死んだ占い師

鯖缶/東雲ひかさ

第1話

 初恋は忘れられないものとは言うけれど、それを今、実感している。

 ユリの花言葉にも納得がいった。

 ○

 飯田さんとは大学で知り合い、それからの付き合いだった。

 飯田さんは僕と同期でよく遊んでいた。仲はよかったと思う。けれど僕が女性に疎いこともあって何となく使っていた敬語が抜けることはなかった。

 そんなある日、僕は飯田さんのサークルに呼ばれた。三回生の時だ。

 飯田さんはサークル・ディヴィネイション、つまりは占いサークルに所属しており、僕は飯田さんに「占ってあげるよ」と言われ、僕はひょいひょい足を運んだ。

 僕としては占いなぞ信じていなかったし、飯田さんの占ってあげるよ、というのはつまり占いの練習台になってよ、という意味なのはわかっていた。だから僕はひょいひょいではなく友達のよしみとして渋々サークルに赴くはずだった。

 しかしその時期は就職するべきか、院に行くべきか、ただぼんやりとした将来への不安で一杯だった。だから何かしらの道しるべを飯田さんが示してくれるのではないかと期待があって占いサークルに馳せ参じた。

「よく来たね」

 大学のサークル棟の一室に行くと飯田さんが出迎えてくれた。他には誰もいなかった。

 椅子に座るように勧められ、言われるまま座った。そしてテーブルを挟んで飯田さんは向かいに座った。

 雑談もほどほどにすぐ本来の用件であった占いを始めた。

 それはタロットカードだった。

 何を占いたいのかと聞かれて、漠然と将来のどうしたらいいのかと僕は言った。飯田さんは裏返しでカードをテーブルに並べて好きなカードを選ぶよう言った。そして僕は一枚のカードを選んだ。

 どんなことを言われても信じてやる、と半ば不安定な精神状態でいた僕はよりその占い結果に驚いたのか、拍子抜けしたのか、自分でもよくわからない精神状態に陥らざるを得なかった。

「黛君、近いうち死んじゃうかも」

「え?」

 飯田さんは突拍子なく言った。嘘を吐いている様子はないし、冗談だとしても飯田さんはそんなナンセンスな諧謔は持ち合わせていない。だから僕の当惑はどんどん肥大する一方だった。

「いや、所詮占いだよ? そんな深く考えなくてもいいって。私が言っていい台詞かは危ういけどさ」

 飯田さんは僕の強張った表情を恐怖などと見紛ったのかフォローしてくれた。

「だ、大丈夫です。でも僕が頼んだのは将来どうすればいいかですよ。突拍子がなさすぎます」

「でもこう出たしねぇ。将来どうするもこうするもお前死んじゃうよっていう一歩先を行ったご託宣かもね」

 飯田さんは僕の選んだカードを弄びながら言った。それも自分が出した結果にも関わらず他人事のように。

 僕はやはり占いは所詮占いか、と占い結果は信じないくせに飯田さんの言ったフォローに納得していた。そして僕は占いなんかに縋ってはならないと決意を新たにした。

「でもさ、ホントに死ぬとして何かやり残したこととかある?」

 飯田さんはカードを片付けながら言った。既に占いモードからシフトしたようだった。

「そう、ですね……」

 僕はそう言われても咄嗟に思いつきはせず口籠もった。

「好きな人とかいないの? 黛君は。告白しなきゃー、とか」

 いつの間にか片付けを終えた飯田さんが僕をまじまじ見て言った。僕は何となく恥ずかしくなって目を逸らした。

「いや……、好きな人はいないですね。というか恋ってしたことないかも、ですね」

 僕はあたふたしながら何も面白みのない返答をした。

「じゃあ、私に恋してみたら?」

 飯田さんは悪戯っぽい顔をして言った。

 僕はよりあたふたして声も出なくなった。

「冗談だってばー」

 飯田さんはより悪戯っぽい顔をしてそう続けた。

 そしてその日は散会となった。

 多分、この日から僕は飯田さんを意識し始めたのだと思う――いや、抱えていた思いに気づいたのかもしれない。

 それから程なくして僕達はそういう仲になった。

 そして四回生の年の暮れ、彼女は死んだ。

 ○

 僕はアーケード街の一角に来ていた。

 深層と言えば深層の――それはジャンル的になのだが――色鮮やかな店と店の間の路地に入っていく。

 何で色鮮やかなのかというと人の名前や何の占いをするのか、料金や様々なこの店についての色紙だ。つまりここは占いの館、というわけだ。

 僕は奥へ奥へと進んでいき階段を上り、案内の色紙に従い扉を開け一室に入った。そこはワンフロアで全体的に明るくアジアンテイストな装飾が施されている。その部屋は簡素に衝立で仕切られていて二、三畳のスペースが五つくらい作られてあった。仕切りの中は丸テーブルを挟んで丸椅子が二脚ある。

