167 「1930インターバル・サマー(4)」

「ほな、乾杯」


「乾杯」


 60を超えたおじさん、いやお爺さんと杯を掲げる。

 場所は、開業して間もない日本有数の高級ホテルの甲子園ホテルの大食堂。テーブルは私とそのお爺さんだけ。

 外見は禿げ上がった頭に丸メガネの老眼鏡。顔のシワも、この時代の年相応。けど、スーツをしっかりと着こなした紳士だ。


 私の方は、子供としては少し背伸びしたドレスに加えて、かなり高価な装飾品を身につけている。

 これが21世紀のご時世なら「パパ活」とか「援交」なのかもしれないけど、私の年がまだ10歳の幼女ではブルジョアな孫とお爺ちゃんのディナーでしかない。


 テーブルは、ホテルの人にお願いした他のお客から少し離れた場所。そして少し離れた場所には、私の使用人と護衛が座るテーブル。さらにその近くには、鳳の子供達が座るテーブルがある。

 今夜は、目の前のお爺ちゃんとの真面目な話もあるけど、こういった状況を鳳の子供達に見せるのも私にとっての目的の一つだった。


 そして私の意図を察している特に男の子二人が、ろくに瞬きもせずに物凄く真剣な眼差しをこちらに向けている。

 本当ならもっと気さくに話すつもりだったけど、少しお嬢様モードで進める事にする。



「鳳凰会では、お話する時間が取れず申し訳ありませんでした」


「エエて、エエて。こうして夏に会いに来てくれはるって便りをもろてましたからな」


「ですが、こんなついでのような形になってしまい、申し訳ありません」


「エエがな。息抜きの一つもせな、やってられへんやろ。しかも玲子はんは、まだ10歳やで。もっと遊んどきや、うちみたいに後悔すんで」


「もう、かなり実感しています」


 年長者の言葉には、苦笑いしか出てこない。

 その金子さんは、してやったりな表情だ。前に会った時、実質的な初対面で私が傍若無人に色々としたから、多少でもやり返したかったんだろう。

 けど、すぐに笑顔になる。


「まあ、まずは飯食べよ。うまいもん食う時に、辛気臭い話はするもんやない」


「本当そうですね」


 そこからはしばらくは他愛のない話をしつつ、フレンチのフルコースを楽しむ。なんだかフレンチばっかりで、私的には、たまにイタリア料理やスペイン料理のコースなども食べたいけど、この時代の日本では厳しいだろう。


 何しろ、どっちも鳳ホテル内のレストランでしか、日本では気軽に食べられる場所がない。

 そんな話も交えながら、普通に楽しんで食事が終わる。

 チラ見した限りでは、鳳の子供達はこちらばかり見てあまり食事には集中できていない。ちょっと可哀想だけど、まあ経験と思うしかない。


「気になりますか?」


「え、ええ。私が無理やり同じ食事会場にしたので。それに金子様にもご迷惑をおかけします」


「エエて、エエて。せやけど、財閥の子供も大変やねえ。その年で実際に仕事しとる子がおると思えば、実地の社会勉強してはる子もいはる。そないに、急(せ)かなあかんのか?」


 言葉の最後で真剣味が一気に増す。食事と雑談はおしまいというサインだ。私もほんの少しだけ居住まいを正し、一度水の入ったグラスで口を湿らせる。


「アメリカ経済が総崩れですからね。この数年が踏ん張りどころになる筈です」


「そこまで酷なるか? あ、いや、時田はんから話しは聞いとるで」


 そう言って、言葉の後半で手の平を胸の前辺りに掲げる。私が言葉の途中で口を開こうとしたからだ。


「アメリカだけじゃないんです。時田から、豊作のことは聞いていますか?」


「ああ。今年が大豊作で豊作飢饉。向こう5年が豊作と凶作の乱高下ってやつか? ほんまかいな?」


「本当です。今年は、強い台風が日本列島を直撃しない限り、豊作だって分析がもう出ています。来年は、ちょうどと言ってはなんですけど不作なので、備蓄の準備を進めているところです」


