天使たちの明け方

むきむきあかちゃん

天使たちの明け方

 どうしようもなく暇である。

 天使のなかでもかなりの下っ端のカエラは、「ヤーン」とあくびをしながら電柱のてっぺんでしゃがみこんだ。天使は神の遣いだというが、つまるところ文明が進めば天使は神の下請け業者だ。神や天使は神聖だからそんな道理にはならない、という人間もいるだろう。だがその「神聖なもの」が自らに似せて人間をつくった、と主張し始めたのは人間である。で、あなたの周りを見てみなさい——似せて作った結果これである。天使が神の下請け業者になっていてもおかしくはないだろう、それもまた人間的な美徳である。

 さて、この下っ端天使カエラは地上に何をしに来たのだろうか。まずだいいちに、実は天界には、面白いことがあまりないのだ。まあ仕方がないだろう。彼らの仕事は神の代わりに人間に言うことを伝えたり、人間を導くことなのだから。だが一度考えてみてほしい。私たち地上の人間にはインターネットやら音楽やら小説やらゲームやらと、時間を潰そうと思えばいくらでも潰せる手段はある。それが天界にはないというのだ。果たしてどっちが優れているのか。

 だが!そもそも娯楽があまりない天界という設定はずっと昔、今ほど娯楽もない時代に作られたものである。人間と言う種族がやたらとやかましくなったのはアダムとイブがりんごを食べてからのこと。時は流れる。地上の文明は発達する。その長い間に天界に何ら変化がないとも言い切れないだろう。さあそれに気づいた今こそ、天界の古めかしい文明という価値観をアップデートするときではないだろうか? 新たな宗教観の発見である。

 話を戻そう。天界は、少なくとも、現代人といち天使のカエラから見ればさぞつまらないという話をしたが、カエラが地上に舞い降りたのは暇潰しのためではない。思い出そう、天使は下請け業者なのである。つまり何をするのか。

 仕事は昔と大して変化ない。身体から離れた魂を天界へと案内することだ。あとひとつ、神の声を聞く者と関わるというのもあるが——この仕事はもはやなくなったと言ってもよい。神の声を聞きたい人間はそこらじゅうにいるのだが、神が思うような適任者ではないし、逆に神が良しと思った人間はそんな気さらさらない。虚しくも、需要と供給は成り立たないのである。とは言え現在、地上で一番信じられているのはC教だ。神の戦略は成功と言っていいだろう。この宗教は社会の秩序を保つのに実に役に立っている。

 ところでカエラは怠け者である。どう頑張っても怠けてしまう類の怠け者だ。だが、それは悪いことでもないだろう。集団の中に一定数の怠け者がいるから、他の働き者は仕事に精を出すのである。

 これはどういうことかというと、みんなが働き者だと、ひとりくらいはちょっと怠けてもいいだろうという気持ちが真面目であっても芽生えるものである。そうすると、みんながちょっとずつ怠けるので雰囲気は緩くなるし、作業効率は下がる。いいことなしである。二割くらいはどうにも働けない人間がいてよいのである。十割の人間が七割の力を出すより、八割の人間が十割の力を出した方が成果があがるのは、小学二年生程度の計算力があれば自明であろう。自明なのだ。

 しかし、悲しいかな、社会の仕組みはそうはさせてくれない。カエラのような人間は無理矢理居場所を見つけさせられ、そこで懸命に労働することを強いられるのである。すなわちカエラはどのような処置を受けたかというと、「末期課」に配属されたのである。

 この仕事とは、末期患者や死ぬ間際のおじいさんおばあさんを口説くことだ。たとえばホスピスにいる患者さんのなかには、ふと「生きなきゃ」という活力が湧いてきてついには復活してしまう者がかなりいるらしい。

