205 「上海狂詩曲(6)」

 それは突然起きた。


「ボバンッ!」


 ほぼ頭上。近くの建物から、大きくくぐもった音。多分、何かの爆発音。かなりの大きさ。何かが壊れる音、落ちる音。車にも、小石か何かがぶつかる音が、何度もしている。

 私の視界の外の出来事だったけど、この時代の車は21世紀ほど防音されてないから、爆発音はかなり明確に聞こえた。それに、車のそばで瓦礫が落ちてきたのも見えた。


 場所は、競馬場を離れてすぐの南京路の西側。周りには私が明日訪れる予定の百貨店が街角ごとに建っている、繁華街の一番賑やかなところ。

 私達は、鳳商事が所有する車の中。運転は八神のおっちゃん。その横にリズ、後席は私とシズ。

 私はシズに、爆発するかしないかの瞬間に強く抱き抱えられていた。


「ここから離れるぞ!」


 少し苦々しげな表情で短くそう言った八神のおっちゃんは、言うが早いか車を加速させる。けど、そんなに猛スピードは出せない。

 ここは上海租界随一のメインストリートだけど、21世紀の車道のように道幅は広くはない。多分合わせて4車線くらい。中央には市電が走り、道を行き交うのは主に人力車。車は時折走る程度。車道より少し高くした歩道もあるけど、そこも広くはない。


 行き交う人の大半は現地の人。列強の住人は、日本人以外だと一説には6000人程度。下手をしたら、駐留する軍隊の方が数が多い。

 そして租界の中心部は、元はイギリス租界。だから人力車や車に乗るのはほぼ白人。

 そして夕方前の南京路は、多くの人出で賑わっていた。


 だから音に気づいた人達も一斉に、我先に動き始める。その中を、ゆっくりであっても車で移動するのは難しい。けど八神のおっちゃんは、そんな中を全速力の人力車を追い抜くほどの速度で器用に走り抜けていく。

 手慣れたハンドル捌きなので、見ていて不安はない。

 助手席のリズは、さっきから視線が一点に固定されている。その先が、爆発現場なんだろう。さっきの音と視線から推測するに、何かの建物の上の方だ。


 もっとも私は、シズに強く抱きかかえられた状態で、万が一銃撃されたり爆発に巻き込まれる事態に備えている。だから私にできる事は、みんなを邪魔しないように座席で小さくなるだけだ。


 そして1キロちょっとの距離を、数分で一気に走り抜けホテル前まで辿り着く。滞在ホテルは、南京路に面した河岸にあるバンドのすぐ近く。

 それでも前席の二人は、主に走り抜けてきた後方を中心にして周囲を警戒する。


 ただ、ここまで来ると、周りの喧騒はあまり感じられない。その代わり、走り抜けてきた方向からは喧騒を感じる事ができる。

 そしてさらに少しして前席の二人が多少は警戒を緩め、シズもようやく私を抱きかかえるのをやめる。温かく柔らかいシズの感触が離れるのは少し残念だけど、私もシズに合わせて少しだけ視線を高くする。


「爆発だったと思うけど、何が起きたか分かる?」


「小型の爆弾もしくは産業用爆薬による爆発です。爆発音と飛び散る破片、煙などから推測して、恐らく後者と考えられます」


 八神のおっちゃんではなく、リズがキビキビした声で分析する。しかもそのリズは、後席に置いてあった大きなカバンをシズから受け取っている。シズの方も、その横にあった自分用の長いものを入れるカバンを手に取る。

 薄々は知っていたけど、間違いなく武器を入れたカバンだ。

 そして二人とも、テキパキと武器を準備する。


「八神のおっちゃんは、武器はいいの?」


「俺はこいつで十分だ。それと赤毛のねーちゃんが正しいだろう。ただ俺は、爆発自体は見ていない。二人は?」


 スーツの上着の中を少し見せると、お約束な感じのショルダーホルスターに入ったごつい拳銃が見える。刑事物の映画やドラマで良く見るけど、実際見るには初めてだ。


「私は見ました。爆発の規模と状況から、産業用爆薬の可能性が高いと判断しました。また、石造りの建造物に仕掛けた爆薬だとしたら、分量、仕掛け方など中途半端な印象です。移動中に手に持っていたなど、何らかのトラブルかアクシデントによる爆発ではないかと推測します」


