173 「御進講」

 スウェーデンに旅立つ少し前、また紅龍先生がやって来た。壮行会は鳳ホテルで盛大に行う予定だけど、それは数日先の予定。取り敢えず、私に相談しないといけないようなトラブルだという事だ。


「れ、玲子! 大変だ!」


「その言葉、少し前に聞いた」


 言いながら、思わず机に肘をついてほっぺを手に乗せてしまう。けど、紅龍先生は私の机をバンっと両手を叩きつけ、そしてグイッと顔を持ってくる。

 相変わらず、オーバーリアクションな人だ。


「だが本当に大変だ!」


「御進講が失敗でもして、赤っ恥でもかいたの?」


「い、いや、それはない。色々とご質問も頂いたが、私の落ち度は無かった筈だ。鈴木侍従長も、牧野内大臣も、それに元老の西園寺公望様も陛下は大層お喜びだったと、おっしゃっていた」


 自分で確かめるように言いつつ、さらにリアクションが添えられる。よく見れば、冷や汗もかいていた。


(うわっ、そういう名前聞くとちょっと可哀想。緊張もするわよね、そりゃあ)


 そうは思えど、労(ねぎら)いよりも問うべきことがある。


「じゃあ、なんの問題が? 全然話が見えないんだけど」


「う、うむ。陛下が私が退席する折に、『今後も楽しみにしています』とおっしゃられたのだ」


 この一言でちょっと話が見えてきた。

 けど、まだ情報が足りないので促す。


「それで?」


「だから鈴木侍従長にお伺いしたら、『そう言う事です。今後もよろしく頼みましたよ』と言われたから、『今後とは、薬の研究・開発についてでしょうか?』と問い返すと、『そうですね。陛下も御公務などお忙しい身です。博士も色々とお有りでしょう。ですので、取り敢えずはスウェーデンからの帰国後となりますが、季節に一度くらいで顔をお出しなさい』とのことだった。それにな」


「まだあるの?」


 目の前でちょっと面白い感じに一人芝居しているので、だんだんと自分が半目になっていくのを自覚する。


「うむ。牧野内大臣が、『鳳博士は陛下とご年齢が近い。近い者は近臣には少なく、純粋に年の近い者と話されるのが嬉しいのであろう。それに細菌学という陛下が学ばれている生物学に近い学問もお修めだから、陛下もお楽しみのようだった。これからも頼みますよ』とおっしゃったのだ。……どうしよう!」


(あー、ハードル上げまくられた上に、御進講の合間に雑談もさせられそうな雰囲気ね)


「同情の視線は後でいいから、何かないか?」


「そう言われてもなあ」


「何かあるだろ。夢の先で見た未来の景色で! あれだけ新薬のきっかけがあるんだ。生物や植物の件で何かないか?」


 顔がグイグイと近づいてくる。大声だから唾すら飛んできそうな勢いだ。正直離れて欲しい。即時に。


「紅龍先生の専門分野を、色々と話せばいいでしょ。細菌学だったら、生物学や植物学とも近いんだし」


「それはそうだが。楽しみとか言われたら、やはり、何か、こう、楽しげな話が良かろう。私は自分で言うのもなんだが、学者として面白いお話を、陛下が喜ばれるような話をする自信が全くない! でなければ、相談など来るものか!」


 色々ゼスチャーを交えたあと、ほとんどドヤ顔で言い切る。


(頼みに来といて、その言い草はないでしょ。とはいえ、陛下や近臣の人の話が定期的に聞けそうなのは、今後、私と鳳が破滅しない情報を得るには好都合かも。……とはいえ生物の話しなんて、理科の授業くらいしか私の前世の記憶はないんだけどなぁ……)


「ないのか?」


「すぐに思いつくわけ……アッ、あった」


「おおっ!」


 目の前の大男の顔に歓喜が現れる。さて、期待に添えるものだろうかと思いつつ、思い出した事を口にする。


「日本で未発見の動物なんてどう?」


「そんな動物がいるのか? 細菌とかなら私の専門分野だが、それが楽しいのか?」


「細菌じゃないわよ。猫、山猫」


「日本に山猫? そんなもんいるわけなかろう」


 幼女が手を猫ちゃんスタイルにして手招きまでしてあげたというのに、全くつれない。


「それがいるのよ。西表島に」


「イリオモテ? どこだそれは?」


「沖縄と台湾の間にある島。その島にだけ生息する山猫が住んでるのよ。探せば、そんなに苦労せずに見つけられると思うわ」


「……なるほど、日本でまだ未発見の生き物か。まあ、悪くはないな。他には?」


「一つあれば十分でしょ。紅龍先生が戻るまでに、何か思い出しておくから。だいたい、御進講ってまだ先でしょ」


「それはそうだが。しかし今の話だと、探すところから始めなければならないではないか。やはり先に聞いておくべきだろ」


「それはそうかも。と言っても、未発見の動物ってそれくらいよ……それじゃあ、生息数が激減している動物の保護を促すお話とかは?」


「それは悪くないが、いるのか?」


「紅龍先生って、意外に知らないのね。日本でオオカミが絶滅したのは知っている?」


「子供の頃、そんな話を何かで読んだかもしらんな。だが、狼は絶滅しているなら駄目だろう」


「うん。だから絶滅しそうな動物」


「例えば?」


「トキ、コウノトリ、ニホンカワウソ、ニホンアシカ。まだ他にもいたと思うけど、詳しい話は自分で調べてね。この辺りの保護や調査は、もう鳳が保護事業にお金出しているから、情報もあるし追加でお金出してもいいわよ」


