020 「菌繋がり」
あれから2週間後の朝、紅龍さんがやって来た。
顔の下一面を無精髭にして。
(この人、徹夜がデフォなの?)
目の下に隈を作り脂ぎった顔ながら、目だけは異様にギラついている。
だから私は、顔を合わせるなり命じてやった。
「まずは、お風呂入って。あとひげも。それから、出来れば1、2時間仮眠をしてからお話ししましょう」
「お、おぉ」
私が手にした手鏡で自分の顔を見たら、流石に反論は無かった。
そうして私は、いつも通り幼女としての一日のスケジュールをこなしていたら、おやつの頃に紅龍さんが復活してきた。
かなりの時間の仮眠となったが、この次話す事を思うと寝かせて正解な筈だ。
そして談話室で準備して待っていると、借り物のさっぱりした服に着替えて入って来た。
基本的に長身イケメンなので、身だしなみを整えると見栄えが違う。
「それで、私たちの家庭教師を辞退した結果はどう?」
「フフフフッ、これで学会に復讐してやれるぞ!」
いきなり吠えた。そして格好を付けてそんな言葉を吐いたところで、ドーナツ片手じゃあ全然迫力ない。
「いや、それはいいから。治験は良好ってところ?」
「良好どころか、治験に参加した医者から患者まで狐につままれたような顔をしておったわ。ザマアミロ!」
(あーっ、鳳の病院でも浮いてるんだろうなあ)
「まあ、落ち着いて。おめでとう。じゃあ次これね」
思った事とは別の言葉を口にしつつ一枚の紙を渡す。
そしてそれを意気揚々と受け取る紅龍さんだが、すぐにまた八の字眉毛になった。
そして紙面に顔を向けたまま口を開く。
「なんだこれは?」
「少し未来の知識よ」
「確かに聞いた事はないし、菌が関わっているのなら私の領分と言えなくもない。それは認めよう。だが、椎茸と医療のつながりはなんだ? 漢方薬の材料とか言うなよ」
「それは紅龍叔父様へ、私からできる資金援助みたいなものよ。それに私、椎茸大好き」
「その年で椎茸好きとは贅沢なやつだな。で、この通りすれば良いのか。この通りなら、もうすぐ栽培の準備が必要だな。まあ、もらっておこう。感謝する」
「ええ。なんなら、家の者に言って栽培農家を紹介しましょうか?」
「それくらいは何とでもする。で、冗談はこれくらいにして、本題に入ってくれ。経口補水液の方は、あとは各所に提出した論文の反応待ちだ」
(行動早すぎでしょ。そりゃ無精髭だらけになるわよね)
そう思いつつ、何枚かの紙面を机の上に置く。それを追う紅龍さんの視線と表情が真剣すぎて怖いくらいだ。前回少し触れているせいだろう。
そしてすぐに紙面を手に取ろうとするのを、私の小さな可愛い手で制する。
「待って。一応説明させて」
「お、おぉ?」
「経口補水液は、特に発見者とか発明者はいないの。少なくとも、私の見た未来を示す夢の中ではね。けど、その椎茸の人工栽培方法も、これから説明することも」
「未来を見たというのなら、発見者がいる事くらい百も承知だ。椎茸は知らんが、脚気の研究、オリザニンの発見は鈴木梅太郎氏がなされている事だ。もしかして、鈴木氏の発見の横取りを考えたとでも思ったか?」
ちょっと強い目線で見据えられる。
自尊心の強い人だからこそ、卑怯な事はしたくないのだろうか。
それに脚気は、結核ほどではないが、当時の日本人を苦しめた病だ。だから歴女な私も、記憶に残るほど資料などを見たものだ。
しかし今を生きる人の眼差しには、簡単に言葉が出てこない。
「そりゃまあ、そうでしょう」
「確かにそう思うか。だが、存命の見知った人のものを奪う気は無い。減ったとは言え、脚気で死ぬ者も少なくないから、この件に関しては知りたいだけだ。何なら、この足で鈴木氏のもとへなり理研なりに話を持っていっても構わんぞ。お前、私を試そうとして、前回も話を振って来たのか? それならば、少し私をみくびってないか?」
