第9話
ローズが聖女に就任してからどのくらいの月日が経っただろう。
未だにティアナは王子クリストファーの婚約者に据え置かれている。
早く、一刻も早くこの地位から降りたいと願っているのに、それが認められることはない。
聖女と行動を共にするようになってから、クリストファーが王子としての執務を疎かにするようになってきた。
そしてローズもまた、祈りを捧げ聖女としての務めを行う事が少なくなってしまっている。
このままでは、この国の安寧が保てなくなってしまう。
現に、最近では国内で自然災害が増えるようになってしまった。
聖女と言えど、その祈りが完璧であるわけではない。
だが、人命にかかわるような災害はここ何百年も発生していない。それは聖女の祈りがあったからこそ。
それなのに、最近頻発する自然災害を引き起こしたのはその祈りの量と質であろうことは、関係者なら皆が知ることだ。
女王の執務室で、我が子である王子に尋ねる。
「今日、ここにお前を呼んだ理由がわかりますか?」
「いえ、私は自分の役目として聖女をきちんとお守りしております。何も不都合などありません」
女王は深いため息をついた。そこには女王ではなく、母としての顔に戻り息子に語り掛ける女王がいた。
「クリストファー。確かに聖女をお守りするようにとは言いました。しかし、常に一緒にいろなどと頼んだ覚えはありません。それに、聖女にそれ以上の務めを強要することもおやめなさい。先日も夜会に参加したと聞いています。それは聖女の役目の範ちゅうを超えています。しかも、私への報告すらなかった。聖女を管理するのは神殿であり、国の長である私です。お前に決定権などありません」
「それは……。ローズが、いや聖女様にも夜会のような華やかな様子を教えて差し上げたくて、それで。勝手なことをいたしました。申し訳ありません」
「昨今の国の状況をお前は知っているのですか?」
「状況?」
「最近では聖女とともに行動し、執務も満足にしていないお前では知らないのも無理はありません。
最近、国中で自然災害が増えています。人的被害が出た地域もあります。
ここ何百年もそんなことはなかった。常にこの国は穏やかに守られていたというのに。
……最近、聖女が祈りを捧げる時間も、質も落ちていると神殿から報告を受けています。
聖女の祈りなど、所詮はただの見せ掛けだとでも思っているのでしょう。国の多くがそう思っていることは知っています。
私にも事の真意はわかりません。だが、守られていたことも事実です。
何百年も平穏でいられたものが突然消え失せ、苦行を強いられるようになったら、その矛先は間違いなく聖女に向くことになります。さらには神殿に、そして国に向くことになる。
人間の心などそんなもの。平和な時は何も考えなくとも、辛い時にその矛先を他人に向けたくなるものだから。それを抑えるにはきちんとした行いが必要になるのです。今のお前たちにはそれがない。そんな者を国は守れるはずがないことはわかりますね?」
「それは……」
「これから聖女に会う事は控えなさい。あなたは執務に集中し、聖女にもきちんとその職務を務めさせなさい。そうでなければ、国は聖女を守れない。
聖女がその立場を辞したあとも、国はその者を支え続けます。それは、人生をかけて国を、民を守り続けてくれた者への恩賞です。
務めの足りぬものに礼をするほど、この国は愚かではありませんよ」
「それを拒否したら……?」
女王は目を瞑り、深いため息をもう一つ吐いた。
「クリストファー。お願いだから、母をこれ以上失望させないでちょうだい」
クリストファーは母であり、国の頂点に立つ女王に何も言い返すことができなかった。
女王は苦言を呈した。このままでは貴族も民も納得をするわけはないと。互いに己の職務を全うするようにと。
だが、若い二人の間に灯り始めた愛の火は、邪魔が入れば入るほど燃え上がるものだ。
それを知っているからこそ、女王は二人の仲を見ないふりをしてきたのだ。
婚約者をないがしろにする行為が許されるはずはない。だが、優しくてすこしばかり臆病で、国を導く強さの欠ける一人息子にそれを補うだけの強さと賢さを持った娘をあてがう。
そうしてこの国は持続できるのだと、母は自分の息子の弱さを十分理解していた。
だからこそのティアナだったのだ。
ティアナとの婚姻は必須だ。だが、クリストファーは必ずその婚姻に否を示してくるに違いない。それを無視すればローズを側室にと声を上げてくるだろう。
もしそれを認めなれば、ティアナとはきっと白い結婚を通すのだろう。
それでは世継ぎが産まれず、国中に混乱を招いてしまう。
だからとて、聖女とは言え所詮平民。その血を王家に交わすわけにはいかないのだ。
決断する時が早まった。女王はそんな気がしていた。
それからしばらくは大人しく執務に精を出していたクリストファー。
だが、人目をかいくぐってはローズの元に足を運んでいることなど女王はちゃんと知っている。もはや予断は許されない。一人息子が馬鹿な真似をする前に事を治めなければと、女王は少し焦っていたのかもしれない。爪が甘かったのだ。
女王主催の茶会が、王宮内の庭園で開かれた。
本来であれば、この茶会で聖女ローズを女王自らが貴族夫人達に紹介するはずだったのに、クリストファーの勝手な振る舞いで夜会が先になってしまった。
すでに貴族達との顔をあわせている聖女は、平民としての持ち前の明るさと図太さで上手に溶け込んでいるようだ。
そしてその横には、この国の王子であるクリストファーがピッタリと張り付いている。
女王は全てを諦めたようにそばを離れると、二人を放置した。
そして、この茶会に合わせ急遽帰国したアシュトンにより、ティアナはエスコートを受け参加していた。
あれから何度か夜会にも茶会にも顔をだしたティアナだが、やはり味方がいると言うのは心強いものだと感じる。
「アシュトン。一緒にいてくれてありがとう」
「僕でよければずっとそばにいるのに。本当だよ」
真剣な声色に見上げた彼の表情に嘘は感じられない。
「無理よ。私は今の役を下ろさせてはもらえないもの」
寂しそうに俯くティアナの手を強く握り、アシュトンは「大丈夫」とささやいた。
会場のざわめきと、心地よい音楽の調べに安心しすぎていたのかもしれない。
今日は女王主催の茶会だ。まさか、女王のいる前で無体なことなど起こすはずが無いと、そう油断をしていたのだ。
ティアナとアシュトンの背後から声が聞こえる。
以前なら恋焦がれて聞きたくて仕方のない声がティアナの名を呼ぶ。
「ティアナ……」
最近では名を呼ばれることもなく、いつも「君」などと呼ばれていたのに。
その声に、先に反応したのはアシュトンだった。
「殿下、お久しぶりです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
振り返り礼をしながらクリストファーを見つめる。
その目には今までのような親近感など籠ってはいない。
ティアナも振り返れば、そこにはクリストファーと聖女ローズが固く手を結び、真剣な顔で立っていた。そして、覚悟を決めたのだと感じた。
でも、それをティアナが許すわけにはいかない。簡単に許して良い訳がない。
何があっても無言を通すことを決意した。
そして、クリストファーからの婚約解消である。
ティアナの中にあったクリストファーへの想いなど、とうに枯れ果てている。
それでも国の為、民の為、家のために耐えてきた。それがやっと解放されるのだ。
ティアナは心の底から喜びを感じていた。
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