017 「私の十五年戦争の始まり」

 私がこの世界で意識が目覚めてから丸一年が経った。

 正月以後平穏な日常が続いているので、セレブ、じゃなくてブルジョアな幼女ライフを満喫している。と言っても、スマホはもちろんテレビやインターネットどころか、まだラジオすらないので本を読むくらいしか家での娯楽がない。


 子供らしい遊びも、主に体というか本能がそれなりに求めるが、知識の吸収を最優先している。おかげで、前世では読まなかった文学作品にまで手をつけている。

 そして、モリモリ本を読む私を、周囲は驚きの目で見るというまでがセットとなっていた。

 おかげで、少なくとも屋敷の者の殆どは、私を年齢通りの幼女とは考えなくなっている。半ば意図したことではあるので、あまり気にはならない。4歳の幼女扱いされるより、それなりに大人な対応をされる方がかえって気が楽だ。


 しかし本や資料を読むばかりで、何かをするという事はない。

 一方で、私の先代に当たるご先祖様の導きで鳳一族が手に入れた膨大な金塊を元手とした莫大な株式投資は、順調に拡大中という報告は途中で曽祖父ではなく蒼一郎様から受けた。そして夏頃には欧米からの長期出張から帰ってきた時田からも報告を受けた。

 時田が株式の調整で次に渡米するのは、1926年の春前の予定だ。

 そして26年頭辺りには、24年に80ドル台半ばから後半で買い込んだダウ・インデックス株は、最高で160ドルと二倍近くに達する。

 すでにレバレッジを含め3億ドルが投資されているので、税金や手数料など諸々抜いても5億ドルにはなる。

 そしてそこで一度、ある程度売り抜けてまとまった現金化する予定だ。そしてこれを元手に日本で借金という手もあるし、円よりドルの方が破壊力が高いのでドルのまま持つようにする。


 目的は何か。勿論、次の一手に備えるためだ。

 また、26年の春から半ばに株価はかなりの一時的な下落を示す筈なので、さらに大量の買い増しを進める予定でもある。先を知っているという優位を徹底的に利用できる利点を、最大限活かすためだ。

 当然だが、株価が小幅に値動きする時に、嗜(たしな)み程度の空売りも行わせる。すでに現地の組織も稼働していて、順調に進展中だ。


 そしてこれらはクズの所業に近いが、未来の知識や情報など占いとか言ってようやく信じる者が現れるレベルなのだから、気にする必要もないだろう。むしろ、未来の知識を知る私がこの場にいる最大の理由と考えるべきだと、私は開き直っている。

 私をこの世界、この時代に呼んだ存在なりが未だ現れもしないのだから、我が世の春を謳歌するべきだろう。


 そんな事を思っている自分がいました。




(床について以後の記憶がないから、ここって夢の中よね)


 そう思いながら周囲を見渡すが、ここがどこか見当すらつかない。

 周囲の景色は、床も天井も含めてぼんやりした灰色。部屋なのか外なのかすら分からない。

 そして何もない。私がいるだけ。私自身ですら、4歳児の幼女なのか前世の私なのか、それとも成人後の私なのかも朧げだ。


 すると目の前に、何かが出現した。意識できないが球体か何かだ。得体が知れないものだが、何故か親近感を感じる。

 そしてそれは徐々に人型になり、おそらく成人女性の姿を取る。かなりの長身ながら均整の取れた肢体。細く長い手足。腰まで届くロングのストレート。

 その全てが淡い灰色で、テクスチャーの貼られていない3Dモデルみたいだ。

 だがその姿が誰なのかは、すぐに分かった。未来の私だ。

 そしてその未来の私が語りかけてきた。灰色ののっぺりとした頭の口だけが開かれる。


「初めまして。私が誰だか分かりますかしら?」


「……多分」


「随分曖昧ね。その体を差し上げた主(あるじ)ですのに」


 優雅で高慢な口調。その声。確かに乙女ゲーム『黄昏の一族』に登場する悪役令嬢鳳凰院玲華その人だ。

 この世界の人たちはどこかゲームとは少し違った印象があることが殆どだが、目の前の存在は3Dモデルのくせに完全にゲームとイメージが合致する。

 だが私は、突然現れたこの胡散臭いヤツから聞けるのなら色々聞かないといけないとすぐに悟った。

 何しろ、私がこの体に転生して来た者だと知っているのだ。


「事の経緯を説明するために現れてくれたのなら嬉しいんだけど?」


「ええ、その為に参りましたわ。なけなしの『力』を使ってね。あ、そうそう、あまり長時間はお話出来ませんから、なるべく手短に話させていただきますわよ。そちらも質問がおありなら、なるべく簡潔にして下さいまし」


