第62話 無償の愛作戦

-ヴィクターの帰還より2日目

@ノア6 医療棟:病室


──ピッ………ピッ………ピッ………


(んっ……こ、ここは?)


 カティア救出の際に、ヴィクターが投げ込んだ手榴弾のせいで大怪我を負った少女……ノーラは3日ぶりに目を覚ました。


(……白い……部屋?)


 ノーラは、メディカルポッドと呼ばれる医療装置にて、止血や破片除去などの手術を終えて、病室のベッドに寝かされていた。病室は、白い天井に白い壁……と全てが白で統一されていた。


 状況を確認しようと起き上がろうとするが、利き手である右手に力を入れても、ベッドからの反発が感じられない。片方の左手を支点にして身体を起こすが、起き上がった時、全身に一瞬だけ鋭い痛みが走る。


「んっ、しょっと。ッ……痛ッ! そうだ、あの時……」


 自分の身に何があったのか思い出した。あの時、自分は爆発によって全身に大怪我を負ったのだ。あれからどれだけの時間が経過したのだろう? それに、ここはどこなのだろうか?


──ピッ……ピッ……ピッ……


(そうだ。う、腕は……私の腕はどうなったの!?)


 爆発の際、自分の右腕はズタズタに引き裂かれていたはずだ。自分の血がダラダラと流れる感覚を思い出し、一瞬身震いする。先程は起き上がろうとして、腕に力を入れた感覚はあったが、身体は動かなかった。一体、どうなっているのだろうか……。


 恐る恐る、視線を自分の右腕へと向けるノーラであったが、そこには信じられない光景があった。


──ピッ、ピッ、ピッ……


「はぁ、はぁ、はぁ……。うっ、嘘……嘘ッ!?」


 ノーラは、あるべきはずの身体の一部が無くなっていることを目にするが、その事が理解出来ず、呼吸が荒くなっていく。

 そして、自分の右腕が無くなっているという事実が自分の脳内を駆け巡り、ドクンッ!と心拍が強く、速くなるのを感じ、さらに呼吸が荒くなる。


──ピッピッピッ……ビッー! ビッー!


「はぁはぁはぁっ! いや……嫌ァァッ!!」


 ノーラのベッド近くに置かれていた、バイタルのモニタリング機器が、ノーラの心拍と呼吸に異常が発生した事を伝える。そして、すぐに病室のドアが開いて、一人の女性が入って来ると、暴れるノーラの元へと駆け寄った。


「目覚められたのですね……ああ、大変!」

「はっ! はっ! はっ! はっ!」


 ノーラは極度の興奮により、目を見開いて過呼吸状態になっていた。女性は、自分の胸にノーラの頭を抱き寄せると、彼女の頭と背中をなでながら落ち着くように囁く。


「大丈夫……大丈夫ですから。怖くないですから……」

「ふーッ! ふーッ! ふーッ!」

「そのまま、息を吐く事を意識して……呼吸をゆっくりにしましょう。そうです、その調子です」


 女性の大きな胸に押し付けられて、女性の服の繊維を通して呼吸が遅められる。しばらくして、呼吸が落ち着いてきたノーラだったが、段々と暑さと息苦さを感じるようになった。


「ぐ、ぐるじい……!」

「あら、ごめんなさい。」

「ぷはぁ! はぁはぁ……あ、あなたは誰?」

「私はロゼッタといいます。どうやら落ちついたようですね?」

「は、はい……」

「貴女のお名前は?」


 目の前の女性を見る。長く美しい金髪に、女神のような優しげで美しい顔……それに現実離れした、妖しげな赤い瞳。その圧倒的な美しさは、同性であれども思わず魅了されそうになってしまう。


「わ、私はノーラ……です」

ファミリーネームは無いのですか?」

「……私は孤児だから」

「そうでしたか……失礼な事を聞いてしまい、申し訳ありません」

「……あの。こ、ここは何ですか?」

「ここは病院。そして、私は貴女のお世話をすることになりました。早速ですが、食事を用意しました。お腹は空いていませんか?」

「えっ……?」


 色々と話についていけてないノーラであるが、漂ってくる美味しそうな匂いに空腹感を感じる。

 ロゼッタは、病室の入り口に停めてあった配膳ワゴンを押してくると、ベッドにテーブルを用意して、持ってきた料理を並べていく。


(……オートミール? いや、違う)

「これは、リゾットという料理です。味は薄めにしてありますから、病み上がりでも食べやすいと思いますよ。それから、チキンスープと野菜ジュースです。どうぞ、召し上がって下さい」

