五十 格好いい男
ズミを呼んでもらうのを待って所在ないフクラは、板間から視線を感じた。
目が合ったのは若い男でなんだか見覚えがある。誰だっけと考えているとこちらに下りてきた。
「オウリの彼女の友達、じゃなかった?」
あ、となった。最初にカナシャ達が絆された時にいた、オウリの仲間の一人だ。
男はキサナと名乗った。
「アヤルから仕事で来たとこでさ。今日は久しぶりにオウリに会えると思ったのに、あいつバタバタしてるね」
後で食事にでも行ければいいけど、と少し気障っぽく笑う。なんだか鬱陶しく感じてフクラは適当な微笑みで応えた。
「このところ、皆さん忙しそうですよ」
「そうかあ。で、君もお仕事かな?」
面倒になって小さくうなずく。視線を外してフイと横を向くと目の前にシンが割り込んで立ちふさがった。驚いて顔を上げると、相変わらす不機嫌そうだった。
「ちょっと待っててくれって。そっちに上がってろよ」
シンが板間を顎で指した。
フクラはやんわりと遠慮した。あまり逃げのきかない状態にはなりたくなかった。
「いいわよ。そっちはこのアヤルの方もお仕事で使っているみたいだし」
「あー、おれも今、ちょっと待機中だから、気にしないでいいよ」
キサナはニッと笑って上がり框に腰を下ろした。
いや、気になるから逃げたいんです。
「そうだ、カナシャちゃんだっけ。どうしてる? 少し大人になったかな」
「はあ、まあちょっとずつ」
「そうか、よかった。ずいぶんと子どもっぽくてオウリとうまくいくのか心配してたんだ。あいつ大人の女しか相手にしなかったからさ」
おっと、とキサナは口を押さえた。
わざとらしいなとフクラはイラッとした。不穏なことを言って、カナシャを心配するであろうフクラと話し込む気だ。
なんなの、この人。
仕事をしに来ているのか女を引っかけに来ているのか。フクラは今度オウリに苦情を入れようと決めた。
「大人の女ってな、娼館の女かい」
横からシンが口を出した。女の子の前でズバリと言われてキサナは焦った。まあまあ、と手振りでシンを抑えようとしながら愛想笑いをする。
「オウリは色っぽい女の方が好きなのか。そりゃカナシャは正反対だな。胸もねえし」
ずけずけ言うシンにキサナは頭を抱えた。それをざまあみろと思うフクラもどうかとは思うが、確かにシンの物言いは気づかいもへったくれもない。さすがにフクラも咎めた。
「シンさん、カナシャのことあれこれ言うのはオウリさんにも失礼でしょ」
「あいつはカナシャがどんなでもかまわねえって奴だろ」
あら、よくわかってる。フクラは少しシンを見直した。
だがそれはそうと、この人はどうしてこんななのだろう。普通ならしない、言わないことを平気でやってしまう。
「あのね、他人が言っちゃいけないことってあるじゃない」
「なんだよ、おまえも胸、気にしてんのか」
シンはじっとフクラの胸元に視線を落とした。いやらしさの欠片もない、素直に不思議そうな顔だ。それでもそんなものを注視された方はたまらない。フクラはドスのきいた返事をした。
「……はい?」
「気にすんなよ、なくたって死にやしねえぞ?」
平然と言うシンに向かってフクラはスウッと右腕を伸ばした。何だろうと思ったシンの額に、無言のままデコピンが炸裂した。
「っで!」
予想外の痛さだったようで、シンがよろけて額を押さえた。キサナはもうススーッと脇に逃げている。
「お待たせ、フクラちゃん。刺繍、見せて見せて?」
空気を読まずに楽しげに出てきたズミが立ち止まった。
「シン、どしたの?」
真似をして額を押さえてみせる。チラリと見えた綺麗な顔に怯むことなく、フクラは静かに八つ当たりした。
「なんですかズミさん。あなたもデコピンされたいですか」