「金儲けなのか?」


「多少の宣伝込みだけど、社会貢献の類ね。国威発揚にもなるらしいけど」


「なるほどな。他には?」


「まだ聞いて来るとか、どういう神経しているのよ。それこそ、椎茸の人工栽培の話でもすればいいでしょ。あれも紅龍先生の発見になっているんだから」


「おおっ! そんな話もあったな。すっかり忘れておったわ」


「いやいや、金儲けしておいて、その言い草はないでしょ」


「う、うむ。その節は世話になった」


「いや、私に今更お礼とかいらないから。話のネタにしてちょうだい。あと、栄養学とか食物アレルギーとか、美容と健康とか、アメリカの講演会で色々話してきたネタで攻めていけば、年4回なら数年はもつでしょう」


「なるほど。少し希望が見えてきた気がするぞ」


 そこでグッと両腕を『頑張るぞい』なポーズ。

 急に元気になった紅龍先生を見て、こっちはため息の一つも出てしまう。


「念願の地位と富と名誉を得た人が、なにやってんのよ」


「それはそうだが、定期的な御進講など流石に予想外だ」


「そう? けど、そんなんじゃあ、この先思いやられるわよ。最低でもあと一回、ノーベル賞が待っているのに」


「そ、それは、その時考える。今は御進講とストックホルムでの授賞式で頭が一杯だ。では、世話になったな」


「あ、待って。もうすぐおやつだから、一緒に食べましょう。みんなも休憩ね」


「おおっ。玲子とお茶など久しぶりだな。よかろう」


 声をかけたはいいが、私が言うなり部屋の片隅の接客用ロングソファーにどっかと腰掛けてしまう。

 傍若無人というか、マイペースな人だ。けど、これくらい図太ければ、この先も大丈夫だろう。




 その後紅龍先生は十一月には十二月の授賞式の為にスウェーデンに向かい、さらに年内はヨーロッパ各地を転々として講演会や大学訪問の毎日を過ごした。

 そして帰国後は、参内は勿論、日本各地での講演を行い、世の中に鳳紅龍という天才の名を印象付けていく事になる。


 そして紅龍先生の話はまだ先があり、1932年にはサルファ薬で、1934年には経口補水液で、合計三回ものノーベル生理学・医学賞を受賞するという快挙を成し遂げる。

 まさに『神に愛された奇跡の天才医学者』となった。

 ただ、経口補水液の受賞は、発見した事による医学的社会貢献の側面が強いらしく、ペニシリンでハブッた事への罪滅ぼし的な噂がその後流れてきたので、水面下でのロビー活動のおかげだろう。


 そして合計三回の受賞に対して、日本でも位階、勲章を何度も授かり、もはや一般人ではこれ以上ないと言う程の名誉ある地位を得ることになる。もはや、医学会レベルの話ですらない。


 そのせいもあって、陛下への御進講が完全に定型化し、立派すぎるのでそれに誰も文句も嫌味も言えないという副産物ももたらされる事になった。

 ある意味生ける伝説と化したのだから、まあ有名税と思って諦めるしかない境遇だ。


 私はなりたくないけど。


________________


牧野 伸顕 (まきの のぶあき):

昭和天皇の側近中の側近の一人。そのせいで、君側の奸と言われ続けたが、昭和天皇からの信頼は厚かった。

各大臣を歴任。昭和初期は長らく内大臣を務めた。さらにその時期には、常侍輔弼となり、最後の元老の西園寺公望と共に後継首相の選定もあずかった。

大久保利通を父に持つ。吉田茂は娘婿、麻生太郎は曾孫にあたる。

名はシンケンと通称されることもある。



ニホンカワウソ:

明治から昭和初期に乱獲された。

1928年(昭和3年)には日本全国で狩猟禁止となっている。



ニホンアシカ:

20世紀に入って乱獲された。

昭和初期には激減したけど、サーカス用に捕まえたりしていたそうだ。



紅龍先生がもらう位階や勲章:

基本的には北里柴三郎が生涯に授かったものか、それ以上を得ることになる。男爵位や貴族院議員も北里柴三郎と同程度として、最初のノーベル賞受賞で授けられている。

最終的にはもっと上になるだろう。

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