違いの中に

小深みのる

何者でもない

『柚葵がいたら勝てないし!』

 仕事の作業中にふいに聞こえた空耳。またか、と頭を振ると同時にため息がこぼれそうになるのをグッとこらえる。

 昔の嫌な記憶やどうでもいい記憶がふと頭に現れる時が小さい時からよくあった。今のもそうだ。

小学生の時のことだ。とても暑かったのを覚えている。

 体育の時間、ランナーより先に打たれたボールのところに集まったら守備の勝ち。集まるより先にホームベースに帰られるとランナーの勝ちという野球もどきのような授業があった。

柚葵がいると負ける、クラスの女の子にそう言われたのだ。負けたくない一心でそう言ったのだろうがその言葉は今でも鮮明に思い出せるくらいには心に傷を作っている。子供というのは言葉の鋭さを知らない。

「牛尾くんどうしたの? 検品の手が止まってるよ」

 その声に脳内から現実への意識を戻す。声をかけてくれたのは母親よりも年上の第二の母親のような存在の子羊さんだ。

「あ、すみません……! 何でもないです」

「もしかして彼女ちゃんのこと考えてたんじゃないの?」

「ち、違いますよ‼」

「そう? 恥ずかしがらなくてもいいのにー。それはそうと戻ってきてくれて嬉しいわ!またよろしくね」

「そう言ってくれて嬉しいです! またお世話になりますね」

「で、申し訳ないんだけどもし手があいたらこっち手伝ってくれるかな? 私一人じゃ回らなくて……」

「いいですよ。今日はこっちも荷物少ないので入荷見ながら手伝います」

「ありがとう! お願いしますね」

 店内に入っていく子羊さんを見送り考える。頭の中にフラッシュバックした出来事を。

 あの時はどう対応したらよかったのかと。

「ごめんね」泣きそうになりながら絞り出した言葉はそれだった。

それしか言えなかった。

 音読会の発表の時だって独音するのに柚葵より自分の方がうまく言えると言われ渋々譲ったこともあった。「その理由ももちろん柚葉が居たら負けるから」だった。

 それ以来だろうと自分で思い返してみて思う。人前で何かをすることが怖いと感じるようになったのは。

 なるべく人の目に着かないように指摘されないようにしてきた。つもり……。

 その子を悪者にする気はさらさらないがその子にだけ何かと言われた。まあ勝負ごとに対してだったのがせめてもの救い、と今になっては思う。でもその子が言う度にクラスが言い合いになるのが申し訳なく感じたりした。その子が本当は優しいということも知っているし、つい、言ってしまうこともわかる。だってそうだろう。

 なぜならこの私、牛尾柚葵は身体障碍者だ。

そりゃ「負けたくない」って言いたくなるよ。でもこっちだってなりたくてそうなったわけではないのだ。と説明したくても小学生の頭では難しいし、と言ってその気持ちを汲んでくれ! そういうことを小学生の女の子、ましてや健常者に隅から隅まで分かってください、理解してよ、と言ったところで話は平行線だと思う気がする。

【なりたくてなったわけじゃない】

 さっきそう言ったことはどういうことかと言うと、それは事故とかではなく、生まれつきのものだ。

等級は第二種の五級。障害名は脳性麻痺(痙直型上下股麻痺)という何とも長ったらしい、聞こえによってはヒーローの必殺技のようにも思える。……それはないか。

いかんせん、そんな病名を付けられたところで立っている見た目に関してはいわゆる健常者と変わりない。どこにでもいる二十五歳、成人男性。背は低いけどね……。あとは目が悪い。頭はいいと…………、この話はやめておこう。

