二人目……(ニ)【罪と自責の忌譚】

 ◆◆◆



 ――しゃん、しゃん、と鈴の音が響く。

運弓うんきゅうの手が止まり。かなでられていた擦弦さつげん楽器の美しくも悲しげな旋律せんりつが途絶えてしまう。するとそれまでは静謐せいひつだった場の空気が一変し、まるで得体の知れない存在がひそむ暗がりの狭所きょうしょであるかのような風調に『重苦しく』変容してしまう空間……。


「――?」


 掃除をしていた給仕きゅうじ服の少女が顔を上げ。

疑問の表情をたたえて、もう一人に視線を送る。


 視線を受け、引いていた楽器の構えを解き。

はんなりとした黒い着物の少女は微笑んで返す。


「そぅ。まだ慣れていないのね、シト。

よい暖簾のれんげたここは、訪れる御客様の心情情緒ひととなりみ取る変遷遁世まほらば。かいつまんでしまえば、御客様ごとに相応しい環境をまと一時ひととき常闇やすらぎおのが心の隙間より繋がる、うつついっした刹那こんじょう夢幻みそぎ――」


「抽象的が過ぎる。意味わからん。

しっかり、かいつまんで言ってほしいぞ」


「――すなわち。誰彼だれかれ誰某だれそれのお越しですわ」


 言って、瞳を閉じ。桜唇おうしんをにぃと歪ませ、人のものではない頭頂部の耳を揺らす着物の少女。


「……まぁ、うふふふ。店の様子に加え、

これはまた何とも“耳に障る”音色ですこと。

訪れるのは、好ましくはない御仁なのやも」


「嫌な客かよ。勘弁してくれ」


 眉間みけんにしわを寄せた給仕服の少女は、可憐な見目には似つかわしくない口調での小言。胸元と股座をそれぞれ押さえ、やや大げさに身震いする。


「あら、もぅ。そんな。いけませんわよ。

来るもの拒まず、選り好みはせず。どの様な御仁であろうと御客様である間は最大限のおもてなしをして差し上げなければ。御客様は皆が皆、現では叶わぬ『助け』を求めてお越しになるのですから」


「助け……ねぇ。物は言いようだな」


「構いませぬ。ここをどうとらえ、どうするか。あるいは業の清算か、単なる休息になろうとも。それは妾達わらわにとって預かり知らぬところ。時に地獄に垂らされた蜘蛛の糸やも知れず、はたまた禍難かなんからめとる蜘蛛の巣やも知れず。全ては御客様が一人一人の在り方しだい。ゆだねた末の因縁因果じごうじとく。ま、あえて申せばここは満たされぬ、救われぬ、報われぬ者に畢生ひっせいりを提供し、むすびをもたらす場――」


「だから、抽象的が過ぎるぞ。

言ってることの大半が理解できんから」


 そう呆れ声を貰うも。どこ吹く風。

裾から覗いた獣の尾が、座敷畳を払う。

着物の少女は楽器の琴軸を緩め。続けて、


「――その身をつづり、ちぎり、きざんで。

ことほぎ、みそぎ、ささげる。どの様な結果になろうと変貌ねがいが望まれるのならば、双方をむすんで差し上げねば可哀想というもの故。それに、そうね。受け皿となりえる者なら……ねぇ。是非とも成ってもらわねば勿体ないではありませんか……?」


 小首をかしげて、無垢むくな笑顔。


「そう暗迷あんめいを押し付け、押し込め。そうすることで淵地ここは他の安寧あんねい安泰あんたいを保ってきたのだから。自己満足に過ぎずとも、困窮こんきゅうあえぐ者は見過ごせぬ。その結果でどうなろうが『目を背け』ながらも」


 瞳に闇を渦巻かせ、愛おしげに笑む。

楽器を撫で「そう望まれた故」と瞳を揺らす。

 

「故にこそ。無碍むげには、できないわ。

貴女もかつて、そうだったのではなくて?」


「……っ」


 給仕服の少女は、心底嫌そうに眉をひそめ自らの感情を表明して見せる。それでも従事している身での矜持か性分か、はたまた別の理由か。彼女は給仕服のエプロンを強く握り、形だけの笑顔を張り付けたどたどしい足取りで入口の脇に控えた。


「うふふふ、可愛らしい姿。けれども。えぇ。役割を強要してはおりませんし、背負う必要も、縛られる必要もございませんわ。貴女はただの手伝い。逃げても良いの。もし仮初めの責がその身に余るようならば、そうね。今宵は特別、妾が直接、御客様のお相手をする運びと致しましょうか……?」


「いや……いいや! ……やらせてくれっ」


「そぉ。だったら今宵もお任せしますわね。

妾は側で『助け船』を出す程度に留めましょ」


 着物の彼女も席を立ち、入口脇に控える。

長い袂の袖を振って、人ならざる獣の耳と尾を隠してからの一挙一拍。手の甲を打ち合わせ拍手をする彼女。それは厄禍を『呼び込む』風習。語るは『訪れる者』への誘い唄。本来は繋がらぬ『縁と縁』を結びつける為のまじないでもあり――。


