第3話
聖女のお披露目の後しばらくして、ティアナは女王から茶会の案内を受ける。
ティアナは婚約を結んだ時から、王子妃としての教育を受けるために王宮に通っていた。
すでに王子妃教育を終えているティアナだが、定期的に女王との茶会を設け親睦を深めており、二人の間は母娘のような良い関係を作っている。
しかし、今回の茶会はいつものそれではないのだろう。
もしかしたら、クリストファーと聖女ローズも席を同じくするかもしれない。
そして、聖女を紹介されるかもしれない。
見たくもない、並び想いあう二人を見ることになるのだろうか?
『行きたくない』と思い、足を引きずるようにティアナは王宮に向かった
女王が茶会に用意した場所は宮殿内の応接室だった。
気候も穏やかなこの季節、今の時期には宮殿の庭園に薔薇の花が咲き、匂い立つような美しさを誇っているはず。
本来であれば庭園の四阿で茶会を行うであろうに、この日は庭園から遠く離れた宮殿内。
ティアナのことを案じてくれているであろうことが嬉しかった。
女王はいつものように美しく、穏やかな笑みでティアナを迎えてくれた。
出された紅茶も、目の前に並ぶ菓子も、以前ティアナが美味しいと言ったことのあるものばかり。そんな歓迎を受け、愛されていると感じていた。
「ティアナ、こうしてゆっくり顔を合わせるのはいつぶりかしら?」
優雅な所作で紅茶を口に含む女王を前に、ティアナはゆっくりと口を開く。
「はい、女王様。新聖女様のお姿が大神殿に現れたと聞いた時からですので、三か月以上になるかと……」
女王はビクリと眉を上げるも、何食わぬ顔でゆっくりとカップをテーブルに戻す。
「そう、もうそんなになるのね? 聖女のお披露目ではあなたに会うことは叶わなかったけれど、あの場にはいたのかしら?」
「はい。アシュトン様と一緒におりましたが途中で気分を悪くいたしまして、退室させていただきました。申し訳ございません」
「そう、気分が……? もう大丈夫なの?」
「はい。あれから大分日も経ちますので、もうすっかりと。ご心配ありがとうございます」
「それなら良かったわ。あまり無理をしてはダメよ。あなたは頑張りすぎるから……」
ティアナはわずかに口角を上げ、黙って頷いた。
いつもなら他愛もない話をしながら笑いのある空間のはずなのに、やはり無理だったのだと思う。話すことが思い浮かばない。早く時が過ぎれば良いのにと、飴色の水面をぼんやりと眺めていた。
女王が席を立ち、長椅子に座るティアナの横に並んで座る。
ティアナは一瞬身構えるが、女王に手を取られ包み込まれるように握られた手の暖かさに心が緩くなるのが分かった。
「ティアナ……あなたは何も心配しなくてもいいのよ」
ティアナは何を言われているのか、わからなかった。女王の顔を見るも、心の真意までは見抜けない。
クリストファーと聖女ローズのことを言っているのだろうことはわかる。
でも、これからの未来についての具体的なことは何も言ってはくれない。
女王が自分の味方なのかも分からなくなってしまった。
聞けば教えてくれるのかも知れない。でも、聞くのが怖かった。
女王に握られた手も、心の奥底も、段々と冷えていくのがわかった。
女王との茶会の後、宮廷騎士に先導されゆっくりと廊下を歩く。
ふと、向こう側からこちらに向かって来る姿を見つけた。
男性であるその人は、そばに護衛を伴い歩く。その姿を見て、ティアナの足は止まってしまった。どんどん近づくその姿に、身体が硬直し足が前に進まない。
前を行く騎士もその姿に気付くと、壁際に寄り道を開ける。
ティアナはその場に立ちすくみ、冷や汗とも油汗ともわからぬ物が額を滲ませるのがわかった。しかし、それを拭く余裕すらもう彼女には残されていなかった。
その人はティアナの目の前で、その名を呼ぶ。
「ティアナ……」
婚約者と呼ぶには遠すぎる距離。
微妙なその距離感に今の二人の関係性を感じ、ティアナは拒絶されていることを思い知る。
「クリストファー殿下、ご機嫌うるわしゅうございます。
本日は女王様の茶会に招かれ、これから帰宅するところでございます」
「そう、久しぶりだね。連絡もせず、文の返事も出さずにすまなかった。
色々と多忙だったから。なんて、言い訳にしかならないね」
苦しいほどに会いたくて、切ないほどに聞きたかった声の持ち主が目の前にいる。
三か月以上もの間、会わなかったことなど婚約してから一度もない。
会えば冷静でいられないかも? と思っていたが、クリストファーの表情や声色、ティアナから距離を取るその態度にもう戻れないことを知り、ティアナは努めて平静を装った。
「クリストファー殿下はお忙しい方でいらっしゃいますから。私のことなど、どうぞお気になさらずに」
ティアナは俯き視線をわざと合わせないまま薄っすらと笑みを作り、はにかんだ婚約者を演じる。
「そういうわけにはいかないよ。僕たちは一応婚約者同志だから、会わないわけにはいかないだろう?」
ティアナはその言葉に思わず息を飲む。
側にいる護衛や騎士も一瞬身動きをしたことに、ティアナは気が付いた。
きっと、クリストファーは気が付いていない。
クリストファーだけが気が付いていない。
『義務感』から出た言葉であることを。
彼もまたティアナ同様作り笑いを浮かべ婚約者を演じているに過ぎないということを、この場にいる者は皆感じているに違いない。
「もし、お会いする時間が出来ましたなら、いつでもお呼びください。私の時間はクリストファー殿下のものでございます」
まるで愛人にでもなったようなセリフが口をついて出たことに、ティアナ自身驚いた。
無理に作った笑顔も、きっと醜く歪んでいることだろう。
恋する人の前では常にかわいい自分でいたいはずなのに、取り繕うことももうできないほどに、心が閉じかけているのだろうか?
そんなことを瞼を閉じたままぼんやりと考えていたら、足元がふらつき倒れそうになる。
側にいた騎士が咄嗟に肩を抱き、支えてくれた。
すぐに気を持ちたて直し「ありがとうございます」と告げると、「王子殿下の婚約者様に、大変失礼いたしました」とすぐに謝罪が入る。
そうか、私は彼の婚約者なのだと、まだ認められているのかと改めて思わされる。
「ティアナ、気分が? 無理はしない方が良い。すぐに帰宅してしっかり休んでくれ」
クリストファーの言葉に頷き、具合の悪いふりをしたままその場を後にした。
ティアナは振り返らない。きっと彼も振り返りはしないだろうから。
騎士はティアナを気遣いゆっくりと歩いてくれている。
クリストファーから受けるべき優しさを初見の騎士に感じ、情けなさが込み上げてくる。
泣きはしない。泣くのはせめて一人になった時だと、ティアナは唇をかみしめた。
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