生まれた時の体重はハ百グラムだったそうだ。超がつく未熟児。

一生懸命に命の灯と名高い産声を上げる柚葉に祖母は「ネズミが鳴いとるのかと思ったわ」と祖母特性のキムチを作りながら大笑いでその話を聞かされた。

ひどいだろう。ばあちゃん……。せめて子犬とか子猫にしてくれよと心で叫んだのはここだけの話。

ではそのネズミボイス柚葉くんが一体どこが健常者と違うのか、クイズにしようと思ったけどやめた。誰に出すんだ。面白くないだろうに。

【歩行するときに足が内股になる】

これが牛尾柚葵と健常者の違うところ。気にしていないようにはしているがコンプレックスなのだと思う。

でも他人が思っているほど自分の中では困っていることは特にない。

一人で着替えもできるし、料理に洗濯だって出来る。日常生活においては健常者との差は感じない。

仕事ができるかと言われれば舌を出し、苦笑いを浮かべるしかないのだが……。

ところが柚葵にも懸念がある。それは階段上り下りが苦手ということ。

上ることはできても下りる時に手すりがない所だと怖いというのがある。でも、手すりがなかったとしても一段一段健常者よりゆっくりとなるが下りることもできる。たまにこけそうになるけどね。それと同じように脚立や高いところに上ることも難しいと思う。

「手貸そうか?」

 柚葵を見かけるといつも声をかけてくれたともき。あの行動には感謝しかない。

恥ずかしくていつも「大丈夫」と断ってしまったけど。そんな思い出もある。中学を卒業してからは会えていないし、今どこで何をしているかも知らない。でももし、今度会えたら『ありがとう』と言いたいと思う。

そんなこともあるから出かける時や職場では迷惑にならないようにより早く行動することを心掛けてきて、自分なりに考えて工夫次第でどうにでも出来てきた。

ところがダメな時もある。

自分では出来ているつもりでも他の人の視点では危なっかしさがあるようで手助けしてくれることも多々あった。その時はやってもらって当たり前ではなく、「ありがとう」を全力でしている。

それでも人の力はなるべく借りたくないという気持ちがある。そんな時は「やってみる」と言うようにしている。自分に時間は使ってほしくない。

ほとんどの人は善意と優しさをもって助けてくれるがたまにこんな人もいる。自分のポイントアップを測って近づいてくる人だ。

何度かそんな人に出会った。

最初は優しさと思っていたものは違った。

障碍者としての特典という言い方はあまり好きではないが障碍者手帳を提示すると入場料や映画館などが割引されたり、無料になったりというものがある。そこに目を付けられた。

「柚葵! 映画見に行こう」

 友達の母親が紹介してくれ、初めてアルバイトをした先輩がそう言ってきた。怖いと感じていた人からのお誘いというのもあって嬉しかった。話しかけても冷たく無視されることもあった人だ。ようやく認められた! そんな感じに捉えて喜んでいたりした。

 しかし、聞いてしまった。

「あいつと映画に行くと千円になるからみんなも言った方がお得ですよ! あいつと二時間いるのはちょっと苦痛だけど安く見れるからおすすめする!」

「それにあいつ障碍者だから障碍者年金もらえてるんでしょ~? いいよなあ~何もしなくてもお金がもらえるって。楽だよな」

 少し口角の上がった顔を今でも忘れてないし、それを熱弁されていた人たちの引きつった顔もすぐに思い出せるくらい心に残っている。

 障碍者年金が貰えるから楽? ふざけるのはその言葉だけにしてくれよ。何も調べないでいい加減なことを言うのはやめてくれよ。

 そもそも障碍者年金というものは等級が一級か二級の人だけであり、三級以下の人は貰えないものなのだ。だから健常者と同じように働かないと生きていけないのだ。

 障碍を盾にして生きていけるほど甘い世の中ではない。

 その言葉を聞いてしまったのもあり、居づらくなったのでそのバイトは三ヶ月で辞めた。辞めてよかったと胸を張って言える。

四半世紀生きてきて利用しようとする、あのイヤらしい目に見分けがつくようにはなったとは言え、そんな風にみられるのはいい気分ではないのとその視線にはいつになっても慣れない。要するに嫌いだ。

 そもそも考えてみろ、もしあなたが私の立場なら同じことを言われたらどう思う? きっと嫌な気持ちになるだろう。それがわからないのは道徳的にどうなんだと、人としてどうなんだと思ったりしてる。  

 頭の中でまたため息が漏れてしまう。ダメだ、すぐアツくなってしまう。落ち着こう。

「おう! 柚葵。ごめんな、またバイトに来てもらって。どう? わからないところとかある? 大丈夫か?」

「ひゃい、だ、大丈夫です……」

 その声は店長だ。三ヶ月で辞めてしまったところの次にお世話になった人。

『人手が足りないからまたバイトに来てくれないか』

 そういきなり電話があった。だからここにいる。色々あって在宅で仕事をしている柚葵には嬉しいお誘いだった。在宅と言ってもたくさんは稼げていないから。週二日というお話でお世話になった。