「――変態カワリモノさん変態カワルモノさん。どうぞお越し下さいな。

もしお越しになるのなら、現世げんせ隠世かくりよふちを踏み、浮世うきよ常世とこしよきざはしき、うちそとの『鳥居のれん』をえ。どうぞお越し下さいな。行きは宵々、帰れはしない。帰れなくとも、構わぬならば。前途多難な憂世うきよたる苦界、然るにうつつ叫喚地獄きょうかんじごく三界無安さんがいむあん。けだし焦心苦慮しょうしんくりょなる塗炭之苦とたんのくるしみ。望みは何処いずこか、望みはこちら。おのが願いに従って。闇にまどいて道外れ。さぁさぁ今宵、鬼さん共に、手の鳴る方へ」


 一拍、二拍、と重ね。鈴の音が木霊して。

玄関先の暗闇、慌ただしく近付く気配と足音。


 唄が。吟詠ぎんえいが終わると、入口の扉が開いた。


「――ン、オ゛ッ!?」


 ――店に踏み込んで来たのは男。ガタイが良くて人相にんそうが悪い中年の男であり。彼は玄関のかまちにつんのめって体勢を崩しかけると、照明に目が眩んだのか呻き声を漏らして腕で顔を覆う。

 そこで体力の限界がきたらしく。中腰になり膝に手をつき、荒い息遣いで俯いてしまう男。その薄い頭髪は水を被ったように側頭部の皮膚に張りついていてまるで落武者のようだ。着ている薄手の作業着もぐっしょり濡れており、ツーンとした汗臭さが周囲に漂う。足元の簀の子に汗粒が落ちて、水玉模様を残す。男は荒い呼吸を整えながら、聞き取り辛い濁った声で汚い言葉を連呼していた。


 迎え入れた形のまま、しばらくし、


「あー……いらっしゃせぇ!」


「うふふ。ようこそおいで下さいました」


 男が目を開けたのを確かめ。控えていた二人はそれぞれ声をかけ、彼に立礼をする。


「――はァ? どういう……はァ、ハァ……?

んだよ『おいでくださいました』だァ?」


 二人に、顔を歪ませて返す男。


「えぇ。そうですわ、御客様。

お待ちしておりました。うふふふ」


 黒い着物の白皙で端麗な少女は、口元を袖で隠しながら笑い。隣の給仕服の少女に目配せ。


「え。うんと……はい。なんだ?」


「ほぅら。シト、ほらもぅ。

御客様に拭くものを差し上げて」


「おぅ、なるほど。タオルだな」


 指示され。玄関近くの階段箪笥タンスに屈み、タオルを取り出す給仕服の少女を目で追う男。


「タオル、タオル……? あった」


 着物風な上衣とスカートが繋がり、エプロンを帯で巻いたデザインの給仕服を着た。白髪に黒色と茶色を差した髪の、見目は可憐な少女。少年のような物言いをする彼女は【シト】というらしい。


「よろしければ、あいよ。コレをどうぞ」


 タオルを差し出された男は、怪訝けげんな面持ち。

和装と給仕服、二人の少女を睨み付け。タオルを引たくると室内の様子を確認して口を開く。


「店だと……林の中だぞ。意味わかんねェな。

なんだってこんなとこによ。追われて必死に走ってるうち、クソッ、記憶でも飛んだんかァ?」


 自身は『どこどこの林に居たはずだ』『必死で逃げたからって店に飛び込むか?』『狐狸こり化生けしょうにでも化かされてんのかァ』などと男はぶつぶつ言いつつ汗を拭き。使用したタオルをシトの頭に放る。


「おわっ!」


「クソッ、クソがよ。しょうがねェ……。

どっちにしろよ。まだ外じゃオレを探してる警察ヤツラが居やがるだろうしなァ。しばらく邪魔すんぞ。あと暖簾は下ろしておけよ。外から見える明かりも消しとけや。オレは厄介なのに追われてんだ。余計な騒ぎはイヤだろ? 店は閉めとけ!」


「……いやいや。一般常識あるか?

なんだそれ。自己中ってレベルじゃないぞ。

おっさん、こりゃ本当に嫌な客だな……」


 早々に自分勝手な要求をしてきた男に、タオルを被せられたシトは露骨に不機嫌な声色。真っ当だが『挑発』とも取られてしまう言葉を発し、


「――あァ?」


 男は青筋を立て、声を荒らげてしまう。

血走った目で彼女を睨むが、そこである事に気が付いたらしく。あたかも『弱味を握ってやったぞ』と言わんばかりに頬を上げ、声を弾ませて舌舐り。数秒後には出し抜けに近付いて、給仕服の上から彼女の乳房を酷く乱暴に掴んでいた。


「――はっ?! ぅにゃあっ!?」


「ガキがよォ。今何時だと思ってんだァ?

