215 「満州事変前夜(6)」

「満州よ、私は帰ってきた!」


「……その通りですが、それが何か?」


「いや、何となくね。自分に気合を入れようかと思って」


「確かに正念場だな」


 いつもの冷静なツッコミのシズと、これから起きる騒動に楽しげに笑みを浮かべる八神のおっちゃんを侍(はべ)らせ、私は船の上から赤茶けた大地を遠望する。

 リズは、今度は一緒に来たセバスチャンと船長室だ。


 

 川島さんこと愛新覺羅(あいしんかくら) 顯㺭けんし殿下と最初に会ってから十日後、日本で一週間ほどドタバタとした準備したあと、満州へと帰ってきた。

 けど到着先は大連の港じゃない。

 到着したのは遼河油田。ここは主に石油積み出しの港があるけど、諸々の物資や機材を運び込む為の桟橋もあり、鳳がチャーターした国際汽船の貨物船も時折やってくる。


 タンカーも鳳がチャーターした国際汽船のタンカーか、海軍のタンカーばかり。そして丁度、いや、意図的にスケジュール調整して8月から9月いっぱいにかけて、海軍のタンカーはここにはやって来ないようになっている。

 お父様な祖父や時田は、かなり前から鳳が満州に手を出しやすいように手立てを整えていたと言う事だ。


 私達が乗っている貨物船も同じだ。

 建造されて1年以内の新型で、中型としては少し大きめの船。経済性や積載量よりも、高速なのが一つの売りだ。カタログスペック上で20ノットという高速発揮のため、ドイツから輸入した最新のディーゼルエンジンを積んでいる。実際はもっと速度を出せるけど、それは部外秘だ。


 乗組員は、鳳の息がかかった者ばかり。腹の中の貨物の積み込みも、鈴木を含めた鳳グループが専用で使う、他者が入り込むのが難しい場所で行った。

 謀略大好きなお父様な祖父の言葉、と言うより普遍的な言葉である『情報と物流を押さえておけば、大抵の希望は叶う』と言う何よりの実践の結果だ。


 そして港というか油田の方は、南満州鉄道の外なので関東軍がいない。全額自前での警備という事で、色々と黙認してもらった上で、鳳の実質的な傭兵部隊が厳重に警備をしている。

 ここの警備部隊は、陸軍と海軍から色々と融通してもらっているので、装備は並みの軍隊の警備部隊より強力だ。歩兵が機関銃を平然と装備しているのは、日本陸軍では見られない光景だという。


 ただし一つ注意すべき点は、陸海軍の退役軍人が多く、中には確実に元の組織と繋がっている人が紛れ込んでいるという事。

 何しろこの油田は、日本の生命線となりつつある。開発しているのは、鳳グループの一つだけ。三菱すら入り込めていない。陸海軍の石油部門の駐在員や技術将校はいるけど、採掘は深深度の採掘能力を日本で唯一持っている鳳石油だけだ。


 そして海に面しているから、ここから石油を積み出す為に港を整備させたけど、これがかなり面倒だった。

 何しろ渤海は、ただでさえ水深が浅い。平均水深は、たったの25メートル。沿岸部となると尚更。しかもここは、奥まった場所の河川の河口部近くにある。その上渤海は、潮の満ち引きの差が大きく、大型船の港を作るには悪条件が並んでいる。


 この為、重機など機械力を投入した浚渫と埋め立て、さらに一部は干拓で、かなり強引に長々と沖に伸びる岸壁を整備している。けど、まだ工事半ば。そこかしこで、工事は絶賛進行中だ。