(……美味しそう)


 料理を前にして、急にノーラの腹が鳴る。恥ずかしさを感じながら、スプーンを手にしようとするが何故か取れない……。利き腕である右腕が無いため、取れるはずが無いのだ。無意識に避けていた事実を思い出したノーラの目には、涙が溢れていた。


「うっ……うぅ……」

「大丈夫……泣かないで下さい」

「……ッ、何が大丈夫なの! こんなの嫌よッ! これからどうやって生きてけって言うのッ!? こんな事なら、あの時死んどけば良かったんだッ!!」


 このまま生きていても、利き腕が無い以上、碌な仕事にありつけないだろう。物乞いをしてその日暮らしか、良くて娼館で欠損好きな変態になぶられて死んでいくのがオチだ。

 そんな事になるくらいなら、今すぐにでも死んでしまいたかった。


「ッ!」


──パチンッ!


「…………えっ?」


 ロゼッタは、平手でノーラの顔をビンタした。呆然とするノーラであったが、ロゼッタは諭すような優しい口調でノーラに話しかける。


「自身の命を、軽々しく扱わないで下さい。少なくとも、貴女には生きて欲しいと思っている人はいるんですから」

「……そ、そんな人なんていない!」

「少なくとも私は、貴女に生きて欲しいと思っていますよ? こんなに可愛い子が死んでしまうなんて、勿体ないですから」

「な、何を……!?」


 突然ビンタされて驚いたが、目の前の人……ロゼッタさんだっけ? この人は何を言ってるのだろう……。何を言うかと思えば私が可愛い? 自分がそうでない事くらい、自分が一番良く分かっている……。

 孤児院にいた時も、周りからは「根暗」や「不気味」と虐められ、街を歩けば「薄汚いガキ」と罵られていた私が可愛いはずない。

 同じ孤児院で仲の良かったカイナと、いじめっ子を追い払ってくれた先輩のジュディだけが、自分が親しく接する事ができる人だった。そう懐古していると、ロゼッタさんの口から二人の名前が出てきた。


「それに、ジュディさんとカイナさん……でしたっけ? 貴女の事をとても心配されてましたよ」

「あ、あの二人もここにいるの!? 会わせて!」

「残念ですが、今はここにおりません」

「そ、そんな……」

「でも大丈夫。貴女なら、すぐに良くなります。二人にも、じきに会えるはずです」

「そ、そう……」


 ……驚いた。どうやら、二人はあの地獄から生き延びることが出来たらしい。今は会えないというが、少しだけ生きる気力が湧いた。


「その為にも、まずは食べましょうか。お手伝いしますから……はい、あーん。」

「……」


 私は、ロゼッタさんに促されるまま口を開き、彼女にご飯を食べさせて貰う事になった。左手でなんとか食べれるとは思うが……なんだか、断れなかった。



 * * *



-数刻後

@ノア6 医療棟:再生医療準備室


「……神経の回復まで、あと3日ってところかな?」


 俺は現在、培養液に浮かぶ人間の右腕を眺めていた。この腕はノーラという、俺が投げ込んだ手榴弾で重傷を負った娘のモノだ。


 メディカルポッドにて、破片の除去や、火傷や傷に対するデブリ(デブリードマン:感染が疑われる組織や、壊死組織を除去し創傷を清浄化することで他の組織への影響を防ぐ外科処置)を施した後、培養した彼女の幹細胞を傷に移植した。


 別に、腕がくっついたまま治療する事もできたが、細かい破片が多く、精密な処置が必要だった事と、今後の洗脳……もとい説得の為に、敢えて一旦腕を切断し、こうして培養装置で彼女の腕を再生しているのだ。

 それに、ちょっと試したい事もあったしな。


「ヴィクター様、ただ今戻りました」

「おっ、お疲れ〜。どうだった?」

「はい。まだ警戒しているようです。が、弱みもみつけました」


 ロゼッタの分析によれば、ノーラは根暗な性格で、自分に自信が無いタイプ……らしい。要は陰キャって事か?


 この手のタイプだったら、今後もやり易くなるな。俺が、彼女達を洗脳……いや勧誘する手段は、基本的に全部一緒だ。何らかの手段を用いて、ロゼッタに依存一歩手前の状態にするのだ。

 彼女達は皆、孤児院出身で親がいないらしい。つまり、親の愛情というものを知らないのではないか? そこで、彼女達を精神的に不安定な状態に陥れて、そこにロゼッタの溢れる母性をぶつける事で、ロゼッタにベッタリの状態にさせる。以前、そういうプレイをした事があるから、イケるはずだ……。


 そして、母親的ポジションを獲得したロゼッタが、彼女達に再教育を施す事で、俺の忠実な奴隷……もとい協力者が出来上がるという訳だ。

 名付けて、『無償の愛作戦』だ!