ここ“まともな店”じゃねェだろ。そうか。ヘヘッアハハハッ、深夜に未成年に働かせて、いかがわしいことでもさせる店かなんかだろォ? ガキ共いいかァ良く聞けや。違法営業してるこんな店がサツに通報なんかできねェだろ。ムダに酷い目にあいたくなかったらよォ! オイッいいかよッ、オレの言うことにゃ全部に従ってもらうからなァ?」


「あらまぁ、あらあら。お戯れを。

御客様と言えども、節度は弁えて下さいませ。

あまり勝手をなされぬように……忠言ですわ」


 頬に手を当てて、臆する事ない着物の少女。


 男はより青筋を立て、舌打ち。シトの首に太い腕を回し背後から彼女の身を拘束し。激情に任せ彼女の首を締め上げてしまい、叫び散らす。


「うっせェッ! こっちは人生かかってンだ!

クソ女に嵌められてよォ、それと知らねェ奴らのせいでなァ! 最悪だ、最悪だァクソ。ふざけんじゃねェよ。オレの人生が下らねェ理由で壊されそうになってェんだよッ。もしもこれで捕まっちまったら、オレァ長い間ブタ箱入りしなきゃなんねェ。そんなことあってたまるか、クソが。んハァハァッ……この有り様から逃げる為ならなッ、今なら逃げる為によォ、何だってしてやるぞォ!」


「あらそ。まことに残念ですが、御客としていらしたわけではないのならば……。いいえ御客になっていただくのに相応しくない者ならば、どうぞここでお引き取りを。妾、ヌイナからの忠言改め、警告でございます。よく考え、正しくご判断を」


 着物の少女【ヌイナ】は、冷たい声色で目を細めて言う。口元に鋭い牙をみせて静かに威圧。


 男は気にも留めずに。抵抗するシトの首をさらにきつく締め上げていき。飾ってあった達磨を空いていた腕で掴み、ヌイナに投げてぶつけた。


「……お引き取りを」


「黙れ。黙れ、黙れやッ! クソガキがよォ!

言われなくてもなァすぐに出ていってやる。その前に、逃げる為の持ち合わせがねェんだわ。つぅーことで金出せやァ! それと車かバイクかチャリでも構わねェが、乗り物借りていくぞォ! ともかく早く、いわれのねェクソな罪から逃げなきゃいけねェんだ。今の生活を捨てたって仕方ねぇ。もともとクソな生活だったしなァ。うまく逃げてどっか別の場所で、別人にでもなってやんよォッ!」


「…………そぅ?」


 憤り、感情を爆発させる男に対し、


「……そなの。あはっ、うふふ。なるほど。

では貴方は、“それ”がお望みであると?」


 一方、冷たく愉快そうに嗤うヌイナ。


「んあァ? 何言ってやがる……オイッ。

クソッ、どうしたってんだッ。この状況理解してるかァ? 頭おかしいんじゃねェのかお前は?」


「んあはははっ、うふふふっ!」


 こんな事態だろうとも動じず、物を投げつけられ額より血を一筋流しつつも能面のような顔。そこから転じて。狂気が見え隠れする、壊してもよい玩具を与えられた子供のように笑い出した少女の姿。これには流石の男も一歩引き、感情のタガの外れていた顔に恐怖の色が差す。


「逃げたい、と――。

貴方は今、お望みになったのですわね。望んでしまった。えぇ。妾はそう捉えても結構でしょうか。その言葉のままに『罪から逃げ、今の現状を捨て、別人にでもなりたい』と、そう伺いました。ご注文にお間違いはありませんこと?」


「注文だ? ああ逃げんだよォッ!

そうだッてェんだァッ、文句あんかァ?」


「文句。いいえ。むしろ逆でございますわ。

否定はいたしません。尊重いたしましょう。

かような望みであれ、ことほぎましょう」


「……なんだよッ、近付くんじゃねェ!」


 けども男が己が身の危険を感じ取るには、些か遅すぎたらしく。逃げられはしない。口は災いのもとであり、言葉を『肯定』してしまったが最後。もはや『逃げる事から、逃れる術』は無し。店で狼藉を働いた男を、質が悪いが『御客様』と認識し直したヌイナも逃がすつもりはないらしく。


「強く結ばれ得る、忌譚きたんが一つ。

えぇ確りと。注文がんぼうをここに承りましたわ」

 

 ヌイナは懐より一枚の古和紙を取り出す。

 そうしてシトの首を締める男の腕を引いて、有無を言わさぬまま古和紙それを握らせた。


「どうぞ。握り、折り、ちぎり……。

是非とも触れ合い、味わって下さいませ――」


 それは、忌譚きたんの一片。


「――忌譚きたん誅懲ちゅうちょうの節【咎身トガミ辿貌テンボウ】ですわ。

こちら。実の弟をあやめ、己が顔を焼き、その弟に成り代わり。弟の全てを奪い取った業深き男に、ある時より男元来と瓜二つの顔をした何者かが付きまとうようになったと。かような物語で……」




 ◆◆◆



 

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