第73話 タナトフォビア

 俺は橘の手引きによって、警視庁の「特殊事象対策課」に入ることになった。あんな出で立ちをしておいて警察組織とは正直面食らった。

 独自に調べていたという茜の身分を橘から聞くと、出生の数日後よりずっと姿を消していた、とある夫婦の子だという。

 生ける炎の神「クトゥグァ」の招来を目論むカルト組織の使う生け贄とするべくさらわれていたようで、課はずっと既に解散した組織の残党を追っていた。


 最後の一人をついに突き止めた先で、俺と茜を偶然見つけたらしい。こればかりは棚ぼたで、本来はあの教団員の男を排除すればすぐに戻る予定だったという。俺があの日に店に行かなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。

 途端に後悔と、自らの手で人を撃ち殺した奇妙な感覚が押し寄せてくる。


 最悪な気分だ。俺は息つく間もなく、全身に負ったままろくに治療もしてこなかった火傷を診てもらった。

 だが医師曰く、壊死も化膿もせずずっとこの状態を保持していたのは異常で、なにか未知の力が干渉していることがわかった。

 皮膚移植手術を行った時にそれは確信に変わることになる。


 ベッドに寝かされた俺に困り顔の医師が言った。「レーザーメスが通らない」と。

 このような異常は今後の生活においても発揮され、最終的な結論は、俺は熱を一切通さない身体になっていたというものだ。

 身体に残る痕を例外として、その後に俺が新たに火傷を負うことは一度もない。熱湯の入ったやかんを素手で持っても平気だし、熱した金属板を押し付けてもなんともない。


 俺が燃え盛る家に飛び込んだ時、取り囲む炎の熱を全く感じなかったのはこのためだったのだ。おそらくは茜が俺に遺した加護のようなものだろう、と橘は推測している。

 これの存在もあって、俺の特事入りはほぼ免れようのないこととなった。


 それからはひたすら射撃の腕を磨いた。暖かみのある課員たちと触れ合い、話し、目の前で命を失っていく度に俺は人間性を取り戻していったような気がした。

 何人も撃った。感慨はなかったが、仲間が死ぬのはどうしても堪えられなくなっていった。

 俺の第二の師である稲葉さんが亡くなった時は、一人泣き明かす夜を過ごした。


 しかし未だ満たされない。探偵になる夢はとっくに叶ったが、全てのカルトを、神を。なによりクトゥグァを抹殺する目標がまだだ。

 そして加入してから三年が経ち、ようやく俺のもとにチャンスが舞い込んできた。

 しかもそんじょそこらのカルトではなく、あまりにも見覚えがありすぎる"炎の腕章"という要素が絡む確かな情報。


 今度こそ潰す。茜のために、俺のためにも。そのために俺は。






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 ...キッチンで鍋を振っている。調査に向かう前の腹ごなしを提案したら嫌な予感が当たり、俺の手料理が食べたいと麗がごねた。

