254 「早すぎる遭遇?」

 4月2日、1932年度が始まった。

 日本の世相は、幸いな事に比較的明るい。何しろ3月に成立した予算で、景気対策がふんだんに盛り込まれていた。


 そして、中でも鳳グループは、世界的な不景気の中でも日本では大規模すぎるほどの設備投資や事業拡大を精力的に行なってきた。だから、犬養政権が打ち出した大規模な積極財政の波に、一番に乗ることができていた。

 しかもその予算の一部が、鳳伯爵家から献納された資産を原資としているとあっては、政友会との癒着はともかく、非難する事も難しい。

 何しろその予算の多くは純粋な不況対策で、鳳グループは献納した金額以下の受注しか政府からは受けていない。むしろ恩恵を受けているのは、少額しか献納していない他の財閥だった。


 一方世界は、かなり酷い。

 大陸情勢は小康状態だけど、満州の情勢以外はまるで5年程前、1926年頃に戻ったかのようだ。

 アメリカでは、この春ダウ平均株価が最後の下落に入った。そしてそれが終われば、株を再び買い始めて恩の売り時に入る。

 ただ、数億ドルの買い物を鳳がしているのに、私の知る前世と違いがないとか、いい加減腹がたってきそうだ。


 欧州では、特にドイツの不景気がどん底に突入した。確かこの7月の選挙で、あのちょび髭おじさんの政党が第1党に躍り出る筈だ。そうならない事を祈りたいけど、ドイツは私の知る限り前世と全く同じだ。

 とはいえドイツは、共産党と社会民主党それに国民社会主義ドイツ労働者党という左派政党ばかりという、どれも選びたくない選択肢しかない。

 そして同じ7月にアメリカ株が底値になり、オタワ会議でブロック経済が形成される。



「ハァ」


「どうされましたか、お嬢様?」


「世の中の暗雲に乗っかる鳳って、不死鳥でも昇竜でもないなあって思って、気が少し重くなっただけ」


「また、世相の事をお考えですか。せめて今日は、入学式の事だけお考え下さい」


「はーい」


 そう、今日は私の鳳学園高等女学校の入学式。だから私の姿も、晴れてセーラー服にチェンジした。このセーラー服、特に冬服の紺色の方が、ゲーム中で悪役令嬢のトレードマークの一つとなる。

 今は、服を無駄にするなという私の言葉もあって、背が伸びる事を見越して少しだぶついている。けど、女子的にはこの方が可愛く見えるとは思う。


(可愛くねえ。だんだんゲームのキャラに似てきて、目つきのキツさに磨きがかかっているのよね。怖い顔や不機嫌な顔をしたら、そっくりだし。目を大きく開け続けられる練習とかしないとなあ。それとも、前世風の化粧で誤魔化した方が楽かな)



 車の窓ガラスで笑顔の練習をしているうちに、六本木の鳳本邸から、防犯対策のランダムルートで約15キロ。30分ほどかけて、多摩川の南、生田にある鳳学園へと到着する。

 この一帯は世界大戦で鳳が儲けた時に買収して、東京市内に小ぢんまりとしていた鳳の医薬系専門学校などを、最新建築を建てた上で移転し、施設と賄賂で大学にしたと言う経緯がある。

 だから土地は広く、施設はかなり立派だ。


 その一角の関係者用の駐車場へと入ると、倉庫タイプの駐車場に入る車は4台。私の車、お父様な祖父の車、それに護衛が2台。大恐慌以後、私とお父様な祖父は、同じ車に乗る事はない。しかもどの車も、見た目は高級車だけど、中身は軍もびっくりの実質的な装甲車。だから重くなるので、ハイパワーの車の改造車になるらしい。


 まあ、それはともかく、同じ駐車場にはお父様な祖父が気に入っている黒いデュースのセダンに似た、赤いデュースが停車していた。マイさんの車だ。姿は見えないけど、既に到着しているという何よりの証だ。