 そんな患者さんたちにカエラは、「あの世に行けばプレステ全機種プレイし放題ですよ」とか「今後出るであろうiPhoneが全部揃ってて並ばずに買えるんですよ」とか言って現世を諦めさせようとするのである。挙げ句の果てには「あたしゃ仏さんを信じてるからねぇ」というおばあさんに、「ええ、最近は仏教との提携も始めてるんですよ。百パー天国に行けるクーポンつきですし」などと言う始末である。これがあの世でバレたら、もはや詐欺事件として扱われかねない。カエラの客はみな嘘を嘘だと見抜ける人だったのが不幸中の幸いであった。

 そもそも神から授かった命は大切にするのがスジであろうはずであり、なぜ現世を諦めるよう説得せねばならないのかというのは想定される声だが、まあそこは矛盾を孕む人間的な美徳であるといえば多分八割ほどは説き伏せられるだろう。文學のオイシイところだ。

 そんなところで、自分なりに結構頑張っていたカエラはまたもや配属を変えさせられてしまった。次に回されたのはまさかの「自殺課」であった。ここはなかなかに面倒なところだった。現代人の自殺は実に事情が入り組みすぎていて、明確なルールや方針が作れなくなっていたのだ。こんなところにカエラをやって大丈夫なのか?多くの天使が、カエラは簡単な仕事に就かせればよいと思っていただろう。だが人事部はここにカエラを入れたのだ。天使たちの中では人事部は絶対であった。

 自殺課では、自殺をしようとしている人間を止めるか、あの世へ行くよう口説くか、見守るかは「個別のケースによって、個人の判断に任」されている。カエラはその判断をし、客に対応せねばならないのである。さあ、誠に面倒だ。

 そしてその任務を遂行するために、カエラは地上にやってきたのである。

 カエラは電柱のてっぺんから辺りを見渡した。地上のなかでも、ここはかなり平和なところだ。怠け者なりに、というか怠け者なので数々の現場を経験してきたが、こんなに平和なところはあまりない。

 他の配属の天使がほとんど辺りを彷徨いていないのがその証拠と言えよう。だが、こういうところに限って自殺は多いのだ。

 なんであんなにも平和なのに死にたくなるのか分からない、とよく周りの天使は ぼやいていたが、カエラには少し気持ちがわかるような気もした。

 自殺しそうな気配の人間はまったくいない。いや、急になんの脈絡もなく死んじゃうのが人間というものである。カエラは必死に目をこらして、自殺する気のありそうな人を探した。

 一方に別れを切り出されるカップル。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらとぼとぼ歩く大学生。道の端で震えながら物騒な絵を描いている画家。死にそうな人間を探しているカエラからすればみんな死にそうにみえるが、全員を監視する訳にはいかない。   

 悩み始めてふと気づく——いかにも人が自殺しやすそうな場所をあたった方が早くはなかろうか?——カエラはとりあえず近くのビルの屋上に向かうことにした。

 天使らしく美しいクリーム色の翼で空を飛んでいる。だんだんとビルの屋上が見えてきた。ひとり、意味ありげに柵から身を乗り出して下を覗き込むスーツの男がいる。収穫だ!カエラはほくそ笑みながらその男に近づいた。

 男は、なかなかに端正な顔をしていた。だがそんなに口角を下げては台無しだ。なんども柵からずっと下にある地上を見つめては、頭を振り、屋内に戻ろうとする——そしてまたはっとしたように、柵に駆け寄り下を眺めて…を繰り返していた。

 きっと自分が落下してぐちゃぐちゃになることや、そのときの痛みをイメージしているのだろう。そんなことを考えたってむだなのだから、とっとと飛び降りちまえばいいのに——カエラは小さく舌打ちをした。

 しかし、どうだろう。男はいきなり柵に足をかけたのだ。正直死んでもいいと思っていたはずが、うっかり「待ってください」と、カエラは声をかけてしまった。

「ちょっとそんな。早まらないでくださいよ」

 すると男は、

「誰だね君は」と不機嫌そうにカエラを睨んだ。はて、思ったより、深刻そうな感じはない。

「僕はね、え、天使です。ええ、あなたたちの魂を天界にお連れするのが仕事でありノルマです。つまりあなたが死んだら僕の成績になります。あ、いやでもちょっと落ち着いてくださいよ」

