098 「ツェペリン飛行船来日」
『けふ全市を挙げてツェペリン号と化す』
8月19日の帝都上空に起きた事件に対する、翌日の朝刊見出しの一つがこれだった。
空に戦艦「長門」より大きな葉巻型の物体が浮かんでいたら、そりゃあ誰だって驚く。しかも1929年と言えば、まだ空を飛ぶ飛行機すら滅多にない。
空を圧するような威容として人々の目に映っただろう。
「おー、流石にでかいねぇ」
「お前、あんまり驚いてないな」
「驚いてるよー。あんなもんが空に浮くんだから」
「中は水素で一杯らしい。危なくないのか?」
日本での着陸及び滞在場所に指定されている霞ヶ浦海軍飛行試験場に、私と鳳紅龍先生の姿があった。本格的に乗り込むのは太平洋横断へと出発する5日後だけど、まずはご挨拶というわけだ。
もっとも、私達も半ば野次馬の一人でしかない。
海軍の施設を使うように、半ば日本政府が取り仕切っている。海軍だけでなく、調整した外務省、帝都通過という事で帝都防空を管轄する海軍省、民間機の運航という事で逓信省と4つもの省庁が色々と頑張ったらしい。
さらにNHKのラジオ中継放送という、この当時としてはまだ凄く珍しい事まで行われる。ラジオでは歓迎式典の様子を伝え、乗組員や日本側の代表の挨拶なども中継された。
そしてその霞ヶ浦の飛行場だが、なんと30万人もの人々が詰め掛けたらしい。
そんな事を知らなくても、物凄い人だかりだと言う事は特等席からでも良く分かる。
「うちも飛行船買おうかな」
「どうしてだ? 確かに長距離移動には便利だろうが、どう考えても採算が取れんだろう」
「いや、これだけ人が集まるんなら、色々商売できそうじゃない」
「……子供のくせに、夢のない話は止めろ。それよりお客人達が降りてくるぞ」
「あ、ほんと。けどさあ、私達って色々終わった後に、ちょっと挨拶するだけでしょ。しばらくあっちで休んでいましょうよ」
「そうもいくまい。客として乗り込むし、それ以前に鳳はこの飛行船の運航に出資してるんだろう」
「うん。チケット2枚取るためにね。チケット2枚で5000ドル。出資がその5倍。日本限定でいいから、鳳のロゴを船体に描いて欲しいくらいね」
「ロゴ?」
「ああ、社章ね」
「なるほど、描いていたら良い宣伝になっただろうな。そういう商売もいけそうだな」
「でしょ。色々使い道ありそうよね」
無駄話をしている間に、飛行船の船長以下の船員の一部と、乗客十数名が降りてくる。全員が出発地のアメリカか、途中に寄った生まれ故郷のドイツで乗り込んだ人達だ。
乗客の定員は20名でそのうち3名の空きがあり、うち2つを私達が押さえている。後一人は、半ば宣伝も兼ねて海軍の将校さんが乗るらしい。海軍の人とは呉で連合艦隊を見たときも偉い人とは会えなかったから、何か話せるかもと言う期待がある。
そして式典が進んでいくが、私たちも一応これに参加しないといけない。
と言っても、私は付属物で紅龍先生が主役だ。
「キャプテン、太平洋横断だけで心苦しいが、お世話になります」
「とんでもない。高名な鳳博士をお乗せできる事を光栄に思います」
互いに英語で軽くやりとり。私は付属物なので、派手目の振袖とガッツリセットした日本髪スタイルで笑顔を張り付かせてお人形さんとなる。
この姿は外人へのサービスだ。
そうして笑顔を張り付かせたままお飾りのお人形をしていると、一人の白人男性、見た目初老の人が私をずっと興味深げに見てくる。悪寒も感じないしスマートな初老紳士なので、単に派手な着物姿の東洋人が珍しいんだろうくらいに思っていた。
その後、23日の出発までツェペリン飛行船は霞ヶ浦にあるが、乗組員はともかく乗客の全員は、東京市内のホテルへと滞在場所を移動。なんでも船内は乗客用でもかなり狭いらしいので、豪華客船のように陸地にいる間も船の中で過ごそうって気にはならないらしい。
そして乗客の全員は、帝国ホテルに滞在する。
こういう場合のお約束であり、外国人への対応に慣れ人員も揃えている帝国ホテルは、こう言う時の為に存在していると言っても良い。
山王にある鳳ホテルでも体制を整えつつあるけど、政治が絡むと特に帝国ホテルが利用されるので、現状では「格の違い」と思うしかない。
