三 転進

「カナシャの父の、テイネです。この町で医者をやってます」

「母のリーファです。これは弟のタイアル、十一歳です」

「こんにちは」


 職人達の家々が立ち並ぶ一画に、医師テイネの家はあった。


 入り口は土間で簡単な煮炊きもできるようになっており、そこから続きの板間に上がる普通の造りだ。

 板間には食事などをする卓があるが、壁際にたくさんの抽斗ひきだしが並ぶ薬味箪笥やくみだんすが置かれているのが医師の家であることを示していた。病人怪我人が出て呼ばれると、必要そうな薬を見繕みつくろって出掛けて行くのだ。


 ちょうど往診もなく在宅していたテイネはやや緊張気味に、その横でリーファはおっとりと、オウリを迎えてくれた。タイアルは少し照れているが利発そうな子だ。


「オウリです。サイカ族の、アヤルの近くの村、イタンの出身です」


 板間に招かれ卓を挟んでテイネの正面に座ったオウリは、とりあえず当たり障りのない笑顔で挨拶した。


 その脇にはちゃっかりカナシャがくっついている。カナシャの中ではすでに夫を親に紹介する、ぐらいの気持ちでいるのだが、今後について検討する間もなくカナシャの家に連れて来られてしまったオウリは、どうしたものか考えあぐねていた。


 いきなり訪ねても失礼だと思ったのだが、「じゃあ先に、わたしが伝えておくわ」とカナシャの友達の一人、フクラという少女が軽やかに走り出してしまった。

 そうなると仕切り直すわけにもいかず、またカナシャの懇願する視線にも負けて、あのまま直行してきたのだ。


 アラキとカフランは同行してくれているが、大勢で押し掛けては失礼だとタウタとキサナは商会に戻ってもらった。何より観客が多くてはオウリの心がもたない。


 フクラがどう伝えたか知らないが、娘がホダシに出会ったから今すぐ連れて来る、などと聞いた両親の心情はどんなものだろう。

 カナシャの幼なじみだという少年ライリは、道々ずっと胡散うさんくさそうにオウリを睨みつけていた。その気持ちも理解できる。


「オウリくんはアヤル商会で働いているんですよ。今日は取り引きに来てくれたところでね」


 カフランが口をはさむ。身元を保証する役割を果たすのは本気らしい。


「同じくアヤル商会におりますアラキです。オウリのことは小さい頃から知っていますが、真面目に働くのに女っがなくてこの先どうするのかと思ってました。ホダシを見つけたなんて、ほっとしましたよ」


 アラキからするとオウリは息子ほどの年頃だ。他人に対し隙を見せなかったオウリが心を開く相手に出会えて、本当に安心したのかもしれない。あまり見ない柔らかい顔でオウリとカナシャを見比べていた。それを見て、テイネもやや笑顔がほぐれた。


「お二人とも、わざわざありがとうございます。ホダシとは言え、どこの誰ともわからない相手を連れて来られるのは心配ですから」

「しっかりした方だと聞くと安心ですね。カナシャがなんにもできない子なので」

「なんにもできないなんてこと、ないもん」


 リーファに言われてカナシャが抗議した。あら、とリーファが微笑む。


「じゃあ何ができるの? 洗濯は? 縫い物は? ろくに刺繍も刺せないハリラムの女なんているのねえ。あなたがオウリさんのためにできることって、なあに?」


 にこやかに煽り倒されてカナシャは言葉に詰まった。家のことはいろいろやらされているが、完璧にはほど遠い。嫁に行くなんて想像していなかったので真面目にやる気が起きなかったのだ。


「でも、まだ十三歳なんですよね。俺もその頃、畑は手伝いましたが、遊び呆けてました」


 オウリが控えめにカナシャをかばってみると、リーファは大きくうなずいた。


「子どもは遊びながら強くなりますから。カナシャもこの間、下衣を穿いて木に登ってましたよ」

「え、自分のを持ってるの?」


 オウリはカナシャを振り向いた。女の子は小さい頃から下衣など穿かず、腰巻を巻いているのが普通だ。


「ぼくのです」


 恥ずかしそうにタイアルが言った。まあこの姉弟の身長は現在そんなに変わらない。だが弟の服を奪うのはいかがなものだろう。


 さらにリーファはたたみかけた。


「ライリとは取っ組み合いのケンカをしますし」

「ライリってさっきの男の子ですよね? けっこう大きかったですよ?」

 さすがにオウリが目を丸くした。


 カナシャはずっとアワアワしながら聞いていたが、我慢できずに膝立ちになって手でオウリの耳を押さえた。不意打ちでカナシャに頭を抱かれるような形になって、オウリは心臓が止まるかと思った。