 そこで占い師と対面して占ってもらうのがすぐわかった。

 受付には五十代くらいの女性がいた。

「あの、本願寺さんっていらっしゃいますか?」

「今日はいないよ。本願寺は水、金、土曜にいるからそん時来な」

 受付は気怠そうに答えた。

「あの、占いに来たわけじゃなくて……」

「だとしても休みだからね。無理だよ」

「飯田さんってご存知ですか?」

 同じ職場とはいえ飯田さんを知らないかもしれない人に彼女の名前を出すのは憚られたし、そもそも次の本願寺さんの出勤日まで待てばいい。しかしことがことなので仕事場に押し掛けるのもどうなのかと葛藤して結局ダメ元で飯田さんの名前を出した。

「本願寺の弟子の知り合いか」

 すると依然気怠そうではあったが多少の友好の気配は見せてくれた。

「はい。それで……」

 言葉にしようとするとまだ身体が拒絶反応を起こす。

「なんなんだい?」

 受付は黙る僕を見かねて催促した。その態度を見て受付の耳に彼女のことが入って来ていないのがわかった。

「彼女、亡くなったんです。だから少し本願寺さんとお話がしたくて」

 受付は少し驚いたような顔をして黙ったまま煙草に火を点けた。

「……そうかい。それは多分本願寺も知らないだろうねぇ」

 そう言って受付は片手で紙片に何かを書き始めた。それは十一桁の数字だった。

 これまた気怠そうに受付は紙片を僕に渡した。

「私が呼んでもいいんだけどね。私があんたに会わしたってのがバレないに越したことはないからね。自分でどうにかしな」

 それで数列が電話番号だと気づいた。

 僕はお礼を言って部屋を出ようとする。

 受付と本願寺さんの間には何かあるのだろうか。バレたら申し訳が立たない。

「まあ、バレたらバレたで仕方ないよ」

 受付は僕の背中から何か感じたのか気怠そうにそう言った。

 ○

「はい。本願寺です」

 もらった連絡先にかけるとワンコールで低く渋い音が鳴った。

 占い師というから勝手に女性だと――魔女的なイメージを持っていたから少しその声に驚いた。

 僕は挨拶と身分の表明をほどほどに事の経緯を話した。

 本願寺さんはショックを受けたような雰囲気は見せたが取り乱すこともなく冷静だった。

「それで是非、本願寺さんとお話がしたくて」

「ふうむ、しばし待ちたまえ」

 そう言うと電話の向こうからぺらぺらと紙を捲る音が聞こえてきた。手帳で予定の確認でもしているのだろうか。

「先一週間は予定がある。けれど私も話を聞きたい。黛君がよければ今からなら時間をとれる。どうする」

「は、はい、是非お願いします」

 この一瞬で気持ちが浮き沈みして必要以上に浮き足立った声色で答えてしまった。

「それで君はどこにいるのかな。合わせるよ」

「みなと駅、の近くです」

 アーケード街、と言いかけてすんでのところで踏みとどまった。受付のおばさまに顔向けできなくなるところだった。

「なら話は早い。リリーという喫茶は知っているかな?」

 僕がそちらに合わせますという間もなく本願寺さんは言った。

 勿論、僕はその喫茶店を知っていた。

「では、そうだな……。十一時でどうかな」

「わかりました。それでお願いします」

 だってそれは僕が飯田さんに告白した喫茶店なのだから。

 ○

 リリーに着いてから十一時まで三十分以上あったが体感ではそこまで長い時間には感じられなかった。

 落ち着かない事はなく、僕は寧ろ落ち着いていた。多分、飯田さんのことを占い師として理解している人に話ができる都合がつき安心しているのだろう。

 カランカランと店の入口が開く。

 待っている間何度とあったことだがその入店は他と違った。

「本願寺さん。こんにちは」と店のウエイトレスが言った。

 それと同時に僕は卓上の占いおみくじ器から目を離しそちらを見た。

 そこには総白髪の男がいた。

 身長は僕より高い――百八十センチくらいだろう――身なりは占い師と言うより何か芸術の大家を思わせる和服だった。というか白い顎髭も伸びていて山奥で会えば仙人と間違えるかもしれない。

