064 「鳳ホテル(1)」

「ついに鳳の『城』が完成したって」


「『城』? ああ、例の建物ですね」


 一つの報告を受けて、シズに告げる。

 私もシズも知っている建物。鳳が関わる建物。私が完成を楽しみに待っていた建物。その完成のお知らせだ。


「工事中は危ないから近寄るなって言われてたのよね」


「突貫工事でしたし、大きな機械が沢山ありましたからね。当然かと存じます」


「でも、出来たから見に来ても良いって。シズ、行きましょう!」


「今からですか?」


「そうよ。夜に行くわけにも行かないでしょう。それに完成式典には私も参加するんだから、下見は重要よ」


「畏まりました。準備を致しますので、少しお待ち下さい」


 私の説得勝ちでシズが一度音もなく一礼してから、部屋を出て行く。

 近くだけど、車の手配などがあるからだ。




 突然だが、1928年4月1日、鳳ホテルが開業した。


 場所は東京の超一等地。六本木にある鳳の本邸からも近い。

 そこにどでかい、度肝を抜くといわれた巨大なホテルを作った。私的には、この程度当たり前と思っていたけど、確かにこの時代の帝都には、そんなに大きなビルはない。高さはともかく、東京駅が一番大きく感じるくらいだ。

 この時代、丸の内にある三菱の丸ビルが東洋一だったくらいだ。日本橋の三越や、銀座にある様々な建物、官庁街の建造物も、単体でこれほど大きなものはない。


 しかも完成は、私の予想よりかなり早かった。

 あぶく銭を突っ込み、アメリカから建設機械を買い込んで工事を急がせていたのだけれど、こんなに早くできるとは私も思っていなかった。

 建設開始から2年でこの規模の建造物を完成させた事は、この時代なら記録的だろう。建設中は、輸入した沢山の建設機械が蠢(うごめ)く様が、ちょっとした見世物状態になったらしい。


 なお、この時の工事で知ったけど、この時代の日本には私が前世でそこら中で見かけるような建設機械が殆ど無かった。少なくとも25年の末頃には、見た事なかった。

 何気なく「人を沢山雇うくらいならブルドーザーを使えばいいじゃないと」言ったら、殆どの人が首を傾けた。

 アメリカや欧州の一部では開発や普及が進んでいたけど、日本だと鳳の人間ですら知識として知っている程度だった。


 だから、既に多少のあぶく銭があったから、必要量を教官付きで急ぎ輸入して、工事に投入させた。

 そして全員が目を丸くした。私にとっては当たり前すぎる事だったけど、ギャップの大きさを感じさせられたものだ。

 そしてホテルを作った装備と人員は、既に他の工事に駆り出され、訓練教官として引っ張っていかれてと、大忙しになっている。まだ沢山買うわけじゃないけど、アメリカからの建設機械の追加発注をしたほどだ。


 また最初に教官をお雇い外国人で呼んだように、日本には機械の扱いに習熟したオペレーターが全然いなかった。もっことツルハシが基本なんだから、当たり前といえば当たり前だ。

 だから、多少時間をかけてでも、そうした機械を操る為の技術学校を作る計画も動き始める事になる。今はともかく、何年か先には必ず必要になるからだ。



 話が少し逸れたけど、この時代の帝都東京には、西洋風の大規模なホテルは帝国ホテルくらいしかない。

 旅館や宿屋なら沢山あるし、ホテル自体は他にも数件ある。旅館や宿屋は一部を洋風にしている所もあるけど、あくまで木造の和風建築だ。ホテルの方は、どれも小さいか豪華さという点でかなり劣る。ホテルが多少増えるのは昭和に入ってからで、鳳はその機先を制した形になる。

 そして歴史を踏襲するかのように、選ばれた土地は私の前世では「二・二六事件」で有名な山王ホテルが建っていた場所だ。


 当時の帝都にあるホテルは宮城の南側にあるのが普通なので、鳳のホテルも宮城の南側に陣取った。官庁街と大使館が多数あるし、日本に来る商業、観光目的の外国人や地方の人も東京駅を起点として動くので、南側に置く方が正しい。

