七十九 一緒にやろうよ


「ジェグの米取り引き問題の解決が、おまえに出されたお題なのか」

「……そうだ」


 オウリに訊かれて、ルギは渋々認めた。

 氏族の枠を越えて部族全体を率いるには、自分とは無関係の氏族のためにも動けなければならない。そのために候補者はよその氏族に発生した問題の解決を命じられていた。

 これはサイカ族のアラキの力を借りて解決してもかまわない。むしろそういう伝手を持ち、柔軟に物事にあたれることの証明だ。なのに何故そうしなかったのか。


「俺は、長に立ちたいとは思っていない」


 ルギは表情を変えずに言った。まあそうだろうな、とオウリは苦笑した。

 ルギは孤独な鳥射ちだ。ぶっきらぼうで言葉少な、人間と話すより弓と矢で獲物と対話するのを好む。

 つまり平たく言って、面倒なのだ。カツァリ族一万人の上に立つなど、柄ではない。推薦され、最後の三人にまで絞りこまれて迷惑に思っているのだった。


「それでも一応、問題を解決するために動いているんでしょう?」


 シラが珍しく口をはさんで微笑んだ。


「そういう誠実なところが、人望を集めるのですね」


 ルギは一言もなく黙った。

 食糧に困って飢える者が出るかもしれないのを見過ごすわけにはいかない。だが、その考え方そのものが部族を率いるに相応しいのだと言われれば返す言葉はない。

 なのでややモタモタとしてみせて、実務能力が高くないと思わせるしかないと判断して時間稼ぎがしたいのだ。姑息な手段だがルギの苦肉の策である。


「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか。私と一緒にやろうよ、族長」


 ニコニコとイハヤが言った。

 一緒に、てこの人は。

 つまり身分を明かす気なのだろうが、散歩に行こうとかご飯を食べようぐらいの気軽さで誘うことではない。

 意味が通じず怪訝な顔のルギに、オウリは仕方なく暴露した。


「イハヤさんは、シージャ族長ツキハヤ様の息子なのさ。たぶんもうすぐ、長を継ぐことになる」

「もうすぐって、オウリ」

「違いましたか?」


 強めに言い返したオウリに、イハヤは不遜な微笑みで応えた。


「……いいや、そのとおりだよ」


 こうしてみると、この人は確かにツキハヤの血を継いだ息子なのだった。

 のんびり優雅に見せつつも、シージャ三万人を率いる覚悟を背負って育ってきた、強引で尊大に振る舞うこともできる男。


 ルギとは正反対のようでいて、根に共感できる部分は多いのではないかとオウリは勝手に考えた。

 私欲はない。人々のために動くことにためらいがない。

 イハヤのシージャとルギのカツァリなんてものが実現する日がくるなら是非とも見てみたいものだ。


 キキキッと子猿が悲しげな声を上げた。ペタペタとルギの頬を触り何かを訴える。


「お腹すいたか、お水ほしいかだと思うよ」


 見てカナシャが言った。少し重い、この空気を読まない子猿と猿娘だ。

 ルギはこれ幸いと立ち上がったが、出て行こうとはしなかった。


「……米のことだが、オウリはどう思う」


 本当に嫌なら知らぬふりをしてしまえばいいものを、困っている氏族を捨ておけない。そういうところだ。オウリは笑いそうになるのを隠した。


「アラキさんの言うようでいいんじゃないか。ジェグはカダルとシージャの境界の川の上流だったな。どこの米でも引っ張っていけるぞ」

「うちの米、流そうか?」


 最初からずっと黙って見ていたカフランが言った。

 元の取り引き量も大したことはない。千人に満たないジェグ氏の副食糧としての需要くらいなら捻出できるはずだった。


「備蓄を増やした上に田の改修を進めたからね、少し余裕あるよ」


 イハヤが進めた土木工事のおかげで、田畑の被害は思ったより抑えられたのだ。

 水運を使えるのなら輸送もどうにかなる。恒常的な取り引きになるかどうかはジェグとフーシの出方次第だが、一石投じる役目を負うのにやぶさかではなかった。ルギが長に立つことになるかもしれないのだから、恩を売っておくのも悪い手ではない。

 ルギは黙ったまま頭を下げた。不器用な男だ。カフランはにっこり笑ってオウリにカツァリ行きを指示した。


「一緒に行って、取り引きまとめておいで。遠出は久しぶりだけど、ごめんよカナシャちゃん」


 謝られてカナシャはぶんぶん首を振った。

 地震を告げて以来ずっと、三日とあけずに側にいられたのだからその配慮だけでありがたいことだ。これからもオウリが商人であり続けるのなら、離れていることにも慣れないといけないのだった。


