214 「満州事変前夜(5)」

「外交、いや政府の動きか?」


「そうです。軍の方は一夕会が固めています。夏前の時点で要職による会議で『満蒙問題解決方策の大綱』を、永田さんが提出しています。

 そこに書かれている内容の多くは、我々と意見の一致を見ています。その点は、既にみんなも了解しているものと思います」


 そう。誰も騒動を必要以上に大きくしようとは考えていない。そんな事を考えているのは、一部の地に足がついていないおバカさん達だけだ。

 そして賢明なお兄様の言葉は続く。ただ、少し歯切れが悪い。


「現在の若槻内閣は、大陸外交重視の列強協調外交です。玲子が動かそうとしている満州党を認めるでしょうか?

 現時点でも、新たな軍閥の一つ程度と考え、ほぼ無視しています。それどころか、関東軍の謀略工作と見ている者もいると聞き及びます」


 お兄様の言葉に、お父様な祖父が少し顔をしかめる。

 何しろ曾お爺様亡き後の鳳は、中央への政治力が低下していて、アプローチが難しくなっている。


「現状では微妙だな。張作霖の政府が存在程度でも認めれば話は違うんだろうがな」


「しかし、仮に張作霖の動きを待っていたら、外交的に動きが遅くなる可能性が高いでしょう。そうなれば、玲子の夢と同じように、日本の外交的信用が失墜します」


「そうだなあ、政治をすっ飛ばしたとして、万里の長城を越えなければ、上海に手を出さなければ、ギリギリで列強は黙認ってところかな」


「出来れば熱河方面も手を出さない事です」


「それは無理だ。溥儀が認めん。つまり溥儀が動かなくなる。そうなれば、上っ面ですら言い訳が出来なくなるぞ」


「だからこそ、傀儡でも先に現地の政治組織に動いてもらうより他ないという事ですか」


「と、さらなる共通認識が出来たところで、玲子、幾ら出すんだ?」


 そう聞いてくる表情は、言われた以上出すだろうと見透かしたものだ。そして私はそのつもりだ。


「取り敢えず500万。向こうのオーダーだから、そこは動かしません。逆に出し過ぎたら、後で言い寄られるのがオチです」


「おっ、少しは学んだな。それで?」


「その代わり、移動用のトラックと民衆にばらまく食料か何か」


「俺のコネで多少の武器は用意させよう」


「出来るんですか?」


「それなら大丈夫だ」


 私の質問に、お父様な祖父ではなくお兄様が答える。だからそのまま視線を向けると、小さく頷かれた。珍しく、口もとには悪い笑みが浮かんでいる。その表情は確かに鳳の一族だ。


「ヨーロッパで3年も無駄に遊んでいたわけじゃないよ。色々なところに行った時に、コネ作りを兼ねてあちらで10門、こちらで100丁と買って持ち帰り、大陸の各所に保管してある。もちろん、政府や軍の黙認の上でだ。金のある有り難さを、あれほど実感した事はないよ。これも玲子のおかげだ。ありがとう」


「い、いえ。それにしても鳳って、そんな事もするんですね」


「うちのご先祖様は、後ろ暗い事をする結社出身だ。それに商売なら何でも売り買いするのが商事だ。なあ、お前ら」


 お父様な祖父の言葉に、時田とセバスチャンが頭を軽く下げる。

 どうにも私が思っている以上に、鳳は悪党だったらしい。戦後の総合商社も宣伝文句で「インスタントラーメンからミサイルまで」とか言ったけど、それを地でいっている。

 そして顔を上げた時田がこう口にした。


「神戸に国際汽船の新型貨物船を1隻ご用意しております。ご許可頂ければ、直ちに荷物の集積と積み込みを手配いたします」


「上海の鳳商事の裏の倉庫には、アメリカでダブついていた民間用の銃器が300丁ばかり保管して御座います」


 とは、セバスチャン。やっぱりこいつは、インテリヤクザの類の人間だった。


「悪党ばかりね。それって猟銃と拳銃?」


「旧式ですがライフル銃中心です。それに旧式の機関銃が数丁、トミーガンが30丁ばかり。拳銃と猟銃を足せば、1000丁を超えます」


「弾薬も?」


「はい、勿論に御座います。3会戦分は保証させて頂きます」


 セバスチャンではなくトリアが答えた。彼女のコネで色々用立てたのかもしれない。


「お兄様の分と合わせると、ちょっとした戦争ができそうね……全部渡しましょう」


 言葉の最後をなるべく強く言う。

 そう、ベットはここぞという時にするものだ。そして今がその時だと私は感じた。そう思い込んでいるだけなのかもしれないけど、『満州事変』自体は最初から止められない。それなら少しでも現地色を強める方が、日本の外交ダメージは小さく済む筈だという考えがある。


(それに、陸軍や石原莞爾の思惑通り満州を牛耳って好き勝手に大改造したところで、アメリカ相手じゃあ焼け石に水だし)


 全員を見渡しつつそれぞれの表情を見るが、全員がほぼ合意に至った表情だ。けど、貪狼司令が少し難しい顔をしている。


「貪狼司令、まだ何か懸念があるの?」


「いえ、満州の方はそれで火を広げられそうですが、日本政府に何かできないものかと」


「先に独立や自立の動きが出たとしても、政府は軍部の茶番と受け取ると?」


「そこまでは申しません。そこまで耳が悪くはないでしょうし、馬鹿でもないでしょう。ただ、若槻、幣原ですからね。一言言うくらいなら、病床の上の濱口もいます。あの真面目な連中が、張作霖すら動いたとしても茶番に乗るかどうか」