 僕が呼ぶと本願寺さんはウエイトレスに軽く断りを入れ、僕の席の向かいに座った。

「初めまして。僕が黛です」

「ああ、本願寺だ。宜しく」

 近くで顔を見ると仙人の風体――総白髪と言った方が正しいか――とは裏腹に若々しく、まだ五十代に見える。実際に何十代なのかは知り得ないが。

「飯田君は確かに死んだのか」

 本願寺さんはブレンドコーヒーをオーダーすると物々しく口を開いた。

「ええ。本願寺さんの耳にはやはり……?」

「ああ、知らなかったよ。だがまあ、彼女のことだ。もし死んだら、そうなるようにしていたんだろう」

 飯田さんが死んだ時、大学や彼女の親、それに辛うじて僕に連絡が入った。でも僕に連絡が入ったのは彼女の親に僕が認知されていたとかではなく、彼女の携帯には僕とバイト先以外のめぼしい連絡先はなかった――だから必然的に僕に連絡が来ざるを得なかった。

 とは言え飯田さんの死を知っているのが僕だけというわけでない。

 人ひとり死ねば噂くらいはたつ。

「だとすると何故私の連絡先を知っているのかな?」

 僕は口籠もった。誤魔化して取り繕わねば。

 確かに本願寺さんの存在は飯田さんから聞いたのだけど……。

「まあ、そんな意地の悪いことは言わないよ。重要なのは私が飯田君の師で、君が彼女の恋人だということだからね」

 本願寺さんは意地の悪いことを言った。

「それでいつ死んだんだい。飯田君は」

 そしてすぐ話題を本題に変えた。

「去年の暮れです」

「なら二ヶ月程度前か。死因は? 自殺かい?」

 そう言われても僕は気分を害さなかった。

 僕自身、飯田さんが死んだと一報を受けたとき、自然とそう思えてしまった。そんな素振りは全くなかったというのに。

 無責任なのかもしれない。けれどそう思えてしまうのと、実際そうなった時どう思うのかはまた別の話だろう。

 そうだったのなら僕はここにいない。

「いえ、急死です。急性心不全だったそうです」

 本願寺さんは少し黙ると自殺を疑ったことを謝った。

「連絡先については多分だけど、私達に迷惑がかからないようにだろうね。我々は世間的には胡散臭い輩だからね。自分に何かあった時、必要以上の迷惑がかかると思ったんだろう」

