夏休みのケサランパサラン

ハルカ

青空に吸い込まれた

 高校2年生の夏休みもそろそろ折り返しに差し掛かろうという頃、僕は食卓のテーブルに奇妙なものを見つけた。


 じゃがりことチップスター。

 コーラやジュースのペットボトル。

 ブルドックソースやカゴメのケチャップ。

 あと父が出張先の北海道で買ってきたマリモ入りの小瓶。

 それらが、ストーンサークルのごとく円状に並べられている。


 ――なにこれ。なにかの儀式?


 首を傾げつつ、夏休みの宿題の息抜きにちょうどいいやとコーラを手に取る。

 しかし間髪入れずに背後から鋭い声が飛んできた。


「動かしちゃダメっ!」


 驚いた瞬間、サークルの隙間から白いものがふわりと出てきた。

 たんぽぽの綿毛によく似ているけれど、大きさは僕の片手ほどもある。植物の種? いや、こんなに大きいものは見たことがない。


「わっ、なんだこれ」


 僕が驚いていると、中学生の妹がぷりぷり怒りながら僕を押しのけた。


「もう! おにいのせいで逃げちゃうじゃない。捕まえるの大変だったんだからね!」


 妹は綿毛を追い立てるようにサークルの中へ帰した。そして僕の手からコーラのペットボトルを奪い取り、元の位置へ戻す。

 なるほど、このサークルは虫かごの代用だったのか。


「それって虫?」

「キモいこと言わないでよ! ケサランパサランに決まってるじゃない」


 決まってるじゃないと言われてもなぁ。

 あんなの、ただの民間伝承でしかないのに。

 しかも僕が聞いた話では、たしか人に見せちゃいけなかった気がする。


 まあ、妹は麦茶が1センチだけ残ったピッチャーをそのまま平気で冷蔵庫に戻すようなものぐさだから、仕方ないのかもしれない。

 でも、食卓がこの状態ではさすがに母が怒るのではないだろうか。

 そんな僕の予想はあっさり裏切られた。


 夕方になってパートから帰ってきた母は「あら、ケサランパサラン? 懐かしいわね」と笑った。

 妹がこしらえた雑なサークルは父の席に移された。

 父は出張が多くてあまり家に帰ってこないし、妹にも甘いので、たぶん問題ないだろう。


   ***


 その夜、母と僕と妹はケサランパサランと一緒に食卓を囲むことになった。

 ハンバーグにケチャップをかけようと手を伸ばしたら、妹が素早くそれを止めた。


「お兄、ケチャップ取ったらサラちゃんが逃げちゃうからやめてよね」

「サラちゃんって?」

「ケサランパサランの名前だってば」


 妹はいちいち説明させるなと言いたげに僕を睨む。

 じゃあソースを、と手を伸ばしかけると、妹はテーブルの下で僕の足を蹴った。


「ソースもダメ!」

「ええっ。ハンバーグにケチャップもソースもなしでどうやって食べろっていうんだよ」

「味ぽんにすればいいじゃない?」


 ふと気付けば、いつのまにか母も妹も味ぽんでハンバーグを食べている。いつもは二人ともケチャップ派なのに!

 僕は呆れて味ぽんを手に取り、素早くケチャップと入れ替えた。

 よし、これでケチャップを使える。


「ちょっと! サラちゃん逃がさないでよね」

「うっさいなあ」


 動物じゃないんだから、そうそうどこかへ行くことなんてないだろうに。

 そう思いながら目を向けると、綿毛はふわりふわりと動いていた。まるで生きているみたいだ。一瞬びっくりしたが、どうやら僕がケチャップを取ったときのわずかな空気の動きに反応したらしい。

