天才との不毛な会話

高梯子 旧弥

楽石朱莉との三日間。一日目

「やあ。君もこの場所が好きなのかい?」

 校舎裏にある今は使われていない噴水。

 中の水は緑色に濁り、葉っぱやゴミが遊泳していた。

 そんな噴水の縁に腰掛けていたのは、同じクラスの楽石《らくいし》朱莉あかりだった。

「好きってほどではないよ。ただ、静かだからたまに来たくなるんだ」

「同感」楽しそうに笑いながら同意する朱莉に、僕も愛想良く返すよう努める。

 うまくできていたかはわからないが、朱莉も気を悪くした様子はないので大丈夫だろう。

「それで君は、えっと……ここまで出てきてはいるんだ」

 喉元まで出かかっていると言いたいのだろう。自分の喉をチョップするような仕草で訴えかけてくる。

瀬名せなこうだよ」

「そう! 瀬名だ! 思い出したよ。確か同じクラスだったな?」

「そうだよ。まだ憶えられてなかったんだね」

 二年生になってもう一ヶ月近くが経とうとしている。それなのに名前はおろか、クラスが一緒だということすら憶えられていないのは少しショックだった。

 それを察してか「いや、すまんすまん。あまり他人に興味がなくってな」と、フォローを入れるがフォローになってない。

「別に大丈夫だよ。僕たちは何か接点があるわけじゃないんだし、憶えてなくても仕方ないさ」

「考くんは良い奴だ。でも接点がないわけではないぞ」

 さっきまで名前も同じクラスかもわからなかったのに、もう名前で呼んでくるあたり、朱莉は僕と違って社交的なのかもしれない。

 それにしても接点とはなんだろう?

「お互い友達が少なく、人と接するのが嫌ではないが苦手。静かな場所を好み、人混みを嫌う。容姿は平凡だが、言動は個性的」

 言い得て妙とはこういうときに使うのだろうか。

 大体はその通りで、反論をするつもりもないが、

「それって接点というか共通点じゃない?」

 という疑問だけは投げておく。

「似たようなものさ」

 そういうものなのだろうか。僕も日本語にすごく長けているわけではないから、細かなニュアンスの違いはわからない。だけど、別にわからずとも朱莉とは意思疎通をとれていそうなので気にしないことにする。

 それよりも他人に興味がないと言っておきながら、なぜ僕の人となりをこうも当てられるのだろう?

「それは簡単さ!」

「あれ? 僕、声に出してた?」

「顔は口程に物を言うと言うだろう?」

「目じゃない?」

「目だって顔の一部さ。仲間はずれにしてあげるなよ」

 そういうことではないだろうと思いつつ、朱莉との短いやり取りで理解した。この人、ああ言えばこう言うタイプだ。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか。僕から聴いても格好良いと思えるような声色で、「閑話休題」と、おそらく正しい意味で言った。

「まず、友達が多い人間が放課後、こんな所に一人で来ない」

 確かに。

「人と接するのが嫌な人間だったら、私の姿を見たら引き返すだろう」

 なるほど。

「下校時間ですぐに帰ろうとすると下校中の生徒の群れの中を歩かなければならない。ならばと、少し下校時間をずらすためにひとけの少ないここへと足を運ぶ」

 正解。

「容姿についてだが、先に謝っておこう。決して君の容姿が劣っているだの、そんな失礼を働こうと思ったわけではない。私だって別に優れているわけではないしね。ただ、あまりにも平凡、没個性すぎる。髪型や身長を変えるだけで印象が変わるだろうに」