 本願寺さんはそう言って「何かあったらと日頃思っていることもそれで連絡先を漂白してしまうのも彼女らしい」と届いたコーヒーを啜りながら続けた。

「そう言えば、君以外の友人の連絡先はなかったのかい」

「彼女、人付き合いが苦手、な感じじゃないですか」

「ああ、そうだね……」

 飯田さんはサークルにも所属しているしそのような性質は持っていないように思っていた。しかしそれは間違いだった。

 飯田さんは上辺だけの関係が得意な――そして人と深い仲になることはない――そんな典型、の極端例だと彼女と深く知り合うことで気づいた。

 飯田さんが人と話したりしているときに感じる違和感――それはきっと相手をただ“知っている人”として接していることによるものだったんだろう。

 僕の思い違い――思い上がりで僕以外の親しい人間がいたのならその人もまた、彼女の死を訝り、本願寺さんに辿り着くはずなのだ。

「しかし、自殺じゃないのか……」

 本願寺さんは考え込むように言った。

 そうなのだ。自殺ならば腑に落ちて、自分の不甲斐なさを悔いて生きていくことができる。

 急死という偶発性のものが必然的な謎を引き起こしているのだ。

「あの、唐突なんですけど、飯田さんの占いって“当たり”ますよね」

 少しの沈黙の後、僕は本題の中核に触れるため一旦、話題を急旋回した。本願寺さんもそれを汲み取ってくれたのか期待の回答をくれた。

「そうだね。でも占いは当たるとか外れるじゃない。彼女の場合、あれは予言と言った方が近いだろう」

 飯田さんの占いは外れたことはない。少なくとも僕が彼女の占いの異質さに気付いてから数えてだが。

 それを偶然、と片付けることは可能だろう。それにバーナム効果だったり心理学的観点から見て、ある程度の再現性のある占いを飯田さんはしていたのかもしれない。

 でもそれはあくまで個人の占いでしか効果を発揮しない。

 飯田さんの占いはものを選ばなかった。個人は勿論、団体、組織、場所、未来、具体的なこともあったし、抽象的なこともあったがその占い結果は悉く当たった。

 そう、まるで未来予知のように。

「それで黛君が言いたいのは飯田君の癖、手癖についてだよね」

 僕は静かに首肯した。

 本願寺さんは僕が話しやすいようにか、それともやはり弟子の死について知りたい逸る気持ちがあるのか、両方だとは思うが話の道筋を丁寧に立ててくれる。

 飯田さんの癖。

 彼女は手持ち無沙汰になるとあてもなく占いを始める。半同棲だったのだが、それでも僕は幾度となくそれを見た。だから実際には相当の占いの数をこなしているに違いない。

 それはタロットカードや水晶玉だったりわかりやすい占いの時もあるし、ティッシュペーパーを使った独自のものもあった。

 本願寺さん曰く、ティッシュペーパーは亀卜の一種、発展かもね、とのことらしい。

 そして最終的に飯田さんは自身について占い始める。

 それらの占いの結果について、暇つぶしであるのは知っていたし、何となく聞くのも憚られた。けれど偶に飯田さんはそのことについて話してくれる機会があって、やはりそれは暇つぶしでもあっても百発百中であった。

 飯田さんは自身の未来について知っていたはずなのだ。

 飯田さんは自身が死ぬことを知っていたはずなのだ。

「実は他殺だった――というのは流石にないだろう?」

「はい、それは流石に」

 本願寺さんが言ったことは決して突拍子のない推理ではない。

 僕も実際、当初はそうも思った。しかし少し考えればそれはすぐ払拭された。

 彼女の死因もそうだし、そもそも他殺なら警察のほうから騒ぎ始めてくれる。

 逆に――飛躍的に考えれば警察がそれを隠そうとしているから僕が飯田さんの死に違和感を感じている。そう考えられるかもしれないが実は自殺だったと浅ましく考えるより非現実的だろう。

 それに飯田さんがそんな面倒なことを放っておくわけがない。

 飯田さんは面倒なことが大嫌いだった。未来の面倒を回避するため、暇なときに占いをしている節もあった。当たると言えども、外で転ぶ、なんて占いが出たなら、外に出なければ転ぶことはない。