「分かったわ。それで、これはどういう事?」


「短いのは良いとして、曖昧なご質問ね。お里が知れますわよ。ま、それは宜しいでしょう。時間もないですから。えーっと、どこからお話ししましょうかしら? あ、そうそう、まずは『悪夢』はご覧になられた? 私が残せた数少ないお土産だったのですけれど?」


「ええ、もう毎晩4つ、どれかの悪夢を見ているわ」


「4つ? おかしいわね。3つの筈なのですけれど」


「アレっ? そうなの? じゃあ私の勘違いね。けど、いい加減飽きてきたところよ」


 私もなぜ4つと言ったのか、自分でも分からなかった。

 確かに3つだ。彼女も私の訂正に納得している。


「それは退屈させて御免なさいな。3つが限界でしたの。それで、それぞれの夢が矛盾する理由なんですけれど、私、その体で何度か人生をやり直してきましたの。けど、いい加減力尽きたらしくて、どなたかに代役を頼まないといけなくなりましたの。忌々しい事ですわ」


「何度か? 代役?」


「ええそう。何度か。けど、それももうおしまい。ですから、私の呼びかけに応えたあなたが代役。お分り頂けたかしら?」


 何もない筈なのに、豪華なソファーに腰掛ける姿勢で話しかけてくる。その仕草は、完璧なまでの悪役令嬢すぎて、額縁に入れたいくらいだ。

 しかし私が今したいのは、そっちじゃない。情報を聞きたい。


「もう少し細かく。出来れば分りやすく」


「えっと、最初がシベリアのどこかの獄中で凍死。二度目は、あの忌々しい女を排除したのですけれど、空襲で逃げ損ねてそれでお終い。あと一つは、そうそう、ソ連軍の政治将校が見せてくれた帝国が破滅する瞬間の記録映像ね。アメリカから入手するのが大変だったって自慢なさっていたわ。これで宜しいかしら?」


(一応悪夢の詳細が多少は分かったが、聞きたいのはそうじゃない)


「あの、聞きたいのは、あなたはどうやって何度も人生をやり直したの? どうやって私を代役として自分の体に転生か憑依をさせたの?」


「最初の身の破滅があんまりでしたわ。その怨嗟の感情が、何かしらの力に昇華したらしいの。御免なさいね、詳しい事は私も分からないの。その点にあまり興味もございませんし、私に説明して下さる方もいらっしゃいませんでしたから。

 私が分かるのは、記憶を持ったまま人生をやり直せるという事だけ。そして今回それも無理になったのですけれど、残った力を使えばどなたか代役を立てられるという事ですわね。

 本当に、私の声に応えて下さってありがとう。あなたにはとても感謝していますのよ」


 3Dモデルだが、華やかな笑みを浮かべたことがよく分かった。

 その表情を見る限り、本当に私には感謝しているらしい。


「それはどうも。私も事故で死んじゃったところだから、感謝申し上げさせてもらうわ」


「それは何より。えーっと、あなたの語彙(ごい)で言うところのWinWinね」


「っ!! 私の頭を覗けるの!」


 びっくりしてそのまま聞き返すが、相手のペースは変わらない。

 どこかアンニュイな感じが常にする。


「知識や思考の表層に浮かぶ一部だけでしたら。何しろあなた、私の体の中にいらっしゃるのよ。まあ、私はこういう時しか、お話も出来ませんけれどもね」


「な、なるほど。それは当然ね。それで、呼ばれた私はあなたの代わりに人生を謳歌すれば良いわけ?」


 「そうですわね」右手の人差し指を口元に当てて、なんだか悩ましげに考えごとをする。そしてその次の瞬間、グッと前に身を乗り出して私の目の前にのっぺらぼうな顔が位置する。

 ちょっと怖い。


「お好きになさってくださいな。私、あなたが結構気に入りましたわ。それに私、もう現世にあまり興味は御座いませんの。あの忌々しい女に二度も復讐できましたし」


 (絶対嘘だろ)としか思えない声と仕草。


「真意は?」


「あら、疑り深いのね」


 そう言って、再びソファーに深く腰掛ける女王様然とした姿勢に戻る。将来、私もああしないといけないのだろうか。


「そうね。じゃあ、あなたが最後まで踊り続けられるか、私とのゲームをしましょう。期限は今から15年間。破滅を回避して上手く踊りきったら、あなたの勝ち。あとは好きにお生きになって。負けたら、破滅が待っているだけなんですけれど、それじゃあお可哀想ですから、そこであなたにはその体から消えていただきますわ。私はまた別の人を呼んで、同じ時代をやり直しますので」


(それ、私にとっては結局破滅よね。それになんで15年なの?)


