揺れて、揺れて。

花沢祐介

揺れて、揺れて。

 夕暮れのひまわり畑。

 たおやかな風が吹いて、白いワンピースがふわりと息を吸い込む。


 私は今、幼い記憶を辿ってここにいる。

 理由は分からない。 


 感傷的。懐古的。厭世えんせい的。

 そのどれともつかない感覚に動かされ、導かれ、私の足を運ばせたひまわり畑。


「私はなぜここにいるんだろう」


 一際大きなひまわり、といった出で立ちの風車小屋は、記憶にあるそれと同じ姿だった。

 ひまわりと連なるように広がる海も、夕空を横切ってゆく鳥たちも、奇怪な形をした木のうろも。

 何一つ、記憶とたがわない景色が眼前に広がっている。


 しかしどうだろう。何かが足りない。

 それも、決定的な何かが。


「何が足りないのかな」


 かつて、このひまわり畑を共有した人々を思い浮かべてみる。


 当時の恋人とはとうの昔に縁が切れ、顔さえも覚えていない。

 つるんでいた友人とは疎遠になっていないし、すぐさま近況を述べることすら叶う。

 実家にはそれほど帰っていないが、家族仲は決して悪くない。


「この景色に足りないもの……」


 しばらく立ち止まり、一面のひまわりを眺める。

 そしておもむろに歩き出す。

 記憶のものよりすっかり背が縮んだように見える太陽の花を、ひとつひとつ見て回った。


 そろそろ日が暮れそうだ。


「夜になる前に帰ろうか。いや、せっかくだから」


 夜のひまわり畑は、私の記憶になかった。

 ただの一度も見たことがない。


 このまま何となく、夜闇に紛れるひまわりたちを眺めていようか。


「あっ」


 ここまで思考を巡らせたところで、ようやく足りないものに思い当たる。

 ――そうだ、私を制限するものがないんだ。


 かつて私たちは、日が暮れる前に帰宅しなければならなかった。

 それはもちろん、友人も恋人も皆、例外なく。


 だが今は違う。


 私を制限するものは何一つない。

 気が向くのなら、明日の朝までひまわり畑を見続けることさえ出来てしまう。


 つまり。

 

 ひまわり畑は有限の時間という制約の中でこそ、その心証を確かなものにさせていたのだ。


 ささやかな気付きを得た私は、さっそく自分に制約を課してみる。


「今日はもう帰ろう」


 今から急いで電車に乗れば、いつもの喫茶店でアッサムティーを堪能できるかもしれない。

 ミルクティーにするかは帰路で迷えばいい。


 とにかく、これで私は制限された。

 ようやく回帰したのだ。


 ふと、目線をひまわり畑に戻す。

 すると満ち足りた表情の黄色い花々が、風に揺れながら私の顔を見つめていた。


 私はくるりとひまわり畑に背を向けて、名残惜しさを満喫しながら駅へと歩き出した。


 心はまだ、揺れている。

 ひまわりたちもまた、揺れている。


 影は重なって、また離れて。


 いつまでも、どこまでも。


 ――揺れて、揺れて。

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揺れて、揺れて。 花沢祐介 @hana_no_youni

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