第81話 始め!
カップを持ったまま扉を開けると、そこには吉峰が立っていた。まだ八時前だが、もう迎えに来てくれたのか。
「おはよーさん。迎え来たで。」
「...結構早いっすね。」
「タケが早よ呼べーってうるさいねん。叩き起こされてもうたわ...眠っ...」
「ほんで目覚ましがてら来たんやけど、やっぱ流石にまだやろ?着替えとか。」
「ああ....すいません、今準備します。」
「はは、ゆっくりでええよゆっくりで。」
頭を下げてから部屋に戻り、冷め始めていた残りを流し込みカップを軽く水で流してからシンクに置く。
そして、自室のハンガーラックに引っ掻けていたモッズコートと心眼を手に取る。このコートは休日に、尊と坂田の三人で冬服を買いに行った時に購入したものだ。
俺はファッションに大して頓着しない。最低限の身だしなみを場に合わせて気にする程度。
そんな俺でもこのコートには何故か愛着がある。まだ一度も着たことがないのに。
『これふわっちに似合うんじゃない!?』
多分、そういうことなんだろうな。シワのない袖に腕を通して、もはや必要なくなったスリット入りの袋を横に置き、元のヨレた刀袋に入れ直して肩にかけて居間に出る。
戦地に赴くかのような、ヒリヒリとした緊張感が胸騒ぎとなって滲む。あんな強者とのやり合いが待ってる。当然だ。
「早く戻ってこいよ~ふわっち!」
「...頑張ってみるよ。」
笑顔を見せる尊がトーストにマーガリンを塗っている。そこに適当にスプーン一杯のジャムを乗せてそのまま俺に手渡した。
朝食を食ってる暇はない。少なくとも、三人で食卓を囲むことは。トーストを受け取り、さながら漫画の女子高生のようにかじりながら靴を履いて玄関の扉を開けた。
「行ってくる。」
「行ってらっしゃ~い!」
外に出ると、壁に背中を預けながら腕を組んで煙草を吸っている吉峰がいた。携帯灰皿を片手に持っていたが、俺がトーストを咥えているのを見ると吹き出し、火を消そうとするのを止めた。
笑いを誘った理由はこの滑稽極まりない姿だろう。フィクションの世界でしか目にしないような状況、当事者であっても首を捻った。
「くくっ...!それ、尊ちゃんにもらったん?」
「あ、まあ...急ぐからってくれたんでしょう...すぐ食っちゃいます。」
「詰まらしてまうからゆっくり食べや~...シートにパンくずこぼされても困るし...!」
「ぷっ、あはは...!おもろいことやる子やわホンマに...!」
寒空の下でジャムトーストを頬張る俺を見ながら、自身の煙にむせ返りながら腹を抱えてゲラゲラ笑っている。確かに妙な状況だが、そんなに面白いことか?
苦しく呼吸をしながら飲み込むと、吉峰はとっくに短くなってしまった吸い殻を携帯灰皿の中へ放り込んだ。
「あー目ェ覚めた!それじゃ、行こか。」
また吉峰のミニバンに乗り、乾宅へと向かう。背中にかけたままの心眼が響かせる鍔鳴りが、いつもより大きくなっている気がする。
到着すると、玄関の前で乾が足をタンタンとやりながら、隠しきれない苛立ちを見せて待っていた。降車するなりつかつかと近寄ってきて、俺の胸倉を乱暴に掴み上げる。
「おうこの野郎ッ!七時集合って言うてへんかったかァ!?あァ!?」
「言ってねェよ!マジで勝手なヤツだなお前は!というか揺さぶんのをやめろ!!」
続けて取り付けられた覚えのない条件を捲し立てる乾の背後から、吉峰の両腕が迫る。そしてモロにチョークスリーパーを食らう。
そのまま引きずられていきながら、俺達は稽古に使う庭へと入っていく。
そこはやたらに生い茂った木々や草のない、動き回るにはうってつけの空間だった。縁側もある。稽古には十分すぎる広さだ。
ようやく解放された乾が咳き込みながら悪態をついている。だが相手が相手、強くは出れないようだ。
「ゲホッ...ちょお、本気でシメることないやろ!?お前腕ゴツいからソレ痛いねん!背中もギリギリやるし...!」
「女の子に向かって何言うてんの!あぁせやなァ、そりゃ他の子に比べたら硬くってゴツゴツもしとるやろうなァ!?」
「マズッ、地雷踏んでもうた!オイ睦月なんかフォローせえ!」
「コイツ胸に肉つかんのが昔からコンプレックスなんや!適当に褒め...ッ、あだだだ!!もげるッ、もげるからやめェや!!」
「はァ!?いや、フォローってなんだよ!?」
「....よくわからねぇけど、別に...魅力的なんじゃあないっすか...?」
「え、えぇ...!?ホンマに~!?」
吉峰は鬼のような表情から一転して明るい顔になった。揃いも揃ってわかりやすい。
乾にキメていた関節技をあっさりと解き、両頬に手を当て照れている。
だがこんなことをしてる場合じゃない。いよいよ話が進まないだろ。俺は稽古を始めようと声をかけたが、まず乾には一つ相談がある。
「なあ、乾。この稽古のことだが。」
「俺は午後から日課のパトロールがあるんだ。だから稽古は午前中だけにしてくれないか。」
「パトロールゥ...?なんやねんそれ...!?んなもん知ら...うぇ!?いぎゃァアアアア!!」
「全然ええよ!好きにおいで!」
強烈なコブラツイストを受ける乾の絶叫が響き渡る。果たしてこれは許されたことになるのだろうか?
