188 「会合の後(2)」

「聞かれましたか!」


「声を落とせ、辻」


 場所は、鳳ホテルからは少し離れた東京市内の民家。周りにも民家が密集しているので、その配慮をしろという事だ。

 話し合っているのは、民家に入ってきた辻政信と、少し前まで共にいた服部卓四郎。他にも、部屋には先ほどの宴会場にいた青年将校達が犇いている。さらに先ほどはいなかった者も含まれるので、それなりの広さの家の中は20代後半の頭の良さそうな男達で溢れていた。

 そしてその男達の大半は、何かが書かれた紙面を回し読みしている最中だ。


「それで首尾は?」


 その上座に近い場所に、どっかりと腰を下ろしつつ辻が小声で問う。

 そうすると服部は、目線とアゴで紙面を指す。


「隣の部屋の壁に聴診器で耳をそばだてていたが、予想より壁が分厚いらしく完全には聞き取れなかった。あとで見て、足りない箇所を足してくれ」


「心得ました。それで伯爵令嬢のお言葉は?」


「あれは聞こえた。子供の声だから助かった。それにしても、西田が話していた以上じゃないか」


「全くです。しかもこちらの意図を汲んで、あえて強引に話して下さった。西田さんにも、すぐにも手紙を差し上げましょう。喜びますよ」


「そうだろうが、あいつは今パリだ。あと2年は戻らないから、急がなくてもいいだろう」


「確かに。それで服部さん、どう思いますか?」


 辻が態度を一転して、注意深さを含んだ声色になる。

 対する服部は変わらず淡々としている。


「……まだ何とも言えない。鳳先輩の今回の論文は、まだ俺達にまで回ってきてない。分析と判断は、それを読んでからだな。出来れば鳳先輩にも話をお聞きしたい」


「出来れば伯爵令嬢にも、さらにお話を頂きたいところですな」


「ん? それは不要だろう。鳳先輩から聞けば良かろう」


「自分は、そうは思いません」


 辻の独特な口調に対して服部は少し訝しんだが、話しの続きを小さな仕草で促す。それに辻が、ごく小さく笑みを浮かべる。


「お二人を見ておりましたが、さっきの話の最後の部分、あれは伯爵令嬢独自のお考えでしょう。鳳大尉殿は、すぐに話をご理解されていたご様子ですが、恐らく初見です」


「……そう見るか。つまり『鳳の巫女』としての言葉だと?」


「はい。恐らく、これからの陸軍を担う方々に対して、軽率な行動を慎み、心して行動するようにと釘を刺されたのではないでしょうか」


「……辻、少し影響されてないか? 凄い話だったのは認めるが、さすがにあれは鳳先輩の考えで、それを事前に聞いて理解した上で、あえて話しただけだろう。あの歳で理解している時点で大したもんだとは思うが、恐らくだが『鳳の巫女』としての演出だよ」


 合理主義者な服部としては、当たり前の回答と言いたげな言葉だ。しかし、辻の表情は否定的なものになる。ただそれも一瞬だった。


「……そうかもしれません」


「まあ、直に見ていたお前の言葉だ、考えはしてみよう、ただし」


「心得ております。むしろ、鳳大尉殿はもちろん伯爵令嬢、鳳の方々には、余計な者が近寄らないよう注意致しましょう」


 その言葉に服部の返答はなく、ただ小さく首肯しただけだった。


 ・

 ・

 ・


「終わりましたー」


「おうっ、お疲れさん。大暴れだったそうだな」


「……迂闊でした。事前に玲子と話しておくべきでした。ご当主、存じておられましたね」


「何の事だ?」


 ホテルのスイートでくつろいでいたお父様な祖父が、昼行灯らしくとぼける。龍也お兄様の視線がかなり厳しい。

 多少の自覚はあるけど、ちょっと言い過ぎた気はしている。けど、反省はしていない。


 そうして数秒お父様な祖父に視線を据えたお兄様は、かなり深めの溜息をつくと、あまり力の入っていない足取りでお父様な祖父の対面のソファーへと腰掛ける。すぐに私もその隣へと座るけど、私より奥に腰掛ける配慮がいかにもお兄様だ。

 そして控えているメイドが入れたコーヒーで一服をついてから、お兄様が再び目の前の昼行灯を見据える。


「『国家総力戦』と今後の戦争について、ご当主はどこまでご理解を?」


「怖い顔するな。言っておくが、俺も玲子もお前の論文は最初のやつしか読んでないぞ」


「それは玲子から聞きました。もっとも玲子は、その場で内容は殆ど理解していたけどね」


 ちょっとだけ口調と言葉が優しくなる。つまり、私の天然の行動が悪いって事なんだろう。だから、お父様な祖父は、私をあの場に送り込んだ事以外はほぼ無実なので、一応弁護してあげるべきだろうと思った。


「お兄様、私のさっきの話は、お父様は殆ど存じていません。以前、石原莞爾の噂が流れてきた時に、少し似たような事を話したくらいです」


「石原さんが? 確かにあの人も『国家総力戦』に強い興味を持っていたが、あの人が何か?」


「石原のやつ、一昨年の秋だったかに日蓮宗の宗教家と妙な事を話し合ったんだが、そこで最終戦争がどうのという、かなり妙な事を口走っていたんだよ。その事を玲子と話していた時に、玲子が夢の中で見たという未来に起こり得る戦争について、幾つか聞いただけだ」


「そうでしたか。じゃあ、さっきの話は、玲子が夢で見た景色か何かを言葉にしたのかい?」


 優しい言葉と目だけど、嘘はいけないって感じだ。

 それに私も嘘はつきたくない。


「は、はい。ちょっと煽られたから、売り言葉に買い言葉っぽくなったけど、話しても仕方ないほど漠然としたものだったから、今まで誰にも話したことは無かったんです。

 だけど、お兄様の論文を見ていたら、言葉にした通り論文の内容の先が足りてないなあって思って、その事を思い出したんです」


「そうだったのか。つまり、俺の勉強不足のせいだね。ごめんね玲子」


「い、いいえ、そんな。目の前の偉い軍人さん達が、大切な事なのに呑気に話し合っているから、ちょっとキツく言ってやろうって生意気に思ったのは私です。お兄様は何も悪くはありません」


「呑気だとよ」


「耳が痛いな」


 二人が二人の言葉とともに苦笑する。その言葉に、私も甘えて言い過ぎたとすぐに感じたけど、謝るのは違うと思った。二人も同様に思っていると感じたからだ。

 そしてお父様な祖父の言葉は、私の予想を肯定していた。


「それにしても、頭がガチガチな連中に、少しは違う景色を見せてやろうくらいに思ったんだが、それ以上してくるとはな。玲子、その辺の話を聞かせてくれ」


「俺もだ、玲子。内容自体は、目が醒めるようだった。出来れば、じっくりと聞かせて欲しい。この通りだ」


「あ、頭をお上げくださいお兄様。私も漠然とした事や、今話しても仕方ない事となどで、色々と話してこなかった事を反省しています。こちらこそ、色々とお話を聞いて下さい」


「と、丸く収まったところで、話す前に夜食でも食うか。このホテルの下で出してる天ぷら蕎麦が絶品なんだ」


「良いですね」


「私もお伴します」


 そんな感じで、なんか良い感じで話がまとまった気がするけど、私としてはどこまで話して良いのか、話すべきなのか、しばらく悩みそうだ。

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