「なら、別のやつに恩返しをしてもらうさ」


 かなり軽くお父様な祖父が言い放つ。そしてその言葉で全員が察した。

 だからだろう、そのまま言葉を続ける。


「芳賀、加藤高明に連絡して、可能な限り近日に席を用意してもらえるか」


「畏まりました」


「お父様、流石にその手はどうなの?」


 芳賀が慇懃に頭を下げるのを見つつ、お父様な祖父に半目になりつつ口にする。それに対しては、少し苦笑気味だ。


「近々元老になろうと言われる人だ、俺だってこの手は使いたくない。だが、ここが勝負のしどころなんだろ? なんなら、あの人の首を縦に振らせる為に、直接の恩人も同席させるか?」


「それはやめて上げて」


 「分かっているよ」そう返したお父様な祖父だけど、紅龍先生の名前を持ち出したのは、私を黙らせる為だろう。

 加藤高明が肺炎になった時に、紅龍先生が開発して間もない新薬で命を永らえたのを恩と言い切るのは、否定的にならざるを得ないからだ。

 だからだろう、言い訳するように続けた。


「まあ、前の外務次官が日本にいれば、もう少し楽だったんだがな」


「前の……吉田茂様?」


「そうだ。あれはゴリゴリの帝国主義者で満蒙を分捕る気満々なやつだったし、大陸の情勢にも詳しい。それに今の外相の幣原も動かせたかもしれんし、何と言っても牧野様と直接の繋がりがある」


(吉田茂ってそんな人だったの? 戦後の総理だから、もっと平和主義な人かと思ってたけど……確かにあの顔は平和主義者じゃあないか)


 自分の中でオチを付けつつも、一応聞くことした。

 打てる手は打つべき時だからだ。


「今どこに?」


「イタリア大使として赴任されております。慣例通りなら、2年程は帰国されないでしょう」


「じゃあ帰国は無理ね。けど、手紙をしたためましょう。お父様」


「おう、名前でもなんでも使ってくれ。だが俺は面識が薄いから、お前の名前で出せよ」


「勿論そうするわよ。子供が出した手紙の方が、諸々の目が甘くなる可能性があるものね」


「まあ、目を付けてきたら、期待薄だがな。で、あとは政友会への根回しくらいか。他に何かあるか?」


 その言葉に貪狼司令が小さく挙手。そしてお父様な祖父がアゴで促す。本当に、悪の首領と幹部のやりとりだ。


「皇国新聞の特派員を増やしましょう」


「好きにさせろ。で、セバスチャンは?」


「撮影機材を持ち込めませんか? 出来れば音付きのやつを。アメリカから買い入れたものがある筈です」


「それならば、皇国新聞の映像部で色々と試しているところだ。一緒に派遣させましょう。よろしいですな」


 その質問には貪狼司令が答える。色々とやってきているおかげで、どこかに何か役に立つものがあるものだ。

 お父様な祖父も、思わずニヤリと笑う。


「何でも手は打て。だがそうなると、国際配信と宣伝もしないとな」


「それならばお任せを。ただし」


「お前の主人に多少の情報を渡すのは構わない。バカな事をしてくれない限りはな」


 お父様な祖父の言葉に、トリアが恭しく一礼する。けど、報道というなら忘れていけない人がいるのを思い出した。


「反共路線のプロパガンダにするなら、ハーストさんにお手紙書くけど?」


「何でもしろ。というかだ、この場を仕切るのは俺じゃなくて玲子だろ」


「そんなの、もうどうでもいいでしょう。それより特派員の名目は?」


「新たな油田発見の取材とでもしておけばよろしいかと。1つ、まだ発表していない大型の油井がございます」


 邪険にあしらったお父様な祖父がもう一言言う前に、時田が「こんな事もあろうかと」な提案。こういう機会の為に用意していたに違いない。

 だから満足そうに見えるように頷く。そして、これ以上提案はないかとさらに周囲を見渡すと、最初に質問だけしたお芳ちゃんが小さく手を挙げているのが見えた。

 もしかしたら、もう少し前から手を挙げていたのかもしれないけど、大人達が次々にやり取りするからスルーしていたかもしれない。


「えーっと、お芳ちゃん、何?」


「……取材と報道の方向性は? 単に情報を伝えるんじゃなくて、バイアスはかけない?」


「音声付き映像やら新聞やら残す事になるから証拠になるけど、下手をしたら後世に残るから、完全な嘘はつきたくはないんだけど」


「嘘を本当にすればいいんでしょ? そもそも今回の悪巧みは、そう言う類の事なんじゃないの?」


(確かにその通りだ。何しろ歴史を捻じ曲げにかかっているんだ)


 そう思い直して頷き返す。多分、悪い笑みが浮かんでいると思う。お芳ちゃんの苦笑が、それを雄弁に物語っていた。

 そう私は悪役だ。

 そして今回は、日本の為と正義の味方気取りの陸軍もしくは関東軍に対して、悪役となる事を決めたのだ。嘘の一つや二つ、今更どうと言う事はない。


「どうするの? 聞きましょうか」


 私の質問に「大した事じゃないよ」と応じて、淡々と嘘八百を並べていくお芳ちゃんだった。

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