「じゃあ、その調子で相手から情報を引き出しつつ、洗脳……じゃなかった、看護を頼む」

「……いや、これもう洗脳では? ノーラさんはマシだとして、他の方は間違いなく禁忌を破っていると思いますが……。後で恨まれるのでは?」

「いいのいいの、気にしない♪」

「は、はぁ……」

「あ、それから今夜なんだけど……」

「……はい、この看護用の服でお相手致しますね」

「流石、分かってらっしゃる!」



 * * *



-ヴィクターの帰還より5日目

@ノア6 医療棟:病室


 ……目覚めてから3日が経つ。今日は、知らない男の人が来た。ヴィクターと名乗ったその男は、信じられない事を口にした。


「……貴方の言いなりになれば、腕を治す?」

「ああ、元通りにしてやる」

「……冗談は嫌い。そんな事出来る訳ない」

「そうか……だが本当だぞ?」

「……」


 私の右腕が治る? そんなバカな話、聞いたことがない。一度失った腕が、生えてくるはずない。私だってバカじゃない。わらにもすがりたい話だが、騙されるものか。


「ま、嫌ならそのままでもいいが。実は俺も、そのままの腕でいいんじゃないかと考えてたんだ」

「……どういうこと?」

「……お前、自分が何をしたのか分かってるのか?」

「……えっ?」

「お前、野盗なんだろ? 狼旅団だったか……お前たちのせいで、どれだけの人が犠牲になってると思ってるんだ?」

「ッ!」

「その腕を治したら、また誰かを襲うかもしれないしな? 一生そのままの方が、世の中の為には良いのかもしれない」

「そ、それは……」

「そのままの腕で一生過ごすか、俺の奴隷となって働くか……まあ、悪いようにはしない。よく考えるんだな」

「……」

「また来る」


 そう言うと男は出て行き、入れ違いでロゼッタさんが入って来る。


「ノーラさん、食事の時間ですよ」

「……ロゼッタさん」


 ロゼッタさんは、毎日私の世話をしてくれている。食事、排泄、清拭など、生きるのに必要な行為全てを、彼女が面倒を見てくれる。正直、恥ずかしいのだが、何故だか悪い気はしない……。




「今日も全部食べられましたね!」

「……うん」

「じゃあ、ご褒美です」


 ロゼッタさんに、スプーンで食事を口に運んで貰いながら、食事を完食する。完食すると、ご褒美が貰えるのだ。


「……んっ」

「はーい、良い子良い子……」


 ご褒美とは、彼女の胸に抱かれて、頭を撫でて貰う事だ。

 キッカケは、目覚めた日の夜に失った筈の右腕が痛み出し、目が覚めてしまった時だ。あの時、ロゼッタさんが私を後ろから抱きながら、ゴーグルのようなものを私の目につけた。

 するとその瞬間、不思議なことに無くなった筈の右腕が現れ、動かすことが出来たのだ。ロゼッタさんは、エーアールゴーグル?と呼んでいたが、それを使うことで痛みが引いた。


 道具もそうだが、何よりロゼッタさんの存在が大きい。彼女と接していると、心が安らぐ気がするのだ。自分に母親がいたら、このような感じなのだろうか?


「ノーラさん、どうかされたのですか? 元気が無いように見えますが……」

「……腕を治せるって言われた」

「まあ、ヴィクター様ですからね。あの方なら、そのくらい容易たやすいでしょうね」

「……あの人と知り合いなの?」

「私のご主人様です。尊敬できる、とてもいい方ですよ」

「そ、そうなんだ……」


 驚いた。ご主人様……という事は、ロゼッタさんの旦那さんか? ……いや、そうは見えない。多分、奴の言ってた奴隷という事か。


「……ロゼッタさんは、あの男の奴隷?」

「広義的な意味では、そうかもしれないですね。私はヴィクター様のパートナーであり、忠実な僕であり、道具のようなものです」

「……」

「それよりも、良かったですね。右腕が治るのでしょう?」

「……うん。でも、私にはその資格が無いと思う」

「あら、どうしてですか?」


 私はロゼッタさんに抱かれながら、自分の生い立ちや、野盗になった経緯を話した。気づいたら、身体が震えていた。……やっぱり、狼旅団に入った事、後悔してたのかな? ロゼッタさんに嫌われるかな?


