008 「行動開始」

「私は何をすればいいの? どう歴史を捻じ曲げればいいの?」


 疑問に答えてくれる者はいない。

 そして3歳児にできる事はない。


(何はさておき、味方を作らないと)


 それが当面の結論だった。

 3歳児一人では何も出来ない。


(けど、どうするの? 『私、未来から来た転生者でーす(多分)』ってカミングアウトしたところで、幼女のお遊戯としか思われないわよね。最悪、精神病院送りの可能性すらあり得そう)


 考えれば考えるほど悪い方向に考えが進む。

 だから決めた。


(まずは情報を整理しましょう。私の知っている歴史やこれから起きる事件、重要そうなデータを……書き出していくしかないか。この幼女、頭良さそうだけど、幼女なせいでキャパとか作業できる時間短すぎ。はあ、早く大人になりたい。いや、何もしないままなったら即破滅だけど)


 考えが決まったので、即実行だ。もしかしたらこの瞬間にも歴史的事件が起きているかもしれない。そしてそれを逃してはならない。タイムスリップSFの基本だ。

 とは言え思いつく限りでは、1923年の秋以降に関東大震災と地震に関連した事件以外は無かった。


(事件事件……確か、年末に内閣が倒れたような。なんでだったかな?)


 そう思ったところで、考えが外れ始めているのを自覚する。


「麻里〜っ! おえかきのどうぐぅー! えんぴつもー! かみはたくさんねー!」


「はーい、玲子お嬢様。少し待って下さいましねー」


 まずは行動。時は金なり、だ。




 そうして数日後、私の苦心の作の第一号が暫定的な完成を見た。


「うーん、私やれば出来る子じゃない。ていうか、この幼女って凄く頭良くない? 三歳児って嘘でしょ」


 完成した紙束を前にして思わず独り言。しかし独り言は事実だった。もちろん、私がやれば出来る子の事ではない。

 この体だ。さすが悪役令嬢と言わねばならない。3歳児にしてこのハイスペックと言いたくなる頭の良さ。私が朧げながらにしか記憶していない事も、それどころか忘れていた事まで掘り起こし、頭の中で綺麗に組み上げていく。

 しかも、どういう風に紙面に書けば良いのかも、すぐに頭に思い浮かぶ。

 まるで人間メモリーと人間文書作成アプリケーションだ。

 そして他にも有用であろう事も理解できた。


(少なくとも、この頭の良さは私の武器になるって事ね。悪役令嬢の体も役にたつじゃない)


 そして目の前に、完成したばかりの私の武器がある。

 未来の歴史だ。

 とりあえず1923年の現時点から、日本が実質ゲームオーバーのイベントを始める1941年12月8日までに、思い出せる限りの事件、事故、そして戦争を書き記した。

 他にも、欄外や別紙に事件に関わる人、物なども思い出せる限り記してある。


(これだけで一冊の本に出来そうな分量だけど、現時点ではただの妄想ノートね。かといって現実に起きてしまったら、困る事ばかりなのが悩ましいところよね)


 そんな事を思いつつ、書き記した紙束を「ぜーったいに、あけちゃダメっ!」な「レーコのたからばこ」へと仕舞う。

 しかも底の方に仕舞い込み、上は様々な3歳児が遊ぶ道具で埋め尽くす。

 これで私が散らかさない限り、この紙束を見る者はいない筈だ。

 麻里や他のメイドがあえて片付けないのも確認している。


(けど、仕舞い続けてもダメよね。これを叩き台にして、私の行動方針を練るんだから。……さて、次の仕事に取り掛かりますか。それにしても、このチートボディ、いやチート頭脳には感謝感謝ね)


 内心で思いつつ、未来に関する幾つかの事件を、これを見た者に訴えかけるように書いていく作業を開始する。

 見せる未来は、なるべく近い将来のもの。

 そして何より、鳳一族、鳳財閥の破滅を回避する為の手段の提示だ。


 だからそれらを描いたら、誰かに見えるように放置する。

 それを何日も繰り返した。

 大半は部屋の掃除をするメイドの麻里や他のメイドが見るだけだが、私は知っていた。私が書いたもの、描いたものは、祖父や曾祖父が見る可能性が高いという事を。

 彼らの目的は、孫やひ孫の成長を見る為だ。

 そしてかなりのチート一族である鳳の人間ならば、私が描いたもの、描いたものの意味を理解するだろう。

 そしてその真意を問いただしてくれるかもしれない。

 それが私の当面の作戦だ。


 だが問われたらどうするのか。

 その答えも決まっている。「夢で見た」と答えれば良い。私が日本が破滅する未来の夢を見るように、他の未来の夢も見たと言ってしまえば良い。そうすれば私の転生前の史実ではなく、未来の啓示となる。

 オカルト的なのは違わないが、その方が未来からやって来た転生者より信ぴょう性が増すと言うのが、私の読みであり賭けだ。


(とにかく、味方を作るなら身内が一番。一族の破滅回避なら、協力も得られやすい筈。けど、幼女のたわ言で済まされそうよね。けど、行動を起こすなら早いに越したことはないし、時間はまだ私の味方よ!)