「アレ? あの車って、虎三郎のところの車だよな。あそこの子供の式って、今日あったか?」


「マイさん、サラさんと、私が会う約束しているの」


「へーっ、いつの間に仲良くなった? まあ、年に何度か会っていれば、女同士なら仲も良くなるか」


「そんなところよ」


「うん。良い事だな。色々、常識と女としての嗜みとか教えてもらっとけ。お前には、そういうのが欠けているからな」


「そりゃあ、お父様の孫、そして娘ですから」


「ハハハッ、まったくだな」


 いつもの軽快なトークをしつつ式典へ。入学式に参加するのは、お父様な祖父だけ。他は、会社の年度始めで忙しい。セバスチャンがめっちゃ来たがったけど、仕事しろって命令しておいた。

 けど、写真は当然としてトーキーなムービーを手配されてしまっていた。しかもこれ、下手をしたらセバスチャンが実費を出している。


 そして入学式だけど、大して試験勉強もせずに形式的に受けた入学試験は一等賞だった。贔屓(ひいき)や忖度抜きの満額回答状態で、一中でもトップ当選確実とか言われた。確かに、玄太郎くん、勝次郎くんに、まだ勝つ自信はある。

 ただ一等賞はもう一人、私の側近のお芳ちゃん、皇至道(すめらぎ)芳子がいる筈だったけど、この天才少女はわざと1問間違えたそうだ。どこかの漫画の嫌味なお兄さんみたいだ。

 だから私には、入学生代表としての挨拶が待っていた。


 そこで前世の記憶の『聖典』からの記憶を呼び出して、「春の息吹が感じられる今日、私たちは鳳学園高等女学校に入学いたします。(略)以上をもちまして、新入生代表の挨拶とさせていただきます」という感じで、それっぽい言葉を適当に並べておいた。

 けど、やってみるもので、なんとなく新入生の気分になるものだ。


 なお、私の側近候補のうち、女子6名も同じ女学校に入学する。護衛も兼ねるから、最低2人は同じ学級だ。輝男くんを含めた男子3名は、鳳の中学校へ入学となる。

 そして今年からの女学校は、以前の3クラスから9クラスに激増していた。紅龍先生の知名度のおかげであり、また鳳グループの名が世間に知れ渡った影響でもある。また、改築したからこそ実現もした。

 新校舎は、私が前世で見慣れた鉄筋三階建って感じだ。日本中でも、この頃くらいから似た感じの鉄筋造りが増えていく。


 そして知れ渡ったところで、鳳は女子教育に熱心で奨学金制度がある上に、寄宿舎まであるという事で、応募が殺到したそうだ。

 そして1学級36人編成だから、1年だけ324人。3年から5年までが基本的に各108人。2年は少し増えて120人となる。女子の高等教育が盛んじゃない時代を思えば、生徒数は十分多い方だろう。


 この上は男子と一緒の大学予科があり、一年繰り上げで2年通う。ただし、さらに上を目指す女子は流石に少ない。

 ここの予科に通うサラさん、大学に通うマイさんは、鳳大学でも異端児な方だ。ただ二人は、間違いなくこの学園のマドンナだろう。今度、先輩方にでも聞いてみたいところだ。

 何しろ私は、学園内の事に今まで殆ど関心がなかった。たまに、子供同士の噂話を小耳にはさむくらい。だからマイさん達の噂なども知らなかった。

 けど、いざ調べてみると、調べるまでもないくらいに、噂は色んなところから聞くことができた。


 マイさんの、仮面彼氏から本命彼氏の話は流石に無かったけど、マイさんは尋常小学校からずっと鳳学園の要するにクィーン・ビィだった。その3年後ろをサラさんが継いでいき、今は大学と予科でそれぞれクィーンからマドンナへと転身している。

