第33話 一後進一退

 食事と一仕事を終え、夜の路地を歩く。

 そのを引き寄せた原因のせいで、腹一杯食えなかった。七分目だ。

 それにしても、なぜ魔術師の組織が心眼を狙っているのだろうか。


 漫画みたいな話だが、もし魔術師組織がいくつか存在したとして、それらが抗争になった時。

 触れた魔術を問答無用で無にできる心眼は強力なワイルドカードになるだろう。

 なので、MECが持つ武器の一つとして心眼を組み込もうとしているのではないか。などといったことを四季の話を聞き流しながら考え、歩いていた。


 ポケットに手を入れながらの行動がコショウによって憚られてしまうことに苛立ちを覚えつつ、俺達は部屋に戻ってきた。


「シャワー借りる。」


「ん。タオルとか置いとくよ。」


 レバーを捻り、噴き出す水を頭から浴び、冷静になった頭で思考を巡らせる。

 考えることは、宇佐見 四季の存在について。

 今のところ毒にも薬にもならない存在ではあるが、持つ戦闘能力は本物だった。

 ほとんどが素人臭かったとはいえ二桁を超える、武器を所持した人間と相対して物怖じしないメンタルも特筆すべき点だろう。


 その正体はまだわからない。

 契約書に記入した「大学生」という素性すら偽りかもしれない。

 とにかくこちらに敵意がない限りは、利用する方が益になる。

 俺は身体を洗い流した水を止めて、綺麗に手入れされたタイルを踏み締め脱衣所に出た。


 水滴を拭き取って、置かれていたパーカーとカーゴパンツを着る。

 あいつのものだろうか、俺が着るにはジャストサイズだった。

 居間に出るなり、俺はガバッと正面から四季に抱き着かれた。

 顔が交差し首筋に吐息がかかる。


「.......暑苦しい、離れろ。」


「まーまー、もうちょっとだけ。」


 それから10分ほど、俺達は密着したまま居間の入り口で立っていた。

 拒絶するタイミングを見失い、背筋を意地悪く撫で続ける悪寒と形のない慕わしさに必死に耐えながら、何倍にも長く感じる時間の濁流を抜けていく。


 四季はようやく満足したのか離れると、なにも言わず、顔も見ずに入れ違いにシャワー室に入っていった。

 その足取りはぎこちなげで、興奮を隠しきれていないような感じだった。

 溜め息をつき、シャワーの音だけが聞こえる居間、ソファーに座る。

 テレビを見ようとするが、そもそも回線が繋がっていない。


 それにしても、ここのところMECの襲撃が立て続けに起こっている。

 俺の持つ心眼が知られ、狙われている以上看過できない事態だ。しかし、どこから能力についての情報が漏れた?


 考えられるのは、俺を発見した時に同行していたらしい「矢嶋」の存在だ。

 何らかの仲間として行動していたなら効果を知っていてもおかしくはない。

 あるいは、特事課に内通者がいるか。

 どちらにせよこちらを狙う人間がいるなら、全員相手にするまでだ。

 ましてや魔術師なら、逆にこの刀が味方になってくれる。


 すると、四季がシャワーから出てきた。

 ジャージの上下を着用した姿で、濡れた長い髪を拭きながら隣に座る。

 洗いたてのシャンプーの香りが漂い、静謐な空間に秒針の音だけが響く。

 会話もなく、スマホのニュースを眺めるただ穏やかな時間だけがだらだらと過ぎていく。


 そろそろ夜が更けてくる頃、俺が欠伸をすると四季は電灯を消して、隣の部屋に繋がる引き戸を開いた。


「もう寝る?じゃ、一緒に寝よ。」


 そこは寝室で、タンスとダブルベッドが置かれていた。

 曰く「広いベッドが好きだからダブルにしていた」らしい。「こんな時のために」じゃねぇ。


「......ソファーで寝る。」


 ソファーに寝転がろうとすると、四季は素早く背もたれを支えに飛び乗り俺の上に跨がった。

 肩と胸を押さえつけられ、目を見開いた笑顔が急接近する。


「....ッ、お前...!」


「大丈夫。私はぜーんぶわかってるから。」

「強がってるんでしょ?かわいいなぁ。ほんとに昔から変わらないね。」


 "昔から"。その言葉に、ようやく治まりかけていた頭痛がぶり返した。

 激痛に悶える俺の頭を、またこの女は優しく撫でてくる。

 わからない。コイツが、俺にはわからない。

 だんだんと、見えない傷を抉ってくる記憶の断片をエサに飼い慣らされていくような感覚に、僅かながら恐怖を感じた。


「まぁ、来たくなったら入ってきて。」

「待ってるから。」


 耳元でそう囁くと、ひらひらと手を振りながら四季は扉を閉めベッドに入った。

 詰まりかけた呼吸を取り戻し、乾いた喉が張り付いて思わず吐き気を覚える。


 現れかけた欠片を紡ぐ暇もなく、俺は消えていく頭痛に手を引かれるように意識を眠りの中へ落としていった。



 ...........