 俺は基本自炊だが、自分が食べるために作るので大して凝ったようなものはできない。そのため、ふと思い出した炒飯を作ってみる。

 もう二度と他人に振る舞うことはないと思っていたが、こんな妙な機会があるとは。麗はなにやらニヤニヤしながら、キッチンに立つ俺を眺めている。


 あの頃からは道具も設備も変わって、腕前も随分錆び付いてしまった。それでもこの感覚を身体が憶えていることに自分でも驚いている。

 椀を型のように使い整え皿に盛り付ける。差し出したそれに、麗はうんうんと唸りながら美味そうにがっついている。


「えーめっちゃ美味いんスけど~。流石料理の腕も一流なんスねぇ。」


「別に普通だ。というか、炒飯なんて誰でも作れるだろ。失敗する奴なんて見たことが...」


「.....え?」


「...お前か。」


 他愛ない会話をしながら昼食を済ませる。自分の料理を簡単なものと言えど褒めてもらったのは久しぶりだ。

 バディという関係性ゆえ妙な感じがするが、素直に嬉しい、と思う。あっという間に空になった皿をシンクに置きっぱなしにして、俺達は家を出た。


 はやる気持ちを抑えられない。だが不確実な情報は自分の目で確かめるまでは信じない。一刻も早く真偽を知りたかった。

 ついアクセルを踏みすぎるのをこらえて、報告書にあった廃墟へ向かう。徐々に道ががたついていき、鬱蒼とした木々が陽を半ばに遮る。

 随分な山奥だ。なにか動物の一頭や二頭がいてもおかしくない。

 やがて、視界にコンクリートの塔のような建物が見えてきた。あれが例の現場か。

 窓も少なく無機質で、なにかの収容所のような陰気な印象を与える建造物。その利用目的は見た目からは窺い知ることができない。


 手前の土面の上に車を停め、トランクから自身の装備を取り出して身に付ける。弾薬は十分だ、今の意気と鍛えてきた腕があればカルト一つ潰すことなどわけない。

 踏み込もうとした時、俺はふと建物の外壁が気になった。ざらついたコンクリートのように見えるが、どこか質感がおかしい。

 手の甲で軽く打ってみると、伝わる感触からこの壁は金属で出来ていることがわかった。表面加工用のスプレーでも吹き付けているのか、外見との乖離がある。


 妙な胸騒ぎがする。しかし恐れていては始まらない。俺はクトゥグァを必ず消し去るんだ。

 そうでないとあの子があまりにも報われないだろう。一足早くホルスターから拳銃を抜いて、先導し踏み込む。

 中は薄暗く、かなり埃っぽい。非常に多くの雑草が根を張っていて、人の出入りがあったような形跡は見られない。


 ライトで辺りを照らしながら探索を続ける。しかし成果は奮わない。やはりハズレか、それとも既に察知されていたか。

 建物全体の中間あたりまで進んだところで、思考はそう結論付けを始めていた。

 いや、早急な結果が伴わないために諦める。そんな考えはよろしくない。なにか手掛かりを掴むまで、日が暮れてでも探し出す。

 執念で足を踏ん張り、もう一度よく隅々まで見てみよう。そう動き出そうとした時。


 背後から一発の銃声が響いた。この銃声は間違いなく、同伴していた麗の持つキアッパ・ライノリボルバーの40口径弾丸。

 しかしそれが貫いていたのは、唐突に現れた敵でもなく、紛れもない俺の腹だ。一気に熱いものが滲み出て、激痛と共に俺は蹲る。


「ウッ...ッ!?は、は....?な...!?」


 頭の中の整理が追い付かないままに振り返ると、闇によって灯る光を覆い隠されたまっすぐな瞳と、硝煙の立ち上る銃口をこちらに向けた麗が立っていた。

 何故だ。何故コイツはいきなり俺を撃った。自分から再調査に誘ってきておいて、一体全体どういうつもりだ。

 ふと、光が差し込む。見ると、建物の壁がドロドロに溶け始めていた。天井さえも消えて、液体と化した金属は散っていく。


 その戻る先は、周辺の木々の陰から現れた少年や少女たち。嘘だ。信じたくない。

 俺のバディは、魔術師と共謀して俺を殺すためにここへ呼び出したとでもいうのか。


「お前...ッ...!ME...C...!?」

「ふざける...な...何故...!!」


 掴みかかろうとした俺の手を、麗は容赦なく次弾で撃ち抜いた。指が数本千切れ飛び、全身に迸る激痛に立ち上がることも儘ならない。

 少年少女は俺のもとに近寄ると、手元に液体金属を集めて様々な武器を形作った。

 その様は、消えゆく命を迎えに来た天使のようにも、はたまた刈り取りにやってきた死神のようにも見えた。


「スミマセンね、センパイ。騙しちゃって。」


 麗は懐から、一つの銀色をしたハンコを取り出した。刻まれている字は「橘」だ。

 それを地面に投げ捨てる。すると、ぱらぱらと瞬く間に形を変えていき、最終的には金属の立方体となった。

 まさかあの報告書に捺されていたのは、偽物の印だったのか。


「俺の能力、こんだけしか範囲ないンすけどね?触ったモン完璧にコピーできるンスよ。」

「便利っしょ?いやァ、信じてくれてよかったッス!」


「お...前...!全部、嘘か...!?」


「もちろん!水上センパイ誘い出すなら、火のカルト持ち出すのが一番効果あるじゃないッスかァ!」

「ノリノリで来た時はもう、マジで笑いこらえるの大変だったンスよ~!?」


 俺は出血により薄れ始める意識の中で、特事入りしてから初っ端に組まされた麗の出自を思い出していた。橘課長から聞いた話だ。

 あいつは確か、特事課が踏み入ったバイオテロ組織「特別宗教法人シーグン」の施設から拾ってきた特殊な人間だ。

 それも見つけた情報によれば、いくつもの優秀な著名人の遺伝子を掛け合わせて作られた生け贄、および戦闘用のデザイナーベイビー、言わば人工のスーパーマン。

 奴には親はいない。文字通り。発見された場所が"入れ物"の中だったというから。


 一度は警察に保護されていた。十代半ばまでは普通の暮らしをしていたが、ある日に突然姿をくらました。

 数年後に所在がわかったかと思えば、裏社会で活動する何でも屋になっていた、と。それからは特事への引き抜きという名目で再び警察の庇護下に置かれることになった。

 奴を膝元に置いておきたい理由は嫌でもわかった。その類いまれなる射撃能力だ。


 奴が依存するのは使用する武器の有効射程だけ。あとの要素は全て持ち前の正確無比な照準でカバーされる。

 現に今、俺の利き手を一発で吹き飛ばしたのはその証左だ。正直な話俺の力はこいつに大きく劣っている。

 為す術がない。撒き餌にまんまとつられてしまったがために、目先の欲望に囚われるあまりに、命を失うなんて。


「お前...MECのスパイなら、なぜ俺を真っ先に狙う...ッ!不破はどうした...お前らの目的のブツを持つのはあいつだろ...!」


 苦し紛れに口をついて飛び出す、仲間を売るような言葉。死ぬのが怖かった。この場からすぐにでも逃げ出したくなった。

 俺は運と、たまたま適正のあった能力を発揮することで今まで生き残ってきた。魔術による傷を受けて療養を受けている最中も、辞めることばかりを考えていた。

 でも無理だ。俺はこの熱を遮断する特異体質と人殺しの罪を背負い続ける限りは、逃げることはできない。

 こんな脆い精神を突き動かしていたのは、慢心と復讐心だけ。俺は結局、大した人間じゃなかったんだ。


 ただ他人よりも殺人に躊躇がない、倫理だけがブッ壊れた木っ端のような存在。虫のように醜く這いつくばる自身の姿を俯瞰して、自らを見下した。怖じ気づいた。

 俺は死神なんかじゃない。ただの人間だ。だからどうか助けてくれ。見逃してくれ。


「俺はMECなんかじゃないッス。あんな連中、が利用してるだけッスよ!」


「俺達は、"揺篭オーファニッジ"。大好きな"ファーザー"の為に全てを捧げる、健気な健気な子供たち。それが俺達。」


 額に銃口が押し付けられる。冷たい鉄の温度が肌を伝い、死の恐怖と共に身震いを誘う。

 ガチャンと、撃鉄が起こされる。血の気が引くとはこの事か。

 嫌だ、やめてくれ。俺はまだ死にたくない。まだやることが残っているんだ。



 死にたくな

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