147 「国債増発」
1930年3月、次年度の国家予算が国会を通過した。
そしてその前に一悶着あった。
「軍はいつも勝手だ〜ッ!」
「軍はいつも横暴だ〜ッ!」
「鳳の姫様が〜ッ、国の為〜ッ、民の為にと〜ッ、アメリカで〜ッ、過分に儲けたからと〜ッ、献金され〜ッ、それにより〜ッ、増額された〜ッ、赤字国債に〜ッ、勝手に〜ッ、手を〜ッ、つけようとした〜ッ!」
「臨時増発は〜ッ、これから押し寄せる〜ッ、アメリカ発の〜ッ、不景気に〜ッ、備えるべきだ〜ッ!」
「現に繭(まゆ)の〜ッ、国際価格は〜ッ、暴落している〜ッ!」
「軍は〜ッ、国民を飢えさせ〜ッ、自分達だけが〜ッ、良い思いを〜ッ、しようとしている〜ッ!」
シュプレヒコールが、遠くから聞こえてくる。
これが他人事なら、『大正デモクラシーいまだ華やかなり』とでも嘯(うそぶ)いていただろう。
けれども、当事者ともなれば話は別だ。
「どこのどいつだっ! 私の事まで暴露した大馬鹿野郎はーっ!!」
陸軍省、海軍省など主に軍の施設前では、『立ち上がった国民』が大群衆となって取り囲む一方、鳳のお屋敷、鳳ホテルなど帝都近辺での鳳の目立つ施設は、『鳳伯爵家ありがたう!』な提灯行列が賑やかに行列を作った。国士の皆様勢揃いでの万歳三唱もさっき聞いた。今その人たちが、遠くでシュプレヒコールを上げている。
そして一歩も外に出られない状態の私は、大広間でブチ切れていた。
当然の怒りだ。そして自業自得だった。
政府への莫大な献金は、『去年、海外で大儲けしたお嬢様の気まぐれ』と言う事で、関係各位には多少のお詫びと共に事前に流布されていた。
それにより他の財閥は、「今回は大目に見てやるが、スタンドプレーはするな。スッゲー迷惑」と言われた程度で表向きは済んだ。
いや、私個人は済まなかった。各財閥は自分達がなるべく身銭を切らないで済むように、『お嬢様の気まぐれ』を色々な連中が色々な場所にリークしたからだ。
そのせいで、この騒動に影響していた。
さらに、この提灯行列の方に影響しているのが、ここ数年の鳳グループによる派手な散財だ。鳳が市中に金を回しているのも、知っている人は知っている。
それに、多少余裕が出来てからは、主に私の一言、と言うより免罪符欲しさの言葉に沿って、寄付や鳳系列の学校、病院、製薬での貧民対策にもかなり力を入れさせていたので、その噂も合わせて一気に広まっていた。
勿論、私が20億ドルも儲けた事は完全に伏せられている。と言うか、知っている者はごくごく限られているし、口の軽いやつで知っている者はいない。
けど、アメリカ株で儲けていることは、今後のアメリカでの派手なお買い物に現実味を見せるために多少は漏洩している。だからその点でも、鳳がこれからも金を使い人を雇う動きを続ける事を知っている人は少なくない。
こうなると、「鳳グループ(財閥)は、庶民の味方」と言うフワッとした風評が流布するのに時間はかからなかった。
勿論、金の切れ目が縁の切れ目であり、財布の紐を絞れば一気に逆風になる程度の好意的風評でしかない。
テキサスの油田の儲けをばら撒くのも、その移ろいやすい好意的風評を長続きさせる為の一手でもある。
うちは世間から見て財閥にして華族という大悪党だから、私の計画を押し通すためにも、しばらくは世間によく見られる方が都合が良いからだ。
「俺、今衆議院選挙に出たら勝てそうだな」
「圧勝間違いなしですな」
「私が口を利いてやろう」
一方、鳳の本邸住まいの大人達は呑気なものだ。
だから私としては一言言ってやりたいところだけど、曾お爺様の蒼一郎(そういちろう)が春になり始めて本邸に足を運べるくらいには元気になったのは嬉しい限りだ。
それでも、お父様な祖父の麒一郎(きいちろう)の前に仁王立ちしてやる。
「それならお父様、軍を辞めて次の選挙に出てよ。その方が、私色々とやりやすいし!」
「ハッハッハッ、甘いな玲子。俺一人が議員になったところで、何の力もないぞ。それなりの規模の政党にして、意見を通せるようにならないとな」
「そうですな。現状、政党に献金をして動いて頂く方が無難ですし、無駄も御座いません」
「私も、貴族院議員、枢密院では苦労させられた」
「もうっ!」と、呑気な大人達を前に文句とため息しか出ない。
けど、今日のところは外に出られないだけで、呑気に構えてもいられる。
それにこれで、増発した赤字国債は私の目論見通り使われる事だろう。大正デモクラシー下にあっても、軍事費に沢山使うのが当たり前な風潮だけど、軍人達は金が勝手に湧いてくるものじゃないのを多少は知れば良いのだ。
