第36話 白羽の矢

 音の正体は、こちらに向かってゆっくりと飛行する軍用の輸送機だった。

 高度、速度共に通常飛行と同様。武装をしている様子は見られない。

 それを見た母さんは、負傷者を出来る限り多く救うためにあたしたちに物陰に移動させるよう指示した。

 念のため輸送機は警戒、単に上を通りかかっただけの可能性が無いわけでもない。

 紛争も度々起こっている地だ、輸送機の一機や二機飛んでいてもおかしくないが。


 思想信条はない傭兵という組織。

 だがあたしたちは自ずと母さんの言葉通りに動いていた。

「市民を守る」。任務の筋には沿っている。

 司令塔が機能しない今、頼れるのは母さんだ。


 十数人を確保し、即席の小さな野戦病院を立ち上げて手早く処置を行っていく母さんに、みんな頭を下げて感謝していた。

 しかしやがて持ち合わせの分では物が足りなくなり、あたしたちは母さんとそのアシスタントをする佑亮に負傷者を任せ、近くの建物になにか残ってないか探しに出た。


 民家に入って事情を説明しながら包帯や消毒薬を調達する。

 脱いだ戦闘服の上を風呂敷のように使い、持てる限りの物資を運ぶ。

 二往復目、再び塔の裏へ戻ろうとした時、あたしは遠くへ飛んでいく輸送機を吸い寄せられるように見た。


 後部ハッチが開いている。

 そしてそこから、細長い榴弾砲の砲身が飛び出していた。

 兄達とあたしの重そうな荷物を見かねて近寄ってきた母さんも、同時にそれに気がついたらしい。

 まだ塔まで距離がある。走ったとて間に合わないほど離れている。


「ウソ、砲撃────ッ!?」


 母さんはあたしの足に自身の足を引っ掻けて仰向けに押し倒し、その上に覆い被さるように身体を抱き締めた。

 あたしは今まで、こんなに固く強い力で抱擁されたことはなかった。

 景色がスローモーションに変わっていく。

 母さんの靡く髪の間から、闇夜の中砲弾を発射し噴き上げられた炎が見えた。

 死が、あたしたち目掛けて降り注ぐ。


「ダメッ、待って!!母さんッ!!」


 あたしの叫びは届かない。

 手足を掴んだまま、庇護の態勢を固めたまま。

 母さんの震えが密着した身体を通じて伝わってくる。死が急速に迫り、記憶の欠片がいっぺんに脳内を駆け巡る感覚。


 あたしは、「天才」だった。

 だから、故に今、いざ死に瀕すると恐ろしくてたまらなくなった。

 何人も奪ってきた。何人もの未来を、家族を、絆を、歳月を。

 そんな人間でも、死ぬ時は震えるんだ。

 死にたくないと初めて考えた。

 殺せるから、死ぬはずがないと驕っていた。


 あたしは初めて、奪われる側になった。





 ..........





 ────数時間後。


 激しい頭痛、木々の隙間に満ちていく朝焼けと共に目を覚ます。

 あたしは、夢を見ていた。

 生活の一部になってた武器を捨てて、生まれた日本で幸せに暮らす夢だった。

 あの閃光が晴れたら、夜が明けてたら。

 そうなってたらよかったのに。


「────ああぁぁあぁァアアッ!!!」


 全身を貫かれた母さんの亡骸が、そんな幻想を脆くも砕いていく。

 なにがあたしたちを襲ったのかは、あたりに突き立った無数の矢を見ればすぐにわかった。

 フレシェット弾。榴弾砲などに装填される、何千もの金属矢を詰めた対人用の特殊兵器。

 あの輸送機は残酷にも、住人がたった千人にも満たない町へとそれを放ったのだ。


 母さんは、身を挺してあたしの盾になった。

 そのお陰で、あたしが受けた矢は左腕に刺さった一本。それも骨に達しておらず、皮膚と肉を串刺しにしただけ。

 そんな痛みなんて、今はどうだっていい。

 まだ敵が潜んでいるかもしれないのに、泣き叫ばずにはいられなかった。

 すっかり冷たくなった母さんの身体を抱き締めて、首に提げたドッグタグを引き千切る。

 辺りに散らばった兄達のものも同様に。


 しかしどこをどう見ても、佑亮の死体だけが見つからない。

 塔は崩れてない。そこに隠れて無事だったからとっくに逃げたのだろうか?