 そう鼓舞して作業に戻った。



 しばらく月日が経ったが反応はゼロ。

 少し途方に暮れてしまいそうだ。


(やっぱり幼女のたわ言以上には思われなかったのかなあ)


 ・

 ・

 ・


「一族全体の事はこれで良いか」


 何か話し合っていたらしい男が、そこで一旦言葉をきる。

 そして何かに目線を落とし、再び口を開いた。


「時田、これをどう思う?」


「麟(りん)様の書かれたものを思い出します」


「私もだ。母を思い出す」


「俺、それ見たことないんだよね」


「全て処分したからな」


 少し暗めの照明が灯された豪華な書斎で、3人の男が語り合う。事実上の鳳一族のトップ会議だ。

 一人は紋付袴、一人は軍服、もう一人はビクトリア風の執事服。鳳蒼一郎と麒一郎、それに筆頭執事の時田だ。

 以前はもう一人いたが、その者は故人となった。


 このうち時田は立って二人の間に控え、たまにワインを注ぐなどの給事を行う。そして低めのテーブルを挟んで対面する豪華なソファーに、老人と壮年の男が座る。

 そして全員に共通するのはその表情。

 原因は、最後にテーブルに置かれた多数の紙。紙には手書きで色々なものが描かれ、書かれている。

 その中に、何か幾何学的なものが描かれているものがある。そしてそれを麒一郎が手に取る。表情はいつもの昼行灯ではなく、鳳一族らしい鋭さだ。

 そして彼は若い頃「剃刀」と言われていたのだが、その頃を彷彿とさせる表情をさらに強める。


「これ、ダウ・インデックスの動きで間違い無いよな」


「はい、麒一郎様」


「だが過去の記録ではない。今後十年先までの推移を示している」


「一見ただの落書きでございますが、驚くほど詳細です」


「それ以前に、三歳児が漢字どころか英語すら書いている事に衝撃を受けるな」


 麒一郎が肩をすくめる。軍服姿だが、今のこの男だとよく似合う。


「確かに。ただこれは、私も初めて受ける衝撃だ。そう言う点では麒一郎と同じだよ」


「わたくしもで御座います」


 そう言い合って三人が苦笑する。

 そして揃って苦笑を終えると顔を引き締める。


「さて、お前たちはどちらだと思う?」


「どちら? 可能性は一つでは?」


「二つ? 父さん、意味が分からないよ」


 その言葉を受けて、最も高齢な蒼一郎が二人を交互に見て口を開く。


「私は、母が玲子の夢枕に立ったのではと最初思った」


「お父さん、それはおかしい。夢枕に立っただけで、三歳の幼女がこれほど正確なグラフを描けるわけがない。漢字も英語もな」


「それで二つと。もう一つは何で御座いましょうか?」


「二人とも待て」


「玲子は神童ではないかと言いたいんだろ?」


「神童だからこそ、麟様が夢枕に立たれたと?」


 麒一郎と時田の顔も表情も僅かにしか動かない。

 事が合理的では無いので、判断がつきかねる表情を押し隠そうとして失敗しているのを蒼一郎は見逃さなかった。

 だから蒼一郎は、ヒゲの奥の口の端を少しあげる。


「私は母を良く知っているから、何でも信じるしこんな言葉も出てくるだけだ」


「で、もう一つは?」


「……あれ自身が母の生まれ変わり」


 そう答えた蒼一郎には、口にした事への後悔が少し見える。

 確かに母がひ孫として生まれ変わるとは、簡単に口に出来る事では無い。話を聞いた二人も、やや憮然とした表情を浮かべる。

 そして数瞬場が沈黙するも、「カラン」と言う氷の音で意識を現実へと戻した3人のうち、唯一起立している時田が「もしくは」と口を開いた。


「麟様と同じご境遇なだけではないでしょうか?」


「その根拠は?」


「はい。わたくしは、お二人よりも玲子様を見ております。妻の麻里は、玲子様がこの屋敷に来てより毎日のお世話もさせて頂いております。そしてわたくしも妻も、麟様の事をよく存じ上げて御座います」


「で、少なくとも、二人は別人だと考えるわけだな」


「さように御座います」


 軍服姿の麒一郎に、時田が恭しく一礼する。

 蒼一郎はその二人を見つつ小さく嘆息する。


「そうか。では夢枕の線が濃厚と言うことか。そしてそうなら、我が一族はまた一人神童を授かったと言う事だな。凶事が続く中で重畳な事だ」


 しかし時田は、蒼一郎の言葉を肯定していなかった。

 ごく僅かな態度でそれを見せたので、残る二人がそれを咎める。


「まだ何かあるのか?」


「言いたいことは言え。ここはそう言う場だろうが」


「はい。わたくしは、玲子様が麟様同様の資質をお持ちなのではと推測致します。加えて、蒼一郎様のおっしゃる神童という言葉も肯定致します」


「玲子が母と同じ、か」


「なら、いずれ尻尾を出すと言う事か?」


「尻尾ならもう随所に出しておられます。普段は年相応の言葉遣いなのですが、時折大人と同じ口調をなさいます。それに、お部屋の本については、恐らく大半を読まれているかと」


「はあ? まだ三歳だぞ。あいつの中身は既に大人と同じだとでも言うのか?」


 流石の言葉に、麒一郎が椅子から腰を上げる。

 蒼一郎も、片方の眉を上げてるが、全てを信じていない視線を送る。


「はい。既に大人に匹敵するだけのご見識をお持ちでは、と推測致します。地震の折はたまたま訪ねていただけで、玲子様の横浜での事は詳しく存じ上げませんが、非常に御聡明だったと横浜の生き残りの女中からも報告を受けております」


「そうか。ならば、時が来れば向こうから動き出すだろう。父からは、母は向こうから「未来」を運んできたと言っていた」


 そう言って蒼一郎がグラスをぐっと煽る。

 それは時折行われる三者会議の終了を知らせる合図だった。



________________


ダウ・インデックス

ダウ平均株価。アメリカ合衆国の代表的な株価指数。

ある意味、世界経済の一番の指標となる。

1925年頃から1920年終盤頃に異常なほどの高騰を示す。

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