038 「初の海外旅行」

「ここはお国を何百里〜」


「離れて遠き満洲の赤い夕日に照らされて〜」


 私は小学一年生の夏休み、初めての海外旅行に行きました。けど、遊びじゃなくてお仕事です。しかも現地に着いたら、なーんにもない場所でした。しかも子供は私一人。

 思わず歌を口ずさみたくなるし、モノローグの一つも言いたくなる。


「よくそんな歌知ってるな、姫」


「父が、ちょくちょく口ずさんでいたからね」


「今の父となると、麒一郎閣下か。日露戦争世代ならよくある話だな」


「そうよ、八神さん」


「さん付けはいらん。こっちは徴兵上がりの傭兵だ」


 傭兵という職業の人と話すことになるとは思わなかったが、ここは傭兵がいた方が良い場所だ。

 そして歌にあるように、ここは満州。私の前世では東北地方と改名された地域だ。さらに細かく言えば、遼東半島の付け根の西側を流れる遼河という大きな河川の河口部に車を連ねて向かうところだ。


 そして最近少し物騒というので、私の横には傭兵が付いている。

 この時代の車は、21世紀ほど大きくもないし頑丈でもない。

 だから前席に財閥所属の運転手、助手席に時田。そして後席は私とメイドのシズに加えて、八神と名乗った背の高めな傭兵で一杯一杯だ。しかも私がシズの膝の上でこの状態だ。

 車は他にも沢山いて、車よりもトラックが多い。

 荷物の多くは石油を掘るための道具だ。既に多くが現地の拠点に運ばれているが、新たに到着した荷物をトラックに積んでいる。


 けど、ここまで来るのが意外に大変だった。

 21世紀なら飛行機で遼東半島の大連までひとっ飛びだろうけど、この時代はそうはいかない。

 その上、神戸港にアメリカからの荷物を載せた鳳の貨物船が着いたとあっては、さらに面倒になっている。


 まず私達が、東京から汽車を使って丸半日かけて神戸へ。そのまま深夜に船に乗り込んで、2日近くかけて満州の玄関口大連へ。

 初めての汽車は豪華だったが、船の方は豪華どころか単なる貨物船。多少配慮してくれていたけど、2日も過ごす乗り物じゃなかった。何より、海を眺めるくらいしかする事がなかった。


 そして南満州鉄道のごつい機関車が牽引する汽車に乗り換え、遼東半島を北上。半島を越えたあたりで汽車を降りて、既に待っていた車に乗り換え。

 今こうして、現地に向かっている。

 私達と一緒に船で着いた荷物は、私達に遅れてどんどん運ばれて来る手筈になっている。


 なお、このプロジェクトに関わって初めて知ったのだが、プロジェクトの責任者が出光佐三だった。

 そう、ネームド。『海賊と呼ばれた男』その人だ。

 なんでもこれからの時代は石油だという事で、北樺太で早々に油田開発をはじめていた鳳石油の門を叩いたのだそうだ。


 私の前世の歴史上だと鈴木商店に入り損ねて苦労して出光興産を起こすが、鳳という別の選択肢ができた影響が、こんなところにも現れていた。

 けど、事が石油なら出光さんほど頼りになる日本人は少ない。しかも40代なら脂の乗りきった時期だ。

 今のところ話す機会はないが、この旅の間にでも一度話してみたいところだ。絶好の機会だし、そんな事も一応伝えてはある。



 そしてそんなチャンスを得た私だが、なんで満州くんだりまで来ているのかと言えば、油田を掘り当てる為だった。

 私が菱刈金山をドンピシャリで探し当てたことは、鳳一族のごく一部しか知らない。だが一族は、それを利用するべきだと判断したからだ。

 と言うのも、私の前世チート知識で遼河油田の場所を伝えて掘ってもらったのだが、一度ならず二度までも外れ。

 おおまかな場所指定だったが、やはり石油を掘り当てるのは難しいらしい。そして掘る深度が深いので、かなりの損失を既に出していた。

 そこで仕方なく、私というカードを切ることにしたのだ。


 まあ、話を聞いて私が志願したとも言うが。


 なお、遼河油田の試掘自体は、去年から始まっている。

 去年開始なのは、技術者と資材を待っていたからだ。

 なぜなら掘る深度がかなり深いので、最新のアメリカ製のロータリー式掘削機がどうしても必要で、さらに技術者もある程度習熟する時間が必要だったからだ。


 石油の掘削技術自体は、鳳財閥は鳳石油が北樺太の奥端(オハ)で石油を掘っているので十分に持っているが、流石に最新鋭のアメリカ製機材となると難しかった。

 そして装置を手に入れるために、アメリカ株を元手にした資金だけでなく、「株で儲けたら、そちらから沢山お買い物がしたい」と言う約束を交わし、石油王ロックフェラー財閥の助力を仰がねばならなかった。

 さらに、北樺太の鳳鉱区の一角の秘密の油井で実験と技術習得を重ねていた。そしてその辺りの指導も、出光さんがしていたそうだ。

 私の軽はずみな思いつきに、多くの人を巻き込んだと言う一例だ。


 それはともかく、私は菱刈でドンピシャリと金山を探し当て、少なくとも前世知識で知っている鉱山なら掘り当てられるのではないかと言う目論見があった。

 それにダメで元々な気持ちもある。

 周りも、神頼みとか験担ぎ程度にしか思っていない者も多い。信じているのは、私が菱刈で次々に金山や温泉を探し当てたのを見ていたシズくらいだろう。

 一方で、私の遼河油田訪問は、現地作業員の慰問だと鳳の会社内では伝えられている。しかし、満鉄沿線から外れる事もあってか、治安状態があまりよろしくない。馬賊や野盗の襲撃の可能性があるから、現地開発拠点と移動中には護衛が付く。

