第71話 フラッシュオーバー

 最寄りのスーパーに入り、さっきまで身を取り囲んでいた熱とは裏腹によく効いた冷房に身を震わせながら必要な商品を取っていく。

 茜は棚からあれこれ掴んできてはカゴに放り込もうとするが、「炒飯」の釘を刺せばすぐに元に戻しに行く。効力は絶大だ。


 主な具材を買い足し、米は今から炊いているとせっつかれそうなので仕方なくまたパックご飯を購入。冷凍食品売場で俺を引き留めようとする茜を引っ張りながら会計を済ませる。

 そして袋に買ったものを詰め終わったところで、ポケットに突っ込んでいた携帯電話に着信が入る。

 見てみると、妹からだった。普段からの突っ慳貪な態度、向こうから俺に連絡を寄越すことはまずありえない。


「...もしもし、千鶴チヅル?」


 そんな応答を掻き消す、絶え間なく鳴り響くノイズ。人目を憚らず叫べど妹の千鶴は言葉を途切れ途切れに発している。

 この爆音の正体はなんだ。様々な憶測が高速で脳内を駆け巡る。そのまま買い物袋を引っ掴んで俺はスーパーを飛び出した。

 茜が悪態をつきながら追いかけてくるのにも構わず、家族のいる家へ目掛けて振り切らん勢いの全速力を出す。


「千鶴!?千鶴ッ!!返事しろ!!」


 なにかが崩れるような音が聞こえ、変化する向こうの様子に思わず立ち止まり少しでも情報を得ようと耳を傾ける。


『おに...いちゃ、ん...たす、けて...!』


 俺は聞いてしまった。確かな苦悶が混じった助けを呼ぶ声を。

 手に持った重りを投げ捨てて走る。背後へ迫る炎の神に火炙りにされようと関係ない。罰なら後で受ければいい。

 一体なにが起こっているんだ。この時間は家族全員が家にいるはず、巻き込まれているのはきっと妹だけではない。


 家が近づくにつれて俺は、夜なのにも関わらず周囲が明るくなっていくのを感じた。天を焦がすようなオレンジ色の光。

 まさか、この光は。揺らめく光は。人だかりが見える。舞う火の粉が見える。

 家々の陰から覗く、炎の花弁が見える。


 家の前に着いた頃には、俺はアスファルトの上に膝をついて項垂れていた。あの廃屋で遭遇した炎の存在が、家を焼き尽くしている。

 延焼も広がり、逃げ惑う人々と野次馬が路地の上で交錯している。

 あれでは、中にいる家族は誰も助からない。絶望だけが感情を満たしていく。

 酷く扱われようと志を笑われようと、家族は家族なんだ。だからといって見捨てていい理由になんかならないんだ。


 俺はこのままずっと、今日が明日に変わっていくと信じていた。そんなささやかな願いさえも真っ黒に焦げて、形を失ってしまった。

 ふと、隣に追い付いてきた茜に気づく。茜は空に浮かんでいるを真っ直ぐ見据えている。

 その様子から茜がやったのではないとわかってはいるが、どうしても疑う心が生じる。ほんの少しでもあの仇に関係しているのなら何か言ってくれ。


「ショウゴ。中に一人、かろうじてだが生きている奴がいる。」


「....え?」


「家族なんだろう?俺様にだって家族くらいいる、お前の気持ちはわかる。」

「あれは俺様が追い返す。道を切り開いてやるから、行け。」


 両掌を手前に突き出す茜。そしてその手を左右に広げていくと、玄関のテイすら判別できない洞穴のような焼け跡だけを残し、炎だけが一瞬で消えた。

 背中を平手で叩かれ震える足で立ち上がる。根拠のない言葉だが、打ちのめされた俺の勇気にこの場を耐え抜くだけの火を灯すには十分過ぎるものだった。


 ここで動かなければ誰が動く。自由奔放な炎のカミサマが助けてくれるとでも?