 なるほど、綿毛というものは風に乗って遠くへ飛んで繁殖するための形状だから、風の影響を受けやすいのか。


「そんなに逃がしたくないなら、空き瓶とかに入れれば?」

「持ってないもん」

「100均に売ってるだろ」

「この暑いのに外に出たら死んじゃう」


 あくまでも妹は食卓で綿毛をつもりらしい。

 母が承諾しているので、これ以上は何を言っても無駄だろう。

 やれやれ、とため息がこぼれた。


   ***


 翌朝。僕が食卓に行くと、足元に大きな綿毛が転がっていた。


「うわっ」


 もう少しで踏むところだった。

 テーブルに目をやれば、サークルからじゃがりこがなくなっている。あいつめ、また深夜にお菓子を食べたな。


 そっとしゃがみ、両手で綿毛をすくう。

 綿毛は相変わらずゆらゆら動いている。まるで意思を持って自分でサークルを抜け出したみたいだ。

 そっとサークルへ戻してやり、じゃがりこを失った穴を埋めるようにソースや味ぽんを動かす。

 滑稽なことに、昼過ぎになっても妹はサークルの変化に気付かなかった。


 その日、僕は朝から夏休みの宿題を進めていて、気分転換にコンビニでも行こうかと支度をしていると、妹から声をかけられた。


「お兄、出かけるならじゃがりこ買ってきて。昨日食べちゃったから」

「あいよ」


 やっぱりお前が犯人か。

 言いたいことはいろいろあるが、面倒なのでとりあえず出かけることにする。


   ***


 キンキンに冷えたコーラとアイス、それから妹に頼まれたじゃがりこを買って帰宅した僕は、廊下でうごめいている綿毛を見つけた。昨日より移動してるじゃないか。

 急いで捕獲し、食卓へ向かう。

 サークルからはチップスターとジュースが消えていた。

 父も母も仕事に出かけているから、またしても犯人は妹しかいない。


 兄は見越してじゃがりこに加えチップスターも買ってきてやったが、さすがにジュースは盲点だった。本当に買ってくるべきは菓子類ではなく空き瓶だったのかもしれない。

 ため息とともにアイスをしまい、サークルを作り直し、綿毛を戻す。

 ……あれ? いつのまにか僕が綿毛係になってないか?


 綿毛はサークルから出たそうにふよふよ揺れている。

 そういえばケサランパサランはおしろいを餌にするんだっけ。おしろいって今でも売ってるのかな? それとも今はファンデーションとか?


 どちらにしろ妹はまだ中学生だから、おしろいもファンデーションも持ってないと思う。もしかしたら綿毛はお腹が空いて逃げ出そうとしているのかもしれない。


   ***


 夕食のコロッケに、妹はたっぷりのソースをかける。当然サークルには穴が開くが、お構いなしだ。

 あいつめ、もうとっくに忘れているらしい。

 自分がケサランパサランを拾ったことも、それを捕まえておくために奇妙なサークルを作ったことも、綿毛を逃がすなと言ってぷりぷり怒ったことも。


   ***


 翌朝。僕が台所へ行くと、綿毛が消えていた。

 サークルに穴はないが、そういえば昨夜は、妹が台所で扇風機を回しながらゲームしてたっけ。わずかな空気の流れさえとらえる綿毛は、きっと扇風機の風をうまく利用してサークルを飛び越えたのだろう。


 まだ家の中にいるだろうか。

 窓際、部屋の隅、廊下。綿毛が飛んでいきそうな場所を辿ってみるけれど、なかなかみつからない。

 とうとう玄関まで来たとき、その隅で戸惑うように揺れる綿毛をみつけた。


 おそらく、朝早い時間に家を出た父や母の動きに乗じてここまで移動してきたのだろう。僕は今まで、植物は自分の意思では動けないと思っていたけれど、それは間違いなのかもしれない。

 綿毛の辿り着いた先が台所でも浴室でもなく玄関なのは、なんだか綿毛に「外へ出たい」という意思があるみたいじゃないか。


 どうせ妹はもう綿毛のことなんか忘れているし、父や母も気に留めてないだろう。だから、家族の誰かが家の外に出れば、綿毛は空気の流れに乗って外に出て行くことができる。

 遅かれ早かれ、綿毛はこの家を出てゆく。


 僕が玄関の扉を開けてやると、綿毛は嬉しそうにふわふわと飛んで出て行った。

 ぬるい風が吹いて、綿毛は一気に青空へと吸い込まれてゆく。

 蝉の声が響く中、僕はその旅立ちをしばらく見送っていた。

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