第51話 秘匿された意図

 冷水の口をついて出たその名前の組み合わせに、維持していた俺の集中は一瞬途切れた。

 その瞬間、背後に飛び散っていた液体金属が突如動き出したかと思うと伸びて、強固な金属のツルとなり俺の身体を磔にして固定する。

 遠隔操作か。ツルはそのままギリギリと四肢を締め上げて苦痛を生む。心眼を掴み続ける力もなく、俺はそれを取り落としてしまう。


 橘、睦月だと?コイツはいったい何を。橘さんは俺を拾った特事課長。血縁関係だなんて知らされていなかった。

 いや待て、信じてはいけない。コイツのハッタリだったらどうするんだ。自分が誰なのかを知りたがっている俺の隙を突いたブラフかもしれないじゃないか。

 しかしそれでも、それが本当だと信じさせる情報が記憶の奥底から掘り返されて頭の中を駆け巡っていく。

 初めて会った時の「会えて嬉しい」というセリフ、妙に親しみのある煙草の匂い。俺だけを下の名前で呼ぶこと。

 勘違いだという可能性もあるのに、俺の思考はそれらの記憶を肯定したがって言うことをまるで聞かない。

 一頻り爆笑した冷水は右手の指先を鋭い刃に変えると、身動きの取れなくなった俺の頬にそれを這わせ血を流させる。


「このまんまブッ殺してもいーんだけど、ほら、あたしプライド高いっしょ?」

「だから手負いのアンタをボコったところで満足しないなって思ったの。」


 冷水がそう言うと、手足を拘束していたツルが緩み俺は地面に下ろされた。あまりにも身に覚えのある理不尽な因果応報、憐憫の眼差しが向けられる。

 すると、背後の路地から轟音を響かせながら走ってくる車両の存在に気づいた。


 振り返ると、その助手席から身を乗り出した古木屋が拳銃を構えるのが見えた。俺はそれに合わせて素早く地面に伏せる。

 数発の弾丸は空中を飛翔し、正確に冷水へと向かったように思えた。しかし即座に展開されたシールドによって銃弾は弾かれてしまう。

 車がドリフトしながら、冷水と俺の間に割り込むような形で停車する。助手席から古木屋と共に下りてきた柴崎が落ちた心眼を拾い上げ、遮蔽にした車体越しに冷水を睨んで拳銃を抜く。


「不破、無事か!?」


「シュリンプの...冷気噴射する未確認の武器に手の皮膚をやられただけだ...命はある。」


「そうかよ...なら問題はないなッ!!」


 ボンネットの陰に隠れながら、二人交互に顔を出しては撃ち出しては撃ちを繰り返す。俺はというと、先程冷水に投げ掛けられた言葉の意味を考えることで精一杯だった。

 確たる証拠がないのに妙に説得力があった。俺より長く在籍しているのだから知っていてもおかしくはないが、なぜそんな大事なことをずっと黙っていたんだ。

 銃声と弾丸が盾に弾かれる音を脳がシャットアウトし、危機的状況を勝手に無視する。が、その度に左手の痛みが意識を現実に引き戻す。


「ソータロー...これムリ...!」


「いくら撃ってヘコませても当てたそばから固め直しやがる!!おい不破、動けるか!?」


「左手以外は余裕だ!心眼でアレ溶かすんだろ、俺が行かねぇと...!」


 心眼を地面に突き立てて杖代わりにしながら中腰で立ち上がり、真っ赤に熱を持った左手を無理矢理使い、柄を確りと握る。

 凹凸が傷に食い込み激痛を発するが、そんなことは構っていられない。今ここで冷水を葬らなければ、ロクなことにならないことは明白。


「俺達で一斉に撃ち込む!押さえられてる隙にお前は突っ込めッ!智歩、いいな!」


「.....りょーかい。」


 二人は手早く弾倉マガジンを入れ替え、柴崎のスリーカウントで身を乗り出し苛烈な弾丸の雨を見舞う。

 俺は車体を踏み越えて跳び、心眼を手に防戦一方の冷水目掛けて真っ直ぐに走った。

 だがそれも半ば、俺は痛みによって発されたであろう背後の二人の悲鳴で足を止めた。振り返ると、なんと肩に銃弾を受けている。なぜだ、二人のもの以外には発砲はなかったはずだ。

 冷水がなにかを仕込んだ様子も見られない、一体何をした?


 その瞬間、俺は目の前に現れた謎の人間にいきなり吹き飛ばされた。腹にかざしたのであろう開かれた手と、黒ずくめの姿を視界に映しながら後方にあった車のドアに強かに背中を打ち付ける。

 軋む首をもたげ顔を上げると、そこに立っていたのは季節外れの黒いコートを着込み、顔を薄汚れた、縁日で売られているような女児アニメのお面で隠した痩躯の男だった。

 男は聞き覚えのある優しい声色で、両手を仰々しく広げて話す。


「また会いに来たよ。睦月君。」


 その声を聞いた瞬間、再び記憶の砂をさらって拾い上げた断片が毛を逆立たせるような感覚と共に心臓を打った。矢嶋だ。

 今、奴の側に立つ冷水の腕が切り落とされたあの日の廃工場で、陰になった姿を目にしただけだったが確信に変わった。

 矢嶋は軽く笑いながら、顔に着けた仮面を慕わしく革手袋の覆う手で撫でた。


「ああ、これかい?の一人がプレゼントしてくれたんだ。」

「健気だと思わないか?みんな私を愛しているんだよ。」


 不気味な風体もそうだが、そうじゃない。俺が気になったのは、今し方吹き飛ばされた時に感じた

 俺は確かに衝撃波のような攻撃を受けて数メートル後方に飛ばされた。だがその着地点に先に到達していたのは、俺の身体でなく攻撃の威力によって手放させられた「心眼」だったのだ。