 だから石油の積み出し自体は、パイプラインが組み込まれた長々とキロメートル単位で沖へと伸びる鉄骨で作った鉄橋のような桟橋を当初から使っている。

 油以外の荷下ろしも、その鉄橋のような桟橋の一部を使っている。


 そして遠望する景色のそこかしこには、何かのタワーのような巨大な油井が各所に林立し、パイプラインで結ばれ、沿岸部の巨大な一時備蓄タンクへと繋がっている。

 日本の利権の外という事で、大きな製油所がないのが欠点だけど、全てが雄大でこの時代の日本的ではない光景が広がっている。

 私が石油を『発見して』から約5年。ここまできたんだ、という感慨を抱きそうになる光景だ。


 まだ夜明け前なので半ばシルエットでしか全貌を見る事は出来ないけど、その迫力は私が転生してきた中では、アメリカでお目にかかった光景くらいだ。



「絶景ね」


「これが全部鳳のものだと思うと、鳳グループの巨大さが改めて分かろうというものだな」


「そう? こんなのアメリカの大油田に比べたらまだまだ小さいものよ」


「年産200万トンは、小さくはないと存じます」


「そうね、シズ。それとね八神のおっちゃん、5年後に1000万トンを目標にしているから、その時点で驚いてちょうだい」


「1000万トンか。だから、そこかしこで工事しているんだな。……何をそこまで急ぐ?」


「そりゃあ、日本全体の開発と発展に合わせる為よ。これからの日本は、もっと沢山の石油が必要になるのよ。ここじゃあ全然足りないくらいにね」


「……日本をアメリカにでもする積りか?」


 八神のおっちゃんの言葉に、ニヤリと笑みを返してやる。


「たまには良い事言うわね。その通りよ。それが私の目的だから」


 「ハッ」と鼻で笑って私の言葉を流したけど、一瞬見せた表情にはかなりの驚きがあった。




 そして約1時間後、鉄橋のような岸壁に次々に『荷物』がひとりでに降りていく。

 夜の間に大連を通り過ぎたので、ようやく夏のお日様が東の地平線から顔を出すところだ。


「こいつは凄いな。貨物船のくせに見た目が客船みたいな変わった形の船だし、中は駐車場のようだから妙だとは思っていたが、荷下ろしする人夫もクレーンもいらないときた」


「いいでしょ。うちの最新鋭、というか世界でまだ鳳しか持っていない船よ」


「……お前の頭の中から出て来た、バケモンというわけか?」


 驚きすぎて、従者ごっこをする心のゆとりもないらしい。

 そりゃあそうだろう。鳳の人達にも、私はいつも通り安易に提案したけど、絵にして説明した時にみんなの驚いた顔と言ったらなかった。

 だからさらに驚きを大きくしてあげるべく、淡々と続けてやる。


「ご明察。その名もカーフェリー」


「車の渡船か。まさにその名の通りだな。しかし本当にすごい。こいつなら、岸壁や桟橋さえあれば世界中のどこにでも、簡単にかつ迅速に荷下ろし出来てしまう。世の中の常識がひっくり返るぞ」


「けどまだ秘密だし、ここまで形にするのにも随分苦労したのよ」


「そりゃそうだろう。自分から橋をかける船なんざ見た事ない」


「川や海峡で使う小型のカーフェリーは欧米だと普通にあるし、橋の方は運河やお城なんかにある吊り橋と同じよ」


「そうかもしれないが、船体内は全部駐車場で、乗っているトラックは乗り込む時から荷物満載ときた。これが軍隊なら、相手が油断しているうちに展開出来てしまえる」


「軍隊用には、別のやつを作ってもらっているけど、これはあくまで商業用よ。特許もとったから、そろそろ関連業種の目ざとい人達が騒ぎ始める頃だと思うわよ」


「そしてこれが、カーフェリーの初登場というわけか」


「そうでもないわね。就役したのは1年近く前で、こっそり実験や試験運用していたそうよ。まあ、陸海軍の一部の人が目の色変えていたのは、関わった社員や技術者よりも八神のおっちゃんとおんなじだけどね。おかげで、1デッキ増やして人もそれなりに積めるように変更したそうだし」


「それはそうだろう。しかし、この他にもあるのか?」


「あるわよ。もう少し教えてあげると、商用でもっと革新的な仕組みの船もあるんだけど、それは港湾施設や物流網全体と合わせてじゃないとダメだから、これで我慢したのよ」


「我慢でこれで、これ以上があるのか? 信じられん!」


 あまり驚かない人に、ガチで驚かれた。

 目の前の情景以上と言われたら驚いて当然なんだろう。

 それに、革新的な方はお父様な祖父達への説明でも何枚も外観や解説図を描いて説明したほどだから、言っても分からないかもしれない。だから、簡単に触れるにとどめる。


「そりゃあ、そうでしょうね。これ以上の方は、20世紀最大の発明の一つと言われるものだからね」


「……お前は、そんな未来の夢まで見るんだな」


 なんだか感心を通り越えた視線を感じてしまう。さすがに無視しきれないので、それが自然と言葉になった。


「見たくて見ているわけじゃないけど、便利な事もあるわね」


「まあ、夢なんてもんは、見たいと思ったものが見られるわけじゃないからな」


 少し余裕を取り戻したのか、皮肉げな笑みを浮かべつつそう返してくれた。


(まあ、私の夢はもう全部見た後で、思い出す作業しか残ってないけどね)


 などと一瞬思ったけど、その笑みにいい笑顔で返してやる事にする。何しろ、これから忙しくなるのだ。


「さあ、おしゃべりはおしまい。私達も車に乗るわよ」


「仰せのままに、姫。では、参りましょうか」


 そう言って恭しく従者の礼をした八神のおっちゃんと、ずっと黙り通していたシズを連れ、まだ船に載っている乗用車の方へと向かった。



__________________


年産200万トン:

史実の1931年の原油消費量は、約200万トン。原油輸入額は500万円ほど。

(1930年代終盤で、最大約二倍の消費量)


この世界の北樺太油田の生産量は150万トン程度。

(史実は約70万トンほどを自力採掘で輸入。この世界は日本の総取りだから数字が違ってくる。)

北樺太は鳳を含めて色んな会社が掘っているが、この時点で鳳の日本産原油生産の独占率は7割に達する。

輸入は高品質の石油やその加工品、潤滑油などだけで全体の10%程度。


現状は史実の二倍近い消費だが、外貨流出は極めて少なくなる。



カーフェリー:

船体内に車両甲板を備え、ランプウェー(陸上から船舶への自動車連絡通路)を設備した船。

自動車の発展と共に欧米で登場。その名の通り「渡し船」として海峡,湾口,河川などで運用された。日本での初登場は1934年。

今回のような外の海を航行する中型以上の大きさのカーフェリーは、日本では1968年以後に登場。



もう一つ別のやつ:

これ以上:

そのうち登場するかもしれない。

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