「カナシャ、歩けそうか?」


 オウリに訊かれてカナシャは立ってみた。うん、歩ける。うなずくと、じゃあ送ろう、とオウリも立ち上がった。


「ルギはどうする。その猿はまだ乳飲み子だろう」

「そうなの?」


 カナシャには猿の成長などわからない。この子猿は五月か六月頃産まれたはずだから、まだ五ヶ月。普通なら常に母にしがみつき乳も飲んでいる赤子だ。


「粥や果物をやっているが」

「ひとまずそいつに食わそう。仕事の話はそれからだ」


 悲しい目でルギの肩にちょいちょいと抗議の合図を送っている子猿に、オウリは苦笑いした。何か食べさせてやらないと見ていて落ち着かない。ルギの顔の横にいるので話していると目について、さすがに気になるのだった。

 だが、ちょっと出てきますと言うとシラが慌てた。


「カナシャは私が送ります。ルギさんが一緒ではリーファさんが驚くでしょう」


 オウリは自分の不見識を恥じた。言われてみれば当たり前だが、オウリが見慣れたルギの姿は、シージャの、特に女性からすると恐ろしいぐらいかもしれない。

 仕方なく、カナシャはシラに任せることにした。




 カナシャはシラと連れ立って歩きながら尋ねた。


「イハヤさんは、なんでルギさんを気に入ったのかなあ。一緒にやろう、なんて。会ったばかりなのに」


 シラは小首を傾げて微笑んだ。

 部族を率いるなどという話にカナシャが興味を持つようになるとは。いろいろ考えて成長していくのを見ているのは楽しいものだった。


「ルギさんは誠実で信頼できる人よね。オウリが親しくしているから保証つきだし。突飛な人がカツァリで上に立つのは怖いから、あの人なら安心だと思ったのでしょう」

「カツァリは特別なの?」

「戦いに強いから」


 戦闘部族カツァリが本気になったら、島は大いに乱れるだろう。

 部族そのものは一万人と小規模だが、少数精鋭の戦士達と攻めづらい彼らの土地があれば、他部族が束になっても戦いが終わるかどうか。そんな彼らを率いるのは冷静な判断ができる者でないと困る。


 ふうん、と聞きながらカナシャはますますシラに憧れた。

 女だてらに闘うだけでなく、為政者としてのイハヤの意を酌むことまでできる頭のよさ。十年二十年と子どもの頃から寄り添い続けた賜物なのだとは思うが、カナシャからその境地は遥か遠い。


「わたしも、オウリの考えてることがわかるようになるかなあ」

「そうね。カナシャはカナシャなりのものをあげられればいいのよ。私にも、出来ないことがあるから」


 カナシャは不思議そうにした。シラが何かを悩んでいるなんて、こんなに大人でもそんなことがあるんだ。

 シラはほんの少し顔を曇らせてカナシャに口を寄せた。ぱっと見は二人だけで歩いているが、離れてスサ達が護衛しているはずだ。彼らには聞かれたくないことだった。


「子どもを産んであげられていないのよ」


 カナシャは立ち止まりそうになった。

 シラに合わせて慌てて歩きながら、ひたひたと腹に悲しみが押し寄せてくる。

 このとても自由に見える夫婦でも、ままならないものがあるとは知らなかった。

 五年前に子を亡くして以来、という話をぽつぽつと聞いているうちに家に着いてしまった。カナシャは迷ったが、戸を開けずにシラの手を引っ張った。


「……みて、いい? シラさんを」


 シラは目を見張ったが、小さくうなずいた。

 カナシャが病人をみているのは知っている。タオでシャオイェンの手を取っていた、あれのことだとわかったので、両の手を揃えてカナシャに委ねた。


 カナシャは目を閉じて静かにシラをたどった。ゆっくり目を開けると、そのまま下腹に手を導く。二人の四つの手を当てられて温められた腹が、ふと軽くなったように感じた。


「……ありがとう、カナシャ」


 クチサキには医術の力はない、とカナシャが病人に接するのを嫌がっていることもシラは知っていた。それをおして自ら、シラのためにそうしたいと思ってくれたことがとても嬉しかった。

 クチサキの顔からシラを慕うただの少女に戻って、カナシャはエヘヘ、と笑った。

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