「身長は自分の意思じゃどうにもならないだろ」

「確かに」今度は笑わなかった。

「しかし髪型や服装はどうだ。髪型はセットを少し変えるだけ、制服はちょっと着崩したりするだけで印象が変わると思うが?」

「うーん、そう言われても髪型を変えるつもりはないし、制服はきちっと着るもんだと思ってるしな」

「こだわりはないと?」

「まあ、強いて言うならこだわりがないのがこだわりかな」

「なるほど。良い答えだ」

 満足そうに頷く朱莉だが、僕からすれば今の問答に何の意味があったのかさっぱりだった。

「ちなみに言動が個性的ってのは?」

「それは見ればわかるだろう」

 それを言ってしまったら元も子もないような……。

 そんな僕の気持ちを知らない朱莉は、この話題は終了と言わんばかりに話題を移した。

「学校は楽しいかい?」

 朱莉は自分が腰掛けている縁をぽんぽんと二回叩く。どうやらここに座れということらしい。

 近すぎるのは少し照れ臭かったから人一人分の間隔を空けて腰を下ろす。

「人並みには楽しんでると思うよ」

「それは重畳重畳。で、具体的には何を楽しんでるんだい?」

「えーっと、具体的って言われると、ぱっとは出てこないけど、友達と話してるときなんかは楽しいかな」

「数少ない友達との交流を楽しめてて偉い」

「喧嘩売ってる?」

「まさか」と、笑いながら否定する。

 それにしても何でも楽しそうに喋るなこの子は。

「友達との談笑も楽しいのかもしれん。でも、学生なら他にもあって然るべきではないか?」

 さっきから話し方がやけにおじさん臭いというか何というか。芝居がかったふうに話すのは癖なのだろうか。

「他って言っても僕は部活にも入ってないし、アルバイトもしてないからな。ボランティア活動をやるほど活動的でもないし」

「ボランティアなんてただの点数稼ぎだろ?」

 そうかもしれないが、もし仮に僕が口ではやっていないと言いながら、陰でこそこそやる人間だったらどうするつもりなのか。

 やらぬ善よりやる偽善とも言うし。

「そういう楽石さんこそどうなの? 学校楽しい?」

 話の方向転換を試みようとするも「朱莉」という一言で頓挫する。

「私のことは朱莉と呼べ」

 話の腰を折ってまで言うことなのかと疑問に思ったが、そういえば朱莉は僕のこともすぐに考と呼んでいたし、名前で呼び合いたい主義なのかもしれない。

「朱莉、さん」

 さすがに呼び捨ては抵抗があり、さん付けになってしまったが、当の朱莉は満足そうに「うむ」と頷いていた。

「私か? 私も楽しいぞ」

 頓挫したかと思われた話題がまたうまく軌道修正されて返ってきた。

 急な返答にたじろいでしまった僕は「そ、そうなんだ」なんて素っ気無い返事をしてしまった。

 自分から話題を振っておいて、この返事はないだろと自己嫌悪に陥っていたが、朱莉は気にした様子もなく「そうだ」と、嬉しそうに言った。

「学校は楽しいぞ。だって楽しいことがいっぱいだからな」

「例えば?」

「君と会える」

 僕の目を見てそう言い放つ朱莉の瞳に、揺るぐことのない意志のようなものを感じた。

 名前でなく『君』と呼ぶことにも逆に特別な何かを感じる気がした。

 けれど、それに気付かぬふりで「またまた」と、おどけてみた。

 それに対して朱莉は何を言うでもなく、僕の目をじっと見つめる。

「からかってる?」

「冗談は苦手だ」

「それは嘘でしょ?」

「すまん、嘘だ」

 けらけら笑う朱莉の横顔をぼーっと見つめる。視線に気付いたのか。朱莉は笑いを止め、読み取れない表情で訊く。

「考くんは、私のこと知らないかい?」

「知ってるよ。同じクラスの」

「そうじゃない」

 被せるように言葉を置く朱莉。

「私に対する評判、というか空言(くうげん)みたいなやつだよ」

 もちろん知っている。

 入学当時からすでに話題になっていた。

 楽石朱莉。通称麒麟児きりんじ

 一年生のとき、隣のクラスに天才が居ると話題になった。

 僕は興味がなかったから話半分で聞いていたので、あまり憶えていないが、とにかく頭が良い、らしい。

 それに加え、髪型がショートよりさらに短いベリーショートに、制服は男物を着用しているため、その奇抜さからも注目を集めていた。

「知ってるよ。天才なんでしょ?」

 僕は後者のほうに興味があったが、今回は押し止めた。

「良い言い方をしてくれるな。はっきり言っていいんだぞ。麒麟児ってな」

「でも……」

「ああ。お察しの通り、麒麟児ってのは通常男に使われる言葉だ。女の私に使うには適していない」

 ひと呼吸置く朱莉。

 やはり言いにくい話なのだろうかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「と、思って私のことを揶揄したい連中は裏でそう呼んでいるらしいが、残念ながら誤りだ。普通に女にも使う言葉だよ。大方ネットで検索して出てきた難しそうな単語を使っているだけだろう。可愛いことだ」

「いじめられて傷ついてるみたいな流れかと思ったけど平気そうだね」

「いじめられてる? 私が?」

 何を馬鹿なと言わんばかりに大笑いする朱莉。

「確かに私から距離を置く人は多い。けど、私に危害を加える人はいないよ」

「そうなんだ。ちょっと心配しちゃったよ」

「紛らわしい言い方をしてしまったのはすまない。謝罪する」

 朱莉は頭を下げる。

 こんな細かいことでもちゃんと謝罪できるのは、どこか僕がイメージする天才とは異なっていた。

「天才はもっと強情な性格だと思ったか?」

「別にそうじゃないけど……ってあれ? 僕、また声に出してた?」

「天才だから君の考えなんて手に取るようにわかるさ」

「それはどっちかっていうとエスパーみたいじゃ……」

「似たようなもんだろ」

 全然違うのではという思いを飲み込み、話を続ける。

「でもさっき朱莉さんが言ってたように裏で麒麟児って呼ばれてるのは、いじめみたいなもんじゃない?」

「いじめってのはやられた側がいじめだと思ったらいじめ、という定義に当てはめると私のは違うな」

「朱莉さんは強いね」

「鈍いだけだよ」

 首を横に振りながら言う朱莉の表情は、呆れているようにも見えた。

「そろそろ頃合いじゃないか」

 気が付くと一時間弱も話し込んでいた。

 思ったより長居してしまったようで、朱莉に悪いことをしたかもしれない。

 その旨を伝えると「構わないよ。楽しかったからね」と、笑顔で応えてくれた。

「じゃあ僕はそろそろ帰るね」

「ああ。また明日」

 手をひらひらさせて見送る朱莉に、僕も同じように返す。

 朱莉はいつまで居るつもりなのだろうかとも思ったが、それは僕が汲むところではないだろう。

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