087 「春の弾丸ツアー?(9)」

 その後も、しばらく吉田茂との戦車と重機の話に花が咲いた。


(なんで私、吉田茂と戦車談義しているんだろ? おかしな世界線に入り込んだのかな?)


 話しながらも、現実逃避してしまいそうになる。

 もう直ぐ9歳の幼女が、壮年時代の吉田茂と、1920年代の戦車談義とか、色々おかしい。落語の三題噺(さんだいばなし)でも、こんなネタはないだろう。

 そんな私の現実逃避をよそに、吉田茂は吉田茂なりに色々考えているらしい。

 そして先に口を開いたのも吉田茂だった。


「まあ、戦車の事は大体分かった。小松にさせる理由も。で、『鳳の巫女』様は、その先に何を見ている?」


「まだ見えてはいませんけど、アメリカが安易に手を出したくないくらい、日本の国力と生産力を引き上げるのが当面の目標ですね。その為に必要なものの一つが重機です」


「ずいぶん曖昧だな。まるで外交の目標みたいだ。で、それを達成するのに、どれくらいかかる?」


「あと10年で何とかしたいですね。勿論、うちだけじゃ全然無理なんですけど」


「日本の国家予算の数倍のドルを持っていると言われるのにか?」


「お金は手段ですよ。それに金で何でもできたら苦労しません。むしろ、大した事が出来ないのを痛感させられています」


「そりゃあ嬢ちゃんにしか出来ない体験だな。そんな贅沢、一回でいいから言ってみたいぜ」


「じゃあ、代わりましょうか? 私より吉田様の方が上手く出来ると思いますよ」


「……バカヤロウ。先が見える博打打ちより上手く出来る奴なんざ、この世にいないよ。なあ嬢ちゃん、嬢ちゃんは怖くないのか?」


 吉田茂が、口調こそ変えないが大人な表情で私を見つめる。ついにでた決まり文句も、諭すような大人しさだ。

 それはさっきまでと違って、どちらかというと吉田茂のプライベートとしての表情とそして言葉なのだろう。

 しかし私の答えは決まっている。


「恐れを抱かない博徒は、いつか崖から落ちるだけですよ。私は怖いから、もう直ぐ最初の勝負からは降りる予定です」


「アメリカの株を派手に売り払っている話は耳にしている。それでどうする?」


「そのドルで沢山お買い物して、日本に持ち帰る予定です。だからこの秋には渡米予定です」


「その年で渡米か。しかし、相手は海千山千のメリケンの業突く張りどもだぞ」


「そうですね。けど、あまり苦労はしないと思います」


「ん? 何が起きる。いや、聞いたところで詮無きことって奴だろうな。嬢ちゃんにしか意味のない事が起きるんだろ」


「ええ、歴史を見に行くんです」


 私のその言葉で、吉田茂の表情が一瞬惚けて、そして口元が歪む。皮肉な笑みって奴だ。

 外交官である吉田茂がこれほど多彩に表情を見せてくれるのは、私が幼女だからではないだろう。私に話させる為だったんだろうけど、どうやら私は吉田茂の想定した以上だったのが今の顔で分かった。

 そして吉田茂はこう結んだ。


「歴史、ね。つまり、今も歴史の一場面で、次にわしが嬢ちゃんの前に姿を見せる時は、相応に歴史が動くときという事か」


(何言ってんだこのおっさん)


「だから、そんな簡単な話なら苦労しないって」


 素でツッコミで返してやると、流石に苦笑いされた。

 まあガキにタメ口されて平然としているのは、流石外交の人だ。




 その後、小松製作所で何故か吉田茂と話してこれでお別れかと思ったけど、吉田茂と一緒に温泉町に来た。

 この辺りは温泉町が多く、しかも歴史が1200年以上という。その中でも加賀の国を最も代表する温泉町の一つへとやって来た。

 到着直ぐに一風呂浴びて、少し休んでから部屋で夕食。

 しかし私達だけでなく吉田茂とそのお供も一緒なので、別に広い部屋を用意させてそこでの会食となった。


 こういう旅館はまだ江戸時代の雰囲気が強いので、それぞれの膳が用意されて、テーブルはない。そして私が強く求めた「みんな一緒で」という方針に基づき、シズ達両者の随員の多くも席を並べている。

 吉田茂と、相変わらず殆ど喋らない虎三郎だけだと息が詰まると考えての事だったけど、並んだ状態での会食はもはや昭和な会社の慰安旅行の絵面だ。

 膳を並べての食事で風情がある筈なのだが、おっさんが大半では情緒もない。もはや、湯上がり美人なシズだけが私の癒しだ。


「それで嬢ちゃんは、ここで休んだら帰るのかい?」


「プライベートです」


「モダンな言葉を使うな。いや、暇なら大磯のわしの別邸にでも招待しようかと思っただけだ」


(うわっ、歴史上の舞台にもなるお屋敷じゃない。い、行きたいかも)