 そのようにして面倒を回避するための面倒は惜しまなかった。

 些か本末転倒な生き方をしている飯田さんであった。

「どうしたんだい。顔がほころんでいるよ」

 本願寺さんの声でハッとした。

「いや、なんでもないです」

 僕は無理矢理に誤魔化した。

 本願寺さんは少し怪訝な顔をした。僕は居住まいを正す。

「それで君はどう考えているんだい」

 本願寺さんはまぁいいと言うような顔して言った。

「僕は……、飯田さんは自分が死ぬことを知らなかったんじゃないかと思っています」

 本願寺さんはおもむろにコーヒーを飲み干し、んーと鼻を鳴らした。

「それはあり得ないだろうね」

 本願寺さんは喫茶店の外を遠く見ながらにべもなく言った。

「で、でも飯田さんは現に死んでます。そもそもあり得ないことが起こってるんですよ。だったら他にも何か、あり得ないことが起こってないと辻褄が合いませんよ」

 僕は少し前のめりになって言った。

 本願寺さんの言い草が癇に障ったとかではない。言い方に含みがあった。

 まるで飯田さんの死の真相に見当がついているような。

「起こってしまったあり得ないことについては飲み込むしかない。けれど私は飯田君を信頼している。起きていたかもしれないあり得ないことを考慮するつもりはないよ」

 本願寺さんは厳かな態度で僕を見て言った。

「黛君。君は認めたくないだけなんだろう? そこまで考えが回らなかったわけもあるまいし」

「な、何がですか」

 わかっていた。

 飯田さんの知り合い――ましてや師匠だった人ならば何か別の答えを見つけ出してくれるのではないかと思っていたのだ。しかし実際はそれの真逆だった。

 知っているのだからこそ、簡単にその答えに辿り着けてしまうのだ。

「飯田君は死ぬと知っていて、騒ぐ事もなく、誰に言うでもなく、ただ黙って死んだだけだろう」

 本願寺さんは少し悲しそうな顔をして言った。

「だけって……」

「そうだね」本願寺さんは諭すように言った。

「だけでは済まないね。死を受け入れて平静を保って、その間際まで揺るがない覚悟を持てるなんて尋常ではない」

 そんな解釈なら、そんな言い方をすれば――飯田さんは文字通り決死の覚悟で死を受け入れた――美しい死。そんなふうに聞こえるけれど、実際のそれの中身は。

「そんなの、自殺と一緒じゃないですか」

 僕は暴発しそうな声を落として、端からは絞り出すように聞こえる声を出した。

「常人には決して為し得ない、飯田君だけの自殺の方法。そう言えるかもしれないね」

「なんでそんなに飄々と弟子の死を語れるんですか!」

 僕は思わず立ち上がって大声を上げてしまった。

 少なくない店の客が此方を見る。

 僕は本願寺さんに宥められすぐ頭を下げ、静かに座った。

 飯田さんは自殺。僕はその推論から逃れるため本願寺さんを訪ねた。

 僕を指す誰とも知れぬ指を振り切るためにここまで来た。

 だから今、声を上げたのは飯田さんの名誉のためでもなく、本願寺さんが気に食わないためでもなく、ただ自分を守るためだった。

 飯田さんの自殺という納得いく、胃の腑に落ちているはずなのに飲み込めない結論から距離を置くためだった。

「すみません」

 僕は出来るだけ小さな声で謝った。本願寺さんには聞こえていなかったかもしれない。

 少しの間沈黙が降りた。さっきまで聞こえなかった店内の空気を緩やかに攪拌するジャズが聞こえた。

 本願寺さんはいつの間にか頼んでいたコーヒーのおかわりをウエイトレスを受け取った。

 それを皮切りに本願寺さんは口を開いた。

「私だって悲しくないわけじゃない。けれどさっき言った通り私は飯田君を信頼している。彼女は意味のあることしかしない。それは君も肌で感じていたことだろう? だから死を選んだのも何かしらの意味があるはずだ。それこそ死ななければいけないほどのね」

