囲われるだけの簡単じゃないお仕事
香久乃このみ
第1話 『安囲い』
薄暗い口入屋の中。髷を小銀杏に結った恰幅の良い主が私――三塚由香をじろじろと値踏みしていた。
「由香さんねぇ……。身分があるでもなし。おりょうさんからの紹介とはいえ、後ろ盾のない流れ者。年齢もトウが立っちまってるなぁ」
(ぐぬぅ!!)
十九歳で行き遅れと言われた江戸。それに酷似したこの世界では仕方のないことと理解はしているが。
(腹立つなぁ……)
だがへそを曲げているわけにもいかない。私はここで仕事にありつかねばならないのだから。
そう、「妾」という仕事に!
「で、月にいくら欲しいって?」
(えーっと、一両が確か四万円ほどだから……)
「五両!」
「あんたに五両は厳しいよ」
(なんだと!?)
「『安囲い』ならいけるだろうがね。五人の旦那から一両ずつ受け取る。そいつでどうだい?」
(安囲いかぁ……)
昨日まで、私は令和にいた。就寝前にはベッドに横になり、スマホで動画を見るのが日課だった。
――今でこそ『妾』と聞くと、私たちはネガティブなイメージを抱きがちですが。『妾奉公』と称するようにかつては女の奉公先の一つ、つまりはれっきとした職業だったのです。妾奉公を望む者の中には裕福な商家の娘もおり、『三女もうければ、一生安活す』という言葉もあったほどでした――
「いいなぁ……」
最近のお気に入りである歴史系うんちく動画を見ながら、私はため息をつく。
「安いのだと月に三両から五両? 一両が四万円として、収入十二万円はきついか……」
当然、妾というからには仕事内容はお察しだ。だがそれについて私自身はさほど抵抗を感じない。
「今の時代にもこの仕事があったらよかったのに、ははっ」
結婚も秒読みと思っていた彼氏から別れを切り出され、今の私は宙ぶらりんだった。そんな傷心中の私へ追い打ちをかけるように、親戚を含む周囲の人間が『結婚はまだか』とせっついてくる。
(なんかもー、結婚とかしたくないけど、居場所が欲しいよね。パートナーさえいれば、周りからうるさく言われなくなるし)
私はスマホを手にしたまま寝返りを打つ。
(大奥とかハーレムの一員でいいんだよ。できれば、主から全く見向きされない末端の)
恋愛したいわけじゃないけど、色恋の匂いのするポジションにはついておきたい。「誰かに選ばれた」という実績が欲しい。
「あー、妾が今でも仕事としてあればなー」
……などとうだうだ言っていたら、この世界に来ていたのだ。ジャージ姿のまま、江戸に似た町並みの中に。
「どいたどいたどいたぁ!! そこの怪しい奴! 待ちゃあがれっ!!」
時代劇そのものの古い町並みの中。ちょんまげ頭に、着物の裾を尻からげした人相の悪い男が駆けてくる。十手を持って。
(ちょ、岡っ引きぃ!?)
私は反射的に走りだす。
「お、おい、なんだありゃ」
「珍妙な格好だねぇ、あやかしの類かい?」
髪振り乱してジャージで疾走する私に気づくと、着物姿の町人たちは慌てて道を空けた。そして遠巻きにひそひそと私のことを噂する。
「止まれとまれぇ!! 逃げるたぁ、いっそ怪しいぜ!」
(だって怖い顔で追っかけてくるから!)
捕まれば、私が何者であるか問われるだろう。ただ正直に答えても、彼らが受け入れてくれるとは到底思えない。
(誰か助けて!!)
角を曲がった先に、黒い板塀が見えた。私は吸い込まれるようにそこへ飛び込む。松の根方へ身を縮め、息をひそめた。
「どこ行きゃあがった、あんちくしょう!」
塀越しに岡っ引きの荒々しい声がする。私は口元を両手で覆い、難が過ぎ去るのをじっと待つ。やがて足音と胴間声が完全に遠のいたのを確認し、私は大きく息をついた。
(何とかまいたみたいだけど、これからどうしよう……)
恐る恐る、板塀から外を覗いた時だった。
「追われてるのかえ?」
「!?」
ふり返った先に、美しい女性が立っていた。一目で一級品だと分かる着物をまとって。
「あの、私……」
「訳アリのようだね、上がっていきなんし」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます