245 「次の進路」

「「卒業おめでとー!」」

「「ご卒業、おめでとうございます!」」


 身近な子達と店のメイド達、さらにはその場に居合わせた、私の前世となら親和性の高いお客達の唱和の声が店内いっぱいに響く。


 午後のお茶の時間。学校での諸々を消化して、一旦屋敷に戻ってお昼を手早くそして軽く済ませ、鳳ホテルのメイド喫茶へと足を運ぶ。

 学校が東京市の外にあるせいで、私が最後だった。

 今日は側近候補も連れていないので、基本的に年の近い親族と勝次郎くんのみ。卒業生が、龍一くん、玄太郎くん、勝次郎くんと私。まだもう一年の見送り組が、虎士郎くんと瑤子ちゃん。

 身内中の身内ばかりなので、しばらくは和気藹々わきあいあいと思い出話に浸る。



「同じ卒業は今回限りだな」


「そう? だいたい同じ年じゃない?」


 いつになく感慨深げな勝次郎くんに、私が答える。この時代の学制は戦前と比べるとかなり分かりにくいけど、普通の学科の学校なら入学・卒業の年はだいたい並んでいる。


「だいたいはな。まあ、今日言う話でもないか」


「卒業したところだしね」


 そう言って、苦笑気味に笑い合う。

 そんなテーブルの別の場所では、他の子達が話に花を咲かせる。


「幼年学校ってどうなってるのー?」


「ん? 3年だ。その先は、父上の頃は本科と呼ばれていたが、今は陸軍士官学校予科になっている。その前に、中等学校に1年普通に通うけどな」


「じゃあ、そこから陸軍士官学校?」


「うん。陸士の本科は、隊付勤務を半年した後で2年ほどだな」


「社会に出るのは僕達と同じ年だ、虎士郎」


「ボクは音楽学校に行くから、途中から違うけどねー」


「けど、中学までは一緒でしょ?」


「それでも、瑤子ちゃんは女学校になるから違うでしょう」


「そうなのよねー。卒業年が同じだったとしても、学校がバラバラだもんねー」


 虎士郎くんがみんなに積極的に攻めているけど、1年下の二人はまだもう一年間は小学生だ。

 ただ女子の場合、先生になる者、変り者以外は、5年制の高等女学校までしか通わない。

 一応、さらに上には数校しかないけど女子高等師範学校があり、二十歳まで通うから大学と言える。東京女子高等師範学校などは、戦後の学制改革後にお茶の水女子大学となった。


 男子だけが通う大学には、大正時代に女子聴講生や学生がほんの少し入るようになったけど、昭和初期でも女子学生はごくごく僅かで、マドンナどころか珍獣扱いだ。

 女子大学と言えるのは、津田梅子が作った女子英学塾と神戸女学院専門部のたった二つ。しかもこれも、制度上は専門学校であって大学ではない。


 そうした中で、鳳大学は女子を受け入れる私立大学として、どちらかと言うと悪名で名高い。

 何しろ、女子が男子と同じ高等教育を受けるのは好ましくないと考えられている時代だ。それに、男子学生が女子学生と同じ場所で勉強するのを嫌がるのが普通な時代。

 けど学びたい女子だっているし、社会に出て活躍する人も、女医になる人だって僅かだけどいた。


 そして鳳大学の場合、創業者の奥さんの麟(りん)さんの発言力が大きかった事と、女子のボスの跡を継いだ形の紅家の鳳瑞穂大叔母さんがいたおかげで、明治時代から女子学生を迎え入れる伝統がある。

 また、二流どころか三流大学の学園なので、早くから才能のある女子を見つけて学力の底上げをする向きがあり、女子生徒は増えていった。それでも、男女別教室で学習と言うのが普通だ。


 そして私が大儲けしだしてからは、女子にまで派手に奨学金を出すようになっていた。しかも鳳学園、鳳大学は、主に紅龍先生のノーベル賞受賞で一気に知名度が上がり、鳳グループの急速な隆盛によって大幅な規模拡大を実現しつつある。


 大学拡張では、以前から持つだけは持っていた雑木林の土地を開発中で、私たちが次に通う中等学校ですら本年度からは規模が3倍になっていた。小学校も来年からは2倍に拡大する。

 大学の方など、2倍どころか5倍くらいになって、 金に飽かせて教員や研究員を集めている現状だ。

 研究予算なんかもモリモリ増やしているので、既存の学者も寄って来て、他の大学などから文句が来ている。


 何しろこの時代、私立大学の数はせいぜい2ダース程度しかない。

 そもそも大学令で正式に私立大学が成立したのは、1919年から。それまでは、古い伝統とか言っても大学ではなく、どこも専門学校だった。

 鳳は前の大戦時に稼いだあぶく銭を使い、1922年に専門学校から大学になったけど、ほかに比べると格落ちする。


 何しろ設立当時の頃の他の大学は、最初に大学となった慶應、早稲田以外にも、明治、法政、中央、日大、國學院、同志社、東京慈恵会医科大学と、錚々たるメンツだ。公立となると、比較すらおこがましい。