 本願寺さんはコーヒーを熱そうに一口飲んだ。

 僕は黙って聞いていた。

 意味のあることしかしない。確かに飯田さんにその嫌いはあった。

「しかし、逆を言えば無駄な事は一切しない。これは変わらない運命、そのような託宣が出て全く諦めていた、そんな線がなくはないけどね」

 本願寺さんは僕を慰める為にここに来たわけではない。あくまで話をするためだ。

 上げて落とすわけではなくただ可能性の精査をしているのだろう。

「でも、飯田さんが人並みに死にたいと思って、僥倖と死を受け入れていたなら、僕は……」

「結局、死の意味を決めるのは死人じゃない。生者だ。黛君が思う飯田君の死の理由を信じるしかないんだ」

 僕はどう思えばいいのか。

 もしかしたら飯田さんが死んだ理由なんてどうでもいいのかもしれない。親しい人間が――曲がりなりにもパートナーとしていた人間が死んだ。

 それを自分のいいように思うのは自分が悪人のようで、救いようのないクズのような気がしてきて。

 僕は飯田さんのためじゃなく、自分のために理由を探している。そんなふうに思える自分も気に食わない。

「本願寺さんはどう、信じますか?」

 僕は自分を棚上げして聞いた。

「私は何か意味があったと信じるよ。命を張る理由がね」

 命を張る理由。

 そんな理由があるのだろうか。

 僕ならどんな理由があれば命を投げ捨てる決断をすることが出来るだろうか。

 ふと、昔見た映画を思った。そして、いつかの、あの占いを思い起こした。

「僕は、飯田さんのためだったら命をかなぐり捨てるのも厭わない、かもしれません。それならば……」

 自分で言うのは憚られた。それは一概の感情ではなかった。

 本願寺さんは黙っていた。

 僕は居たたまれなくなって、取り繕うようにあの占いのことを話した。

「じょ、冗談だって飯田さんは言っていましたけどね」

「黛君」本願寺さんは真剣な顔で言った。

「私達占い師なんていう胡散臭い者達は能力じゃなく、信頼で食ってる。当たる、当たらない以前に出た結果を偽るのは論外だ。ましてや私の弟子だからね。それに――」

 本願寺さんは言い淀んだ。というよりはわかるだろうと言っているようだった。

「でも、僕は未だ生きています。外れたんじゃ……」

 そうだ、僕は生きている。

 飯田さんは確かに近いうちと言った。

 近いうちというのがアバウトであって十人十色に解釈があるのは認める。けれどそれが一年以上先というのは人生百年と言えど近いうちとは言えない。寧ろ遠い。

「外した、とすれば辻褄が合う」

 本願寺さんは僕を真っ直ぐ見て言った。

「僕を生かすために飯田さんは死んだと言うんですか」

 僕は本願寺さんに確認を取っても仕方のないことを聞いた。

「少なくとも私は君の話を聞いて、そう納得することが出来たよ。意味があるってね。飯田君の死と君の生存がどんな因果関係にあるか、見当はつかないけどね」

 ○

 僕は家に帰ってぼーっとしていた。

 ぼーっとして考えていた。

 飯田さんは自殺だった。認めるほかない。

 しかし本願寺さんの言った僕のためというのは納得出来ていなかった。

 辻褄が合っているような気はする。けれどそれなら何故僕は一年以上も飯田さんが死なぬまま生きていられたのだろうか。

 飯田さんが死ぬまでは僕の想像も出来ない迫り来る死因を生きた飯田さんが暗躍して食い止めていたということだろうか。あまりに都合よく考えすぎだ。

 けれどそう考えると少し気が楽というか、生きねばと前向きに思えた。飯田さんが僕の命を支えていてくれているのだと、そう思えた。

 僕はこの推理を信じてもいいのだろうか。

 わからないけれど考え続けるのが僕の義務なのかもしれない。

 僕は思案に一区切りつけて、本願寺さんの言っていたものを探すことにした。

 帰って来て少し経ったあと、電話が掛かってきた。

 曰く、飯田さんは日記を一日の終わりに認めていたのを思い出したそうでわざわざ電話を掛けてきてくれた。それで日記に何か書いてあるかもしれない、とのことだ。

 しかし僕は日記を書いている姿はおろか、日記の存在自体、見たことも聞いたこともなかった。それに遺品にもそれらしきものはなかった。

 すると本願寺さんは少し間があって言った。

「そうだな。飯田君、手に提げることの出来る箱を持ってなかったかい?」

「箱、ですか。占い道具を入れてた金庫みたいなやつしか……」

「ああ、多分それだ」

 飯田さんが使っていた持ち運べる小物入れ。小物入れと飯田さんは言っていたけれど金庫感は否めなかった――というか金庫そのものだった。鍵はついていなかったが。

 占い師っぽい装飾のせいで余計、金庫感が際立っているようにも感じた。

 遺品にも確かにあった。けれど日記の類は見当たらなかった。

「あれ、実は私のお下がりでね。二重底になってる」

「だとしても、そこに日記があるなんて……。何というか」

「そうだね。連絡先も消してたんだ。処分されていてもおかしくない」

 そういうことではないのだが、僕は何も言わず、お礼とまた連絡するとだけ言って電話を切った。

 探す、とは言ってもどこにあるかはわかっていた。

 家のクローゼットの中にそれはあった。

 飯田さんのものと明確にわかるような遺品は殆どなかった。金庫はその数少ないひとつだ。僕はそれを親御さんのご厚意で譲り受けていた。

 箱を開くとやはり占い道具が満載だった。

 タロットカードは勿論、水晶玉、トランプなんかも入っている。よくわからないものも沢山だ。

