226 「満州事変(4)」

「時田様とステュアート様がお着きです」


 シズの声に我に返ると、鳳商事にも一報が届いていたらしく、私の二人の執事が地下の司令部に入ってきた。お供はいない。トリアは二人がいない間に、通常業務をしているんだろう。


「いやはや、予想外の大事件になりましたな」


 言葉は大変そうなのに、時田の口調も態度も全く平静だ。僅かばかり笑みでも浮かんでそうだ。横に並んだセバスチャンも、見る限り表情は平静そのもの。

 なんでこんなどう猛な連中ばかりが私の執事なのか、頭を悩ませたくなりそうだ。

 けど今は頼りになる二人だ。だからため息もジト目もせずに、なるべく平静を装って二人に目線を向ける。


「部屋を変えましょう。貪狼司令、部屋を用意して」


「ではこちらに」



 そうして司令部脇の、さらに厳重そうな扉をくぐった先の小会議室。当然ながら、許可がないと入れないし、扉の側にはシズとリズが控えている。


「どうなると思う?」


 3人を順に見つつ、とりあえず意味のありそうな言葉を投げかける。予測や献策を聞きたいのではなく、全員がある程度予測している内容を平準化するのが目的だ。

 3人とも、それを理解した目をしている。

 そしてまずは、貪狼司令が口を開く。


「鳳商事の方にまだ回っていない情報もお有りでしょう。まずは、現状を説明させて頂きます」


 そう言って会議室の前の黒板まで行き、手に持っていた地図数枚をマグネットで留め、空いた場所にカツカツと小気味よく文字を書いていく。

 この磁石がくっつく黒板は、私の発案で生産が始まったばかりのものだ。

 そして貼られた地図を棒で示しつつ、二人に説明していく。私もさっき見ていた地図だけど、こうして再び説明を聞くと実に分かりやすい。


(貪狼司令のこういう能力って、教える職業に向いているわよね。口と性格はダメダメだけど)


 頭の片隅でそう思いつつも、口から出たのは別の言葉だった。


「関東軍の自作自演って取られる可能性は?」


「これだけ派手に列車事故を起こして、自作自演はありえないでしょう。それこそ線路を一部でもちゃんと爆破する方が、後の復旧が楽です」


 貪狼司令にぴしゃりと言われた。なら次だ。


「じゃあ、満州党とうちの新聞のコラボ、じゃなくて共演による自作自演は? そうなったら関東軍と満鉄に、袋叩きにされそうなんだけど」


「そう思われる可能性は、皆無ではありません。ですが、関東軍とは水面下での話が付いている以上、最悪の事態にはならないでしょう。それに事態の推移は、関東軍も把握しております。また鳳は、満鉄沿線にも利権や商取引があって、鉄道運行の影響で損害を出します。正しく説明すれば、誤解される事はないかと。満州党についても同様です」

 

「それじゃあ、暴動を起こした連中が、満州に残っている張作霖軍閥と見られる可能性は?」


「もしくは、共産党と共謀したと言い張ることも可能ですな」


「これだけ派手な満鉄に対する破壊工作です。治安維持要請以前に、関東軍はもう沿線には出動しているでしょう。下手をすれば、既に軍閥の駐屯地に踏み込んでいるのでは?」


 とはセバスチャン。


「いえ、踏み込んだという報告は、上がってきておりません。それに北大営には、軍閥の兵とはいえかなりの兵が駐留しています。お嬢様がお話になられた夢のように、準備を整えた上で相手を混乱させなければ、踏み込むのは難しいでしょう」