「え、なんで? 何したんだよぅ、シン!」
慌てて逃げるズミがシンを盾にする。
だが肝心のシンは、何がいけないのかわかっていない様子だった。
商会でオウリの帰りを待ちかまえていたキサナは、何故自分はモテないのか、いい女と出会えないのか、と会うなりまくしたててオウリを困惑させた。
何があったんだろうと思ったが、ズミが前髪に隠して冷たい顔をする。
「フクラちゃんはしっかりしたいい子だけどなあ」
「キサナ……フクラに何したんだ」
嫌な予感しかしなくてすでに引いているオウリだが、一応昔のよしみで訊いてやる。キサナはぶんぶんと首を振った。
「何もしてないよ、せっかく女の子がいるなら話しかけないのは失礼だろ」
「フクラちゃんがキレたのはシンにだよ。だけどねえ、その前から妙にカッコつけた人がいて苛々してたんだってさ」
ズミはさらりと言い置いて出ていった。
なんとかフクラを隔離してなだめて、仕事の話を済ませたのはズミの功績なのだ。面倒を引き起こしたきっかけのキサナに含むところはあるに違いない。
だが刺々しい言葉にキサナは憤った。
「なんだよ失礼な奴だな。あんなうっとうしい髪して、あいつモテないだろ」
「……モテて困るから、顔を隠してるんだよ」
「はああ?」
オウリの推測では悪いのはキサナだ。
以前からそうなのだが、キサナはどうしたらモテるのか考えすぎて空回りする。それがモテない原因なのだと思う。
モテるのは格好いい男であって、格好つける男はむしろ嫌われる。
「あいつは顔が整いすぎてて、町を歩けば黄色い悲鳴、うっかりすると男にも押し倒されるっていう呪われた生まれなんだぞ」
「お、おう……そりゃ大変だな?」
オウリがホラ吹きではないのを知っているキサナは毒気を抜かれて黙った。これ幸いとオウリが話を変える。
「で、おまえ仕事で来たんだろう。なんの取り引きだ、話は済んでるのか」
「ああ、オウリんちの茶だよ、試作品を持ってきたんだ」
オウリは目を見開いた。とんでもなく大事な用じゃないか。くだらない話をしてないで早くそれを言え。
「カフランさんに渡してあるよ。仕事はきっちりやってるって」
「そうか、じゃあな」
すぐに茶を見に行こうとしたオウリにすがりついてキサナが足止めする。
「待て待て待て、飯ぐらい一緒に食おうぜ。あとおまえに伝言もあるんだよ」
仕方なく振り向く。実家からの言伝てだそうだ。そう言われれば聞かないわけにもいかなかった。
「おまえんとこの二番目の兄さん、村の娘と結婚するってよ」
ごく当たり前に言われたが、オウリの思考は停止した。
二番目、ということは、リガンか。
いや一番目はとうに結婚済みだからそうだろう。
だが、リガンが?
あのまったく話さないリガンが?
「……嘘だろ」
思わず驚きが声になって漏れた。
リガンと結婚しようという女がいたのか。なんとありがたい。母が小躍りして喜んだことだろう。
「そんなヤバそうな兄さんなのか?」
オウリの驚きようにキサナが怪訝な顔をした。
別にヤバいとかではない。しゃべらずに女を口説くってどうやったんだろうと不思議なだけだ。
リガンでさえ結婚するというのに。
オウリは哀れむ目でキサナを見、肩に手を置いて無言でなぐさめた。
女は数を撃っても落ちないのだ。一人に決めろとタウタが言っていたのは正しかった。
「やっぱり女にはキザな言葉とかより、真心なんだと思うぞ」
「なんだよ、おまえ。自分には彼女がいると思って、感じ悪いぞ!」
キサナは吠えたが、煽るでも見下すでもなく、それが真実なのだとオウリはしみじみ思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます