018 「悪魔との契約?」

 平穏な日々は流れ、秋口に差し掛かりつつあった。

 加藤内閣成立からこっち、私の心にヒットした出来事は、夏に阪神甲子園球場が出来たという事くらいだ。これで、そのうち高校野球が楽しめるようになる。

 他は、海外情勢も含めて平穏だ。

 しかし、今年がオリンピック開催の年だというのも特に関係もなく、イタリアではドゥーチェが独裁宣言なんてものをしていたりする。


 そんな9月のある日の事だった。

 私と玄太郎、龍一の4歳児トリオは、今日も今日とて家庭教師の教えに従って、年齢不相応な勉学に励んだ。

 このところ今までと違っているのは、教師の変更だ。

 一族の分家筋、通称「紅家」の鳳 紅龍(こうりゅう)叔父さんが、算数や理科を教えてくれていた。

 紅龍さんは鳳の大学で研究医をしているが、性格や素行が災いしてハブられ気味で研究費に困っていて、夏前からこうして週二回の家庭教師のアルバイトに勤しんでいる。

 そんな人だが、背が高く肩幅胸板も万全なので、今日みたいにサッパリしているとかなり見栄えが良い。


(あれ? 今日は無精髭じゃないし髪も整えている。何か用事でもあるのかな?)


 横目で紅龍さんを伺っていると、ギロリと睨まれた。いや単に見られただけなのだが、目つきが鋭いので普通に横目でも睨んでいるようにしか見えない。全体としてはイケメンなのに実に惜しい。

 それにかなりのスパルタで性格はアレだが、頭は滅茶苦茶良いのが分かる教え方だ。だから鳳の家の者の教育者に合っていた。

 玄太郎くんはインテリ系でプライドも高いし、龍一くんは脳筋なので精神的に叩かれても気づかないレベルなので、ゴリゴリと教え込まれている。

 私の方は、まだまだ前世の記憶で余裕があるし、なんと言っても悪役令嬢のチート頭脳もあるので全く問題ない。


 そして龍一くんが「あー、つかれたー」と言いつつ部屋を去ると、先に玄太郎くんも席を立っていたので、私と紅龍さんだけが残った。メイドも部屋の後片付けにはまだ来ていない。

 もっとも、4歳の幼女とアラサーに差し掛かりつつあるオッサンでは、何かが起きるはずもない。

 私も余裕を持って片付けをしてから席を立つ。

 その時だった。


「玲子ちゃん、少し話があるんだが」


 笑みを浮かべなるべく愛想良く話しかけているんだろうが、全然似合ってないし、ハッキリ言って不気味なくらい怖い。


(この人、絶対に悪役が似合うルックスだ)


 真っ正面から顔を見てそう直感的に感じるほどだが、恐怖心から思わずコクコクと頷いてしまう。

 すると「それは良かった。おい女中、私と玲子様は話がある。茶と、玲子様にはお菓子を!」と、私の退路を断つ。

 作戦家なように見えるが、この人なりに気を使っているらしかった。意外に損な外見なのかもしれない。




「おはなしってなんですか? コーリューおじさん? パクパク」


 談話室の一つに移動すると、用意されたスイーツを食べつつ幼女言葉で問いかける。

 人払いしたので部屋には私と紅龍さん以外いないが、まだこの人には私の本性を見せる気はない。

 というか、正月に話し合った4人以外には見せていない。麻里は多少変だと気づいているとは思うが、何も言ってこないのでこちらも具体的な事はしていない。

 一方、私をちょっと頭の良い幼女程度にしか思っていない筈の紅龍さんだが、「え、あ、うん」と煮え切らない。


(なんだ、私に告白とかだったらマジでドン引きするぞ)


 なんて冗談を思っていると、覚悟を決めたらしくお菓子に出された栗羊羹を美味しくご賞味中な私に正対する。


「少し聞きたい事がある。正直に話して欲しい」


「なんですか? ハムハム」


「1年ほど前、青カビの学名を言っていたが、あれはなんなのかな?」


(うわっ、覚えていたよ、このオッサン。ていうか、聞いてたんだ、やっぱり)


 しかし、幼女への問いかけがぎこちない。表情もなんとか優しげな表情を浮かべようとして失敗しているのが、もう笑えて来そうなのに、全然笑えない問いかけだ。

 しかも質問は続く。


「それと、去年の末の虎ノ門での未遂事件では、龍也に何か言ったと聞いたんだが、なんと言ったか覚えているかな?」


(どこで聞いたんだよ、それ。いや、メイドとかの使用人は何人か目撃しているのは確かだ。これだからブルジョアは、密室で話をしないとダメなんだ)


 少し現実逃避をしてしまうが、このオッサン、もとい紅龍叔父さんは、二つのキーワードから恐らく一つの回答に辿り着いていると私も気がつけた。


(つまり、紅龍叔父さんは『それ』を知る立場にいるのかな?)