 そして私はVIPなので、特に隊長の一人の八神という人が付いていた。


 この八神さん、身長180センチを超える鳳一族の大人達と同じぐらいの身長に、鍛え上げられた大柄な体の持ち主だ。

 浅黒く焼けた肌、三白眼、薄い眉毛、なのに髪が短くてお顔が良く見えるなど、かなりの強面(こわもて)だ。その上顔の彫りも深めなので、本当に日本人かと疑ってしまう体格と容姿だ。

 しかし話してみると、意外に知的だしユーモアのセンスがあった。

 一応軍に属していたらしいが、どうにも素性がよく分からない。時折見せる言葉や態度から、恐らくは士官学校卒業の将校だ。しかし当人は、徴兵された元上等兵と言っている。

 それに私を最初から子供扱いしない。

 姫と従者的なやりとりも、ちょっとしたユーモアだ。


 そして階級や経歴がどうあれ、私の祖父にして父である麒一郎が手配してくれた人なので、信頼を置いて間違いはない。

 執事の時田とも顔見知りらしく、気軽に挨拶をしていた。

 もっとも、私のことを時折「姫」と呼ぶ。まあ令嬢だから別に構わないし、庄屋の娘でも御姫様(おひいさま)とか呼ばれるから、そういう類だろうと思っておく事にした。

 けど、敢えてであろうが芝居がかっているので、こっちもノリで付き合ってしまう。



「さ、姫、現地に到着致しましたぞ」


「苦労かけます、八神」


「なんの、これもお勤めなれば」


 先に降りて恭しい礼を取った八神のおっちゃんに、右手を差し出すと、やはり貴人に対する礼を見せてて恭しく取ってくれる。

 最低でもヨーロッパの芝居を見てないとできない動きだ。映画で見たという可能性の方が高いだろうけど、仕草が堂に入っている。

 そして八神のおっちゃんを、シズが胡散臭げに見て、時田がヤレヤレとばかりの表情を僅かに覗かせる。時田の態度から見て、護衛対象をオモチャにするのはいつもの事のようだ。

 しかしこういう時は、乗るべきだろう。そうすれば、不快に思うよりも自分も楽しめる可能性がある。

 しかし、だ。


「ホント、何もないところね」


 手を眉のあたりに水平にかざして、周囲を見渡す。

 畑すらロクにないので、赤茶けた荒野のようだ。そして視界の向こうに大きな川が横たわっている。

 あれが遼河だろう。


「だが、油があるんだろ。どれくらい出る?」


「めっちゃ投資してモリモリ掘れば、最大で年産1200万トンってとこね」


「はぁ? 樺太の十倍くらいじゃないか?」


 八神のおっちゃんと二人で並んで淡々と歩き始めたのだが、流石に驚いたらしく私を見下げて、その厳つい顔にかなりの驚きを刻んでいる。

 しかし私は、なんでもないという態度で前を向いたまま言葉を続ける。


「よく知ってるわね。けど、油の質が悪いのよ。重質油だしワックスも多いし。触媒で蒸留しないと、船の燃料とか発電所で燃やすくらいしか使い道がないのよね」


「だが、それだけ出れば、海軍は万々歳だろ」


「ええ。だから海軍も、その話が本当ならばって協力してくれているの。うちは海軍とは疎遠なのに、この話の信憑性が高まったら手の平を返してきたそうよ」


「さもありなん、だな。それで姫は、その油の出所が分かるとお聞きしましたが」


(どこで聞いた? けど、話を聞けるだけ信頼が置けるって事よね)


 一瞬驚いたが、気を取り直す。そして心を落ち着け、さらに研ぎ澄ます。菱刈でもした事だ。それに油田が近づいてくると、何となく気配のようなものは近づくにつれて強く感じるようになっている。

 そして私は、何かに惹かれるように腕ごと指差す。


「……そうねえ、あの辺りからあの辺りまで。それにあの辺りからあの辺り。それとあっちの方。二つは川の対岸。それにここからだと、どれも少し距離があるわね」


 私の淀みのない答えに、八神のおっちゃんは片眉を上げて驚きを表現する。どうやら従者の演技をする余裕はなかったらしい。こっちとしては、してやったりだ。

 そこに平静なままの時田とシズが声をかけてきた。


「それでは玲子お嬢様、早速参りましょうか」


「ここはそれほど治安の良い場所ではありません。早く済ませ、せめて大連まで戻りましょう」


「そうね。私も、今夜は大連の大和ホテルに泊まりたいわ。じゃあ最初は・・・あっちに向かって」


「畏まりました。参りますよ八神」


「仰せのままに」


 余裕を取り戻した八神のおっちゃんが、恭しく、しかし演技がかった一礼をした。


___________________


ここはお国を離れて三百里〜

軍歌「戦友」の歌詞の一節。

1905年(明治38年)に日本で作られた軍歌。

真下飛泉作詞、三善和気作曲。



出光 佐三 (いでみつ さぞう)

1885年生まれ。明治から戦後にかけての日本の実業家・石油エンジニア・海事実業家。

石油元売会社出光興産の創業者。

『海賊と呼ばれた男』と言った方が分かりやすいかもしれない。

史実では、学校卒業後に鈴木商店に入り損ねている。



遼河油田 (りょうがゆでん)

中華人民共和国の3大油田の一つ。中国の石油天然ガス会社である中国石油天然気集団公司に属している。

1973年発見。

原油の生産高は年産1200万tと多めだが、油層が600〜2300mと深い。

油質は重質油。ワックス分が多いなど質は良くない。自噴では無い為、産油方法は水の圧力を利用する方法が一般的。近年は水蒸気に変わっている。

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