第32話 様々な思惑

◆バルトハルト▪フォン▪ザナドウ(通称ハル)視点


「レブ!?何を!」


ザンッ


突然だった。

レブは私の目の前で、取り出した小さなナイフを自分の腕に突き立てた。

血は流れ、そのまま滴り落ちていく。

なんという事を!


「レブ、一体何をしている!?直ぐに止血を!!」

「ハルさん、黙って見ていて!」


訳が分からない。

あまりの惨劇に、気が触れてしまったのだろうか!?


私には、レブの行動が全く理解出来ない。

いや、恐らくだが、普通の感覚の持ち主であれば、この場の異様さを理解出来る者は居ないだろう。


ポタッ、ポタポタッ


血!?

自分の血を、二人の口元に垂らしている。

飲ませている?

バカな、水の代わりだというのか?!



「かはっ、はあ、はあ、はあ」

「うっ、ごほ、ごほ、ごほ、はあ」


「な、息を吹き返した!?レブ、これは?」


あり得ない。

私は何を見せられている!?


高位貴族と思われる二人は、先ほどまで、ほぼ呼吸は止まっていた。

少なくとも自力呼吸は出来ない状況だった。それが、咳き込むほど力強く息を吹き返すなど、あり得ない事が起きている。


「ハルさん、ごめん。今は詳しく言えない。後でちゃんと話すよ」


レブは息を整えながら、私に話し掛ける。

意図的に腕を傷つけたが、想定より流れた血が多かったのか、彼女は少しフラついている!?


ヒヒーンッ

『ハーベル……さま!』、『ケスラー様!……!』


「レブ、人が来る!?おそらく、この者達の捜索隊だ。見つかると面倒だぞ!」

「ああ、ん、分かった。直ぐに離れよう」


「その前に、手を」

「だ、大丈夫だよ、もう、血は流れないし」


「駄目だ、そのままでは止血出来てない」

「……ハルさん」


私はレブの手を引き込むと、ナイフ傷に布を巻いていく。


不思議だ!?

傷がもう、塞がって血が止まっている。

かなり深い傷で、将来に痕を残すような傷に見えていたが、見間違いだったのだろうか?


いや、この腕に残る流れた血の跡は、間違いなく重傷だったに違いない。

年若い女性には、酷な状況だった筈だ。

だがその傷はすでに跡形もなく、彼女の腕には、ただの血の流れた跡が有るだけだ。


信じられない。

これは奇跡ではないのか。


私はふと、この国の隣国であり、三女神信仰のシスレーン神聖皇国に伝わる伝承を思い出す。

『古き時代、病に苦しむ多くの人々を、時として、神の奇跡で救った者がいた。その者達の事を人々は誰となく、こう呼んだ』


【聖人、または聖女】


………まだ結論づける事は出来ないが、少なくとも、この事が知れれば、シスレーン神聖皇国は彼女を放ってはおかないだろう。


シスレーン神聖皇国は今も【女神の代行者】として、国の中心に聖なる乙女、聖女を立てている。

だが現在の聖女達は、別に神の奇跡を行える訳ではなく、何らかの功績を残した者や、多くの人々の共感を呼ぶ、美しい女性が選ばれるだけの、言わば象徴に過ぎない。


もし、本物の聖女が現れたと分かれば、あの宗教国家たるシスレーンの事だ。どんな事をしても、レブを聖女として祭り上げるだろう。


そうなれば彼女は飼い殺しだ。


二度と神殿の外に出る事は叶わず、望みの薬師になる事は閉ざされるだろう。



ざわざわざわっ


むっ、そろそろ限界か。

大勢の人の気配が近づいてくる。これ以上は、ここに留まれば面倒になる。


レブを介助しながら馬車に乗り、レブを後方に下がらせ、手綱を取った。


ピシッヒヒーン

ガラガラガラッカッポッカッポッカッポッ


街道から外れた、山沿いの裏道に進む。

鉱山労働者が使うか細い道だが、鉱山の反対側の街道に繋がっている筈だ。


レブを見ると、丁度、顔を上げた彼女と目が合った。


頬を赤く染め、その深い湖の底のような青い瞳は、私を心配そうに見詰めている。

美しい銀髪が乱れ、疲れが見えるその顔は、何かを隠していて、それが見付かってしまって、どう言い訳すればいいのか、困っている少女の顔だ。


そんな顔をする必要はないのに。


確かに、こんな秘密を隠していた事については、其なりに思うところがある。

だとしても私がそれを、何かに利用したりするつもりはない。


だが私はまだ、レブに信用がないようだ。

時間をかけて、分かって貰うしかないだろう。



◆◇◆



◆とある木の陰


「…………」


走り行くレブ達を乗せた馬車、それを木の陰から、静かに見つめる一つの影があった。


その忍者のような黒装束の人物は、騎士団を追跡し、その動向を監視していたようだ。


「………危なかった。川の水を飲まずに様子を伺っていて正解だ。だが、良いものを見る事が出来た。これは陛下にお伝えせねばなるまい」


男はそう呟くと、さらにレブ達の馬車を追って行こうとした。


「へぇ、陛下に報告ねぇ、でもいいのかな?彼女、兄上から捜すように言われてた子じゃない?」


「!?」


突然、茂みから声を掛けられた男、慌てて短剣に手を掛ける。

だが、いつの間にか、その男は、数人の黒装束の男達に囲まれていた。


「な、お前達は!?」

「……カストール様、申し訳ありません」


「お前達、こんなバカな事を!?」


「ははは、驚いたかい?クライアス皇国隠密部隊シャドウ、おかしらのカストール」

「あ、貴方様は……!?」


木陰から現れた不敵に笑う人物、金髪、碧眼、白い肌、人好きなマスクのイケメンが現れた。

此の人物こそ、マクシミリアン▪フォン▪クライアス。



クライアス皇国第二皇子である。

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