けど、相手のメンタリティは小学生レベルだ。それをよく知っているのも、軍人組のお父様な祖父だった。
「まあ、そう怒るな。田中さんも喜んでおられた」
「田中さんって、田中義一首相で良いのよね?」
「おう。これでも、日露戦争の頃から面識はあるからな」
その通りだった。お父様な祖父は日露戦争に従軍して活躍しているから、同じく従軍した軍人との関係は良いと聞いていた。これも、鳳麒一郎が陸軍で生き残れた理由の一つだ。
「それで、珍しく任せろって言ってたのね」
「そういう事だ。それで、軍へのご機嫌取りは?」
「知っているでしょうに。陸軍にはトラックとガソリン、海軍には重油を格安で販売。これで多少は黙るでしょう」
「大盤振る舞いだな。そこまで身銭を切る必要あったのか?」
「軍人はなーんも分かってないのね。この予算通さないと、大変な事になるのよ。通しても大変なのは変わりないけど!」
「アメリカからは恐慌の大波。それに今年は大豊作すぎて、豊作飢饉だったか? 随分前にも話は聞いたが、本当に起きるんだろうな?」
悪い事が重なるので、気持ちの面で懐疑的になるのは分かる。ただ、肝が太いお父様な祖父がそう思うのは、少なからず衝撃を受けそうだ。
「起きなければ起きないに越した事はないわ。私の占いなり予言が外れた、ってだけで済むから。けど、くるのよ。だから当たった時に備えないと。
だいたいお父様って軍人よね。軍隊って、常に最悪に備えた組織なんじゃないの? 何でそんな楽観視ばかりしたがるの? 信じらんない?!」
「怒るな怒るな。まあ、軍隊に限らず組織ってやつは、現場から遠のくと楽観主義が現実に取って代るもんだ。俺は、神輿の連隊長以後は現場に出た事ないから、楽観視するんだよ」
(あー、なんか聞いた事あるセリフだ。続けてやろう。けど、チート頭脳の無駄遣いね)
「そして最高意志決定の場では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそう」
「おっ、分かってるじゃないか。で、負け戦なのか?」
言葉の前は少し嬉しそうに、後の方は目線共々真剣味がかなり加わった声色になる。
私が不況対策に大金をお上に献上したとあっては、気にもなるだろう。ただ直接言葉にするのも芸がないなあと感じた。
「アメリカ経済は、戦線が全面崩壊したでしょ。私、この目で見てきたのよ。自信に溢れた最強な筈の人達が、楽観視しすぎた挙句に奈落に落ちて、神様に祈るしかなかった姿を」
「それは聞いた聞いた。しかし、たまらんなあ。まあ、こっちは玲子がいてくれたお陰で、戦が始まった事に気づけたから良かったよ、ほんと」
「高橋様にもよくお伝えしたから、今の田中内閣もある程度は大丈夫と思う。この予算も上げてくれたし」
「そうだな。追加の赤字国債分だけとは言え、軍事費に殆ど入れないのは前代未聞だ。俺、しばらく病気で軍は休むから」
「それが良いだろうな。それに丁度良い、私の話に付き合え」
「……分かったよ」
曾お爺様のお父様な祖父への言葉の最後と、その返事の両方が少し重かった。私にも察せられた。万が一に備えて、遺言めいた事を伝えられる時に伝える気なのだろう。
時田も私の空いたカップにお茶を注ぐだけで特に何も言わないし、二人も私と時田には何も言わない。
だから私も、静かにお茶を口につけた。
もう少し、後ほんの少しは、曾お爺様の命数は楽観しても良いだろうと思いつつ。
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繭(まゆ)の国際価格は暴落:
3月3日に生糸相場暴落。市場は恐慌状態に陥る。
アメリカが不景気に突入したので、高級な服やストッキングの材料となっていた生糸の需要が激減した為。
当時の日本の輸出品は、絹に代表されるように非常時には切り捨てていいものばかり。
楽観主義が現実に取って代る:
機動警察パトレイバー2 the Movieより
「戦線から遠退くと楽観主義が現実に取って代る。そして最高意志決定の場では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそうだ」
オッサンオタクの一部が大好きな言葉の一つ、らしい。
旧日本軍や日本の組織に対する当て付けとして、ネット上で時折見られる。
今回は、書いている途中で内容が同じ事に気づいてリスペクトしてみた。
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