 私は、さらに後ろを継いできた形だ。けれども私の場合、小学校では君臨するよりも浮いていた自信がある。

 女学校でも、そうなるだろう。だから、側近候補以外の同級生には、あまり関心がなかった。学校は私にとって休憩時間に等しいから、ボーッと気楽に過ごせればそれでいい。


 だからだろう、発見が遅れた。


 彼女を見つけたのは、入学式も終えて女学校の校門近くで、シズを連れてマイさん達を待っている時だった。

 お父様な祖父は仕事で先に帰り、側近候補はもうばらけた後。リズは、鳳の屋敷に帰る3人の側近、というかお芳ちゃんに付けてある。そしてこっちも先に帰ってもらっている。

 私は、親族の卒業生から、入学を祝ってもらうという形だ。そして親族の卒業生であるマイさん達との合流場所で、ごく短い時間だけ待っている時だった。


「っ!!」


 視界の端を、誰かが通った。見覚えのある誰か。けど、マイさん達じゃない。私と同じ真新しいセーラー服。

 だからその人を、視線だけだけど必死で探し追いかける。私の緊張が伝わったのか、シズも周囲を警戒し始める。けどシズは、私の探し相手には全く注意を向けていない。

 当然だ。私だけが知る人だからだ。いや、もう一人いる。何か体の奥底から、血が沸き立つような感覚に襲われる。つまり、間違いないと言う事だ。

 けれども、人混みに紛れて確認は出来なかった。待ち合わせもしているから、探しに行く事もできない。


(月見里(やまなし)姫乃(ひめの)?! 見間違い? ううん、多分間違いない。けど、なんでっ! ゲームでは鳳の屋敷に来るまで別の学校に通っていて、予科から学園に通う設定だったじゃない!

 ……いや、待て待て、私。冷静に考えよう。見間違いの可能性だって十分にある。それに今年の9月1日が前回から4年目だから、体の主に聞けるかもしれない。もしかしたら、今晩出てきそうな雰囲気すらあるし。

 それまでは、それとなく情報を集める程度にした方が無難よね。それとも、破滅回避の為に積極的に関わるべきかな。分からないなあ。悪役令嬢単体の破滅回避自体はイージーだと思っていたのに、油断したっ! 歴史は違ってきているんだから、違う動きをしていても変じゃないって事よね。えーっと、あの子ってどんな設定だったっけ)


 ぐるぐると頭の中で考えが回る。

 そして、やっとの事で主人公のキャラ設定を思い出す。そして少しだけ合点がいった。

 月見里姫乃の家は、普通のリーマン。悪役令嬢の鳳凰院玲華は、下賤とか庶民とか散々に馬鹿にする。けど主人公は頭がずば抜けて良いから、傾いた鳳が書生として迎え入れて、学校の宣伝、優秀な学生がいるという面での宣伝に利用しようとした。鳳学園から、女子を鳳大学以外の大学に送り込むのが目的だ。

 そして彼女は期待に応え、さらには攻略対象の誰かの好意を得ていく。そしてさらに鳳財閥、鳳一族の一部の散財を突き止め、攻略対象と共に綱紀粛正を行う。その前に立ちふさがる一人が、私、じゃなくて鳳凰院玲華だ。何せ、散財している一人が悪役令嬢だ。


 けど、月見里姫乃のパパさんはリストラされて、本来自力で行けた学校に行けなくなり、月見里姫乃は鳳の書生となる。どこでリストラされたかの設定は無かったけど、昭和金融恐慌か、昭和恐慌か、それとも1935年度の財政緊縮の時か、そのどれかなのは間違いないだろう。

 けどこの世界は、不況は不発か緩和している。だから、鳳学園に入れるだけの家の財力があったという事だ。


(アレ? じゃあ、鳳に書生に来なくなる? それはそれで、波風立たなくて有難いけど。それに私、入学で一番だったわよね。私、気づかないままフラグへし折ったの? いや、それ以前にゲーム開始できなくしちゃった? もっと調べないとなあ)


「お待たせ、玲子ちゃん。どうかした?」


「……あっ、いえ、何でもありません。ちょっと考え事を」


「そう。じゃあ、話せる場所に移動しましょうか」


 声に反射的に答えた先に、マイさんの姿。その左右にサラさんと、男性が一人。それを見て、今見た月見里姫乃かもしれない人の事を一旦は心の奥底に放り込む。

 そして私の気配が通常になった証拠とばかりに、シズも警戒を解く。

 そう、ゲーム開始は4年先だ。

 そして私には、今取り組むべき事がある。だから、そちらへと歩みを進める事にした。


 なお、その夜に体の主が枕元に立つことはなかった。

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