 揺らぐ視界の中で、刀身に浮かぶ紋様に残ったわずかな輝きも見えた。この刀は今、俺もわからない間に何かの魔術を跳ね除けていたということになるだろう。

 しかし、ここまでで度重なる衝撃を受け続け麻痺した頭はそれ以上の考察を許してはくれなかった。


「邪魔が入ったわ。ラウンドツーはお預けね。今度サシでやりましょ、ナイフ戦。」

「それまでに怪我直しときなさいよ。あたしはハンデのないアンタをこの手でグチャグチャにブッ殺したいの。」


 冷水が、いずれ来る決戦に戦慄く細めた目でこちらを見る。すると、矢嶋は両掌を二度打ち合わせて空気が弾ける音を出す。

 その瞬間、二人は目の前の風景から切り取られたかのように姿を消してしまった。風が抜けることもない。奴の力は一体なんだ。

 激しい頭痛が俺を襲う。頭の中がかき回され、正体不明、上澄みとなろうとしているものと現実とのギャップが掻き混ざり吐き気を生む。

 痛みに呻きながらもこちらに駆け寄る柴崎と古木屋の声が次第に小さくなっていく。

 その内に俺の意識は暗転し、車体にもたれるままに身体の制御を失った。







 ..........







 瞼の表側を照らす蛍光灯の光で目を覚ます。気づけば怪我をする度、意識を失う度にこのベッドに世話になっている。皮が剥がれた左手には包帯がぐるぐる巻きにされていた。

 隣の椅子には橘が座っていて、身を起こした俺の肩を掴むなり歓喜の声を上げた。命の喪失に対しどこか冷めたような矜持を持っているのとは裏腹に、俺にだけ見せるこの振る舞いも思えばおかしかったんだよな。

 生死の淵を彷徨ってた息子が目を覚ましたというんなら、そりゃ喜ぶわな。


 俺はとりあえずそれを横に置いて、「晴笑の家」がどうなったかを聞いた。結果から言えば、組織は事実上の解体を余儀なくされたとのこと。

 俺の思惑通り柴崎は閉ざされた残りの部屋を全て調べ「コントロールルーム」に行き着き、町全域に張り巡らされたガスパイプの全てを操作するパネルを動かしてガスの蔓延を止めた。

 そして、証拠隠滅用の爆薬のスイッチを発見。古木屋曰く、施設を余裕で丸ごと吹き飛ばせるほどの量が電子制御式で地上基部に設置されていたらしい。


 俺は、シュリンプは廊下で戦った一体とアドミニストレーター以外にも存在したが、残りがどこに逃げたかはわからないと伝えた。そして、彼らの本当の名前が「ミ=ゴ」であること、人体に容易く凍結させる冷気を放つ噴霧器についての詳細も。


「ミゴ?妙な名をしてやがるな...」


「違います...ミ=ゴですよミ=ゴ。間にイコールが入るって、訂正されました。」


「...?言いにきぃなァ、ミゴでいいだろ!」


「そう思いますけどねェ...」

「.......俺としちゃ、収穫したうちの本命はここじゃないんですよ。」


 俺はしばらく葛藤した末、冷水と矢嶋が現れ交戦したことを伝えた。橘は当然驚き、すぐに全課員に伝える手筈を整え始める。

 それを制止して、出来るだけ深刻そうに言うことを心がけながら、冷水が俺を「橘 睦月」と呼んだことを話した。

 そこから口をついて堰を切ったように溢れてくる、これまで経験してきた親子であることの裏付けとなる事柄の数々。無意識のうちに叫びへと移り変わっていく俺の声に橘の顔はすぐに曇り、片手を額に当てながらスマホをポケットに突っ込むと倒れるように座り直した。


「.....ああ。評議会の連中からは"ややこしい事態を招くから"って釘刺されてたがよ...」

「お前は、俺の息子だよ。間違いなく。」


 橘は涙ながらに俺の持つ空白の時間についてを話した。曰く俺は二歳になった時、矢嶋にさらわれたという。

 当時の妻は「稲葉イナバ 郁梨カオリ」。顔だって知り得なかった、俺の実母となる彼女もまた特事課に所属する人間だったらしい。

 母は二年前、ほんの数日の間であるが柴崎のバディだった。共に赴いた任務にて突如発生した神格存在から柴崎を逃がそうと一人立ち向かい、そして、ありとあらゆる開口部から突っ込まれた触手で内側から身体をにされて、死んだ。


 言葉が出なかった。そんな壮絶な死を母親が遂げていたというのに、それを知らなかったなんて。自分がいかに無力な存在かを痛感した。

 しかし19歳になった俺がどういうわけか記憶を失った状態で殺人を犯し、特事に拾われるまでの十数年間については橘もわからないらしい。何せ、俺を見つけるために数少ない仲間と奔走していたというから。

 ここで、俺はハッとした。


「ということは、尊って....」


「ああ。腹違いの妹ってことになる。」


 人間が人間になった。悪いことではないんだろうが、妙な嬉しさと重たい責任感が同時にのし掛かり謎に照れ臭くなってきた。

 俺のその様子を察したのか、橘は少し笑って頬の涙を拭き、昔話を始める。



「これはまだ、特殊事象対策課そのものができていなかった頃の話だが...」

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