勿論、いつか並んでやると私も従業員一同も思っているけど、開業2年目の成金ホテルでは如何ともし難い。
逆に気楽に考えていたのだけど、今回の中心となった出資者が日本の出資者に挨拶したいと言ってきたので、相手をしないわけにも行かなかった。
そう言うわけで、日本滞在の中日にその人物がやってきた。
「今回は共に出資して頂き、有難う御座います」
挨拶に続いてそう言ったのは、ウィリアム・ハースト。今回のツェペリン飛行船による世界一周旅行の発案者にしてアメリカの新聞王。彼が支配するのは新聞だけでなく多くの雑誌も含むので、アメリカ出版界のタイクーン(大君)でもある。
とにかく「アメリカの王様」の一人だ。それが直々に乗り込んで来たのだから、東洋の辺鄙な場所の小金持ちとしては、最大限の歓迎を行うしかなかった。
お出迎えも使用人一同な状態で、一族当主のお父様な祖父も軍務を休んで玄関で出迎えた。
そして軽食程度の接待なので応接間での歓談となったのだけど、同席を求められた中に紅龍先生は分かるが、何故か私も含まれていた。
大方、飛行場での着物姿のせいだろう。何しろ、飛行場で私を見ていた初老の白人こそがこの人だった。
なお、私がハーストという名を知ったのは、この世界で色々と勉強したり仕事をした中でだった。名前も顔も、前世の記憶にはインプットされていない。
逆にこちらで収集した情報を見る限り、あまり褒められる人じゃない。新聞でも扇情的な記事で部数を伸ばす所謂「イエロージャーナリズム」によってのし上がってきたからだ。
そして鳳に来た理由も、大体の予想はつく。
私としては、興味本位で飛行船に乗ろうと考えたのを後悔するシチュエーションだ。それでも無難に歓談が終わったけど、最後に1手打たれた。
「それでは明日、私どもが同行者となる紅龍博士と伯爵令嬢を、帝国ホテルの私の部屋に招待させて頂きたいのだが、如何だろうか?」
当然、断れるわけがなかった。
そして翌日。
「やっと邪魔者抜きで話せる、フェニックスの真の主人よ。しかし、こんなに小さなお嬢さんとは本当に意外だ。君は王女か? それとも女帝か?」
私達がハースト氏が滞在する帝国ホテルのスイートに招待され、扉が閉じられた途端にそう切り出された。紅龍先生は半ば無視だ。
つまりは、私こそがハースト氏の「取材対象」だったらしい。
私は紅龍先生に視線を向けると、軽く肩を竦められたので私が相手をするしかなさそうだ。
「いいえ、どちらも違いますわ。面白い事を仰いますのね」
少し驚き、少し面白く感じているように見えるよう、そして出来る限りお嬢様な英語で応対してやる。
こんなバケモノに、最初から正体を見せてやる義理はない。
けど百戦錬磨な新聞王には通じなかった。
まあ、そうだろうけど、これは一つのチャンスだと私の勘(ゴースト)が囁いている。
「面白いのは私だ。これ程面白い事に出会うなんて、大金を投じて飛行船を飛ばした甲斐もあったってもんだ」
「私には飛行船で世界一周はとても面白い事だと思えますが、何がどう面白いのでしょうか? ご教授願えませんか?」
取り敢えずシラを切り続けると、一旦アメリカ人らしい派手目な言葉と仕草をやめて、私を凝視する。
短い時間だが、これはたまらない。大抵のことは知っているんだろうけど、向こうがもう少しカード切ってくれるまで我慢だと自身を鼓舞する。
さあ、新聞王との対決だ。
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ツェペリン飛行船:
LZ 127「グラーフ・ツェッペリン」
愛称は「グラーフ・ツェッペリン」(Graf Zeppelin)(ツェッペリン伯号)。
1928年9月18日初飛行。全長236.6メートル、最大体積が10万5千立方メートルの、当時世界最大の巨大飛行船。
ハースト:
ウィリアム・ランドルフ・ハースト
新聞王。現代風に言えばメディア王。
1920年代を代表するアメリカ人の一人。
大恐慌以後は、あまりパッとしなくなる。それでもハーストが作った会社は、現在でもアメリカの有力メディアの一角を占めている。
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