第五章 不穏な空気

第14話(1) 好意

「どうやら、妹は恋をしてるらしい」

「……へー。それは、健全でいいんじゃないでしょうか」


 勿体もったいぶった物言いから発せられたその言葉があまりに普通過ぎて、私は思わずさかきさん相手に敬語をつかってしまう。


 以前に聞いた話によると、妹さんは高校一年生という事だし、恋の一つや二つ――まぁ、かくいう私はそういう事とは無縁の高校生活を送ってきたので、今のはあくまでも一般論でしかないのだが。


 四時限目の授業は、榊さんと一緒だった。横に広い教室の右隅みぎすみに、私達は並んで座っていた。


 優子ゆうこちゃんは中央を、榊さんは隅をこのんで座る。こういうところ一つ取っても、性格が表れているようで本当に面白おもしろい。


「いやそれが、相手は高校生じゃなくて、お店の店員さんらしくて」

「ふーん。けど、そういう事ってよくある事じゃない。むしろ、高校生だし年上に憧れを持つのは自然というか」


 中高生には、特にその傾向があるとかないとか。よく知らないけど。


「まぁ、そうなんだけどね。実らぬ恋に撃沈する妹が、必要以上に落ち込まないか今から心配で心配で」

「撃沈する事前提なんだ……」


 妹さん可哀相かわいそうに。


「そりゃ、そうでしょ。店員と客、大人と高校生。ウチの妹の恋が実る要素が、どこにあるって言うのよ」

「……確かに」


 り得ないとまでは言えないが、可能性は低いように感じる。少なくとも私は、お客さんに手を出そうとは思わない。


「みどりちゃんも気を付けなよ」

「何が?」

「ウチの妹みたく、熱視線送ってる客がいるかもしれないからさ」

「私に? ないない」


 そんな物好き、いてたまるか。


「分かんないよー。実は、みどりちゃん見たさにお店を訪れてる客がいたりして」

「もう。榊さんたら、からかって」


 私も、さすがにその手には乗らない。


「いやいや、マジな話さ。みどりちゃんが働き始めてから常連になった客とかいないの?」

「いるよ。いるけど、たまたまタイミングが重なっただけでしょ」


 百合ゆりさんにはみどりちゃんのおかげでお客が増えたと言ってもらえるが、リップサービスだと思っていつも聞き流している。くみやんの噂話もしかり。


「その中で、みどりちゃんが働いてる曜日にだけ来る客は?」

「分かりません。自分が働いてない日に来てないかどうか、確かめようがないんだから」


 厳密には確かめようはあるのだが、わざわざ百合さんに聞くのもおかしな話だ。最悪、自意識過剰だと思われねない。


「絶対にいると思うけどなー。しかも、何人も」

「はいはい」


 なんにせよ、私には関係ない話だ。仮にお客さんの中に私に好意を持っている人がいたとしても、それは動物園の動物を可愛かわいいというのとなんら変わらない。恋や愛とは程遠ほどとおい、高彩こうさい色の好意だ。


「みどりちゃんって、ホント大人よね」

「冷めてるだけよ」

とらえ方の問題でしょ、それ」


 いやまぁ、その通りなんだけど。


「何事にもいい面もあれば悪い面もある。私だって、人から軽いとか適当って言われる事あるし。でも、どちらに目を向けるかはその人次第しだいじゃない?」

「……」


 ぐうの音も出ない程の正論だった。


「少なくとも、私は好きだな。みどりちゃんのそういうとこ」


 そう言って榊さんが、にぃっと歯を見せて笑う。


「……どうも」


 嘘のないストレートな好意というのは、やはり照れるし何より反応に困る。優子ちゃんくらい何も考え――純粋だとまだいいのだが。


「みどりさんは、どういう人がタイプなの?」

「タイプって言われても……」


 特には思い浮かばない。いて言えば――


「ちゃんとした人?」

真面目まじめって事?」

「まぁ、大雑把おおざっぱに言えばそうね。ルールが守れて最低限の礼儀があって、一緒にいて不快に思わない相手がいいかな」


 と言っても、今は誰とも付き合う気はないし、あくまでも想像の中の話、なのだが。


「さすがに譲歩じょうほし過ぎじゃない? そんなの五万といるでしょ?」

「そう? 結構世の中にはルール守らない人はたくさんいるし、礼儀がなってない人もいっぱいいると思うけど?」


 交通ルールがいい例だ。赤信号で渡ったり近くに横断歩道があるのに平気で道路を横断したり、それどころか車を運転する際、一時停止義務のある所で停まらなかったり駐車してはいけない場所に駐車したりとまともじゃないドライバーは大勢いる。みんながやっているから自分もという考えなのかもしれないが、それは当然言い訳にはならない。ルールは守ってこそのルールだ。


「確かに、言われてみればそうかも。この前も、あやうく車にかれかけてさ」

「え? 大丈夫?」

「うん。結果的にはかすりもしなかったんだけど、車が急に飛び出してきて。あいつら見える所までとか言って、普通に停止線越えてくるじゃん。ふざけんなって感じだよね」

「後、駐車場」

「分かる。歩道出る時ホント止まらないよね。それ言ったら――」


 そこから話はいかにこの世に交通ルールを守らない運転手が多いかという話に変わり、私達は日頃の不満を互いにぶつけ合った。

 お陰で苦手なタイプの話はいつの前にかどこかに行ってしまい、私としてはおおいに助かったのだった。

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