「正確だな。訓練でも受けているのか?」


「はい。並みの軍人以上に訓練を受けています。ご信頼ください」


「了解だ。それとだ、メイドの嬢ちゃん達、取り敢えず物騒なものはしまっとけ。服の下のものだけで十分だ」


 機嫌良さそうな笑みを浮かべつつな八神のおっちゃんの言葉通り、二人は車の中でどんどん完全武装しつつあった。

 シズは日本刀。見た目はシンプルでどんな刀かは良く分からないけど、実は凄い刀に違いない。

 そしてお約束ならロングスカートの下に投げナイフとか武器を隠しておくんだろうけど、普通にカバンから拳銃の入ったガンホルスターを付けようとしていた。刀以外の予備武装は、陸軍の十四年式拳銃。お父様な祖父が見せてくれた事があるのと同じやつだ。

 実はシズは剣術美少女だったけど、格闘一本槍じゃないのは合理主義的でシズらしいと思う。


 アメリカンなリズはもっと物騒で、大きな鞄にはこの時代のアメリカンギャングのメインウェポン、丸い弾倉がチャームポイントなトミーガンが仕舞われていた。サブウェポンもこちらも映画などでお馴染みの、コルト・ガバメント。しかも鞄には、他にも入っているみたいだ。

 どうにもリズは、上海租界をシカゴにしたいらしい。もういっその事、ギャングな感じのスーツを着て欲しいくらいだ。

 そんな気持ちの乗った目で二人をジロジロ見ていたらしい。取り敢えず、ぎこちないと思われないように軽く笑みを向けておくのが吉だろう。


「えっと、物騒なものを持っているのね」


「これでも十分に控えています。本当なら、小銃や手榴弾程度は欲しいところです。こんな機関銃もどきではなく、せめてお嬢様が日本軍に買わせたと言うブルーノZB26軽機関銃の配備を求めたい程です」


 リズの方は、止められたのに丸い弾倉を銃に取り付けつつも不満げな表情と声。

 かなり危ない娘だったらしい。手つきがあまりにも手馴れているし、銃器にも詳しそうだし、もしかしたら銃器マニアかもしれない。


「そ、そうなのね。シズも?」


「軍の装備は一通り扱えますが、今はこれ以上は御座いません」


「そ、そう。ちなみに私は武器持たなくてもいいの? 使い方は知っているわよ」


「訓練を受けておられる、という話は聞いておりませんが?」


 シズが珍しく怪訝な表情で私を見る。


(そりゃあそうでしょう。なんたって、前世のグァムとアメリカ西海岸のガンショップで撃った事があるだけだからねー。けど、コルト・ガバメントどころか、某スナイパーも愛用したライフルも撃った事あるぜ)


 そんなカミングアウトをしても仕方ないので、曖昧なオリエンタルスマイルで流しておく。シズの方も私がそれ以上言わない理由はすぐに察し、表情を改める。


「知っていたとしても、むしろ持たないで下さい。武器を持つと反撃したくなるのが人間心理です。お嬢様は、何かあった場合ただひたすら逃げて隠れて下さい。それがお役目です」


「う、うん。分かってる。荷物にならないようにする」


「むしろ、素直に荷物になっていて下さい。自力で移動する時以外、全く動かないのが理想です」


 シズもだけど、リズも容赦ない。護衛対象をもの扱いだ。

 八神のおっちゃんの横顔も、薄く笑みを浮かべて二人の意見を肯定している。

 こういう時、悪役令嬢なら文句の一つも華麗に言う所なのかもしれないけど、元が21世紀のモブ女子としては内心でガタガタ震えるしかない。

 けど、私は悪役令嬢。虚勢の一つくらいは張らないといけない。

 わざと、どっかり席に座りなおす。


「ホテル内に移動できるようになったら言ってちょうだい。それまで、お荷物でいるから」


「姫よ、ホテルへの移動の際はご自分のおみ足をお使い頂きたく存じます。それに、もう移動してもいいだろ。二人も、いい加減武器をしまえ。車から出られない」


 こういう時は、やっぱりと言うべきか、八神のおっちゃんが一番常識家らしい。


__________________


十四年式拳銃:

1920年台半ばに開発された、日本陸軍用の拳銃。

8mm口径の自動拳銃。性能は普通。



コルト・ガバメント:

正式名称M1911。アメリカ軍が長らく制式拳銃にした。

45口径の自動拳銃。

日本に入って来るのは、基本的には戦後のこと。






重機関銃:

この時期のアメリカ製造だと、M2へと発展していくブローニングM1921重機関銃だろう。

1921に開発された重機関銃。普通は口径7.7mmなのに、これは口径12.7mmと一回り以上ごつい。人力運搬は無理な重さ。

機関銃だけど、人に向けて撃つ武器じゃない威力。



日本陸軍に装備させたい気はするけど、贅沢すぎて平時には無理だろう。

機関銃だけど、人に向けて撃つ銃じゃない。

1世紀経っても現役という、非常に高い完成度を持つ。


キャリバー50という名前を持つけど、キャリバーは口径のこと。一部ではブリテンの伝説の剣エクスカリバー由来とも言われる。

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