 そう思ったところで、私の内心を読み取ったらしく艶やかに笑う。


「私の体験から、今日からちょうど15年後に二度目の世界大戦が始まりますの。しかも帝国は、既に支那での戦争が泥沼化。数日前には、ドイツとソ連の間に「独ソ不可侵条約」が成立して宿敵ソ連の敵が当面日本だけになり、世界中のコミンテルンがアメリカ、支那に日本を集中攻撃させるよう画策しますのよ。

 もう、絶望しか御座いませんでしょう。その時、私とのゲームに負けたあなたを見て、大いに嘲笑させて頂きますわ。それに、」


 煽り切った言葉の後に、ニタリとそれでいて妖艶な笑みを浮かべる。イメージでそう感じるだけだが間違いない。


「15年後ね……まだあるの?」


「ええ。ここからが本番。その日に私が一族から追放されますの。いや、今回はあなたがね。あの忌々しい女と、女に付いた一族の裏切り者達から」


 そう結んで「オーッホッホッ!」と、艶やかに高らかにお嬢様笑いをする。あまりに似合いすぎて、思わず動画で撮りたくなる。

 だが言ってやりたい事は別だ。


「そっちはむしろ楽勝よ。あなた、人生何回もやり直して、そんな事も分からないの?」


 軽く煽っただけなのに、ムッとした気配が漂ってくる。煽り耐性がないらしい。

 だが、まだ余裕もあるらしい。


「フンっ! あんな奴ら、前は私の掌の上で踊っていた低脳どもですもの、理解する必要すらなくてよ。それにあなた、そんなに余裕に構えていてよろしくて。一族からの追放を乗り切ったところで、一族の破滅が、さらに最悪の場合は日本の破滅が待っていますのよ? 何も出来ないのを悔しがりながら、精々足掻く事ね」


 (いや、もう足掻き初めているんですけど?)と言いたくなるが、内心も出来るだけ押し殺して見つめ返してやる。

 出来る限り挑戦的な目力を込めて。


「ええ、存分に足掻かせてもらうわ。そして見てなさい。15年後に吠え面かくのはあなたの方よ! それと、絶対に約束は違えないでね」


「フンっ! 私の名誉にかけて約束を違えるなど致しませんわ。見事乗り切っていたのなら、大人しく私は完全に消えて差し上げましょう! これは魂の契約よ!」


 立ち上がって胸を逸らしその胸元に右手を当て、高らかに宣言あそばされてくれた。

 その姿はまさに悪役令嬢だ。いや、魂とか言ったから、もしかしたら悪魔なのかも。契約したの向こうだけど。

 そして、それにも増して思う。


(ホント、こういう姿がよく似合う。ちょっと覚えておこう)


 少し呆れながらも、この素の演技力だけは素直に賞賛したくなる。舞台女優も真っ青だ。

 だが一方で引っかかる事も言っている。


「ねえ、完全に消えるってどういう事?」


「え、ああ、私『力』を貯めれば、またこうして枕元、いや夢枕に立つことくらいは出来ますの。けど、それも辞めて、完全に消えて差し上げると申し上げていますの。お解り?」


「貯める期間は?」


「数年でしょうね。現に4年かかりましたし。あ、そろそろ時間のようですわ」


「じゃあ、最後に一つ。私の意識、なんで3歳の関東大震災の日に目覚めたの?」


 その質問に、一瞬のためらいがあった。


「……それは、お父様の避けられない死の際の、私の負の感情が引き金になっているからですわ。それと悪夢の方は、大叔父の死が引き金ね。本当はあなたに地震の前に目覚めて、悲劇を回避して欲しかったのに」


「ご、ごめんなさい」


 流石にシュンとしているので、思わず口に出してしまった。

 その私に対して、意外に素直な笑顔が返ってくる。


「あなたのせいじゃなくてよ。あら時間みたい。では、ご機嫌よう。次に会える時を、楽しみにしていますわ」


 その言葉を聞き終えるかどうかで、私の意識が途絶えるのを感じた。

 夢の中でのこの感覚は少し変だが、おそらく私の体の主(あるじ)と話していた場所なり空間なりは、夢の中とは少し違っていたのだろう。


(なんだか、転生したおかげでオカルトチックな事に動じなくなった気がするなぁ……何にせよ私の十五年戦争の始まり、か……)



_______________


十五年戦争 (じゅうごねんせんそう)

1931年9月18日の柳条湖事件(満州事変)勃発から1945年のポツダム宣言受諾までの足掛け15年にわたる日本の対外戦争、満洲事変、日中戦争、太平洋戦争の全期間を一括する呼称のこと。

中国では「十四年抗戦」の呼称が使われる。

と言っても、最近の日本ではあまり見かけない。

それにしても、期間的には十四年未満戦争なので名称も適当すぎる。


なお、当作品との関連は実は時期の半分以上が重なるくらいしかない、筈だ。

そして何より、ようやくタイトル回収できた。

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