カラオケコンテスト絵本その2

 萌は、とあるポスターの前に立ち尽くしている。

 ポスターの内容を食い入るように見つめ始めてから、すでに数分が経っていた。

 その間にも、様々な買い物袋を持ったたくさんの人々が、萌の前を通りすぎていく。


『カラオケコンテスト開催決定! 参加者はこちらまで』


 文字の下に電話番号と受付用紙の置いてある場所が書かれている。それを見て、萌えは考えた。


 電話は、自分ではかけられない。それなら用紙を取りに行って、書いた用紙を出して帰ってくればいい。


 そう思い、萌は用紙をとりに、サービスカウンターに向かおうとする。

 その時、用紙が置いてある場所が書かれたところの下に、小さな文字を見つける。


『みせいねんのかたは、おうちの人の許可がいるよ』


 そこで、がっくりと肩をおとす。

 そうか、誰か大人の人に頼まなくちゃいけないのか。

 その時、後ろから肩をたたかれた。


「萌、帰るぞ。……何見てるんだ」


 振り返ると、そこにはお父さんが立っていた。

 お父さんは、一人、単身赴任をして暮らしている。

 そのため、萌と一緒に過ごす時間は、お母さんに比べてかなり短い。

 今日も、少ない休みを使って、こちらへ帰ってきたのだ。


 正直、萌はお父さんのことがよく分からない。

 いつも無口だし、お母さんに何か注意されても、ただ黙って聞いているだけだ。


 友達の話では、お父さんとお母さんはよくけんかをするという。

 でも、うちでお父さんとお母さんがけんかをしていることなど、少なくとも萌は、見たことがない。

 お母さんの方が間違っていると萌が思う時でも、お父さんはただ黙って話を聞き続ける。言われたことに、それは間違っていると言ったりもしない。


 萌のお父さんは、萌が見ていたカラオケコンテストのポスターを見つめた。

 萌は、恥ずかしくてうつむく。


 お父さんに何か言われないかな。お前なんかに、こんなコンテスト出られるはずがないってそう笑って言われちゃうかな。

 お母さんならきっと、そう言うに決まってる。


 思えば、いつもそうだった。恥ずかしがり屋な萌は、誰かに話しかけられても、首をたてにふるか、横にふるかで自分の気持ちを伝えるしかなかった。

 人見知りの彼女は、両親とおじいちゃんおばあちゃんくらいにしか、話すことができない。自分の気持ちをきちんと伝えることが、はずかしくてできないのだ。


 学校でも、授業で手をあげることなど、恥ずかしくてできない。最初は先生も、なんとか萌に話してもらおうと、授業であてることが多かった。

 けれど、最近はあきらめたのか、あてようとしなくなってしまった。


 学級会で意見を求められるのも、みんなの前で発表するのも、苦手だ。

 でも、萌には夢があった。


 歌手になるという夢は、萌がようちえんに通っていたころからの夢だ。

 ある日、テレビで見た歌手の人が、すごく輝いて見えたから。


 その人も、司会の人のインタビューには、とても恥ずかしそうに、自信がなさそうに答えていた。

 でも歌い始めたら、まるで人が変わったように自信にあふれた顔で、歌っていた。


 私もああなりたい。そう思った。それから彼女の将来の夢は、歌手になることになった。でもお母さんは言う。


『あなたのように恥ずかしがり屋で自分に自信のない子が、なれるわけないでしょ』


 そう言われるたびに、ああ私には無理なんだと思う。

 でも、あきらめたくはなかった。

 くちびるをかむ萌を見て、お父さんは言った。


「……これに、出たいのか」


 それを聞いて、萌はお父さんを見上げる。お父さんは、なんて言うだろう。

 お父さんは、萌の顔とポスターを見くらべていたが、やがてゆっくりと言った。


「いいんじゃないか。父さんが用紙を書いてやるから、出てみたらいい」


 それを聞いて、うつむいていた萌は、ぱっと顔を上げた。

 そして、お父さんの顔を見る。お父さんは、少しだけ笑っていた。


「出たいんだろう? だったら、出てみたらいいじゃないか。誰も止めないよ」


 そう言って、サービスカウンターに向かってさっさと歩き始めてしまう。

 お父さんの広い背中を追いかけながら、彼女はたぶん初めて、父親をかっこいいと思った。


♢♢


 萌は、お父さんにカラオケコンテストの参加用紙を書いてもらって、とても楽しい気持ちで、お母さんと合流し、家に帰った。


 お母さんは、萌がとてもうきうきした表情を浮かべているのを見て、おどろいた様子だった。


「萌、どうしたの。今日はとってもきげんがよさそうじゃない」


 お母さんの言葉に、萌はそっと、カラオケコンテストのチラシを差し出した。

 そして、お父さんの方を向いて言った。


「お父さんに、もうしこみしてもらったの」


 お母さんは、チラシを手に取りさっと目を通した。それから言った。


「あなたが、カラオケコンテストに出る!? そんなの無理に決まってるでしょ」


 お母さんの大声を聞いて、萌は体をちぢめる。


「あなたは、人前に出て話すこともできない子なのよ!? そんな子が、人前で歌えるわけがないでしょ!?」


 そういきおいこんで言うお母さんに、萌は返す言葉がない。たしかに、今のままで人前で歌えるとは、自分でも思えなかった。でも、このままカラオケコンテストに出ないというのも、嫌だった。


