二人目……(三)【罪と自業の少女】

 ――夕の刻、町の片隅。

 木柱に固定された茶錆びたスピーカーがハウリング音を響かせ、辺りの電線に止まっていたカラスの群れが夕陽へ向かい飛び立つ。

 次いでスピーカーから流れ始めたチャイムにより時刻が知らされ、鬼遊びをしながら帰路につく子供達の賑やかな声。駆け出して遠ざかる子供達の足音と共に、彼らの幾つ影が伸びて行く。


 防災無線の定時放送であるチャイムは、この土地の出身である作詞家が作った童謡が用いられており。大人子供を問わず一日の『始まりと終わり』を気付かせてくれる懐郷の旋律。数十年も昔から流され親しまれてきた、住人にとって馴染みの深いもの。


 そんな童謡の旋律チャイムを耳にして、

対岸で伸びては薄れ消える影を見送り、


「――……あぁ?」


 用水路を眺めていた“少女”が声を発した。


 彼女はそれまでの物憂ものうげ顔、放心しているような顔を止めての開口。心付いた声を出すと、驚きやら戸惑いの混ざった表情で目を丸くする。茜色あかねいろに包まれた周囲の様子を見回し、同じく染まった空を見上げてみれば、遠方に広がる入道雲に呆然とす。


「どう、なってやがる……?」


 握っていた古和紙を離し、口をパクパク。

瞳の焦点が、行きつ戻りずの迷走。錯乱状態。


 ……おかしい。そんなはずがないと。

聞いてるうち意識が薄れ、どうもぼんやりしてくるチャイムに耳を塞ぎ。荒い呼吸でうつむく少女。


「……意味わかんねぇぞ、夕方だと?

さっきまでよぉ真夜中だったろうがっ!?」


 とっくに『夜も更けていた』はず。

 だというのに気が付けば夕方で、理由もなく用水路を眺めていた。もちろん時間が巻き戻ったなんてことは無いだろうし、そうなると時計が一回転するよりも長く意識を飛ばしていたということで。自身の置かれた不可解な状況に独言、舌打ち。


 見た目に似合わない粗暴な口調で、やや癖のついた柔らかな頭髪を掻きむしる彼女。すると長めの髪が腕に当たり、胸が揺れ、体幹に違和だ。

 その違和感の正体を探ろうとして……けども身体が思うように動かせず、足をもつれさせ、地面に尻もちをついてしまう形となってしまい。彼女は臀部の痛みに「くそ!」悪態をつき「なんだこの高い声は?」なお積まれる不自然さをあらわに。普段とは異なる奇妙な感覚に顔をしかめてしまった。


 頭がどうにも働かない様子で、


「チッ、眩しいな……?」


 そこで夕陽を反射する物が視界に入り、


「なんッ――っッ?!」


 ――絶句。息を呑み、言葉を失う少女。

何故か、それは『あり得ないもの』を見たから。

 ちょうど彼女の視界に入ったカーブミラー。

とうぜん鏡面に映る、彼女自身の姿。それはまだ幼なさの残る愛らしい顔立ちをした少女であり。


「はッ?! はぁ? おいおいっ!?

あ、あッ、あり得ねぇぞッ!?」


 そんなわけがないと否定する“彼女”だが、


「――おい誰だよ、あのガキはッ!!」


 ……が。その“愛らしい姿”は、彼女本人が自認している“本来の姿”から乖離したものであり。彼女は驚愕に声を荒らげることになった。見間違いなんてする余地は有りはしない。鏡は嘘をつけやしない。

 試しに自らの頬に触れてみれば、鏡の中で少女も同じ動作をしているのだ。先ほどから積み重なった違和感や不自然さといい。これではまるで自身の魂が肉体を離れ、接点も何もない“赤の他人”に乗り移ってしまったかのような。いいや比喩にできてはいないか。正しくその通りの状態であって……。


「な……んなッ……なん……ッ!」


 動揺。困惑。わなわなと震える小さな肩。

額から大量の汗が出て、口元から涎が溢れる。


 痛みは感じている。これは夢ではない。

 夢でなく現実である。つまり、まさか。

しかし、有り体に表せば、そういうことで――。


「このガキが、お、オレ……つぅことかッ?