まあ、役職など関係なく乾より、立場というか、力関係がそもそも上の吉峰が言うんだから別にいいか。
交渉は済んだ、そろそろ稽古に移ろう。俺は心眼を袋から出し鞘を抜き放つ。
木刀でも模擬刀でもなく、互いに真剣を使う。これはより実戦に近づけ緊張感を得るためで、危険があれば監視役を務める吉峰が力ずくにでも止めに入ることになっている。
乾も家の中から刀を持ってきたが、それは昨日見たものとは異なりなんの変哲もない普通の刀だった。
向こうも鞘から抜き、持ち心地を確かめるように握っては離してを繰り返しながら刀身をクルクルと回している。
「...あの電気流す刀、使わないのか。」
「あァ?これはハンデってもんや。俺はあっちのが握り慣れてる、こんな無銘の刀マトモに振れるか怪しいわ。」
「せいぜい、ありがたく思うことやな。」
「そうかよ...とりあえずは好きにぶつかり合うってことでいいんだよな。」
「せや。どっからでも来たらええ。」
「どうせ負けへんから。」
昨日ぶりの対峙。空気が張り詰めピりつくのを肌で感じ取れる。愉悦に口角をつり上げながらこちらを見据える乾。
縁側に立ち、制止するための刀を手に持った吉峰がルール説明及び合図を執り行う。
使用するのは刀、格闘のみ。飛び道具、オブジェクトの類いは不可。
ただし心眼はその効果が発揮される恐れがないため例外とする。終了合図は、吉峰の一声。
「...それでは、始めッ!」
吉峰が手を叩き、試合が始まった。一斉に距離を詰め、熾烈な剣戟が繰り広げられる。
不意打ちなんぞを食らった昨日のようにはいくか。そう意気込んだのはいいが、その実力を刀に走る衝撃を通して再び痛感させられる。
そしてひとたび、こちらが防御の姿勢に入るやいなや、昨日受けたばかりの絶え間のないラッシュが叩き込まれる。
互角かと思われた斬り合いが、一瞬にして一方的に叩き潰されるだけのワンサイドゲームに早変わりする。
反撃の隙がどこにもない。これではジリ貧、昨日の戦いと全く同じ展開じゃないか。
しかし俺はふと、攻撃を受け続けているうちにある手応えに気づいた。乾の振るう刀が宿す思考が、動きからわずかに漏れ出ているように感じられたのだ。
朧気ながら理解できたそれは、殺意だ。こいつは俺をまたもや殺すつもりで容赦なく刀を振りかざしている。
呼応。感応。得体の知れない感覚が流れ込んできて、背筋が凍りつき血の気が引く。
同時にやや手加減をしていることもわかった。本気で攻撃すれば吉峰も気づくだろうから、巧みに細工をしてやがる。それとも普段から戦い方がこれしかないから、そもそもバレるようなことがないのか。
手加減をされ、自称とはいえハンデを課してまで勝てないのか、俺は。
「どないした、散々期待させといて、まさかこんなもんやないやろなァ!?本気出したらどうや!!」
「そないな程度の実力で他人守ろうなんて、お前甘っちょろいヤツやなァ!!」
庭の端まで後退りしながら追いやられた俺に対し止めと言わんばかりに、興奮の頂点に達した乾は心眼を無理矢理に連撃だけで弾き落とそうとする。
「金髪の
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