(うっ、怖い。つり目というか三白眼だけに余計に怖い)
思わずたじろぐが、たじろいでもいられない。
「そ、そこまで思ってないわよ。悪魔がどうとか言ってた紅龍叔父様が悪いんでしょ」
「それは、そうかもしれん。ともかくだ、それに何が書いてある? 米糠からの単離方法だけか?」
「さっすが紅龍叔父様。次のステップアップもあるわよ」
「何だ? 単離以外となると、吸収効率の向上あたりが一番欲しいところだな」
「アララ、流石すぎね。それで正解」
腕を組んで考え込むと、すぐに答えに到達してしまう。
いやこの場合は、口にした通り望んだだけだ。そして単なる望みだから、私の言葉は強いインパクトとなる。
「えっ? いやいやいや、そんな簡単に答えるな。治療や研究をしている誰もが物凄く苦労しているのだぞ!」
「怒鳴らないで。私は夢の中の未来で答えを見ているだけなんだから」
(正確には漫画やゲーム知識が発端な場合が多いけどね)
「……そうか。それで何をする?」
「はい、これ」
パサリと紙面を渡す。
そして顔を前に向けたまま、目の前に持って来て覗き込む。
何だか漫画みたいなリアクションの多い人だ。
「う、うむ。……ムムムッ? 乾燥酵母? にんにく? また、料理かお婆ちゃんの知恵袋みたいだな。本当だろうな? 二度続くと流石に疑うぞ」
縦にした紙面の横から顔を覗かせるが、紙を下ろせばいいだけなのに気づいてないのだろうか。
「本当よ。あと、にんにくの汁自体じゃなくて、含まれているアリシンってやつが本体だから。あの臭い匂いの元ね。そしたら書いている通り、合わせたら特効薬になるから」
「簡単に言ってくれるな。だが、心得た。なるほどな。米糠の乾燥酵母による単離・結晶化と、にんにくによる吸収効果向上か。これで済むのなら、案外楽そうだな」
「そうなの? 結晶の純粋化とか精度をあげるのは大変なんじゃないの?」
「分かっているではないか。だが、天才である私の手にかかれば造作もない事。フハハハハハハっ!」
エンドルフィンが脳に回りっぱなしな、まだ寝足りてなさそうな笑い方だ。
どこか壊れてなきゃ良いけどと、心配しそうになる。
「徹夜の連続で言う台詞じゃないでしょ。ちゃんと寝てね。まだまだ序の口なんだから」
「ハハハっ、は、えっ?!」
私の言葉に、何度目かの驚きを全身で表現する。
まあ、驚け驚け。私だって紅龍さんの能力の高さに十分以上に驚かされている。
だから今以上お互い驚かない方が良いだろうと判断する。
「次は今回の件を成功させたら教えてあげる」
「もったいぶるな、ヒントだけでも」
「フフッ、紅龍叔父様の方が子供みたい。じゃあ、ちょっとだけ教えてあげようかな?」
「だから、もったいぶるな。それと出来ればガッカリもさせてくれるなよ。本気で期待している私が居るのだからな」
「分かったわよ。次は、成功すれば世界がひっくり返るわよ。それと名を上げたいなら急いだ方が良いから、そっちは早く片付けてね」
「オオッ! 世界か。話がデカくて良いな。よかろう、まずは脚気を駆逐してやるとしよう。では、サラバだっ、また会おう!」
そう言って、前回と似たようなノリで去って行った。
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椎茸の人工栽培
昭和17年(1942年)に農学博士の森喜作氏が、それまで不可能とされていた椎茸の人工栽培に成功するまで高嶺の花だった。
戦国時代には、資金稼ぎの為の戦略物資にすらなり得た。
鈴木 梅太郎(すずき うめたろう)
戦前の日本の農芸化学者。米糠を脚気の予防に使えることを発見したことで有名。
ビタミンBIの発見と単離
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