突然の背後からの呼びかけに変な声が出てしまった。後ろから呼びかけられるのはいつ、どんな時でも驚いてしまう。後ろに意識を集中させていたとしても驚いてしまうのだからもう完全に諦めている。

 驚いていることを店長に悟られないように柚葵は笑顔を向ける。マスク越しには見えないが。

「ちょうどありがたいところだったよ」

「いえいえ! こっちもまたこうしてここで働けて嬉しいです」

「そうか、そう言ってくれて嬉しいけど……前居てから何年になる?」

「二年ですね」

「……二年か。早いな……」

 店長の顔が少し俯く。

「どうしました?」

「いやな、前の職場の話聞いたからね。ひどい話やなって思ってたんだよ」

「あー…………」

 マスクの中で表情が引きつりだしたのが自分でわかる。このバイトを二年務めて二十二歳を目前に同じ年の大学生が就職するのを機に自分もどこかで正社員として働かないと。そう決心して居心地のよかったここを辞めた。

そうして人生初の正社員として採用された会社。バイトよりももっと責任感が求められるからとっても不安が大きかった。

「でも、いい経験出来たと思うようにしてますよ、過去のことですしね」

「過去って言ってもすごく嫌な話だよ」

 店長は露骨に顔をしかめる。

「そうですよね……」

「制度を悪用なんて許されることじゃないよ」

「僕もそう思います」

 この人は人のために怒ってくれるいい人だと思う。初の正社員での会社では感じられないことだ。

「まあ今日は戻ってきて初出勤だから気楽にやってくれればいいよ」

 柚葵の肩に手を置き、店長は微笑んだ。店長、ソーシャルディスタンスですよと心の中でツッコミを入れることにした。

 店長が去っていくところに時計が目に入った。時刻は正午だ。どおりでお腹の虫が騒いでいるわけだ。しかし、柚葵の休憩時間は一時間後。がんばれ俺。

 さっきの会話から今度は色んなことがあったなと脳が動く。

 初めて正社員として採用された企業はっ社長が一人に柚葵を入れて従業員が二人、計三人の小さな会社だった。事務員として採用された柚葵。

事務員として働いてみたかったからとっても嬉しかった。パソコンの電源すら付けることが出来なかったから独学で学んだことも役に立てると一気に自信がついた。

でも、現実は冷たかった。

障碍者として生まれてこの方、ヘルパーさんを頼ることのなかった柚葵に対して社長は国からの助成金が多くほしいとの事でヘルパーさんを付けることを柚葵の了承なしに決めたのだ。

結局金か、と落胆したと同時にまたこれかという侘しさが心を埋め尽くした。

そして顔合わせ当日にやってきたヘルパーさんは杖をついたおばあさんだった。びっくりした。青天の霹靂だと思った。

申し訳ないが「これ僕がヘルパーする側だよね?」と疑問が頭いっぱい。それに加え、後から社長に

「助成金。牛尾くんの等級が低いから全然貰えなかったよ、申請しても意味なかった気がする」

と話された時はもう怒りで何かに変身しそうだった。

 自分が勝手に申請しておいて何を言っているのか。

でもそんなことは雇われた身として言えるわけがない。せっかく雇ってもらったし初めての正社員として働くのだから学歴がない分長く勤めようとした。しかしずっとその言われた言葉が胸に引っかかっていた。

結局その会社は一年で辞めてしまった。自分という存在が人としてではなくモノとして扱われているようなそんな感覚に段々なっていったのだ。

周りからはたくさんお叱りの言葉をもらった。

『こんなことで辞めたら次がしんどいぞ』

『辞めたとしても次どうするか考えているのか』

『根性が足りない』

『社会人として恥ずかしいぞ」

『学校も辞めたのにせっかく入れた会社まで辞めるのか』

他にもたくさん言われた、それでも甘えだろうが何だろうが許せなかったのだ。ただモノとして見られていることが本当に心の底から許せなかった。

そしてお叱りの言葉通り、その後は大変だった。面接をする度する度に溜まっていく不採用通知。何がいけないのか、学歴がないのがいけないのか、顔がブサイクだからなのか、会社を一年で辞めてしまうような奴だからなのか、当てはまりそうなものを頭に浮かべは消し浮かべは消しをしてみるが思いつくのは障碍者という言葉だった。

