206 「上海狂詩曲(7)」
「共産党が上海に?」
「はい。半月ほど前から、かなりの数が入り込んでいると考えられます。また上海近在の蘇州にですが、国民党右派に属する軍閥の兵団の一部が、昨日に内陸部から交代で移動してきました」
「共産党を追って来たって事ですか? けれど、中華民国の軍隊は上海に近寄れないですよね。中華民国軍が踏み込んだら、略奪は出来るかもしれませんけど、資金源が根こそぎ絶たれますし」
ホテルに戻ると、鳳商事上海支店の張支店長が待っていた。
共産党の動きについて事前に私が何も知らされていないのは、私が滞在中に本格的に動き始めるとは予想していなかったので、私には伏せていたとの事。気持ちよく観光して、何も知らずに帰ってくれたらそれでいいと言う配慮だ。
だから文句もクレームも言わない。
それに、爆発事件が起きてすぐに張支店長が直々に話に来てくれたんだから、文句より感謝するべきだろう。
「理由は現在調査中です。また租界に駐留する各国の軍も、蘇州の中華民国軍への警戒を強め、近く何をするのか問いただすようです。外交上でも、日本政府などが北京の張作霖に、イギリス政府などが蒋介石に事情を聞いています」
「共産党へは?」
「まだ何も。しかし、租界の中心部にまで破壊工作員が入り込んでいたとは予想外でした。以前も租界の外で暴動を起こした事はありましたが、国民党と仲違いした影響かもしれません」
「租界は国民党にとっては資金源でも、共産党にとっては憎たらしい資本主義者の巣窟でしかありませんものね」
「はい。ですから、即物的な資金調達が目的なのではないかという見方もあります」
そこで少し考える。そして誰もが思っているであろう仮説を聞いておくことにした。
「国民党が資金援助して手引きして上海に入り込んだ共産党が暴れ、それに対して租界の列強軍が鎮圧に苦戦。そこに国民党軍が駆けつける、という筋書きの可能性は?」
「……何の証拠もない仮説ですね」
「はい。ですが、今のお話を聞くと、そう聞こえます」
「かもしれません。似たように警戒している者もいるのは確かのようです」
「用心に越した事はありませんからね」
そこで今聞いても仕方ない話を切り上げ、現実的な事に話題を戻すことにした。
「さっきの爆発についての続報は?」
「ありません。今の所は、どこかの工作員が警察に追い詰められた末の自爆です」
「単独犯?」
「いいえ。自爆したのは、数名、今のところ3名から4名の中の一人です」
「目的は? 強盗? 騒乱? 暴動?」
とりあえず、可能性がありそうな熟語を並べてみる。
「百貨店や銀行を本気で強盗をするなら、租界を一時的にでも制圧できる軍事力が無ければ不可能です。ですが、産業用とはいえダイナマイトを所持しているのは、厄介です」
「その数名だけ?」
「現地人の街には、以前からいるのが確認されています。また、詳細は不明ですが、最低でも数十人は入り込んでいます。主にスラムの方で確認されているので、本来は騒乱か暴動が目的でしょう。すでにその兆候は見られます」
「何年か前の南京や武漢の事件みたいに?」
「恐らくは。共産党は、内陸部の奥地の農村で勢力を少しずつ広げてはいます。ですが、その都度国民党の軍隊、周辺の軍閥、張作霖の北洋軍閥の正規軍、全てに叩かれています。ですから勢力拡大は順調とはいえず、何かをするにしても資金も兵も不足しています。幹部も何名か死亡したという説もあります」
「だから上海で騒動を起こして、敵対する軍隊をこっちに持ってこさせる? それとも列強を怒らせて、敵対勢力の資金源を減らそうとしている?」
「今回百貨店辺りでうろついていたと言う事は、その辺りが目的でしょう。郊外の国民党軍も、共産党の動きを警戒しているのだとは思われます」
「上海の列強の軍隊は?」
「表面上はまだ平静を装っていますが、水面下では警戒を強めております。日本海軍も、佐世保で一部の艦艇と特別陸戦隊2個大隊が移動のための準備に入ったと言う情報が届きました。また海軍は、呉や他でも特別陸戦隊を準備中です」
「良く分かりました。呑気に観光している場合じゃないですね。すぐに発ちたいので、手配してくださいますか」