 家族一人救えないで、なにが探偵だ、なにが人の役に立つだ。絶対に死なせない。

 絶叫し、炎の取り巻く家へ飛び込む。そしてありとあらゆる部屋を虱潰しに探し回る。

 しかし不思議なことに、辺りを炎に囲まれているというのにまったく熱を感じない。加護のようなものなのか、火事場の馬鹿力というやつなのか。


 もはや炭となりかけ、満足に踏みしめることのできない脆い階段を上っていく。二階の廊下に進むと、妹の声が聞こえてきた。

 名前を呼び掛けながら、目につく扉を次々に開けていく。そして最後、物置部屋へ。


「千鶴...ッ!!」


 そこにはへたり込んだまま、恐怖に泣きじゃくる妹の姿があった。駆け寄り、肩を抱き寄せて安心させる。

 しかし俺の手に伝わったのは、彼女の柔らかな肌の感触でなく、ざらざらとしたもの。

 まるで、燃えて灰になった炭を崩しているような。次第に声が聞こえなくなっていく。耳に残っていた響きが深淵に落ちていく。


 千鶴の肌が褪せて、水分を失う。カラカラに乾燥した表面は黒くささくれて逆立つ。

 髪も皮膚も全て焼けて落ちた。俺が安堵の涙を流しながら抱いていたのは、人の形をした黒焦げの何か。

 驚いてそれを取り落とし、足をバタつかせながら後退りする。同時に込み上げる吐き気に、その場から動けなくなった。


 救えなかった事実を、目の前の亡骸が示す。茜によって顕れた存在が退けられ、俺の顔や腕に刻まれた深い火傷が痛みを放っても、俺は狂ったように泣き叫び続けた。

 俺は弱い。神の力をもってしても大事な家族を失う羽目になった。現から逃避する頭が見せたまやかしに騙され、ヒトですらない塊を妹とした。


 神は、実在する。目の前でその力をも目にしたのだから間違いない。

 俺は、そんな神を利用してでもいい。必ずこの世に跋扈する全てのカルトを、神を。叩き潰す。何年でも、例え人生を賭けてでも。

 復讐ではない。ただ、煤けてしまった俺の心を満たすためだけに。人類の脅威になる存在は、燃え滾る正義の志にかけて消し去らねばならない。







 ...............






 三年後。11月下旬。


 俺はまともな探偵になっていた。郊外に事務所を構えて、今は書類を整理している。

 これは、あの惨劇の後に俺を引き取ってくれた親戚による援助の結晶だった。茜も拙いものの助手として頑張ってくれている。

 神だと名乗っていたのに気まぐれを起こさずついてきてくれているのは未だに意外だ。それもこれも、おやっさんが背中を押してくれたおかげだろう。


 別れの挨拶もなしにいきなり別の県に引っ越してしまったことを謝りたい。ずっと顔を合わせていないが、まだ店は繁盛しているだろうか。

 でも、俺に会いに行く資格があるだろうか。俺はあの夜、妹の焼死体を抱いた瞬間から、心が乾ききったようになってしまった。顔の半分に走ったこの痕のように。

 勘のいいおやっさんのことだ、この傷跡がなくとも表情を見ただけで悟るだろう。


 感情の起伏が落ち着いたのか、抑制されたのかはわからない。それを茜は感じ取ったようで、出会ってすぐの時期のようなふんぞり返った態度はすっかり鳴りを潜めた。

 眉間のシワの深さで感情を読み取っているらしく、俺が仕事に追われている日には何倍かってくらいに濃いインスタントコーヒーを淹れてくれた。

 シワはさらに沈み込んだが、いい気付けにはなった。後でコーヒー瓶を確認したら三割くらいなくなっていたが。


 探偵業は好調。その合間を縫って今日も炎に関するカルトの情報を独自に集める。

 一見さんの客にはこの爛れた顔を見た途端ビビられるのが当たり前。まずはドア越しに心の準備をしてもらってから、謝罪と共に顔を見せる習慣がついた。

 茜は相変わらずの尊大な性格だが、いろいろ口にして食の幅も広がったし奇行もかなり落ち着いた。

 今日はこの件を報告書にまとめたらやることもないし、店に行ってみることにしようか。


「茜、今日何食べたい?」


「聞くだけ無駄だろう!炒飯だ!」


「昨日も炒飯だっただろ...というか、無駄って言うが出せばなんだかんだ食うよな。」


「当然だ!神は好き嫌いなどしない。それにショウゴの料理は美味い。」


「そりゃどうも...お前、二日連続で同じもん食えるタイプだったっけ。」

「おやっさんの店行くぞ。久々に顔を出す。」


 ハンガーラックに引っ掻けていた厚手のコートを羽織って、茜にパーカーを投げ渡す。そして車のキーを手に取り、事務所を出た。

 あの町までは少なからず時間を要するだろう。それまでに腹を空かせておかなくてはな。

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