 僕はそれらを丁寧に全て取り出し、箱の奥行きと外見を比べた。そこには目視でもわかるような差があった。三センチ程度だろうか。

 僕は本願寺さんから聞いた通りに底を外すのを試みる。するりと、いとも容易くそこは外れ、鍵付きの手帳が現れた。

 まさか、と思うよりも飯田さんのことが、重要な知ることの出来なかった何かが知れるかもしれないと、ただ目の前の手帳に気分は高揚していた。

 それはモダンな感じで青い皮に黒い花が刺繍してあった。ユリだろうか。

 鍵付きと言っても所詮手帳なので碗力でどうにかなりそうではあった。けれども手帳の横には錠の意味をなくすように小さな鍵が安置されていた。

 飯田さんは意味のないことはしない。ならば鍵はこんなところに置かないし、そもそも鍵付きの手帳は使わないだろう。

「どうぞ。読んでくださいってことなのかな」

 手帳を手に取る。皮が経年劣化で艶々している。鍵を使い、錠を解く。カチッと小気味いい音が静かな部屋に鳴り響いた。

 何となく人の手帳を読むのが悪趣味と思ったり、怖いのもあって、取り敢えずパラパラと全体を捲ってみた。

 中身を取り替えることが出来るようで、褪せてセピア色になっているページや真っ白に新品みたいなページもあった。はたまた、そもそもの紙の色が鮮やかなのもあった。

 僕は意を決して解読に移った。

 最初の数ページ、セピア色になっている部分を読む。それは連絡先であった。名前の下に電話番号やメールアドレス、果ては住所が書かれている人もいた。

 勿論、本願寺さんの名前もあった。

 捲っていくと、占いについての考察みたいなことが書かれているページもあればよくわからない落書きが書かれているページもあった。

 僕は少し笑っていたと思う。

 確かに年月日が書かれ、下に日記が続くページがあった。けれども毎日というわけではなく、たまに気が向いたら書く。そんなふうに思わせる頻度だった。

「毎日書くのはやめていたのかな」

 そんなふうに思いつつページを捲る。

 そこには僕のことの記述があった。

 他愛のない内容で僕は恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。

 確かに僕は彼女の中にいた。

 そう思うとやはり苦しくもなった。

 自殺を止められなかった。寧ろ僕が追い込んだのか。本当に僕のために? それか本当に小さな可能性、飯田さんは自身の死を知らなかったのか。……それとも思いもしない可能性か。

 僕は気持ちを新たにしてページを進めた。何かしらの答えを求めて。

 しかしその気持ちとは裏腹、それらしき記述はまるでなかった。拡大解釈――荒唐無稽にこじつけすることは可能だろうがそれでは何も解決できない。

 そしてすぐ最後のページの前まで来てしまった。

 僕は一息、ふぅーと吐いて手帳に向き直った。

 ゆっくりとページを捲る。

 日記だった。ページの左上に年月日が書かれている。

 それは飯田さんが死んだ日付だった。

 僕は息を呑む。

 こころみたいに長々と仰々しく遺書が書いてあるとかそんなことはなかった。そもそも、ただの一ページしかもう残っていない。

 たった一行の文を指でなぞる。

「生きていく黛君は、私を生かし続けてくれるはず」

 そう余白を持て余して綴られていた。

 説明も何もない。

 しかし本願寺さんの仮説が正しい、そう思えはするような文章ではある。

 けれど、読んだ瞬間から違和感が僕を襲っていた。

 なんだろう。飯田さんが支えていてくれるはずが、今では僕の命の上に覆い被さっているような、そんな息苦しさ。

 わからない。

 僕は何度もその文章を読んだ。変わりはしない。

 違和感はこの持って回った言い方のせいだろうか。飯田さんがそのような言い回しを好むだけだろうか。

 いや、違う。

 違和感はここまで読んだから感じたのだ。飯田さんは日記でもメモでも何でも端的に書いていた。

 飯田さんは意味のあることしかしない。

 いつの間にか強く握っていた右手の親指の下に何か書かれているのに気づいた。ゆっくりと指を退かす。

「私と違って」

 そう、書かれている。

 違和感の正体。

 これでは生かすために死ぬ――そんな文章には取れない。これは――死ぬために死ぬ、そんな文章だ。

 ふと、死ぬと言われた占いを思い返す。

 何故僕は生きているのか。何故僕は死なないのか。飯田さんが僕を生かしてくれたからではないのか。では何故飯田さんはそれをこの手帳に正直に書かない? 気恥ずかしいとかそんなものか? 死んでしまっては仕方ないだろうに。

 ……私と違って? もし僕が死んでいたら、飯田さんは僕のことを忘れてしまう、ということだろうか。

 飯田さんふうに言えば僕を生かし続けてはくれない。

「あ、あぁ……」

 思いもしない可能性。飯田さんが死を選んだ理由には不十分かもしれない。けれど僕が生きている、その理由としては十分だ。

 おぞましい、その可能性。

「飯田さんが死んだのなら、そりゃあ僕は……」

 信じたくはない。信じられはしない。

 けれど辻褄が合ってしまった。

 僕は、一生この初恋を、飯田さんを忘れることはないだろう。

 そして僕は都合よく、彼女の死を信じる。

 真相は、真意は、彼女が殺してしまったのだから。

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