とそこで、少し間がある。即答できないという事は、今すぐは無理という事だ。すぐ後の言葉もそれを肯定した。
「既に夕方ですので、今日出る便はありません。停泊中の国際汽船の中型の貨物船は、荷下ろしか積み込み中です。それ以外だと、日本領事館で他の便を探すより他ありません。ですがそれでは、伯爵令嬢の安全を完全に確保できません」
「次善の策は?」
「明朝まで、このホテルに滞在して頂く事です。上海支店の者も周辺に増やします」
「私を狙って襲ってくるわけじゃないから、それでも構わなさそうですね。それで、最善の策は?」
一拍子置いて張支店長の言葉が続く。
「上海支店の地下に隠れて頂く事です。野戦重砲の砲弾が直撃しても耐えられる構造になっております。ただ、差し迫った危機というわけでもありませんのに、ご不便を我慢して頂く事になります」
「それは避けたいですね。……それじゃあ、あなた達の本当の拠点なりで過ごすのは?」
軽く肩をすくめて、演技を込めてさりげなく告げる。その程度のことは、お父様な祖父から私も聞いている。
そして私の言葉に、張支店長の細い目がさらに細くなる。けど、まだ言葉は返ってこない。
だからさらに、こちらの言葉を重ねる。
「曽祖父と直に知己のある方にご挨拶出来ないまま上海を去るのは、出来れば避けたいのですけれど?」
そこでしばらく睨めっこ。
もう世界中でいろんな人としてきたので、睨めっこなら大抵は負けない自信がついてきた。
そして今回は、私の勝ちだった。張支店長が小さく肩をすくめる。
「そこまでご存知でしたか。ご当主のお手紙には、今回は会わせずに日本に帰すよう書かれておりましたのですが、自分から言ってきたら会わせて欲しいとも書かれておりました。
ただし、本来なら成人していない者が会うことはない事、心の隅にお留め下さい」
「はい。その事は亡き曽祖父からも聞き及んでいます。ですが、機会を得られたらと思っておりました。我儘を申し上げます」
「頭をお上げください。鳳の長子であり、大恩ある鳳一族、そしてそのご当主様からのお願いであるのですから、本来なら是非などない。むしろこちらが会っていただきたいと、お願いするところです」
「それでは、宜しくお願い致します」
言質を取れたので、ニッコリ笑顔で言葉を返した。
そして話はこれで終わりなので、私達は出発の荷物まとめのために部屋に戻り、張支店長達は連絡や準備の為に動き出す。
「何か聞こえない?」
「はい、喧騒ですね」
「南、城内の方向ですね。かなりの距離だと思われます」
「つまり規模が大きい?」
「恐らく、大人数。祭りや催しがあるとは聞いていませんので、暴動か何かでしょう」
「八神様が戻られれば、何か分かるのでは?」
私の質問に二人の美少女が、作業をしつつ淡々と答える。八神のおっちゃんだけが、張支店長とさらに情報収集のために戻っていない。
私達は、八神のおっちゃんが戻るのを待ってチェックアウトして、長老のような人に会い、そして危険が迫りつつある気配が濃厚な上海を少しでも早く離れる予定だ。
そしてその動きが正しかった事を、外からの音が教えてくれていた。
なお、私は部屋に戻るなり急いで着替えていた。夏の動きやすい服装に加えて、あまり夏らしくない一見可愛い帽子を装備。
当然だけど、普通の帽子じゃない。見た目フワフワの大きな帽子だけど、めっちゃ重い。何しろこいつの中身は、特殊合金を贅沢に使ったと言う触れ込みの特製鉄兜。しかも、私の頭にぴったりフィットするオーダーメイドだ。オーダーした覚えはないんだけど。
それに引き換え二人は、ホテルボーイに「普通の」荷物を移動させる手筈を整えると、自分達はさっき車で準備した武器を持つ。けど、さっきの車の中と違って装備まではしない。すぐに取り出せるカバンに入れなおしただけだ。
それでもぱっと見で分からない服の下に、拳銃程度は所持しているんだろう。
そんな非日常で剣呑な情景を見つつ、一つ気づいた事があった。
(そう言えば、私全然怖がってない? 直接狙われているわけじゃないけど、21世紀の平和な時代しか知らないのに、転生して図太くなったのかなあ)
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