 私がどう答えようかと色々考えを巡らせていると、さらに口を開いた。


「答えられないのなら、もう一つ。これで質問は最後だ。玲子、君は『夢』を見ないか? 私は『予知夢』と仮定しているのだが」


(来ました、決定打。やっぱり知っているんだ)


 そこで観念した。

 念のため周囲を見渡すと、紅龍さんが目で合図してもう一言添えた。


「大丈夫だ。この部屋は、一族の者が話し合いをする為の部屋の一つだ。使用人も大事な話だと遠ざけてある。それにこの話が済めば、蒼一郎様にはご報告申し上げる。私も幽閉されたり、鬼籍に入りたくはないからな」


(何怖い事言ってるの、この人。てか「夢見の巫女」って、一族内でもそこまでヤバいネタなんだ)


 あまり気にしていなかったが、これはある意味で良い事を聞いた。ならば一応誠意を見せないとダメだろう。

 それにこの人は、天才と頭に付くくらいの医者だ。もしかしたら、一族の不幸を未然に防いでくれるかもしれないという淡い期待もあった。


「紅龍叔父様は、どこまでご存知なのですか?」


 完全な大人口調で問い返す。表情も出来るだけ真面目というか、知的な感じに見えるよう心がける。

 そうすると少し驚いてから、真剣な眼差しを向けて来た。これで主導権は私が握ったと見て良いだろう。紅龍さんの瞳に心の乱れを感じる。


「私の家、紅家に伝わる曽祖母の麟(りん)様の噂話程度だ。私はこれでも一応、紅家の次期当主候補だからな。それで?」


「はい。私は「夢見の巫女」だそうです。曾お爺様がお認めになられました」


 私の言葉に紅龍さんが「やはりそうか」と頷く。そしてさらに次を促してくる。この人の境遇を考えれば、私に聞きたい事はある程度察しがつく。そしてそれは、私と一族の破滅を避ける手段の一つになるかもしれないのだから、私としては渡りに船なのかもしれない。

 思わせぶりもここまでで良いだろう。


「紅龍叔父様、恐らく叔父様が聞きたいであろう事をお話ししても構いません。ですが」


 言いかけたところで遮られた。そして不敵とも言える笑みが、私の対面にあった。


「話を聞いて地獄に落ちるというのなら、一向に構わん。私が求めるのは、私を蔑んだ者達を見返すだけの栄光を掴み、そして復讐する事だ。その為に「夢見の巫女」だろうが悪魔だろうが、なんでも取引しよう。欲しいのは私の魂か? しかしそれなら、我が願いを果たすまでは猶予が欲しい」


 私が内心で少し唖然とする間に、厨二病ぽい事をペラペラと喋る。

 しかし真剣そのものだ。額には汗すら浮かべている。この屋敷はこの時代でもアメリカ製の冷房完備なので、暑いからではない。

 そんな姿を見ると、なんだかこちらの力が抜けてくる。


「地獄に落ちるとするなら、多分私の方でしょう。紅龍叔父様には、私の言葉だけで薬を作って頂きたいと思います」


「言葉だけ? それは未来の言葉か?」


「そうです。私は色々な未来の情景を見ていますが、専門家ではありません。だから、未来予測と言った程度のものでしかありません」


「なるほどな。だが一向に構わん。新たな技術や知識の一番の壁、障害、英語で言うところのブレイクスルー、ボトルネックは、ヒント一つで案外簡単に突破できるものだ。発想の転換こそが大切なのだ。さあ、何を見せてくれる? 地獄の一丁目はどんなものだ?!」


(この男ノリノリである)


 紅龍さんのおかげで、私も少し気が楽になるどころか、少し楽しくなって来た。それならば、私もノリに合わせるのが悪役同士の嘉(よしみ)というやつだろう。


「良いわ、全部教えてあげる。けど、私の言う通りにしてもらうし、少し試させてもらうわよ。覚悟してね」


「オオッ! 望むところだ!」


 やっぱりノリの良い人だ。

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