 自分の成果になることを思い出したカエラは、死んでくれないかという思いが一層強まったが、ここまでいってしまうと引くに引けなかった。

「じゃあいいじゃないか。君の成績もあがるし、僕は死ねるんだ。WIN-WINじゃないか」

「たしかに成績は上げたいしあなたには死んでほしい気もしてきましたよ。けどだからいいってもんじゃないじゃないですか、あんたひとり死んだって僕はいずれまたたらい回しにされるんですよ」

 勢い付いてそこまで言ってしまうと男は、

「どう言うことだい」と妙に食いついてきた。

「僕はね、本当に何もできない天使なんですよ。いろんな課をたらい回しにされて、ついには自殺課ですよ。正直モチベーションもやりがいもあったもんじゃありませんよ」

「へえ。天使もみんな同じように仕事ができるわけではないのだね」

「あたりまえです。個人差があって当然でしょ」

 ここでカエラは、男が名札をかけているのに気がついた。ササバヤシホールディングスとある。その名前にカエラは少し見覚えがあった。

「あなたの勤めてるとこ、前身は根川株式会社かササバヤシ株式会社ですよね。」

「ああ、根川だよ。なんで知ってるんだ」

 根川株式会社——カエラは鮮明に覚えている。結構有名で大きい会社だったらしいが、根川は紛争地域のテロリストを資金面で援助し、見返りにその地域から、低賃金で働ける労働者を送ってもらっていた。一気に根川の名声は地に堕ち、それを何とか救ったのがササバヤシ株式会社であった。ふたつの会社は合体し、ササバヤシホールディングスと名を変えた。

「あなた、いつからここで働いてるんですか」

「だいたい、十年ほど前からだね」

 紛争がいちばん苛烈になっていたのがちょうどそのころだ。

当時カエラが紛争地域担当であった。罪もない人たちを天国に送りながら、なんとむごいことをするのだと、なぜかテロリスト以上に根川株式会社に腹を立てたのを覚えている。だがあんなことに手を貸していたのは上層部だけで、蓋を開けてみれば社員はこういうパッとしないやつばかりだったのかもしれない。そう思いたかった。

「十年ですか。じゃあ、ちょっとは出世したんじゃないですか」

「いや、そうともいかないんだ」

「なぜですか?仕事ができないんですか?」

「違うよ。ああ、君はそうみたいだけど」

 と、笑う男にむっとする下っ端無能天使カエラ。

「ではなんなんです?」イライラしながら尋ねた。

 すると男は、スンと真顔になり、柵によじ登って座った。

「まあね、そこは、大人の事情ってやつだよ。ほら、嫌がらせとか、仲間はずれとか、大人にもあるだろ。大人のいじめもおそろしいからね」

「はあ、いじめられてるんですか?やり返せばいいのに」

「いや。僕にも非がないとは言えないからね、というか非があるからね」

「何やったんですか?」

 そう尋ねると、男は何とも寂しそうな、それでいて何だか楽しそうな、だが悲しそうな表情を浮かべて言った。

「たぶん、君と同じことさ」

 そして男は体重を後ろにかけ、ゆっくり、ゆっくりと頭を地面の方へ倒していった。カエラは真っ白になった頭に何かピリピリしたものを感じた。体が動かない。

 男の足はそのまま柵から離れ、まるでパラシュートで落ちてゆくように、地面に吸い込まれていった。少なくともカエラにはそう見えた。

 その男の体はビルの下へと消え、やがてビルの向こうから、「ぽす」という、花が地に落ちたときのような音が聞こえた。カエラは口が渇いてゆくのを感じた。

 それからずっと、カエラは何もできずにその場に突っ立っていた。やっと三時間くらいしてから、前同じ課だった天使がカエラを見つけ、天界へと連れ戻したのだった。

 カエラが言うには、「男が飛び降りて死んだから天界に連れてあげてくれ」とのことだった。だが、彼のいうビルのあたりにはどんな魂もいなかったし、死体すらなかった。

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