比べてはいけないとわかっていながらもやはりと言うべきかそれが頭の中に浮かび、そして語り掛けてくる。

『お前のダメなところさ』と。

 それに追い打ちをかけるかのように聞かれる言葉があった。

【障碍をお持ちとの事ですがどのような症状があるのですか?】

【事故でなったんですか?】

【生まれつきですか?】

 それらに対して自分なりの回答を必死に用意した。

「これはですね。生まれつきのものでどんな症状かと申しますと、まず歩行する際に内股になります。そして階段を上る時は手すりを使わずに登れますが下る時は手すりを持たないと不安定になります。もう一点は後ろに踏ん張る力が弱いため、押されたりするとよろけてしまったり、後ろに倒れてしまったりするので当たられたりしてしまうと困ります」

 自分の言葉で出来るだけわかりやすくまとめたつもりでも面接官はほとんどの人が決まって怪訝な顔を見せた。

『実際に歩いてみてください』

『わかりにくいからもういいよ』

『結局のところ何もできないってことですね』

 そんな言葉が飛び交った。理解を示そうとしてくれるのはとてもありがたい。しかし、当本人でない限りは理解しがたいところもあるものだ。

 だって健常者にとっては手すりなんかなくても下りれるし、軽く動かないように踏ん張ることだってたやすいのだから。

 経験がないことをすべて理解することは人間にとってはめんどくさいものでどうでもいいのだなとこの時にたくさん学んだ。

それからそんな日々の中、次の仕事が決まったのが会社を辞めてから九ヶ月経ったときのことだった。

一般枠からの応募が壊滅的なので障碍者枠で募集していた工場の部品検査。

障碍者枠いう言い方が苦手で何とか普通の人と同じように採用されたいその一心で動いていたけどやっぱり障碍者枠の方がいいのかもしれないと思い受けてみたところだった。

『今日からお世話になります牛尾柚葵です。お願いします』

 まばらな拍手で迎え入れてくれた部署は薬品やら油の匂いが染みついているところだった。

「君の担当になる熊谷です」

 そうして差し出された腕は毛深くそして合致にした大きな手をしていた。

「牛尾柚葵です。至らぬところが多くなると思いますがよろしくお願いします」

「じゃあ最初は案内から行くね」

 低くて苗字に負けず劣らずの声で初日は始まった。知恵熱で家に着くとすぐさま布団に倒れてしまった記憶がある。

 上手くなじめるだろうか、そればかりが引っ掛かっていた。

「違う。何回同じことを言わせるんだ」

何度この言葉を言われたかもう記憶が定かではないくらいには言われたと思う。

「すみません……」

「全然力が入ってない、こんなんじゃ納品どころか次のステップにも行けないじゃないか。お前のせいでなにも進まない」

 言われた通りやっていても職人から見ると全然でお話にならないと頭を抱えられた。

「言われたことをその通りにする。それが仕事ってものだよ」

最後に言われた熊谷さんの言葉は今でもたまにフラッシュバックする。ちょっとトラウマかもしれない。 

三ヶ月が経つとうまくいっているようにも思っていたある日に突然その生活が終わりを告げる鐘が鳴った。

【試用期間終了契約更新なし】

 そう熊谷さんの口から話された。理由は業務に支障が出ているとの事だった。今思うと当たり前と言えば当たり前の結果だと思う。

 一時間で終わる作業を終わらせられないのだから。当然の結果。はい、試合終了。

 その結果にただ茫然と、そして悔しかった。出来ない自分に。

障碍者採用で入ってその人でも出来る仕事のはずなのに自分には合わなかった。そこからはまた一段と自分が嫌いになった。

そうしているとまた聞こえてくる『お前のダメなところ』という声。

もう何も行う勇気は柚葵には無くなっていた。


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