「……そういう訳だから、私はロゼッタさんが思っている程良い子じゃない。私は悪い子なの……」

「……コラッ、ダメでしょそんな事しちゃ!」

「えっ?」

「悪い子には、お仕置きです♪」

「うっ……あひゃひゃひゃ! ちょっ、や……やめて!!」


 突然、ロゼッタさんは私の脇腹に手を当てると、こちょこちょと、いやらしい手つきでくすぐり出した。傷口を避けるあたり流石だと思うが、我慢出来ず、らしく無く声を上げて笑い出してしまった。


「っと、これ以上は傷口に悪いですね。」

「ハァ、ハァ、酷いよママ……あっ」

「あら?」

「こ、これはその……言い間違えただけで……」

「そうですか。……でも、やはりノーラさんは表情が豊かな方が魅力的ですよ?」

「……そ、そうかな?」

「ええ。それで、どうするのですか?」

「な、何を?」

「ヴィクター様のお話です。ノーラさんが、まだ直接犯罪行為に手を染めていない事は分かりました。ですが、犯罪組織に加担していたのは確かです。確かに、ノーラさんは悪いことをしましたね」

「……ッ!」

「でも、反省しているのでしょう?」

「……う、うん」

「だったら、ヴィクター様の下で働いて、罪を償っていったらどうでしょうか?」

「でも……」

「大丈夫。ヴィクター様は、優しい方です。それに私も付いてます。……それに、ヴィクター様の下にいれば、ノーラさんの言うように、貴女のママになれるかもしれませんよ?」

「……!」




 数時間後、ヴィクター……いや、ご主人様がやって来て、私の選択を聞いた。


「……で、決心したのか?」

「……うん。私は貴方の奴隷になります。精一杯、働きます! だから、私の腕を治して下さいッ! お願いします」

「分かった……。じゃあ、この薬を飲め。目が覚めたら、全て終わってるだろう」



 * * *



-ヴィクターの帰還より7日目

@ノア6 医療棟:病室


「包帯を取るぞ」

「……うん」


 あの後、私は薬を飲んで眠りについた。そして目が覚めると、右腕が首から吊られて固定されていた。1日は固定しておく必要があったそうだ。

 それにしても、こんな直ぐに固定が外れるものなのだろうか? とにかく今はこの男……いや、私のご主人様を信じるしかない……。


「よし、じゃあ動かしてみろ。……ああ、ゆっくりな?」

「……うそ、動く……動くッ!!」

「良かったですね、ノーラさん!」

「……うん、ママッ! ……あっ」

「ママ? ハァ、お前もかよ……考案しといて何だが、上手くいきすぎだな」

「うふふ、別にママでいいですよ?」

「……うん」

「しばらくは安静にして、大きく動かしたりしないように……まぁ、ロゼッタに任せればいいか」

「はい、お任せ下さい」

「後でカイナにも会わせておけ。俺は明日の準備をしてくる」



 * * *



「……こうも上手くいくとはな」


 病室を出た俺は、独り言を呟いた。母親のような存在になって、彼女たちが言う事を聞くようになればいいとは思っていたが、まさかロゼッタが文字通りママになるとは思わなかった。


 ロゼッタがやった事を振り返るが、極限状態に寄り添い、相手の罪を叱り、受け止めた。それから、母性の象徴たるおっぱいを押し付けたり、身の回りの世話をしたり……うん、これは母親だな。ロゼッタもノリノリだったし、良かったのかな?


「というか、ロゼッタと肉体的にそんなに歳は離れてないように見えるが……あの二人はそれでいいのか!?」


 ロゼッタの外見年齢は、18歳前後だ(実年齢は0歳)。対して、ノーラとカイナはそれぞれ16歳と17歳……そんな(外見の)年齢が近い相手が母親でいいのか?

 まあ、俺も追い込むために色々酷い事をしたからな……。


 今回、残念ながら一人は洗脳に失敗してしまった……ジュディとか言う娘だ。結構、身体つきがタイプだったが、仕方ない……。

 二人は成功したのだ。3分の2……人間の洗脳の成功率としては、結構精度が高いのでは? 知らんけど。

 これも、ロゼッタとの日々のロールプレイの賜物だな! ……反省はしているが、後悔はしていない。


 そんなこんなで俺は、街に帰る為の準備を始めた。残してきたフェイも気になるしな。


(注:まだ洗脳編は続きます……)

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