 自分のこめかみに突きつけようとした拳銃を、あたしはホルスターへ乱暴に突っ込んだ。

 まだ生き残っているなら探さないといけない。

 そして、同じく姿の見えない父親に通信が途絶えた訳を問いたださないと。


 あたしはしばらく壁にもたれ掛かったまま座り込み、ボーッと空を見つめていた。

 しかし状況を詮索しようとする、狩り立てる者たる思考は止まらない。

 盗賊団の規模は小さいと聞いていた。なのに輸送機やフレシェット弾を用いるほどの金は一体どこから湧いている?

 なにか他の組織と繋がっているのか、それとも依頼した側が裏切ったのか。

 なんにせよ、守る相手がこんなピンクッションみたいな有様じゃどうしようもないか。


 すると、遠くから車両の近づく音が聞こえる。

 あたしは素早く手近にあったライフルを拾い、塔の陰に身を隠す。

 きっと盗賊団が戻ってきたんだ。よくもまぁノコノコと、苦しめてから皆殺しにしてやる。

 ボルトを引いて初弾を排出、まだ弾は残っている。ひたすら息を殺して、車両が停止するのを待つ。


 やがて複数台の車両が広場の中心辺りに停まる。

 ドアを開けて、数人がぞろぞろと下りてくる音が聞こえる。

 話の内容からして生存者を探しているようだが、その中には子供の声が混ざっていた。

 あたしは物陰から半身を出して様子を窺う。

 停車しているそれらは先程襲撃してきた盗賊団のバギーとは違い、鞄や食料品などの荷物が詰め込まれたバンだった。


 集まっている人々も武装している様子はなく、格好も民間人そのもの。連中とは似ても似つかない。

 一か八か、あたしはライフルを背中に回し、両手を上げながら物陰からゆっくりと出ていく。

 人々はあたしを見るなり声を上げて、安堵した表情でこちらに駆け寄ってくる。

 良かった、どうやら敵ではなさそうだ。


 目的を聞くと、この集団は難民キャンプの設営などを行っている非営利団体で、騒ぎを聞き付けてここまでやってきたらしい。

 あたしは促されるままに、この団体に生存者として拾われることになった。

 みんなを然るべき場所に埋めてあげたかったけど、悔やむ時間も悲しむ暇もない。一刻も早く佑亮と父を探すためだ。


 乗り込まされたバンには人がぎゅうぎゅう詰めで、あたしはリュックを前に抱えて一番後ろの長座席の端に座った。

 ふと、前の席に座っている少年に気づく。

 女の子みたいに華奢な身体、褐色の肌。

 黒く滑らかな髪が肩程まで伸びてる。背筋を伸ばす時に漏れた声がなければ男の子だと気づかないところだった。


 少年は窓ガラスに頭をもたれさせ、物憂げな表情を浮かべながら溜め息をつく。

 そして、大きく腹を鳴らした。

 あたしはリュックから乾パンを取り出して封を切り、少年の肩越しに袋を突き出す。

 耳元を横切ったガサッという音に驚きながら、少年は恐る恐る振り返った。


「腹減ってんでしょ?コレ食べなさい。」


「いや、あの....」


「いーから。あたしは大丈夫。」


 ゴクリと生唾を飲む少年。

 あたしはそのままシートの上を滑らせて隣に乾パンの袋を落とし、腕を組んでわざとらしく欠伸を挟んでから狸寝入りをする。

 いびきなんかかいてみると、しばらくしてから袋を引ったくるように掴んで食べ始めた。


 あたしは片目を開けて、何個も同時にボリボリと噛み砕きながら頬張っている、窓ガラスに映った少年の様子を眺める。

 悪路を往くこのバンがどこかに着くまでこのまま眠ろうかと思ったが、どうにも放っとけなかった。

 時々喉に詰まらせて荒く息をしながら、中身をあっという間に平らげてしまった。


 空になった袋を物惜しげに握り、申し訳なさそうにこちらに向けられた瞳と、目が合った。

 あたしは特に取り繕うでもなく、ただ微笑みを返した。

 照れ臭さが滲み出る、歯を見せたほのかな笑みがカーテンレールに引っ掛かった衣服の間から差し込む陽光に彩られた。


 死と緊張に押し固められていた心が、わずかに緩むのを感じた。

 言葉も発さずに、互いに見つめ合う。

 心労が理性を紡ぐ意欲に勝っていたのだろう。

 ただぼんやり、この時が続けばいいなどと漠然とした思考だけがたわんだ糸のように揺らぐ。


 砂利道の上をガタガタと走る車内でひとつ、なにかが芽生えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る