オレが、女のガキになってるってのかッ?!」


 ――男は、見知らぬ少女になっていた。


 チャイムの音が止み。寂寂たる舞台上。カラスの鳴き声も、賑やかな子供達の声も失せた。他に誰の姿も無い。さながら世界に一人きり。

 けれど、一人となったとしても咎身は罪より逃げ続けなければならない。あるいはみそぎをしなければならない。人としての道理に従って。それすなわち、望みの対価にして支払った代償であり。自身の罪にじ込まれた永遠の黄昏に訪れたのだから。




 ◆◆◆




『どうぞ。握り、折り、ちぎり……。

是非とも触れ合い、味わって下さいませ――』


 ――そういえば、男にとって最後の記憶。


 黒い着物の少女の言葉が思い出される。

彼女の弧を描いた唇より出た意味深な言ノ葉。

『お望みになったのですわね』『罪から逃げ、今の現状を捨て、別人にでもなりたい、と』そう男の発言から受け取ったらしき彼女は、最後に狂気を含ませて笑み『承りましたわ』と――。


 その後に気が付いてみれば現状コレだ。

男には無関係とは思えない。眉唾物だと吐き捨てたいが現実で。あの少女が何者で、一体どんな方法を用いたか到底想像が及ばないものの、おそらくは『望みを叶えられた』という信じがたい現状。


 折り鶴をくわえた三毛猫が横切り、彼女おとこの姿に何かを思ったか、去り際に脚を止めての視線。その瞳は少女おとこの姿を納め、取るに足らないものを観察しているよう淡々とした様子で光っていた。


 見世物ではないと舌打ちをし。不快感から、ただ八つ当たりで猫に空き缶を投げつける。


「意味わかんねぇってんだッ! くそッ!!」


 立ち上がり、叫んで。男、少女おとこは、苛立ちの激しい感情のままに用水路の柵を蹴り上げていた。

 履いているスカートがまくれ、フリルだらけの少女趣味なデザインの下着が丸見えとなり。全力で蹴った為にか、柔足やわあしには鈍い痛みが残る。痛みに対して涙腺から勝手に涙が溢れ、意識せずに小動物が唸るようなうめき声が漏れてしまう。弱く思い通りに動かない少女からだ。それがなおのこと彼女かれいらつかせる。


「ぐぅぅ痛ぇ……くそぉ!」


 彼女かれにとって自身より弱い対象は、ただ見下すだけの存在だ。女子供なんてみじめで、うるさくて、小汚ないだけの無価値な存在でしかなかった。

 妊婦を見れば邪魔だと叫び、子供が泣き声を出していれば睨み付けて突き飛ばす。挙げ句に、自身が『酒を飲んで轢き逃げ』をしても僅かな罪悪感さえ抱けない人間性。苛つけば暴力に訴えるし、タガが外れれば犯罪もいとわず、自己中心的で、短絡的だがズル賢く、嘘や虚栄のこけ脅し。そんな生き方でしか自己の優位性を保てない悲しい人間であって。


「ふざけんなじゃねぇよッ! ……チッ」


 元男だった少女は、これまでに誰かを殴ったこともないような……そんなことをすれば逆に壊れてしまいそうな華奢きゃしゃな手のひらを見て舌打ち。

 着ている制服のポケットに手を入れると、携帯電話と近辺の高校の生徒手帳が出てきた。携帯電話は電源が切れているのか、どうやっても動かず。生徒手帳は名前と住所がインクを垂らしたような黒々したシミで汚れていて判別ができない。

 どこの誰かもわからない少女の身体に容れられて、これからどうすれば良いのか。自身は女としての人生を送らなければならないのだろうかと。


「くそが。だが、考えてみりゃ悪くねぇのか?