 セバスチャンの言葉に、貪狼司令が追加の解説を加える。練りに練った作戦が台無しな石原莞爾には流石に同情し、たまらず苦笑してしまう。

 お芳ちゃんは黙ったままだけど、私にみんなの意見に同意という笑みだけくれた。それに私も苦笑ではない笑みを返す。


「その辺りよねえ。とにかく満州党の人達が、逃げた犯人かその隠れ家や潜伏先を出来るだけ押さえて欲しいところね」


 その私の言葉に全員が頷く。そしてその顔を見つつ、再び同じ言葉を口にする。


「それで、今後はどうなると思う?」


「お嬢様の夢より1日早いので正夢にはなりませんでしたが、『予想通り』9月中ば以後に事件が起きました」


「貪狼司令、それはちょっと違うかもよ。何しろ、まだ関東軍が動いていないもの。明日中に関東軍が軍事行動を起こせば、『事変』自体の日付は同じになるわ」


「確かに。これは迂闊でした」


「かなり前倒しではありますが、台本通りなら満州臨時政府は24時間以内に関東軍への治安維持出動を要請出しますから、日時は同じとなりますな」


 それまで黙っていた時田の言葉は、大筋に変更なしと言いたいのだろう。そして時田の言葉にお芳ちゃんが頷く。


「しかも、お嬢の言った柳条湖で事件が起きた。これって、何かの啓示や暗示とかじゃないかって思いそう」


「そういう考え方をしない方が健康の為よ。私も今まで散々してきたから。先の事だけ考えて」


「りょーかい。と言っても、現地の事は見ているしかないんじゃない?」


「皇至道(すめらぎ)嬢の言う通りです。我々が動くとするなら、現地よりも国内、特に政府に対してでしょう」


 お芳ちゃんに同意したセバスチャンが淡々と続く。そしてセバスチャンに私が頷く。


「そっちはもう、お父様が動いている筈。日本中に正確な情報をばら撒いてね。凄く楽しそうにしていたわ。それと、ついでに関東軍、中でも首謀者の連中が『何を考えているか、もしくは何をやりかねないか』についてもね……なに、お芳ちゃん?」


「お嬢、すっごい悪い顔してる」


「献策した人に言われたくなーい」


 私の言葉に、部屋の大人達も軽く笑う。罪悪感とかはないだろうけど、多少は気がほぐれてくれたようだ。

 ただ、お芳ちゃんが一通り笑った後、ジッと見てきた。


「今度は何?」


「お嬢って、今までずっとこんな感じだったの?」


「こんな感じって?」


「なんて言うか、気持ち的なもの?」


 お芳ちゃんにしてはハッキリしていないけど、この物言いもお芳ちゃんらしいかもしれない。それにお芳ちゃんは今回が歴史の先回りは初めてだし、何より私と同じ、いや私と違って本当の子供だ。

 だから私が言える言葉を探す。


「そんなところ。けど、それを背負い込むのは、私の分担。お芳ちゃんは、他のみんなと同じように策だけ立てて。役割分担と適材適所よ」


「……そうだね。そうする」


「お願いね。あ、それと、たまに愚痴も聞いて。おじさん達に言えない愚痴もあるからね」


 そう言うと、お芳ちゃんもみんなもまた小さく笑う。

 そして笑いを収めると、表情が引き締まる。それを見て私は頷く。


「貪狼司令、今後のスケジュールは?」


「ハッ。まずは、24時間以内の満州臨時政府による関東軍への治安維持要請。これを受け、関東軍の権限内での行動開始。さらに日本政府の追認。

 次に48時間以内の満州臨時政府から日本政府への、自治獲得の為の支援要請。政府が即時に応じない場合は、野党政友会からの要請受諾の圧力。民政党の方は、加藤高明らが説得を試みます。財界からも、水面下で鳳と三菱の間で話が付いています。満州に大きい利権を持つ他の財閥も続くでしょう」


「陸軍は、中央は事が起きた場合の即時増援派遣の意思で固まっています。朝鮮軍も同調しています」


 貪狼司令の後を時田が繋ぐ。情報源がお兄様なので、その言伝を頼まれていたからだ。


「とにかく若槻内閣の出方次第ね」


「それに中華民国政府ですね。張作霖は動きますかね?」


「セバスチャンの読みは?」


「普通に考えれば、反発するでしょう。ですが、蒋介石の方が目立つほど、張作霖はここ2年だんまりです。国民からも列強との癒着と弱腰を叩かれています」


「その為に、共産党を悪者にしたんだけどね。何しろ共産党の後ろにいるソ連は、長男の仇だし」


「はい。それで張作霖のなんらかの協力か妥協は引き出せる可能性はありますが、重臣連中の動きが読めません」


「一応トップダウンな政府だから、動くなって言われたら何もしないわよ」


「そうですね。ですが一つ懸念が」


「前も言っていた事?」


「左様です。現時点での流れで、張作霖が行動を認めた場合、満州臨時政府は単なる軍閥という立ち位置になる可能性が高まったと考えられます」


「けど、独立まで言うと、国際的に凄く面倒になるわよ。実質だけもぎ取って、自治政府で行くしかないわ」


「ですが、自治というなら、近代的な統治体制にないだけで、大陸各地の軍閥は多くが自治政府のようなものです。こちらの想定とは違ってきている以上、もう少し軍閥以上の独自色が欲しいところです」


「……確かに。けど、満州南部は張作霖の地盤よ。今は半壊状態な上に急速に満州党に乗っ取られつつあるけど、黙っているわけないわよ。独立や自治以前に、関東軍が権益の外で大規模な軍事行動をした時点で、海外に訴えるのは既定路線よ。誰でもそうするでしょう。ここは何度も話したわよね」


「その点は、今も私の考えも変わりません。ですが今回の事件の結果、共産党が敵になりすぎたので、共産党嫌いの張作霖の動きが気になります」


「……けど、もうルビコン川は越えたのよ。しかも、シーザーは私達じゃない。見ているしかないわ」


 そしてさらに、思ったことが口に出た。


「それにしても、見ているしかないってのも歯がゆいわね」

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