「ああ、それは指示受けて鈴木でもしとるよ。食品の事やったら、鳳より得意やからね」


「謙遜しないで下さい。凄く期待しています」


「そないに政府はアテにならんか? どエライ額の献金までしたのに」


 その言葉に、思わず溜息が出る。

 準備はしてもらったけど、限界のハードルが私が思っていた以上に低かった。けれども、現状以上は社会主義的と諭されては、献金などでお願いするわけにも行かない。


「嬢ちゃん、まあ気い落としなや。濱口はん、若槻はんは財政の玄人や。加えて井上準之助も呼んできた。財政政策やったら、鬼に金棒な布陣やろ」


「けど、来年度の予算は緊縮財政確定ですよ」


「濱口はん、そないな事言うとったんか?」


「はい。選挙の前に一度お会いした時に」


「さよか。まあ、そうやろなあ。せやけど、本年度はいじらへんねやろ」


「私が献金した分は大丈夫です。けど、先に決めた本予算の国債発行分の予算は絞りに来るかもしれません」


「軍向けが多いもんなぁ」


 金子さんの言葉に、思わず二人して遠い目になる。

 そしてそこで一旦会話が少し途切れた。先に現世に思考を戻したのは金子さんだ。

 コーヒーカップに一口つけてからこちらに視線を向けてくる。興味深げな目だ。


「さてと、話変えよか。世界と喧嘩してきて、どないやった?」


 さすが年の功と言いたいところだけど、せめて旅の話だけにしたかった。けど今はビジネスモードなので、こっちで正しいと瞬間で気分を整える。


「内心私を小馬鹿にしていた自信満々な人達が、放心するどころか自虐状態になるのを見てきました」


「アッハッハッハッ、そらおもろい! エエ気味や!」


 金子さん、本気の馬鹿笑い。周りの上品なお客様達からの視線が痛い。そしてその視線がなくても、私は笑いたくても笑わない。


「そう思いたいんですけど、目の前にするとそこまで酷い事が起きたのかって実感させられました」


「まあ、1週間で300億ドルが消えて無くなったわけやからな。それで、どれくらいまで落ちるんや? 嬢ちゃんやったら知ってるんやろ」


「あと2年ほど落ち続けます。だから、その辺りのタイミングで色々がっつり買い込んで、安く買い叩いた上で恩を売っておきます。まあ、あんまり足元見たら恨まれそうだから、来年くらいから大きな買い物は始めますけどね」


「エエな、エエな。ヤンキーどもがゴマをするのが目に浮かぶで。よっしゃ、こっちも準備進めとくで。あっ、そうや」


 言葉の最後で私を軽く指差す。何か指摘でもしたいんだろうかと思えるが、どこかバラエティーの解説者みたいだ。


「なんですか?」


「神戸の埋め立てで市長と県知事動かしたさかい、1年、2年は無理やけど5年以内に製鉄所作れんで」


(神戸製鋼を製鉄所にする件、動かしてたんだ。けど、このままじゃあ、神戸製鋼を鈴木に奪い返されそうだなあ。まあ、別に良いんだけど)


「じゃあ、買い足し……いや、技術を丸ごとコピーした方が安いなあ。コピーできると思いますか?」


「コピー? 一貫製鉄のラインごと複製するんか? まあ多少手間やけど、今後のこと考えたらしといた方がエエやろな。せやけど、ヤンキーの製品丈夫やから、少なくとも最初の方に複製する奴は耐久性とか経年劣化の速度とか数字悪なるで。なんせ、日本製やからな」


 ハッハッハッと、そこで大笑い。笑い事じゃないけど、この時代の日本の工業製品なんて、ネジ一つから完成品に到るまで、自分達の評価ですらそんなもんだ。

 アメリカ製には、あと20年は太刀打ちできないだろう。


「そうですね。今はお金もあるし、恩も売れるから買う方向で進めます。それで、どれくらいの規模を?」


「そら、嬢ちゃんが前言うてた4ライン分に決まっとるやろ。任しとき。うちらで日本の製鉄乗っ取るで!」


 と、そこで右手を胸の辺りまで上げて拳を作る。


(あー、この時代ってガッツポーズはまだ言葉がないんだっけ?)


 そんなどうでもいい事を思いつつ、別の言葉を口にする。


「そう言えば、日本の製鉄を国策会社で一元化するって話がありましたけど、政権変わったから棚上げでしたよね」


「せや。けどな、いずれその話出てくるで。多分、5年以内や。せやから、その前に準備進めて喧嘩するんやろ?」


「さすがに八幡製鉄所と喧嘩はしませんよ。私としては、連動して鉄鋼需要が起きる産業、需要を作っていくだけです」


「喧嘩よりよっぽど大変やな。本気で国でも作るんか?」


「多分、来年くらいには、新しい国作りにも多少は参加すると思います」


「……満州か。そないに早よう事が動くんか?」


「政治家の一部や軍の中央などが思っているより、早まる可能性が高いと思っています」


「ハァ? 鳳の中枢は何知っとるねん?」


「知っていると言うより、お告げや予言の類です。外れて欲しいんですけどね」


(そう。私の前世の歴史だと、石原莞爾のせいで満州での日本の動きは1年ほど前倒しになって、全部が石原莞爾らに引っ張られて最悪に向かって突き進む事になる。陸軍相手に何もできないから、史実と少し違って来ている事に、淡い期待をするしかない)


 一瞬鬱な思考になりかけていたら、金子さんが私の顔を覗き込んでいた。


「嬢ちゃん、今は一応交渉中や。そんな顔、何べんも相手に見せたらあかんで。鉄面皮か笑顔張り付かせときや。

 うちは、鳳に食われたとは言え実質的に鈴木を助けてもろた恩もあるし、嬢ちゃんの心意気も好っきやから、心中一歩手前までは付き合うけど、敵は少のうないからな」


「そうですね。お心遣い有難うございます」


 そう言って意図的に笑みを見せる。自覚すらあるけど、仮面の笑みだ。

 けど、それを見て金子さんも笑みを浮かべる。ただしこちらは、ちゃんと温かみを感じさせる。


「エエて。で、景気のエエ話はないんか?」


「そうですねえ……大規模な埋め立てをするなら、土建工事用に大量の建設機械とダンプ、トラックを買ったのが、もうすぐアメリカから届きます。使ってください」


「エエんか?」


「追加で頼みます。日本製は、まだ十分な性能と数が揃わないので」


「農業用の小さいのは、大分増えたけどなあ。それにしても景気のエエ話やな。よっしゃ、分かった。大阪湾をみな埋め立てたるわ」


「フフッ、期待しています」


 それで金子さんとの具体的な話は終わった。

 そのあとも雑談は多少したけど、もっと具体的な話は書面と専門家を派遣しての話し合いとなるだろう。

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