逃げる必要は無くなったわけだからよぉ……」


 首を振って「んなわけあるかッ!!」癇癪かんしゃく。普段からだが、普段にも増し情緒が荒ぶっている。


「女のガキになったってよ! オレは何一つも得しねぇじゃねぇかっおいッ! こんなガキの貧相な身体じゃ性欲も発散できねぇ! 力もねぇ、出世もできねぇ、男になめられる。最悪だ。自分じゃなんもできねぇ価値の無い存在だろ。最悪だッ!」


 怒りの感情に任せ、八つ当たり。自身の足の痛みを無視し、何度も何度も柵を蹴り続ける。


「ンくそ。こんな、ことで息が……切れ……。

はァ、ハァ……本当に体力ねぇなハァ……」


 それですぐに息切れた。


 なんて惨めで『よわよわ』な少女の身体だ。

 身体は音を上げるも、そんな程度では男としての怒りは収まらずに。ならばと。人の目が無いことを幸いに、別に好みでもない未成熟な幼い身体に怒りで昂った感情の矛先を向ける事にした。


 少女本来の人格や尊厳なんて構わない。

彼女の将来を奪っていたって興味もない。

 男としての情念。弱者への征服感と、屈服させた際の甘美な優越感は至上最高のオカズだ。

 こういった人間性が罪だとされるなら、誰が自身を罰せるというのか。内面はともかく今の身体は無垢な少女なのだ。何も悪くはない。もしも罰せるものなら好きにしろと、少女おとこは顔を歪める。


 ブレザーとリボンを放り、ワイシャツの上から乳房を揉む。意外に彼女は着痩せするタイプだったのか、わりと手に伝わる感覚は大きく弾力もある。性的な刺激にも敏感なようで、ほんのそれだけで喘ぎ声を上げた。快感に口元から涎が垂れる。

 ワイシャツのボタンを飛ばし、胸元を開いた。桜色をした二つの乳嘴が愛々しく覗く。それを摘むと更に強い快感。また痙攣してしまい、ビクビクと柵に寄り掛かる。女性的な身体感覚を知ってしまった少女おとこはもう理性では止まりはしない。


「ぁ……んほぉおう゛うぉっ!!」


 穢れた喘ぎ声が口から溢れて止まらない。

少女本人がその姿を見たらどんな顔をしたか。


「こんなの知っちまったら……ッ!

男の身体に、戻れなくなっちまう……ァ!」


 未成熟な身体と揶揄したが、これは良い。

非常に良いものではないか。これならば楽しめそうだと汚く笑って、目を見張っての舌舐り。次に下腹部に興味を抱いて手を伸ばす。背徳的な高揚感だ。流石に通行人が来るとマズイので、誤魔化せるように用水路の方を向いてから行動に移す。スカートを捲り上げ、下着をズラし股間の渓谷と対面する。少女の身体の、まだ穢れを知らないだろう所を、男としての情欲で汚し陵辱してやる。これはたまらない。

 だらしない顔で鼻息を立てて。少女の身体に指を持って行こうとして、その時だった――。


「んォッ――!?」


 ――ドスンッと! 不意の衝撃が!

自涜にまで及ぼうとする少女の身体に、死角から襲う強い衝撃。空中へと放られた彼女の身体。


 視界の世界が一回転し、走り去る車。

遅れて。用水路で大きな水柱を上げた。


「うぼッ?! ごぼぼッ!? ぐぉ?!

ガッ、がッ、ガハッ! ごぼぼぼッ!!」


 身体を強く打ち、自由がきかない。


「ぼぼッ……ごぼッ、ゴボボ………がっ!?

ボココッ………ン! あァ……ぁ………」


 因果応報。まず一つの罪が追い付いた瞬間。

車に轢かれた彼女は苦しみ、用水路に沈んだ。


 本来の顔、男としての身で犯したもの。

咎の数々は独り歩きをし、持ち主を辿る……。


 

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