088 「春の弾丸ツアー?(10)」
ようやく春休みの強行軍も最後のチェックポイント。
愛知県刈谷にやってきた。ここには豊田がある。
なお、豊田自動織機への出資は、表向きは豊田佐吉が発明した自動織機に将来性を認めたからという事になっている。
実際これは革新的とすら言える凄いものらしいけど、機械に詳しくないので今ひとつよく分からない。
私が知っているのは、この会社からあの『トヨタ』が生まれるという事。
もっとも、当初の安易な発想で言い出した後、ちゃんとこの世界で調べて見てから一旦は心変わりした。豊田への援助や支援、融資で止めるつもりだった。何しろこの豊田自動織機、それ以前に豊田商店というのがあって、そこの出資先が三井財閥だった。
それでも鳳がここに手を出す事に決めたのは、虎三郎が個人的に発明家仲間として交友関係があるというのが大きい。
そして虎三郎が機械仲間として顔出ししたいというので、今回の旅でも帰りに寄る事にした。どうせ、北陸から一日で東京に帰るのは難しいから、ものはついでくらいにしか思っていない。
何しろ鳳と関係の悪い三井の縄張りなので、一応許可を得ているとはいえ、他人の財布に手を突っ込みすぎるのは悪手だ。
また豊田への話は、三井と関係のある会社にアプローチをかける事で、関係の悪い三井との別のパイプを用意すると言う意味もある。だからこそ、これから新会社というところに手を出した形になっている。
けれども、汽車の中で虎三郎から豊田の創業者は別に車を作りたいとは思っていないらしいと聞いて少し気が変わった。
誰か別の人が加わったりするのか、抱えている技術者が作り始めるのか、一族の別の人、例えば2代目辺りが始めるのか、その辺りは私の前世の記憶にはインプットされていない。
そうなると、一応プッシュしておきたくなってしまった。
私の前世の歴史と違う鳳という存在がある以上、トヨタ自動車設立のフラグが立っていないかもしれないからだ。
そして気づいた以上、手を出すのは私としては義務に等しい。
そうして豊田自動織機のある愛知県の刈谷にやって来た。
豊田市に当たる場所は全然別で、当然だけど豊田市ではないし、私の前世通りこの当時は豊田という地名もない。
そして未来の愛知に豊田の地名を刻み込むべくやって来たのだが、私の出番はなかった。
「おおっ、佐吉さん久しぶり!」
「待ってましたよ虎三郎さん!」
そう言って始まった話は、私がいないかのごとくしばらく続いた。
そしてたっぷり1000は数えただろう。
「おう、そうだ忘れとった。この春に、俺の姪っ子を方々に社会見学に連れて回ってるんだ。ホラ、挨拶せんか」
「初めまして、鳳伯爵家の鳳玲子と申します。この度は突然お邪魔してご迷惑をおかけします」
「これはこれは丁寧な挨拶をありがとう。豊田佐吉です。虎三郎さんが紹介してくれないから、挨拶したくても出来なくてごめんね」
「いえ、とんでもありません」
「俺が悪者かよ」
そう言って虎三郎が豪快に笑うが、二人の関係がとても良好なのが窺い知れる。
「あ、そうそう、こいつが佐吉さんに話があるんだが、聞いてやってくれるか?」
「話ですか。なんでしょう玲子様」
「様付けは止めてください豊田様。お話という程ではないのですけれど、少し聞いてみたかった事があるんです」
「と言うと?」
「虎三郎大叔父様から、豊田様と仲が良いとお聞きしましたが、機械を扱うと言っても方向性とか用途が違う機械なのに、どうしてそんなに仲が良いのかなと思いまして。虎三郎大叔父様は豊田様にお聞きしろと言ったので、この機会にお聞きしたいなと思ったんです」
「なるほどね。確かに虎三郎さんは、車を中心にした機械を作って、私どもは機織りの機械を作っていますが、鋳造、機械加工技術では共通する点も多いんです」
少し手振りを交えて話す様子は、分かりやすくて良い。
私を相応の子供として扱ってくれているのがよく分かる。
「そうだったのですね。では、豊田様も車を作れるのですか?」
