第82話 ドミナンス

 叫ぶその言葉に感じた感情は、怒りだ。それは確かに俺の逆鱗に触れ、憤りから来る類いの殺意を誘発させた。

 一太刀浴びせなければ気が済まないとさえ、一瞬だとしても考えてしまった。するとその時、声が頭の中で聞こえた。

 記憶のどこにもいない、誰でもない声。老若男女すべての声が無数にミックスされたようなくぐもった不気味な声。


『手を貸そう』


 それが聞こえた時には俺は身体の制御を何かに乗っ取られていた。思った通りに動かせないどころか、指一つすら自らの意思に伴わない。

 俺は身を翻して左脚を折り畳み体勢を低くしたまま、すさまじい速度の回し蹴りを右脚で乾の腹に食い込ませた。数メートルを転がって立ち上がり、面構えが違うと驚いている。


 今俺の身体を乗っ取った"なにか"の正体は知らないのに、思惑だけはなぜか手に取るようにわかった。

 、乾を殺そうとしている。俺がやめろと言っても無駄だろう。否が応でも首をはねようと柄を握る手に力が込められた。

 そして、鞘があるテイで腰の横に心眼を持ってくると、居合いの構えを取った。幾度振るえど、居合い抜きなんて慣れないことはこれまでやったことがなかった。


「様子が変や...!タケ、稽古は中止───」


 吉峰の声が耳に入る前に、俺の身体は主導権を握る何かによって突き動かされていた。地面を蹴った瞬間、5メートルも離れていたはずの距離が消し去られた。

 同時に踏み切った方の足に激痛が走り、足下の土が掘り返されたように大きくえぐれる。無理矢理引き出されたスピードに肉体が追い付いていないんだ。

 それにも構わず俺は真正面から突っ込み、防御体勢に入った乾に一撃を入れ、横をすり抜けて着地する。


 感覚はそのまま俺が体感しているが、身体を斬った感触はな。それどころか向こうの刀に刃を打ち付けた衝撃さえ。だが確かに手応えはあった。

 さらに振り抜いた刀身は真っ黒に染まっていて、青白い閃光ではなく稲妻を纏っている。

 空中を回転しながら落下する折られた刃が、地面に突き刺さる。そのまま振り返り、二の刃を突き刺そうと俺は黒々とした刀を構える。

 マズい。吉峰が走り出しているが、今の瞬発力をいつでも出せるというならあの足では間に合わない。


 止まれ。止まれ。止まれ止まれ止まれ。自分で選ぶことのできない殺しはもう沢山なんだ。

 だから止まれ。後ろめたい面を尊に見せるわけにはいかない。笑って帰るんだ。


「止まれェエェェーーーーッ!!!」


 寸前、突き入れられた刃は首の皮膚の表面をほんの少し切ったところで止まった。

 多少の流血のみ。まさに首の皮一枚のギリギリだった。心眼から手を離し、取り落としながら自分の手を見つめる。

 ようやく自由を取り戻した。先程まで身体を支配していたものの気配はすっかり失くなり、負荷を一挙にかけられた足の痛みと、あり得ない速度で動かされた腕の筋が張るような感覚が残っている。


「中止や中止!!タケ、大丈夫!?」


「...ちぃと切れただけや、あんましベタベタ触んな...しかし、問題はコイツやで...」


 割って入った吉峰が足の痛みに呻く俺に駆け寄る。心眼を確認するも、発生していた稲妻も刀身の黒ずみも元に戻っていた。

 稽古は一旦止めということになり、縁側に座らせられた俺は足の応急処置を受ける。

 診てくれた吉峰曰く軽い捻挫らしいが、たかが一歩の踏み込み程度で、ましてやトレーニングや戦闘経験が少なからずあるにも関わらずここまで痛めるのは、相当な力がかけられていたということを示していた。