 しかも学校が東京市外にあるので、学生確保に難儀するなど当初から前途多難だったそうだ。


 そして鳳の大学は、学校の規模も昔は限られていたし、女子の優秀な人材を育成していると言っても、1つの学校では限界がある。 

 それに、今までがパッとしない財閥の為の学校だったから、これから長い年月をかけて継続して、はじめて高い知的価値を持つ学校へ進化していけると言ったところだ。

 こういうところも、お金だけではどうにもならない。仮に金にあかせて優秀な教授、講師を集めても、学生の質も全体的に高めないと意味がない。


「紅家の人と、もっと話さないとダメかなあ」


「なにを唐突に呟いている?」


「えっ、ああ、ホラ、うちの学園って大きくなるでしょ」


「それで運営面とかの相談? 玲子が考えることなのか?」


 玄太郎くんが怪訝な表情。それにつられて、みんなも注目してくる。


「運営かなあ。まあ、運営ね。人材集めて研究費をモリモリ突っ込んで、学力と基礎科学力を向上させないとね」


「玲子、話が大きすぎるぞ。日本全体で考えるべき事にまで考えが飛躍している」


「そう? 今、うちは病院も製薬会社もどんどん大きくしているし、学校への研究費も10年限定だったら、日本中の総額より多く突っ込めるわよ」


 なんとなく口にしたら、全員がドン引きしている。

 おかしい。勝次郎くんは大財閥だし、他はみんな鳳の子供達だから、認識がここまでズレる筈ないのに。

 と、そこまで埒もなく思ったところで、龍一くんが私の肩に優しく手を置く。


「なあ玲子、お前は普通の勉強はいいから、もう少し常識を学べ。それが多分、女学校でのお前の一番の課題だ」


「鳳以外に学びに行った方が良いんじゃないか?」


「ボクもそんな気がする」


「玲子ちゃん、考えすぎは良くないよ」


 鳳の子供達全員に、残念な子目線で見られた。あんまりな評価だから、ほおが引きつるのを自覚しつつ笑みを返す。

 ただ一人、勝次郎くんは、表情はともかく目だけが真剣だ。


「みんなありがとう。ちょっと本気で考えとく。それで勝次郎くんは何? 言いたい事があるなら言ってよ。らしくない」


 私の言葉に少し躊躇した後で、「そうだな」とため息交じりに漏らす。


「それもそうだな。今の言葉、鳳の次の戦略って事はないよな」


「何が? 教育への投資? 製薬への投資? 病院への投資? どれ?」


「えーっと、多分全部。と言うか、全部なのか?!」


 驚かれてしまった。世界を見ていれば、大学教育と基礎研究に金を突っ込むのは、長期的に勝利する為の当然の選択だと思うけど、明治時代以外の日本人はこういうところに疎い人が多い。

 欧米の技術を学んで取り入れるのが先で、学んで導入すればショートカット出来てしまうから、その考えのまま惰性で今に至っている。


 それに金がないと研究も出来ないけど、学校が知力で儲けようという考えが薄いのが問題だ。

 それに日本は、学校と軍事があまり連動していないのも、国費が教育に突っ込まれない原因の一つかもしれない。良いものを独自に発明した東北大学などが良い例だ。


 製薬への投資と拡大は、二十一世紀を知らないと少し難しいかもしれないけど、日本の製薬会社は沢山あってどれも規模が小さい事は明白だ。

 そしてそれでは、日本国内なら構わないかもしれないけど、ゆくゆくは世界を相手に戦えない。


「全部よ。と言うか鳳の学校は、そもそも製薬事業の為に塾を作って、そこから手を広げていった結果だから、最初からひとまとめみたいなものよ。でなきゃ、小さな大学に医学部なんて置かないわよ。て言うか、医学部、薬学部が本来は本丸だし」


「そういえば、そうだったな。だが最近は、他の学科に力を入れているじゃないか」


「そりゃあ、経理・事務も足りないし、科学者、技術者も足りないし、一般募集だけじゃあ足りないだらけだから、自前で育てて揃えるしかないでしょ。国に頼っていたら全然間に合わないし」


「だが今は不景気だ。大学卒業者ですら、いくらでも雇えるだろ」


「うん。正直助かった。1000人からの大学生なんて、今後簡単には揃えられないでしょうからね」


 そう。世界恐慌に端を発する昭和恐慌は、事業の計数的とすら言える規模拡大に動いている鳳グループにとっては、逆に大きく幸いしていた。

 世の中も、鳳がいくらでも勤め先を用意してくれると言うので、今のところは歓迎ムードだ。この世界では、私の前世の歴史と違って、就職浪人な大学生はほぼ皆無だ。文学部の出だろうと、帝大に入るおつむがあるのなら十分に使い道はある。

 その事を普通に話しただけなのに、勝次郎くんは呆れ顔だ。


「この不景気下で、桁外れの大規模事業拡大を平然と実行できる資金力と肝の太さは、本気で羨ましいよ。ただ玲子は先を見過ぎていると思う。それはみんなも同じだろう」


「分かっているつもりなんだけどね」


 言葉の後半には、もう苦笑でしか返せない。

 4月からは中学生。幼女もいい加減卒業だけど、卒業した日にすら妙な会話をしている時点で、私は子供失格だったのだろう。



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4歳の9月1日から十五年間というタイムスケジュール上だけだと、この辺りで折り返し点になります。初期予定より、かなり話数、文章量ともに増えていますが、気長にお付き合いくだされば幸いです。

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学制:

尋常小学校が6年。中学校(女学校)4〜5年、高等学校2〜3年、大学3〜4年程度。

高等師範学校という教師を養成する学校など、特殊な例を挙げるとキリがない。



東京音楽学校 :

戦前にあった、官立(唯一)の音楽専門学校。

戦後、東京芸術大学音楽学部になる。

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