 歌えるかどうかは別として、参加はしてみたかった。他の人が歌っているのを、聞いてみたかった。それを、うまくお母さんに伝えることが今の彼女にはできそうもなかった。


 ただうつむいてしまう萌の肩に、大きな手がのせられた。お父さんだった。


「それは、分からないだろ。萌が出たいと言ったんだ、出させてあげよう」


 お父さんの思わぬ言葉に、お母さんは一瞬おどろいた顔をする。

 しかしすぐに怒った顔になって言う。


「お父さんまで! この子が恥ずかしがり屋なの、知ってるでしょ。無理よっ」

「恥ずかしがり屋なのに、出たいと言ってるんだ。コンテストに出ることで、何か変わるかもしれないじゃないか」


 お父さんとお母さんは、口げんかを始めてしまった。萌は、二人がけんかをしているのを初めて見た。けんかが、自分のせいで起きてしまったことに、萌はショックを受けた。けれど、お父さんが自分のためにお母さんとけんかをしてくれていることが、うれしくもあった。


 いつもお母さんとけんかをすることなく、ただ話を聞くだけだったお父さん。それが今は、私のためにけんかをしてくれている。これだけお父さんががんばってお母さんを説得しようとしてくれているんだから、私もがんばらないと。


「お母さん、おねがい。私、がんばるから。だから、コンテストに出させて」


 萌とお父さんの根強い説得に、お母さんはしかたなさそうに言った。


「そうね、ちょうせんしてみるのも大事よね……。わかった、おうえんする」

「ありがとう」


 萌は、うれしくなった。とりあえず、お母さんもお父さんのおかげで説得できた。あとは、自分が人前で歌えるようになるだけだ。


♢♢


 それから彼女は、一生懸命歌を練習した。人前で話せるようになるためにどうしたらよいかなどを、図書館の本や、自分のスマートフォンで調べたりもした。


 最初はあまり乗り気でなかったお母さんも、萌の様子を見て気持ちが変わってきた。萌と一緒に図書館で本探しを手伝ってくれたし、歌の練習を聞いてくれるようになった。


 カラオケコンテストが明日にせまったある日のこと。休み時間に、同じクラスメートの尚美が、突然黒板の前に立って大声で言ったのを聞いた。


「みんな、聞いて! 明日、カラオケコンテストがあるのは知ってるよね!? あたし、あれに出るんだ! 絶対歌手になるんだ! だからみんな、見に来てよね!」


 それを聞いて、萌はしまったと思った。お客さんとしてクラスメートが来ることもありえるし、コンテストに出るクラスメートもいる可能性があることを忘れていたのだ。


 自分が知っている人がたくさん来たら、はたして恥ずかしがり屋の自分は、歌を歌えるのだろうか。萌は心配になってきた。


 さらに、と萌は尚美を見る。尚美ちゃんが出るなんて。


 萌は、尚美と話したことがない。でも、尚美が歌手になりたいと思っているのは、知っていた。音楽の先生に彼女がそう話しているのを聞いたことがあったからだ。


 尚美は、歌がとてもへただ。でも、本人はそれに気付いていないらしい。クラスメートたちの間に、ざわめきが広がる。きっと、音痴の尚美がコンテストに出るなんてと話し合っているのだろう。


 でも、尚美がプライドが高いことは、クラスメートたちの間でも有名だ。だから、クラスメートの女子たちが口々に言う。


「尚美ちゃん、コンテストに出るの!? すごーい」

「歌手になりたいんだ。応援する」


 クラスメートたちに声をかけられて、尚美はとてもうれしそうだ。

 彼女はクラスメートにちやほやされて満足したのか自分の席に戻ろうとする。


「ま、歌手になりたいわけじゃないんだけど」


 友達にそう言って去っていく声が風に乗って聞こえてきた。

 萌は机の上で手をにぎりしめていた。

 歌手になりたいわけじゃない?