 間違いなく第三者の意思が介入していた。今までこの心眼を武器として使ってきたが、こんなことは初めてだ。

 俺が折った乾の刀を見ると、切り口がまっすぐだった。叩き折ったのではない。刃を以て斬ったのだ。

 馬鹿力で振り回したとてこんなに綺麗には切断できないと吉峰が言う。それにあの謎めいた黒い刀身、発動のトリガーは一体なんだ。


 考えられるのは、俺の感情の変化。身体をなにかに乗っ取られる直前、俺は乾に煽り文句を投げ掛けられた時、心からイラッときた。

 それは尊を引き合いに出したからだ。もし俺が本気で怒るとしたら、尊をはじめとした大切な人を傷つけられた時だと思う。

 頭の中で『手を貸そう』と聞こえた。これは俺が感じた怒りを晴らすために心眼がアシストしたのではないか。


 もしそうならこの刀には意思がある。そもそも初めて手にした時に鍔鳴りが止んだ時からうっすら、おかしいとは思っていた。

 本来ならこれはすぐに報告し、評議会を挟んだ上で真の力を調べ上げなければならないのだろうが、もう評議会は存在しない。


 この心眼は、俺が扱える守る力だ。橘に相談した末にもし、手放せなんて話になったらと考えると惜しくなる。

 俺は刀が起こした異常な状況を説明した上で、吉峰に頭を下げた。


「....なあ、吉峰さん。頼みます。」

「さっき...ここだけの秘密にしてくれませんか。」


「...ホンマやったら上が黙ってへんやろうけど、ウチは報告したところで得も損もないし、誰にも言わへんよ。」


「ちょい待ちぃや!こっちは殺されかけたっちゅうんによくんな呑気なこと...!!」

「冗談やない!ただの危険物やんけ、早う捨てたらええやろ!?」


「誰彼構わへんで戦い吹っ掛けるアンタにそないなこと言われたないわ。アンタとはここんとこの強さが違うんや。」

「しょっちゅう無許可でオブジェクトかっぱらっといて、なに偉そうに文句垂れとるん?刀の一本や二本、大丈夫やろ。」


 毅然とした態度で乾を見据え、つらつらと正論を述べる吉峰。痛いところを突かれて悔しそうに乾は歯を食い縛っている。


「...クソが...勝手にせえッ!!」


 襖をぴしゃりと閉め、乾はどこかに行ってしまった。先が思いやられる。

 一つ失って一つ得た結果。今後の稽古、まともに取り合ってくれるだろうか。

 すると吉峰は俺の両肩を掴み、真っ直ぐこちらの目を見ながら言った。


「今回は大目に見たるけど、また暴走したら今度は容赦なく攻撃するで。」

「仲間殺してもうたら、尊ちゃんに顔向けできんの!?しっかり自分の意志を強く持って戦うんや!」


「...はい。」


 答えるとまた笑顔に戻り、筋を痛めた腕をマッサージしてくれた。三度の飯よりも戦いが好きなヤツだからどうせ明日にはケロッとしてる、アイツのことは心配しなくてもいいと言う。

 少しだけ安心した。しかし時計を見ると、既に正午に差し掛かっている。パトロールに行かないと尊にせっつかれてしまう。


 立ち上がろうとすると、吉峰に何も言わずに肩をポンポンと叩かれ、すぐに車のキーを手に戻ってきた。とっくにバレてたか。

 歩ける程度にとテーピングを施され、再び俺は吉峰の運転によって坂田家へ送り返される。どこかへ外出したのか、出発する時乾と顔を合わせることはなかった。


 マンションの前で下ろしてもらい、既に公園広場で待っていた尊と合流する。尊と話していたら礼を言う前に吉峰は行ってしまった。

 腹ごしらえは商店街の肉屋。もはや食べ慣れたコロッケで済ませる。今日は特別腹が減っていたのでメンチカツも頼んだ。

 普段はもっぱらコロッケだったが、こっちも悪くないな。そしてそこへ準備万端の宗谷兄妹もやってくる。


 だが、人影が一つ多い。腰の後ろで手を組み張り付いたような笑顔を浮かべながらこちらに歩いてくる眼鏡の女。

 すっかり忘れていた。そろそろ奴の謹慎が明ける頃だった。


「四季...もう出てきやがったか。」


「睦月君、久しぶり。」

「出てきたって、私を前科者みたいに言うのやめてよ~。」


 一気に胸騒ぎが甦る。きたる戦いへの恐れではなく、またこの得体の知れない眼差しに曝され続けることに対する嫌悪感だ。

 また安心できない日々が続く。せっかくまともな均衡を取り戻せたかと思ったのに、次から次へと厄介が舞い込んできやがる。


 だが特事課たるもの、気は抜けない。心からの、永遠の平穏なんて訪れはしない。

 だからせめて、束の間でもそれを掴んでいたかったと思ったのに、戻ってきてしまった。

 その後のパトロールはなんの滞りなく進んだ。常時四季によって俺に向けられる慕情の目線を除いては。


 そして日が落ち始める頃に解散。俺は気を許せる時間である食事中でさえ、坂田相手にすら、心眼が起こした新たな現象についてを話すことはできなかった。

 こればかりは易々と触れ回るわけにはいかないものだ。トリガーを知られては、また皆が過保護になってしまう。

 俺は俺だ。これは俺に与えられた力。そう信じるしか道はない。

 心眼に縋る戦いを続けてきた手前、受け入れるしかない。生き残るために。


 明日にも稽古がある。足の痛みは一時的なもののようで、全力でとまではいかないが多少は動けそうだ。

 電灯を消した闇夜の中、俺は寒さを凌ぐべく布団に潜りながら考えた。今日の今日まで隠されてきた、真の力の名前を。

 発揮している間、俺の眼は立ちはだかる乾を穿たんばかりに睨み付けていたな。眼が乾いて痛くて仕方がなかったくらいだ。


「...炯眼ケイガン、か...」


 口をついてこぼれ出た名を虚空に投げ、俺はぎこちない眠りについた。

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