 しかし豪華で大きなホテルとなると、半ば国策ホテルの帝国ホテルと張り合わないといけないので、東海道線にも近い南東側には流石に置けない。


 幸い鳳財閥は、明治維新からこっちの政府への擦り寄りで、帝都の中心部にそれなりの土地を各所に持っている。そして自分達で使い道がないから貸している土地も多いし、半ば遊んでいる場所もある。三菱には全然及ばないけど、帝都での土地持ち財閥だ。

 創業者の玄一郎が、どれだけ明治政府の後ろ暗いところを知っていたのか、この辺りからも伺い知る事ができる。


 3年ほど前に私が目を付けたのも、そうした場所の一つだ。そして何より、そこは歴史的な因縁を感じたので選んだ。

 1925年に入ったあたりでホテルを作ろうと決めた時点で、曾お爺様をおねだりという名の説き伏せ、出来る限り豪華なヨーロッパ風のホテルを建設することにした。

 目的は、世間様向けに鳳の表看板を作る事。

 何しろ鳳財閥は、学園と病院こそ運営しているけど、他は石油産業を中心とした質実剛健。新聞社も持っているけど、宣伝や報道より情報収集組織や警備会社として使っている向きが強い。

 財閥一族も、軍人になるような者がいるように、派手な事にはあまり興味がないのが現状だった。


 そして、私しか知らない前世の記憶のある場所に建てられる事になった鳳のホテルなのだけれど、少し調べてみて、むしろ建てないといけないと感じた。

 というのも、私の前世の世界で山王ホテルを建てた会社は、鳳自動車との提携会社だった。しかも鳳で石油を掘っている出光さんとも、ガソリンスタンド設置で関係がある。

 その上、27年の鈴木の合併と鳳の再編成の際に、系列会社にしてしまっていた。この会社はクライスラー車の輸入販売を扱っていたけど、鳳が食ってしまったので数年後にホテルを建てるかはかなり怪しかった。

 それ以前に、山王ホテルを建てる場所一帯は、鳳の所有地になっていた。

 そこは明治の初め頃に鳳本家の館を置く候補地の一つだったそうだけど、日本の中枢にあまりにも近すぎるので一応避けた場所だ。

 

 何しろ周りは官庁街のど真ん中。各国大使館も近い。

 現在お隣と言える場所では、総理大臣官邸が絶賛建設中。1929年に完成予定だ。

 すぐ側には、昭和11年(1936年)に完成するあの国会議事堂、その向こうのお堀まで行けば、お父様な祖父の勤務地の三宅坂の陸軍省、参謀本部もある。

 そして20世紀の後半には東京の主要な地下鉄の交差点のような場所になる場所を上がると、このホテルが来る。

 間違いなくウルトラレアな超一等地だ。


 そんな場所なので、そしてどうせ作るのだからと豪華かつ大きくする事にした。計画を開始した25年春くらいだと、もうお金にゆとりはあったし、何より長く残る建築を残したかったからだ。

 ただ私が能天気に言った高層建築は、日本の技術的に不可能。関東大震災の記憶も新しいので、アメリカみたいな建物は以ての外。それでも金を突っ込むから、可能な限り大きいのを作るように仕向けた。

 その結果、建物は地上8階、地下2階建となった。

 見た目は長方形だけど、3階から上が少し小さな建物の二段構えな感じだ。そして屋上の一部は、百貨店の屋上のように空中庭園となっている。

 この時点では帝都一の高さのビルになるので、帝都も一望のロケーションだ。



_______________


山王ホテル

現在の山王パークタワー。首相官邸が隣にある。

「二・二六事件」で決起部隊の拠点とされた。



帝都の大きなホテル

 ※( )内は開業年。


帝国ホテル(1890・ライト館は1923)

東京ステーションホテル(1915)

丸ノ内ホテル(開業は1924だが改修して大きくなるのは1938)

山王ホテル(1932)

第一ホテル(新橋第一ホテル)(1938)当時としてはめっちゃデカイ。

山の上ホテル(開業は1954年だが、ホテル本館の建物は1937年に完成)


東京のホテルのかなりは、戦後の占領軍がいた頃に急速に増えている。

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