 今、たしかにみんなの前で、歌手になるって言ってたのに。


 萌は、尚美の自信にあふれたところをうらやましいとは思っていた。私もああなりたい。そう思っているところもあった。でも、歌手になりたいという話は、うそだったんだ。


「歌手になりたいんじゃなくて、イケメン芸能人と知り合いたいんだったね」


 友達がどこか呆れた様子で返しているのも聞こえてきた。


 萌は思った。なんとしても、尚美の優勝をとめなければ。

 家に帰って、もっと練習しなくっちゃ。

 萌は、さらに強くこぶしを握りしめた。


♢♢


 萌は、再びカラオケコンテストのポスターの前に立っていた。

 勝負は、明日。

 その気持ちを高めるため、ショッピングモールに連れてきてもらったのだ。

 すると、後ろから声がひびいてきた。


「見つけたで!」

「え? え?」


 突然、大きな声が聞こえてきて思わず萌は振り返る。

 そこにはピンクと紫色の髪をした女の子が立っていた。


「ウチ、ジーニって言うねん。ジーニちゃんって呼んでな。それじゃ、行くで!」


 一瞬、萌は自分に声をかけてきているのではないと思った。

 しかし、明らかに女の子の目は、萌を見つめている。


「えっと、どなた様、ですか」

「せやから名乗ったやろ。ウチは、ジーニちゃん! アンタにぴったりの本を持ってるねん。アンタのための本や!」


 そのまま、萌をどこかに引っ張っていこうとする。


「ど、どこに行くんですかっ」

「あーもう! ここでええわ! 時間がないねん、行くで!」


 ジーニは背負っていたリュックサックを開く。

 そこには、大きな穴が出来上がっていた。


「歌手になりたいんやろ、せやったらついてき!」


 そう言うと、さっさとジーニは穴の中へと消えた。


 唐突に現れ、何がなにやら分からない状態で、消えてしまったジーニ。

 しかし彼女は、『アンタにぴったりの本を持ってる』と言った。

 それが、どんな本なのか、確かめたくなった。

 この冒険がもしかしたら、今後の人生に必要になるかもしれない。

 そう思って、萌は小さくうなずいた。

 そして穴へ飛び込んだ。


 ジーニと萌はぷかぷかと浮いている。

 

「急ぎで申し訳あらへん。なんか、もうすぐ帰るらしいやん」

「あ、そうなんです」


 今日は、お父さんが帰って来る。

 お父さんが帰ってくるまでに、夕飯を準備しておこう。

 そうお母さんと約束した。

 だからショッピングモールにいられるのは、あと十分ほどだったのだ。


「取り急ぎ、聞くで。アンタに必要な本は、なんや?」

「私に必要な本……」

「おそらく、アンタはもう、答えを知ってる」

「私は……、歌手になるための本が欲しいです。人前でもはずかしがらずに歌えるようになる自信がついて、うまく歌えるようになる本」

「よっしゃ!」


 ジーニが言って、パチンと指を鳴らした。

 二人は地面に着地する。

 本棚から、一冊の本が飛び出す。

 その本は以前、尚美にジーニが手渡した本、『カラオケコンテスト絵本』だった。


「この本は、つい最近まで持ち主がおった。せやけど、持ち主にふさわしくなかってん」

「持ち主にふさわしくない……」

「せや。なんでも、努力せな、うまくならへん。天才なんて、百人のうちの一人、いやもっと少ないんや。努力した者、あきらめへんかった者が勝つねん。それに本は、使ってなんぼや」