 衝動的に言葉が出そうになったが、寸前でちゃんと別の言葉が口から出て来た。こういう時は、この体のスペックに感謝感謝だ。


「嬉しいお誘いですけど、明後日には愛知で仕事があって、その後鳳の家の者と熱海で一泊の予定なんです」


「そうかい。じゃあ次の機会だな。まあ、一度遊びに来るといい。と言っても、わしは海外が多いから外務省を退官してからになるかもしれんがな」


「アレ? 今、外務次官をしてるわよね?」


 今度は思った事へのセーブが効かなかった。もうこのまま通すしかないと腹を括って会話を続ける。


「ああ。それがどうした?」


「次官って『上がり』じゃあないんですか?」


「ああ、そういう事か。まあ上がりっちゃあ上がりだな。だがわしはまだ50だ。定年まで勤めないとな」


「あ、そうか、そうですね。けど、政治家に転向はしないんですか?」


「気持ちいいくらい遠慮がないな」


「子供の特権は今のうちに使う事にしているんです」


「なるほど、そりゃ道理だ。……そりゃあな、外務大臣には魅力を感じるな。もちろん、それ以上も。しかし色々と準備もいるし、面倒もある。それに時勢ってやつもな」


「そうですか。じゃあ、転向するなら声をかけて下さい。鳳もお手伝いさせて頂きます」


「オイオイ、いいのかい虎三郎さん?」


 子供がケロッとした顔で大変な事を口にしているので、流石の吉田茂も大人に確認というところなのだろう。


(だが、残念だったな。虎三郎は、機械以外に興味がないぞ)


「俺は知らんよ。二重確認したければ、鳳の本邸の誰かに聞いてくれ。それに今の言葉が軽はずみなら、怒られるのはこいつだ。それと鳳が言った事だから、約束は果たすよ」


 やっぱり虎三郎は私には遠慮がない。

 けど私には、曾お爺様から怒られはしないという読みもある。だから居住まいを正して、吉田茂を正面から見据える。


「吉田様、鳳は鈴木の騒動の辺りで、立憲民政党から立憲政友会に乗り換えた形になっていて危ういんです。吉田様の上司の幣原様からも、曽祖父は怒られたと聞いています」


「それで新しい政治家を探している、か。だが鳳なら、軍人上がりの方が良いんじゃないのかね?」


「知っていると思いますけど、私の父は軍内部では昼行灯扱いです。しかも鳳自体が長州閥からも嫌われているのは周知ですし、政友会に鞍替えしたから三井などからも一層嫌われました」


「だが政治家どもは、寄って来るだろ」


「ええ。政友会はもちろん、見限った民政党からも。けど、濱口様からも嫌われたみたいだし、もう民政党の目はないと思っています。それに」


「それに?」


「私の目指す道に、緊縮財政はあり得ませんから」


「ハッ、そりゃあ日銀と大蔵官僚の大半を敵に回すようなもんだな」


「そのくせ、鳳がアメリカから億単位のドルを持ち帰るのを心待ちにしてるんですけどねー」


 だんだん腹たってきたので、ぞんざいな口調に戻ったけど吉田茂はもう気にしていない。


「そして思い込みと違うと、逆恨みして来る」


「鈴木の一件で骨身に沁みました」


「ハッハッハッ、その年で骨身に沁みるなんて中々経験出来る事じゃないぞ」


「出来れば、生涯経験したくない事ですけどね」


「だが、これからもそんな道を進むんだろう。そこで、おっさんがひとつ良い事を教えてやろう」


「はい、是非に」


「うん。人間、素直が一番だな」


「それが良い事ですか?」


「いいや。気に入らない奴と対面した時、『こいつの葬式でどんな弔辞を読んでやろうか』って頭の片隅で考えるんだ。そうしてみろ、自然と笑みが浮かんでくるぞ」


(うわーっ、流石吉田茂)


「おいおい、子供がそんな目で大人を見るんじゃねえぞ」


「あ、御免なさい。つい。けど、確かに良い事を聞きました。実践できるように努力します」


 思わずジト目で見ていたらしい。まあ、ジジイが幼女にジト目で見られるなんてご褒美だろう。

 もっとも吉田茂は、口ではともかく涼しい顔だ。


「努力する程のもんじゃない。自然と出来るように経験を積むこったな。このわしみたいにな」


 そして最後はドヤ顔で決められた。

 それに、この人に勝てる人が少ないというのだけは良く分かった。

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