 朝9時、自分の携帯電話の音で目を覚ました。

 橘から着信が入っていた。

 念のため話を聞かれないようゆっくりと靴を履いて外に出て、扉を背に掛け直す。


「......もしもし。」


『おう、睦月。調はうまくいってっか?』


「内偵調査.....?ぼちぼちです。というか...」


『あぁ。霞から送られてきた契約書読んだんだがよォ、どうも俺もあの宇佐見とかいう女には怪しさを感じるぜ。』

『お前が勝手に突っ走っていくのは、相当なんかあった時だ。とにかく、そいつと動く時は気ィ張っといた方がいい。』


「....わかってます。」


『で、本題なんだが....』


 橘の話によると、今日付けで特事課に配属された新入りが来るらしい。

 なんでも元巡査で、自ら特事入りを志願した珍しいケースの人間らしく、俺の後輩ということになる。

 わざわざ特事課こんなところに行くのを望んだ人間、腹に一物ありといった様子だ。

 新たな任務も入っている、昼からでも顔を合わせてから同行させるが一応警戒してくれ、と伝えて橘は電話を切った。


 新入り、か。あまりいい気はしない。

 俺がそのクソッタレな新入りだった自覚が多いにあるからだ。

 きっとろくな目に遭わない、ろくな死に方をしない。"死神"とさえ噂されるこの部署に、なぜ進んで入ろうとする?


 とりあえず結論は会ってから決めよう。

 俺はスマホをポケットに突っ込んで、再び居間に戻った。

 すると、四季が電子レンジから取り出した冷凍チャーハンを皿に盛っている。

 熱湯が入れられたカップラーメンも準備してあった。


「いやぁー、こんなのしかなくてごめん。」

「誰と話してたの?」


「.....橘さんだ。昼から新入りと顔合わせ、そのあと任務だってよ。」


「へぇ~。じゃ私もついてくよ。人手は多い方がいいでしょ?」


「.....まぁ、な。じゃあ頼む。」


「任せといて~。ほら、早く食べちゃお。」


 言われるがままに座り、解凍したチャーハンとカップラーメンを腹に入れる。

 舌が少しばかりシビれるほどのジャンクな塩気に、寝ぼけた頭がみるみるうちに醒めていくのがわかった。

 MECとの連戦が続いていたからか、身体に疲れを感じる。

 日頃のトレーニングの甲斐あって筋肉痛はほとんどないようだ。


 俺達は即席の朝食を食べ終え、特事課事務所に向かう。

 昨日の焼肉のお返しだとタクシー代は四季が無理矢理払ってしまった。


 廊下を歩き、いつもの事務所の扉を開くと、ソファーに座った見慣れない人物とその側に立っている木知屋の姿が目に入った。


「おはよう。橘君から話は聞いているね?」

「彼がその新人だ。」


 紹介を受けた男はゆっくりと立ち上がり、なんとも憂鬱そうなオーラを全身から放ちつつ頭を下げた。


丑三ウシミツマダキです。本日付けで配属されました。宜しくお願いします。」


 やや目にかかったクセっ毛と丸眼鏡が特徴的な小柄な体格をした男。

 レンズ越しに覇気のない瞳が、こちらを値踏みするように覗いている。

 自らの意志でわざわざ特事課ここにやってきたからにはなにか理由があるのだろうが、それを思わせるような雰囲気は、この猫背からは感じられない。


 すると木知屋は、件の"新たな任務"に関わるメモを俺に手渡す。

 それは廃トンネルの詳細が書かれたメモで、現場は郊外の山奥にあるらしい。

 四季の話していた"化け物"の存在は確認されていないが暗所であることは確定であるため、人数分の懐中電灯が配られた。


「....運転は俺がやりますよ。なんか、張り切ってるみたいになりますが。」


「いや、まぁー...良いことなんじゃないか?」

「丑三、飯はもう食ったか?」


「いいえ、朝からなにも。」


「それじゃあ途中店に寄ろう。行きつけのところがある、奢るぜ。」


「......どうも。」


 挨拶もそこそこに俺達は丑三の運転で事務所を出発、道を案内しながらいつもの喫茶店に向かわせる。


 丑三 未。見たところだがドライな性格らしくて助かった。

 いかにも天真爛漫、振り撒くほど余った快活さを有する人間なら、いざ同僚の死や未曾有の脅威に遭遇してしまったときの落胆ようは想像に難くない。


 そして俺はそんな様を、まともな目で見られる気がしないからだ。

 冷淡でテキトー、人付き合いを好まず無愛想。

「自分はいつ死んでもいい」と考えるような人間こそ、使い捨てが前提とされる特事課員には相応しいのかもしれない。


 人としては、大事にしたくない心構えだ。

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