「アハハハ。作れるものなら作りたいところですが、あくまで基礎的な面で共通する技術があるだけです。それ以外にも、色々と準備しないと車を作るのは難しいでしょうね。玲子さんは、車が好きなのですか?」
「はい。速いし便利だし、どこにでも行く事が出来ますから。大きくなったら、自分で運転もしたいと思っています。その時には、是非豊田様の作られた車にも乗ってみたいです。虎三郎大叔父様は見ての通りの性格だから、女が乗れるような繊細な車を作ってくれそうにないですから」
「女性も乗り易い車ですか」
「はい。織り機のような繊細な機械を作られる豊田様なら、必ず出来ると思います」
その言葉に豊田さんが少し考え、そして私ではなく虎三郎の方へと向く。
「虎三郎さん、鳳ではどんな車を?」
「今の中心は、知っての通りフォードのノックダウンと俺達が開発したトラックだな。開発中なのは、産業車、トラック中心になりそうだ。お上に言われていてな。それにうちは、他にも色々手を出しすぎている。全体としては精機、工作機械に力を入れているし、やりたい事も多くてな」
「それだけしてれば、車どころじゃないか。しかし、うちもまずは織り機だ。車は将来の夢くらいに思っておくよ」
「それが良い。だが、やるなら話を回してくれ。こいつが、幾らでも金の湧いてくる壺を持っているからな」
「虎三郎!」
思わず声が出てしまったせいで、豊田さんが少し驚き気味だ。
笑っている虎三郎が狙っているのは間違いないが、こっちは子供だからこう言う時に制止が効かない。
「ハハハっ、馬脚が出てるぞ。だがな佐吉さん、こいつは鳳の長子だ。ただの子供じゃないし、金の話も本当だ。聞いた事くらいあるだろ、鳳には巫女がいるって話」
「噂、くらいならね。本当なのですか?」
「はい。幾らでも金の湧いてくる壺は持っていませんが、将来鳳を率いていけるように、こうして勉強をさせて頂いています」
なるべく真面目に見えるように豊田さんに顔と視線を向けると、向こうも今までとは少し違った視線でこちらを見返す。
そうして数秒したら、豊田さんが小さくため息をついた。
「大したお嬢さんだ。うちの子供、いや孫にも見習わせたいね。けどね玲子さん、まだあまり背伸びはしなくて良いよ。それよりも、自分で言ったように今は学びなさい。それが必ず、将来のあなたの役に立つから」
「はい。肝に銘じます」
「あのなぁ玲子。そう言うませた言葉を使うから、佐吉さんが心配してくれてんだぞ。少しは気づけ」
上からコツンと軽いが大きな拳骨が落ちてきた。
この拳骨が、虎三郎の私への今回の旅の総評という事なのかもしれない。
その後、社長をしている豊田利三郎さん、常務をしているという豊田喜一郎さんにも挨拶したけど、この人達とは表面上以上の言葉を私は交わさなかった。
佐吉さんの時と同様に虎三郎が話し、私は表向きの社会見学をしたがったませたお嬢様で通した。
今回の旅で、随分化けの皮が剥がれ始めているのは実感したけど、こちらから正体を見せて回る事もないだろうし、相手を困惑させる事が多いので控えたというのもある。
また一方で、正体を見せたところで、子供の私には鳳一族内以外での権限がなく責任が取れないので、迂闊な事ができないというのも少し実感できた。
しかも一族内ですら、未だ曾お爺様、お父様な祖父の許しが出ている場合に限って好き勝手出来るだけだ。
だから、この点だけでもそろそろ前に進めるべきだろうという考えに到れたのは、この旅の大きな収穫だった。
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豊田佐吉:
豊田自動織機の創業者。発明家。1930年10月30日に没。
死因が脳溢血後の急性肺炎なので、この世界ではその後の活躍は難しくても、もう少し長生きしているかもしれない。
豊田自動車は息子の喜一郎が作り、娘婿の利三郎が初代社長になっている。
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