「本を……使う」

「本は、人に読んでもらうことがいきがいなんや。このカラオケ絵本も、人に読んでもらって、マイクで歌を歌ってほしいんや。だって、カラオケ絵本やから」


 それを聞いて、萌はカラオケ絵本を手に取る。そして、ぱらぱらとページをめくる。その様子を、ジーニは何も言わずに見つめる。


 やがて本を閉じると、萌は目を輝かせて言った。


「この本、とってもすてきです。恥ずかしがり屋のお姫様が、歌のコンテストで王子様と出会って、幸せになる。とっても、とっても、すてき」


 それを聞いてジーニは満足げにほほえむ。そして、萌の頭をそっとなでる。


「その本はもう、アンタのもんや」


 その時、ジーニの腕の中に一冊の本が現れる。

 その本を見て、萌があっと声をあげる。

 その本のタイトルは、見覚えがあった。


『子どもとの会話100選』


 それは、この前お父さんが読んでいた本だった。

 ジーニは本のタイトルを見て、優しい目で萌を見た。


「お父さん、萌とお話をしたかったんだね」


 それを聞いて、萌はお父さんのことを思い浮かべる。

 いつも無口で、お母さんの注意を黙って聞いているお父さん。

 カラオケコンテストに出たいと思った萌のために、お母さんとけんかをしてくれたお父さん。


 萌は、今日お父さんが帰ってきたら、自分からお父さんに話しかけよう、そう思った。


 お父さんのおかげで、カラオケコンテストに出られたよ。ありがとう。


 そう絶対に伝えよう。彼女は強くそう思った。それを萌の表情で感じ取ったのか、ジーニはうれしそうに言う。


「うん、それがいいと思う。そのためにも、明日のコンテストでいい結果を残さなくちゃね」


 それを聞いて、萌は首をかしげる。どうして初めて会ったこの人が、私がカラオケコンテストに出ようとしていることを知ってるんだろう。


「ウチは、たくさん不思議な本を持ってる。アンタのことを知ってる本に、アンタのことを聞いただけや」


 そう、ジーニは言った。あまり意味はよく分からないけれど、萌はうなずいた。


「それじゃ、アンタにその本をあげる。代わりにこの『子どもとの会話100選』をもらうで」

「いいですけど、この本、どうなるんですか」

「新しく、持ち主を探すんや」

 

 ジーニの言葉に、萌は考える。

 これから自分と父親はこの本がなくても、お話することができる。

 別の誰かの役に立つときがくるのなら、その方がいいに決まってる。


 萌はうなずいた。そして、言う。


「きっときっと、いい持ち主に出会わせてくださいね」

「もちろんや」


 ジーニが笑う。その顔のまま、彼女は言う。


「まいど、ありがとうございます。本と、そしてあなたが幸せでありますように」


 気がつくと、萌はカラオケコンテストのポスターの前に戻ってきていた。

 腕の中には、カラオケ絵本がおさまっている。


 不思議な体験をしたな、そう思いながら萌は本を抱えて帰った。

 帰宅した萌は早速、カラオケ絵本を使って歌の練習を始めた。


 カラオケ絵本には物語がついていた。恥ずかしがり屋でめったに外に出ず、親以外と話したことのないお姫様。ある日、隣の国の王子様が結婚相手を探すためのパーティーを開くことになることを知る。王子様に一目ぼれしたお姫様は、パーティーに参加することを決める。しかし、人見知りで人と話すことが苦手なお姫様は、王子様とどうすればお話できるかが分からない。


 そんなとき、パーティーの最中に歌のコンテストが開かれることになる。王子様は歌がとても好きだった。そこで自分の心に1番ひびいた歌を歌った人と結婚すると言い出したのだ。


 萌は歌った。最初は、コンテストの結果はビリだった。王子さまはお姫様ではない人と結婚してしまう。しかし、何度も何度も歌い続けているうちに、物語に変化が現れた。


 コンテストの結果が良くなり始めたのだ。ビリだったのが、最後から二番目、三番目と変わってくる。そしてついに。


 歌のうまさの順位ではまだまだ一位にはなれなかったが、一番心にひびく歌を歌ったとして、主人公のお姫様と結婚すると王子様が決めたのだ。


 それを見て、萌は絵本を閉じて、ベッドにとびこんだ。

 恥ずかしがり屋のお姫様が、自分と重なって見えた。

 そのお姫様が幸せをつかんだのだ。これほどうれしいことはなかった。


 次の日。萌が参加するカラオケコンテスト当日。

 萌はカラオケ絵本を大事にかばんに入れて、カラオケコンテストの会場に向かった。


 会場では、尚美に会った。尚美はなぜか青白い顔をして、まったく萌のことに気づかなかった。


 萌の番が来た。彼女は、大好きな歌手の歌を歌った。

 その人の歌を聞いたことで、彼女は歌手を目指すようになったのだ。

 歌い始める前、カラオケ絵本の物語がふと浮かんだ。


 歌が一番うまくなくたっていい。自分の思う歌い方でいい。

 気持ちをこめて、いっしょうけんめい歌おう。

 そうすればきっと、気持ちは届くから。


 萌の歌は、お客さんを包み込んだ。恥ずかしがり屋だが、優しい萌の性格がにじみでる歌声。お客さんは萌が歌い終わったあと、いつまでも拍手してくれた。


 拍手をしてくれているお客さんの中に、お母さん、お父さん以外に、ジーニの姿が見えたような気がした。


 そして、萌はカラオケコンテストで見事、優勝したのだった。

 司会の人は、萌にトロフィーを渡しながら言った。


 歌が上手い人はもっと他にもいた。

 けれど、萌の歌が一番心にひびいたのだと。


 コンテストが終わって、萌はお父さんのところへと走り寄った。

 お父さんは、ただ一言、こう言った。


「よかったな」


 それだけでも、お父さんが喜んでいるのが分かった。

 萌は、感謝の気持ちをお父さんに伝えた。


♢♢


 それから数年後、彼女は動画投稿サイトに歌ってみた動画を投稿した。

 その動画がおどろくほど再生され、彼女は晴れて夢をかなえた。


 夢をかなえた彼女はいつもインタビューの際、自分に影響を与えた歌手の話、そしてコンテストに応募してくれた父親の話をするのである。



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