「それはライリの背が伸びる前でしょ! なんでそんなことばっかりオウリに教えるの!」

「カナシャ……耳を塞いでもだいたい聞こえるから」


 頭を押さえられたままチラリと上目遣いをしたオウリが自分の腕の中にいることに気づいて、カナシャは跳びすさった。はずみで卓に腰をぶつけ、押さえてうずくまる。


「うぅ……」

「姉さん何やってんの……」


 タイアルが情けない顔をした。オウリはおさまらない動揺を片手で隠しながら言った。


「カナシャがおてんばなのはわかった。でも俺は、その、おしとやかでも活発でもなんでもいいんだ。カナシャがどういう子なのか知れて嬉しいから、慌てないでくれ」

「オウリおまえ、女の好みの話をいつも面倒くさそうに聞いてると思ってたが、本当にどうでもよかったのか」

「そうですよ?」


 こそっと言うアラキに、オウリは怪訝な顔をする。むしろどうして条件で好きになれるのか不思議に思っていたものだ。

 それはそうと、条件など吹っ飛んでカナシャならなんでもいい、という今のオウリもかなりおかしいのでカフランがからかった。


「そんなだったのにカナシャちゃんにはメロメロなんだ。あんなとろけそうな顔してるの初めて見た、てキサナくんが気持ち悪がってたよ」

「やめて下さい!」


 卓に突っ伏すオウリを眺めてテイネが微笑んだ。


「それがホダシ持ちってことなのかね。ホダシ以外には興味を持たない。カナシャも近所の男の子なんてハナも引っかけなくて、まだ子どもなんだと思っていたんだが。オウリくんと同じなのかな」


 娘が突如として大人になろうとするのを見守る父親の気持ちはどんなものなのだろうか。感傷的な面もちの夫に比べ、リーファはあくまでも現実的だった。


「カナシャがどんな子でも好いて下さるのは嬉しいけれど、この子はこの通り子どもです。お嫁に出すにはまだまだ仕込まないと」

「それはわかります。十三なら親元にいるのが当たり前の年齢です。俺も家を出たのは十六でした」

「女の子の結婚も、早くて十四・五だなぁ」

「わたしあと二月ふたつきで十四よ」


 ホダシと出会ったのだからさっさと結婚するものだと思っていたカナシャは、やや甘くて攻略できそうな父に媚を売るが、ぴしゃりとリーファが切り捨てた。


「一人で家をきり回せるようになってから言いなさい。あなたは年のわりに子どもっぽいくせに、何が結婚ですか」


 にべもない母にれてカナシャは鼻声になった。

 天から降ってきたようなホダシとの出会いだったが、カナシャにとってはすでに何より大事なものなのである。簡単には引き下がれない。


「だってオウリは商いの旅をしているんでしょ。せめてわたしがアヤルのオウリの家にいないと、会うこともできないじゃない」

「そうやってベソをかくから無理だって言うの。だいたい、月のものも来ていない子を、お嫁に出せるわけないでしょう」

「母さん!」


 カナシャが悲鳴をあげた。


 月の……え?

 とんでもなく繊細な情報を暴露されて、聞いた男達は凍りついた。


 これはどう反応しても傷つけるやつだ。今は聞かぬふりをするのが吉である。タイアルだけはよくわかっていなかったが、空気を読んで何も言わなかった。


 全員がだんまりを決める中で、カナシャは真っ赤になってフルフルと小刻みに震えていた。そして両目に涙が盛り上がったかと思うと、


「母さんのバカ!」


捨て台詞を吐いて家を飛び出していってしまった。


 ……誰も動けなかった。

 いや、どうしようもない。女の子の月のものが絡む話に他人の男はもちろん、父親だって口を出しにくい。母親は、バカと言われた当人である。


 唯一状況を変えられそうなのは嫁に貰う立場のオウリだが、ただ反射的に追いかけても解決にはならない、と判断して考えこんでいた。ホダシと出会っても、オウリの芯の妙に冷静なところは変わっていないようだ。


 カナシャはオウリと共にいたい、あるいはなるべく会えるようにしていたい。それはオウリも同じだ。


 しかしカナシャは幼く、結婚するには心身共に成長できていないので、親としては認められない。カナシャはパジの親元で暮らすしかない。


「……あの」


 しばらくしてオウリは口を開いた。


「俺が、アヤル商会を辞めればなんとかなりますね」

「オウリ」


 アラキが顔を曇らせた。


「パジで何か仕事を見つければ、カナシャをこの家に置いたままでちょくちょく会えます。これまで面倒みてもらったアラキさん達には申し訳ないですけど」


 商いも、各地の産物や特色を覚えるのも、旅から旅の暮らしもわりと好きなのだが仕方ない。カナシャの近くにいることには代えられないから、どんな仕事だろうがやるしかない。そう考えたのだが、カフランがしれっと提案した。


「じゃあウチで働くかい?」


 カフラン商会に乗り換えて商いを続けるか、という誘いだ。オウリはぽかんとした。


「元々オウリくんに頼みたいことがあって、今回指名して来てもらったんだよね。それも含めてオウリくん仕事できそうだし、僕としてはありがたいぐらいだけど」

「……それが一番まるくおさまるか」


 アラキがばりばりと頭を掻きながらため息をついた。そして少し物騒な目でカフランを睨みつける。


「ここまで仕込んできたのを横から持っていくんだ、カフランさん、わかってるんでしょうね」

「もちろんですよ。頼みたかった話は上手くいけば全部アヤル商会を通しますし、他にも便宜べんぎを図りましょう」

「……うちの会主かいしゅには、俺から話を通しますよ」

「ありがたいです」


 アラキとカフランはがしっと握手を交わした。本人を蚊帳かやの外に話が進んでいることにオウリは慌てた。


「ちょ、ちょっと待って下さい」

「いやあ、待てん。おまえは今、俺がカフラン商会に売りつけた」


 アラキとカフランが並んで笑った。


 カフランは、取り引き相手ではなく仲間になったオウリに呼び掛けた。


「ようこそカフラン商会へ、オウリ」







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