがな」


「難しいところだね。でも、あちらの馬主との付き合いもある。多少は種馬も混ぜて良いでしょう。ご当主」


「そういうわけだ」


「りょーかい。セバスチャンにでも言っとくわ。それにしても、ちょっと皮肉よね」


「何がだ?」


「うちって、馬達の活躍の場を取り上げていっているのよね。馬好きが多いのに」


 ちょっと思ってしまったけど、トラックとオート三輪は荷馬を、トラクターは農耕馬を、そしてトラックは荷馬としての軍馬も。さらに開発中の装甲車は、騎兵の馬の活躍の場を奪う。

 この時代、何十万頭もの馬が人の為に尽くしているけど、凄い勢いで減り始めている。いずれ、21世紀の世界のように、競走馬など一部でしか馬が生きながらえられない時代が来るんだろう。



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安田伊左衛門 (やすだ いさえもん):

「日本競馬の父」「日本ダービーの生みの親」。

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